052-000 決別
私は生まれ変わった。
里の主や悪神の言いなりになっていた時と違って、情報が整理できて、何となく推測もできるようになった。直感も冴えている。
本来の生物はこうやって成長しているのかもしれない。
でも、そんな普通ですら、過去の私には想像もつかなかったし、ただ恐怖でしかなかった。
里の主と決別した私は、最後の別れを伝える為だけに女神様の元へと向かった。
恐らく、私のことは里の主に敵だと認識され、共有された後だったのだろう。誰もが警戒し、緊張状態が続いていた。
だが、念の為に黒い面を装着していた為にまだバレてはいない。
女神様は私の正体に気付き、あっさりと部屋に通してくれた。
だが、そこに居たのはもはや女神様でも、まして人間でもなかった。
それでも悲しく感じなかったのは、女神様との接点が薄いからか、又は既に化物の原理を理解していたからか。
どちらにしても、私はもう、女神様の味方で有り続けることは出来なくなる。
『申し訳ございません』
私は最初に謝罪の言葉を口にした。
が、女神様は解っていたらしい。
『貴方は私の為に働いてくれました。それだけで十分ですよ』
御優しい言葉にも、私は同情しなかった。
『ここにはもう、戻るつもりはないのでしょう?』
『はい』
『ならば、急ぎ外界へお戻りなさい。この船はもうすぐ消滅しますから』
知らない情報には、やはりまだ抵抗があった。この船には偽物とはいえ、分割した里の主も乗っている。
なのに消滅することなどあり得るのだろうか。
『紅色の鬼、そこに居ますね?』
女神様は私の問いには答えなかった。
代わりに、ずっと警備をしていたのだろう。あの赤い方の鬼の面がスッと、気配もなく姿を現した。
化物の下半身から、それが円だとすぐに理解する。
『ここにおります』
『この者を、出口まで案内して差し上げて』
円の優しい手によって部屋の扉が開かれた。同時に女神様がフッと笑う。
『今の私に悔いはありません。なぜならば、本来の私の役目を貴方が担ってくれましたから』
『……どういうことですか?』
もちろん、心当たりなど手紙の投函くらいしか思いつかない。
『旦那が皆から盗んだ記憶は私にも共有されていました。なので、貴方が花菜子と黄の傍に居てくれたことを知っています』
私は理解出来ずに困惑した。
記憶はやはり、里の主に奪われていたらしい。でも、2人の傍に居たことは、別に女神様の為ではなく私的な都合。それに、女神様と2人にどんな関係があるというのだろうか。
『あの2人は私の妹ですから』
『……えっ』
『私はずっと、外界の黄を救いたい一心で我慢してきました。しかし、後のことは全て、花菜子に任せてあります。だから私は安心して消えようと思っています』
手紙のことを思い出す。あの手紙は花菜子宛てだったらしい。
思考を整理しようとしたものの、女神様の優しい触手によって扉の方へと押し出されてしまう。
円に背中越しに両手を拘束されたまま、そして押されるがまま、私は廊下を真っ直ぐに歩いていた。
この廊下を、私は知らない。船のことなら、里の城のことなら全て知っていると思っていたのに、私はまだ無知のままだったらしい。
女神様と花菜子と黄の関係のことも、円が女神様の元に居たことも、同じ。
私は何も知らなかった。
でも、それだけ無知のまま過ごしてきたということ。
友人ならば、仲間だと思っていたならば、本人達から聞き出すべきだった。
その責務を怠ってきたから、こうして友人を失うことになってしまっている。
『円、ごめんね』
私の一言に円が立ち止まった。
背中越しに当てられた手が大きく震えた気がする。
『私、円のこと、信じきれていなかったんだと思う。大切な友達だと思い込んでいただけで、円のことは何も知ろうとしなかった』
『……解っていましたわ』
円は背中越しに答えてくれる。
『紫が記憶喪失の純を守っていること。最初は不思議でなりませんでしたが、今なら……女神様から教えて頂きましたから、理解しましたわ。だから、もう……』
円の震える声で、きっと円も怖いのだと理解できた。
その恐怖は、死への恐怖か、私への恐怖か。もしくは……。
『死神様のところに居た瞳の鬼の面は壊しておいたよ』
『……何てことを。アレが無ければ、外にも出られませんのに』
でも、円の手の震えは明らかに止まっていた。
鬼の面から里の主の魔力が供給されている。円が既に化物と化している以上、瞳もまた、化物になっている可能性は高いと思う。
だとすれば、鬼の面が壊れたら少しの時間稼ぎは出来ると思う。
『だから、円も一緒に船から降りよう?』
円が息を呑んだのが解った。
恐らくは、円も外に出たかったのだと思う。
しかし、円は歩み始めた。
『返事は?』
催促しても、無かった。
無言のまま、円は私のことを押す。
しばらく経って、両脇の灰色の壁と同じような、少し暗い場所が広がる場所に立たされた。
風の流れから、その広がる場所が外だということは理解する。
でも、まだ円の返事を聞けていなかった。
「返事をしてよ」
私は催促する。
でも、円は徐々に私の背を押している。きっと、それが答えなのだろう。
【でも、進まなくてはいけない時が来たの。もしそういう日がやってきたら、嫌でも覚悟を決めて進まなければならない。はっきり言って、覚悟を決めておいたとしても凄く辛かったわ。傷を癒す時間も無かった。だからね、出来たら2人には自分のタイミングで踏み出して欲しいの】
私は意を決して空へとダイブした。
そして円を振り返る。
円は鬼の面を外していた。その顔は既に黒い蔦によって模様が出来上がってしまっていた。
『真の地獄は、貴方には似合いませんもの』
その一言で私は全てを悟る。
既に間に合わなかった、ということを。
「まどか……まどかぁっ!!」
風をまだ掴めていない私は重力に逆らうことができなかった。
どんどん円から離されてしまう。
『貴方は生きて、純を助けてあげて。貴方と純が生き続けること ―― それが私の、いえ、私達の希望なのですから』
口元はそう言っているように感じた。




