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美術準備室の美人形さん  作者: 雪見桜


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19/20

19.好きです


「学校、勝手に入って怒られないですか?」

「んー、大丈夫……じゃない? 部活とかで来てるのも、いるし」

「でも私達、私服」

「ん。コソコソ、しなきゃかな」


そんな風にビクビクしながら入った校舎内。

相変わらず美術準備室は人の気配ひとつなかった。

美術部も、今日は誰も活動していないみたい。

いつも静かなこの場所は相変わらず静かで、物音のひとつだって大きく感じる。


「眼鏡、似合ってるね。可愛い」


そんな中で、詩音先輩がそう笑った。

視線を合わせればさらに目を細めふっと声を漏らす。

途端に全身熱くなって俯いてしまうのは、やっぱり相変わらずだ。


「あ、ありがとう、ございます」


何とか言葉にしても、声は途切れ途切れで震えてすらいる。

スマートには、中々出来ない。


「うん。こちらこそ、ありがとう」


けれど同じ言葉を返されたものだから、ぱっと顔を上げた。

見つめる先はまっすぐ詩音先輩。

穏やかに笑うその表情は、いつもよりも何倍も落ち着いている。

何かに吹っ切れたような、すっきりしたような、そうも思える笑みに見えた。


「桃に聞いてる? それとも噂で耳にしてる、かな」

「何を、ですか?」

「学校、まともに通ってないとか。授業も時々しか出てない、とか。よく怒られている、とか」

「え、えっと……」

「気まぐれ王子ってあだ名は……少し嫌だな」


何でもないことのように呟いて、近くの椅子に先輩が腰かける。

定位置に置いた毛布を見つめ息を吐き出した。


「自分でも、気付いてなかった。自分が無理していると、思ったつもりはないけれど」

「……詩音先輩?」

「人より表に感情が出ない。顔が人と違う。だからかな、“人形みたい”って言われるのは。人間らしくしないとって、頑張った……つもりはないけれど、ある時ぷつんと糸が切れた」


だから人よりすぐ電池が切れる。

そう詩音先輩は言った。

表情を消し去り、ただただ淡々と。


「色んな人から“人形”って言われた。目立つらしいから、いつも人の目がこっちを向く。負担、だったみたいで。俺の顔は確かに人形みたいに精巧なのかもしれない。けれど心まで精巧では、ないから」

「……はい」

「思ったより脆くて、不出来で、言うことが利かなかった。上手く生きられなくて、ここが逃げ場所」


桃ちゃんが少しだけ教えてくれた詩音先輩の事情。

人知れず必死に闘っていた記憶。

私が“人形さん”と呼んだように、そう呼んだ人が他にもいて、詩音先輩は一人で傷ついていた。

そうして自分自身を傷付け続けて、限界を越えた詩音先輩の心。

ずきんと、胸が痛くなる。

優しいこの人を1ヶ月も“人形さん”と呼び続けた私の過去は消えない。

それを詩音先輩は責めないけれど。

それでも私はずっと詩音先輩のトラウマを刺激し続けてしまった。


そうして顔を暗くする私に、けれど詩音先輩は笑う。

ふっと、小さく。

とびきり柔く。


「理子からの“人形さん”は好きだったよ」

「……え」

「毎日、人形さん人形さんって、そう呼ばれる時間は優しかった。声は小さくて、言葉は弱くて、聞き逃した会話もあったけど。理子は毎日必死に頑張ってたから。人の輪の中で、逃げることなく」

「詩音せんぱ」

「毎日、励ましてもらった。人形さんの俺も、今の俺も」


思いがけない言葉に驚いた。

まさか言葉がそう繋がるとは思っていなかったから。

目を見開き固まる私に、やっぱり詩音先輩は笑顔だ。


「塗り替えて、もらった。たくさん。だから、ありがとう理子」


言葉の結び。

私に対してありがとうと返してくれた、その真意。

どうしてだろうか。何故だか目が熱い。

はっきりと開けたはずの視界が、ぼやけて見えなくなっていく。


不発だらけの頑張りを、こうして認めてくれる人がいた。

人より歩みの遅い私に、ありがとうと真正面から言ってくれる人がここにいる。

ぼとぼとと涙をこぼしてうずくまる私を、この人はどう思うだろうか。

きっと優しく見守ってくれるんだろうと、そう確信している。

私自身ですら信じられない自分を、認めてくれた詩音先輩だから。


「好きです、詩音先輩」


思った通りの告白では、なかった。

もっと晴れやかな笑顔で告げようと思っていたはずだった。

けれど自然と、こぼれるように、その言葉は出てくる。

せっかくの1.0の視力も台無しになってはいるけれど。


「詩音先輩のそばは、温かいから。優しくて、可愛くて、時々少しだけ強引な詩音先輩が、好きです」


ぼやけた1.0の視力の先、先輩は今いったいどんな表情をしているだろうか。

全てを見ると決意していたのに、中々止まってくれない涙のせいで難しそうだ。

悔しいと思う何かがあるならば、それだけ。


けれどそんな視界は、突然拭われる。

眼鏡が外れて、グイっと目元に柔く何かが当たる。

突然のことに驚いて目を見開けば、目にたまった涙が全て目の前のそれに吸い取られた。

白い、布。

ううん、これは……袖?

それが詩音先輩の服の一部だと気付いた時には、私の視界は再び鮮明な1.0へと戻っていた。

詩音先輩が苦く笑って、私を見つめている。


「うん、俺も。理子が好きだよ」


そうして返って来た言葉に信じられなくて、思考が停止した。

俺、も?

私が、好き?


「でも、駄目」

「だ、だめ?」

「そう、駄目。だって、俺が先に言おうと思ったのに」


拗ねた声の詩音先輩。

さっきの笑みの苦みだけが、そのまま顔にも出ている。

新しく見ることができた、とても子供っぽい表情に思わず私の顔が緩んだ。

じわりじわりとようやく言葉の意味が飲み込めてくる。


「やり直し」


さすがに自分でも子供っぽいと思ったのだろう、私とほぼ同じタイミングで詩音先輩が吹き出した。

床に座り込んだ私の両手を持ち上げて、詩音先輩が今度こそ晴れやかに笑う。


「不器用で可愛い理子が好き。だから俺と付き合ってください」


ドキドキと、心臓の音が耳にまで響いている。

握った手は汗と涙で少しだけ滑りやすい。

想像とは全く違う、私達のはじまり。

けれど目指していた通りに、私の顔は真っすぐに笑顔だ。


「はい、喜んで」


そうして握りしめる手の力を強めて、2人で笑った。










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