053-(138) 会いたい人
風は無情にも掴ませてくれなかった。
ただただ、長い時間、地界に向かって落ちてゆく。
私はこのまま叩きつけられて死ぬのかもしれない。
でも、それもまた運命。受け入れようと思う。
『つくづく、貴方は計画を台無しにしてくれる』
不意にそんな声がした。
そして体が柔らかいモノに受け止められた気がした。視界の中に白い毛が舞っている。
『お迎えに上がりましたよ、お嬢さん』
それは言うまでもなく白雲運河だった。
白雲運河もまた、私と同じように複数の存在。だから輪廻のことは知っているような気がした。もしかしたら船に侵入する計画でも立てていたのかもしれない。
でも、今のあそこは危険。
白雲運河の暖かさに包まれながらも、先に黒い面を外してから口を開く。
「あの船に侵入するつもりなら止めた方が良い……あれはもうすぐ消える」
『知っている。だが、どうしても会っておきたい存在がいる』
「女神と呼ばれている香恵子様のこと?」
『・・・』
白雲運河が黙った。
もっとも、白雲運河が神の名簿を作ろうとしていることは、花びらの記憶から見て知っていた。だから本物の女神かどうか、確認しに行こうとしたのだろう。
「香恵子様は本物だったよ」
過去形にしたのは、今はもう、その核を保有していなかったから。
四大神の核も、属性神の核も、どちらも途絶えさせてはいけない神には違いない。その為に、香恵子様は核を誰かに託したと思われた。
その心当たりは花菜子くらいだが、そのまま渡しても核は手元に戻ってきてしまうらしい。核を保管する神器であれば戻って来ることは少ないらしいが、花菜子がその神器を持っているかどうかは解らない。それに、花菜子や黄があの船に侵入した形跡はなかった。
白雲運河も過去形であったことに気付いたのか、小さく溜め息をついたような気がした。
白雲運河に御姫様抱っこをされたまま、私が風に飛ばされないくらいの速度で運ばれた。
その間、白雲運河は始終黙っていたものの、地上に下ろされてからは色々と話してくれた。
数日前、里の主によって電波が独占されたらしい。
その電波に乗って暗示にかかりやすい一般人が暴徒化しているらしく、街中のあちらこちらで血痕を見かけるような状況だという。
その状況から、都内では一次避難勧告が発令された。その詳細は、一般人は自宅近くの避難所のシェルターに避難すること。
ただし、その原因は暴徒なので、避難所の周囲には選ばれた結界師が配置され、その結界に弾かれてしまった者は残念ながら対象外になってしまっているらしい。
暴徒化した者には数通りいるらしく、大きく分けるとただ暴れ回る者と、黒い面を発症する者がいるらしい。発症と言っているのは、顔が次第に黒くなって面のように硬くなる様子が里で見る黒い面と異なる為。黒い面を発症する者は、死神教の掟通りに布教活動を行っているだけらしい。
ただ、その内容が恐ろしいもので、同意した者には黒い面を授けられ、反論した者には死を与えられる。これは里に居住する為の掟と大差なかった。
しかし、黒い面には暗示の効果もある。その暗示から更に黒い面の人口が増えることは目に見えていた。
『死神様以外の神は不要、賛同しない者は全て殺せ!!』
ビルとビルの狭間に居るというのに、先程から死神教の掟が聴こえて来ていたのはそれらの所為だったらしい。
納得してから白雲運河を見上げる。でも、その視線は恐らく私には向けられていない。
『情報ありがとう。でも、船に戻るなら急いだ方がいい』
視線がこちらに向けられた。
でも、何となくは解っていたこと。
白雲運河を見送ってから、私はまた、黒い面を取り出した。そして装着してから道に出る。
『死神様以外の神は不要、賛同しない者は全て殺せ!!』
黒い面も、そうじゃない人も。全てが殺し合いを始めていた。
その刃は私にも向けられる。だけど、私はそれを微量の魔力でねじ伏せていた。
もっとも、殺す気はない。
船の中には沢山の里の住民、鬼の面が乗っていた。その船を捨てるということは、即ち乗船している者にはもう魔力が無いということ。船を動かすにも魔力は消費される。
そんな今の里の主にとって、地界の黒い面が唯一の魔力供給源。1人でも多く殺せば里の主への魔力供給は絶たれる。
だが、恩人である白雲運河の願いは叶えたい。
周囲の黒い面、時折混じっていた暴徒によって死屍累々。しかし、中には私の弱らせた者に止めを刺すちゃっかり者も居た。それをも床に平伏させる。
だが、そんな音か臭いで嗅ぎつけただろう灰色の鬼の面が近くまで来ていた。その鬼の面は、既に意識を手放しているのか直線的な動きしか出来ていない。まるで獣のようだった。
私はその相手をしながらも花びらの記憶を手前に出す。
女神様の本名は風見 香恵子。妹は花菜子と、黄の本名・龍子。
その三姉妹の父親は章二という名前。花菜子の居る神社の神主は山田 章二という名前で、章二の旧姓は岸間。章二のお兄さんは章一という名前。
私のお父さんは章一という名前。お父さんの旧姓も岸間。
そして大昔、外界にあった時の里の中で、香穂里の父親の 岸間 章太郎 とすれ違ったことがある。章太郎には弟が2人いた、とどこかで耳にした。
鬼の面が黒いクナイを私に揮う。クナイは私の腕に刺さった。
激痛と共に紫色の血が噴き出す。だが、同時にその血で相手の鬼の面を汚した。
目に入ったのか鬼の面を押さえている。
要は、私が本堂に行くことを拒んだのは、章二に私の存在を花菜子が伝えたくなかったから。
そして、花菜子が里の主の情報を知っていたのは章二から聞いていたから。章二が誰と連絡を取っていたのか ―― お父さんは有り得ないので、恐らくは章太郎だろう。その章太郎が協力者として里に出入りしていたことは知っている。
鬼の面が体勢を整える前にその面を奴のクナイで割ってやった。現れたのは肌を黒くさせた小池。
少し驚いたものの、灰色の鬼の面など今まで一度も見たことはない。だが、発症する黒い面と同じように紛い物だと想定した。
何故なら、今となってはどうでもいいことだから。
小池は顔を手で覆ったものの、その指の隙間から黒い蔦が伸びていた。その蔦は最初に小池の目を突き刺す。赤い血が私の足元まで飛んできた。
唖然とする間にも、枝分かれしてゆく蔦が耳にも刺さる。あまりにも見ていられなくなって、私は思わず顔を背けてしまった。
結局、小池の最後を見届けることはしなかった。
黒い蔦の正体は、何となく解っている。
でも、それを確かめる為にもある資料が必要だった。
先程は風に乗れなかったのに、地上からは乗ることが出来た。
だから地界の人間模様を視界の端で黙認しつつも先を急ぐ。
里の主によって齎される快楽は、人間にとっては意識が飛ぶほど凄いモノ。栄養価の全くない甘いお菓子と大差ない。
ただ、里の主はそれを利用して飛んだ意識を回収し、代わりの意識を与えることで人間を操縦する。操縦されている人間は脳内がお花畑状態になっているが、その体は支配されて無痛状態、という矛盾を生み出すことで、里の主に心酔する人間を増やしている。
そして、その快楽に利用されているのは呪詛。完全に心酔した人間は呪詛の効力で黒い面や鬼の面が外せなくなる。面は呪詛を肉体に抑え込むためのモノ。
そこに起爆剤があれば、魔力暴走の連鎖が起こる。無くても、悪鬼や悪神に成り果てる。
化物化した円と女神様を思い出していた。
「私にも、残された時間は無いのだろう?」
誰に言うまでもなく呟いた。
私の器は黒い面で出来ている。この器の内部に満ちているのは呪詛と劇薬。
しかし、劇薬を使い切れば呪詛の浸食で輪廻を引き起こし、劇薬を使わなくてもお父さんに呼び出されたら輪廻を引き起こさなくてはならなかった。
つまり、どちらに転んでも私は死ぬことになる。
だから最後には、花菜子に会いたいと思う。
そのためにも、手土産が欲しかった。




