第十五話∶暴走
【歩上花太郎】
ある日、遂に石山家の住所が特定され、同時に日菜子のアカウントも特定、流出した。
それで日菜子にも、彼女を知らない不特定多数からの無責任な刃が届くようになった。
SNSだけじゃなく、現実でも家に貼り紙や落書きといった悪戯が続いた。
下駄箱が脳裏を過ぎる。
それに家族を巻き込んでしまった日菜子の気持ちを想像するとやりきれなくて、僕はいよいよ焦った。
何かするんだ。
僕は居ても立っても居られなくなって、せめて貼り紙くらいは剥がそうと、遂に石山家の敷地に踏み入った。
無断だけど、貼り紙を剥がすこと自体は悪いことじゃない。
問題にはならないはずだ。
それで、やってみると綺麗に剥がすのは意外に難しい作業で、1枚目は糊跡が残ってしまった。
思ったより慎重さと丁寧さが必要だ。
ただ何もできなくて苦しんでいた僕にとって、そんな作業が心地よかった。
気付いたら作業に没頭していた。
黙々と何枚か剥がした頃、突然ドアを勢いよく開けた音がして、次の瞬間に激しく胸ぐらを掴まれた。
「いい加減にしてよ!!どんな気持ちであんたたちは奪うのよ!!」
それは鬼の形相の日菜子だった。
奇しくも「奪う」という日菜子から発された言葉が咲子の遺書と重なり、僕を深く抉る。
僕の手には剥がした貼り紙が何枚も握られたままだ。
混乱と絶望が僕を埋めていく。
世界がうねって歪んだ。
『本当に悪いんだけどさ、お前が話すと面白くなくなっちゃうんだよね。それ、多分普通に面白い話じゃん。勿体ないから一緒にいたマサヒロから聞きたかったよ。』
まただ。
いつモこんなんだ。
『ずっと憧れながら眺めていることしかできなかった、みんなと同じ船に乗れたってことだ。』
もウイやだ。
わカらナイよ。
『お前さえいなければ!死んでも俺はやらなきゃいけなかったんだ!!』
【歪んで】
どウシたラよかったノ。
わかリタい
『どんな気持ちであんたたちは奪うのよ!!』
いヤダ。
【歪んで】
わカリたイ。
イやダ。
ぜンブ、
『何かが落ちた音がして振り返ると、うちの制服っぽい何かがあった。赤いものがゆっくり、周りの音と僕の意識を吸い取りながら広がっていく。』
【歪んで】
『わかリタくナイ。』
【グチュッ】
世界が潰れた音がした。
潰れた僕の頭から何かが地面に溢れて広がる。
世界が僕の色に染まっていく。
次に僕が認識したのは、背後からの衝突音だった。
振り返ると交差点で2台の車が事故を起こして、破片をまき散らしている。
その横の歩道で、晴れているのに「急に雨かよ!」と走り出すおっさん。
そのどう見ても50代の小汚いおっさんに向かって「ママ!待ってよ!!」と叫ぶ5歳くらいの男の子。
少し離れたところでモデルみたいな女の人が電信柱に向かって「これから大好きなアイスクリーム屋さんに行こうか!」と微笑みかけている。
目を疑ったという言葉が生ぬるい。
意味が解らない。
「くそ雨っ!今日のレース中止になったりすんじゃねーだろーな!!」
「ママ、待ってー!置いてかないでー!!」
「ホラ、行くわよ!アンタの好きなアイスだって言ってるじゃない!!何が気に食わないのよ!!歩きなさいよ!!」
何ダ、こレは??!
色んな声と音がどんどん重なっていく。
やがて殆ど何も聴き取れなくなった。
頭が焼ける様に熱い。
気が付くと、目の前に日菜子がいた。
揺れて二重に見える視界で、日菜子は呆然と僕を見つめていた。
「え???咲子?!!」
エコーがかかってグワングワンしていたけど、確かにそう言った。
そして日菜子は僕を抱きしめた。
なンで??
僕を咲子って呼んダ???
日菜子は僕に向かって「ごめんなさい、わたしがあなたを守らなくちゃいけなかったのに」と泣きじゃくっている。
何カが狂ッタ。
僕はただただ怖くなった。
一つだけ理解できていたから。
僕ハまタやラカシた。
日菜子モ、町の人も、こンナ風にしたノハ僕だ。
僕ガ人を不幸ニシた。
『モウ、ナニモシチャダメダ。』
ガギン!!
またいつもと違う、そしてこれまでにない大きな音がして、世界が真っ白になった。
【石山日菜子】
咲子は飛び降りてしまう何日か前、わたしのところへ来ていた。
ただ、前みたいに話しかけてはこなくて、少し離れたところで立ってた。
いつもの屈託ない笑顔じゃなくて、悲しそうな顔をして、どうしたらいいのか判らない感じでこっちを見ていた。
クラスのやつらにやられたのか、ところどころ怪我をしていて、制服も少し汚れていた。
そんな咲子を見て、わたしはどうしたらいいか判らなくて、多分、咲子と同じ様な悲しくて困った顔をしていたんだと思う。
わたしは咲子を見つめ続け、咲子はそんなわたしを見つめ続けた。
「ごめん。」
二人の声が重なった。
わたしが一歩踏み出したのと同時に、咲子は背を向けて走り去った。
わたしは「待って」と言うべきだったのに、言えなかった。
その何日か後、咲子はいなくなった。
わたしは咲子を傷付けた。
それなのに咲子は最後までわたしを否定しなかった。
咲子を学校に連れ出したのは、わたし。
自分の都合で勝手に突き離したのも、わたし。
わたしは咲子を守るべきだった。
例え守れなくても隣にいるべきだった。
でも、わたしはそのために自分を差し出すことができなかった。
咲子に謝りたい。
でも、もう叶わない。
わたしは咲子の何を知っていたのだろう。
死ぬほど苦しんでいたのに。
それはわたしのせいなんだから、わたしに傷付けられたと言ってくれれば良かったのに。
わたしの方が余程大きなものを奪ってしまったのに、最後に会った咲子はわたしを大事にしてくれた。
耳鳴りが五月蝿い。
わたしは咲子のお母さんに全て話しに行った。
「来てくれてありがとうね。いつも咲子から話を聞かせてもらっていたわ。」
その時、酷い耳鳴りがしてわたしは顔を歪めてしまった。
「最近学校で耳鳴りが流行ってみんな大変なんですってね。あの子は丈夫だけが取り柄だったから平気だったみたいだけど、いつも日菜子ちゃんのことばかり心配していたのよ。」
その後、咲子のお母さんは静かに涙を流しながら、わたしの話を聞いてくれた。
「そうだったの。あなたが苦しまないでちょうだいね。あの子は笑うと私たちを笑顔にしてくれる不思議な子だった。それをあの子も喜んでたみたい。だから、あの子が好きだった日菜子ちゃんには笑えるように幸せでいて欲しい。」
わたしに微笑みかける咲子のお母さんが咲子と重なって見えて、何も言えなくなってしまった。
今更気付いた。
わたしは咲子といる時、一人になる心配をこれっぽっちもしないで済んでいたことに。
そして、わたしの家族もわたしを責めなかった。
妹のSNSは炎上してるし、お父さんもお母さんも職場で色々あったみたい。
ストレスからか、みんな耳鳴りがするという。
なのに
「日菜子のことはよく解ってる。みんなが敵になっても私たちは日菜子の味方でいようって、家族で話し合って決めたの。」
お母さんは泣きながらそう言った。
お父さんは「おかげで夫婦喧嘩がなくなった」って笑ってた。
妹も逆にわたしを気遣うだけだ。
こんなわたしを誰も責めない。
わたしは責められて当然なのに、それをしない大事な人たちが責められる。
苦しい。
耳鳴りで頭が痛い。
ある日、家の外で物音がしているのに気付いた。
どっかの誰かが嫌がらせで何かしてるのだろう。
わたしが責められるのは自業自得だ。
でも、わたしの家族を巻き込んで傷付けるやつらは一体どんなつもりでやってるんだ。
軽薄な自業自得を振りかざすお前らが、わたしの大切な人たちの何を知っているっていうんだ!
そう思った瞬間にカッとなって飛び出し、わたしは胸ぐらを掴んだそいつに怒りの全部を浴びせた。
気が付いたら、目の前に女の子が立っていた。
視界は揺れてダブって見えるし、音もグワングワンする。
でも、そこにいたのはあの日の、悲しそうに困った顔をした咲子だった。
わたしは咲子に抱きついた。
あの時「待って」と言えなかったせいで、いなくなってしまったから。
小さくか弱い咲子を、わたしは強く強く抱きしめた。
「ごめんなさい、わたしがあなたを守らなくちゃいけなかったのに。ごめんなさい。ごめんなさい。」
それ以外に言葉が出てこない。
涙が止まらなかった。
耳鳴りが静かに鳴り響く。
世界は真っ白になった。




