17.頑張ってみます
緊張しすぎて、いつもより1時間も早く起きてしまった。
洗顔もご飯も歯磨きも身支度も、いつもより時間をかけてきっちり済ませる。
決意したと言ったって、もともと臆病な私は今ですら心臓がバクバクして落ち着けない。
校舎へと向かう自分の歩幅がいつもより狭くて、怖いのだと自覚した。
それでも、頑張りたいと決意する。
ちゃんと行動にするのだと自分を励ます。
「あ、噂になってる子だ」
「ああ、王子に突撃したっていう?」
「いやあ、見た目によらないよね。静かそうな子だけど」
今日も今日とてザクザクと耳に私の噂が届いた。
尻込みしてしまいそうになる、遠慮のない視線と言葉。
ぼやけた世界でもしっかり感じる視線に冷や汗が流れて足が震える。
「というか校門前に突っ立ってどうしたんだろう」
「何か用事かな?」
「もしかして王子を待ってたりしてね」
「まっさかー、だったら相当の勇者でしょ」
聞こえた言葉に頷きそうになった。
教室の片隅にいた座敷童のような私が、勇者。
一足飛びにも程がある。
やっぱり無謀だろうか。
そう思いながらも、私の心は中々頑固でその場から一歩も動かない。
「あれ、理子ちゃん? どうしたのこんなところで」
「も、桃ちゃん……、おはよう」
「うん、おはよう。って、何? もしかして具合悪い?」
「ううん、具合は悪くなくて」
声をかけてくれた桃ちゃんに安堵して顔を緩める私。
そうして大丈夫だよと答えようとしたときに、視界の端に目的の人が映った。
顔はぼやけてはっきりと見えないけれど。
もう雰囲気だけで分かってしまう。
歩く姿勢とか、制服の気崩し方とか、鞄の持ち方とか、そういったところで詩音先輩が分かる。
ぷつりと会話を止めて、まっすぐに詩音先輩を見つめる私。
その様子に桃ちゃんはどうやら何か気付いたようだった。
パシンと強く背を叩かれ、びっくりして振り返る。
桃ちゃんはにやりと笑っていた。
「理子ちゃんにも物理の背押し!」
少し前の、詩音先輩と桃ちゃんの会話を思い出す。
豪快で力強くて、ひりひりと残る桃ちゃんからの激励。
思わず笑ってしまって、ようやく足が動いた。
「ありがとう。桃ちゃん!」
「どういたしまして! こっちこそ、ありがとう」
「え?」
「ううん、いってらっしゃい! ちゃんと見守ってるからね」
大きく頷いて、私は駆けた。
はやく、早く。
急く心で足が少しもつれる。
けれどそうしなければ、あっという間に詩音先輩は囲まれてしまうから。
そんな私を多くの人が見ていただなんて、この時の私にはまるで余裕が無くて気付くはずもない。
ただただ一心に向かうその先で、詩音先輩がこちらを向くのが分かった。
息を切らして目の前に辿り着けば、奇跡的に今日は周りに誰もいないと気付く。
はあはあと荒い呼吸の私に詩音先輩は固まったまま。
勢いよく顔を上げて、私は詩音先輩の目を見つめた。
驚いたようにまん丸の先輩の目とかち合う。
「おはようございます、詩音先輩」
「おは、よう……え、どうしたの」
「きちんと挨拶、したかったから。隠れて、コソコソじゃなくて」
本当にたったそれだけのことだった。
隠れるように詩音先輩を見つめるんじゃなくて、そうして黙って詩音先輩に守られるんじゃなくて、きちんと堂々と会いたいと。
だって詩音先輩に会いたいから教室にまで突撃した。
私がそうしたいと自分で決めたことだから。
そのことで噂になって詩音先輩に守られるだなんて、悔しかった。
自分でしたことは、ちゃんと自分で責任を持ちたい。
そうじゃないとあの日の会いに行った気持ちにまで嘘をついてしまう。
ざわざわと周りが何かを言っている。
視線がいくつも突き刺さる。
詩音先輩はやっぱり人気者で、いつだって多くの人を惹きつける。
けれどここにこうしていることを、私は後悔していなかった。
足はガクガク震えて、喉はキンキンに冷たくて、顔は逆に沸騰しそうなほど熱い。
それでも案外、大丈夫だと思えた。
目の前の詩音先輩が、笑ってくれたから。
そう、笑ってくれた。
「うん。ありがとう、理子。おはよう」
もう一度はっきりと返してくれた言葉に嬉しくなる。
思わず笑い返せば、なぜだか今度は渋い顔。
「……理子、それは駄目。絶対駄目」
そうして何故だか桃ちゃんと同じようなことを言った。
どうして急に怒られたのか分からない。
突き刺さる視線は何故だか増えて、尚更自分が何かをしてしまったのかと不安になる。
「……けん制、する相手増えちゃうかな」
「けん、制?」
「それとも、喧嘩?」
「え!? だ、駄目……ですよ?」
「それじゃ、理子も駄目だからね」
「えっと、何を?」
「そんな無防備な、笑顔。絶対駄目」
……無防備な笑顔は、詩音先輩の方だ。
嬉しそうな声に、この視界でもはっきり分かる笑顔。
当然辺り一帯が大きくざわめく。
一等級の顔立ちの一等級の笑顔。
思わず見惚れてしまって、私は固まった。
「ちょ、さ、笹部さん! 見たよ! 何あれ、なにあれ!」
「は、原さん、おは」
「おはよう!! それより何あれ!」
「……玲、語彙力」
「いや、でもびっくり。笹部さん、意外と強者だった。って、佐々木さんどうしたの」
「……理子ちゃん、可愛かった。けどどうしよう、全世界に見つかってしまう」
その後、やっぱり私に向く視線は前より格段に多くなって、どんな時でも誰かに見られているような時間が増える。
それでも確かに私のそばで笑ってくれる人はいて、見守ってくれる人もいて、だから私は何とか踏ん張って笑えた。
そんな自分が少し誇らしい。
新しい眼鏡の到着まであと少し。
心構えが、できた気がした。




