第23話 原点の強化
水曜日の夕方。
遠征を終えた蓮とゴロは、ようやく自宅へ戻ってきた。
荷物を置き、シャワーを浴びる。
簡単に夕食を済ませたあと、蓮は自室の机へ座り、端末を開いた。
隣には、待機形態のゴロ。
「さて」
画面に表示されているのは、二つの迷宮だった。
F級光属性迷宮──“光蟲花園”。
F級闇属性迷宮──“闇骨墓地”。
地属性迷宮を浄化したことで、これまで五つの属性迷宮がランクアップ条件として認められた。
残る属性は光と闇。
この二つも条件になっている可能性は高い。
「どっちから行くかだな」
こくり。
蓮はまず、“光蟲花園”の情報を開く。
場所はここから電車で行ける範囲。
多少時間はかかるものの、朝に出ればその日のうちに帰ってこられる。
近場で挑める光属性迷宮はここだけだ。
対して、闇属性迷宮は全国にいくつかある。
その中から、距離や難易度、遠征のしやすさを考えて選んだのが“闇骨墓地”だった。
とはいえ、“光蟲花園”のように日帰りで行ける距離ではない。
前回と同じように宿泊を伴う遠征となり、当然ながら学園への申請も必要になる。
「……なら、先に光だな」
今週の日曜日。
日帰りで攻略できる。
そして。
「闇は最後」
こくり。
蓮の予想通りなら、残る最後の一属性。
そこを浄化すれば、属性迷宮に関するランクアップ条件は全て達成する。
ただし。
「遠征許可が、すぐ出るとは限らないんだよな」
前回の遠征では、申請してから許可が下りるまで二週間ほどかかった。
光属性迷宮を攻略してから申請したのでは、闇属性迷宮へ行けるのはさらに先になる。
なら。
「明日、先に相談しておくか」
まだ光属性迷宮は攻略していない。
だが、その次に闇へ行くこと自体は決まっている。
蓮は日程を確認する。
来週月曜日から。
普通に考えれば、かなり厳しい。
「普通に出したら、間に合わないよな……」
それでも、闇属性迷宮を浄化すればランクアップ条件の残りはなくなる。
事情を説明すれば、少し早めてもらえるかもしれない。
「とりあえず、佐伯先生に相談してみるか」
こくり。
「来週の月曜から行けないか。無理でも、できるだけ早く許可が欲しい」
ゴロが小さく頷く。
蓮はそのまま、申請に必要な情報を端末へまとめていった。
◇
翌日。
木曜日の昼休み。
蓮は職員室を訪れていた。
「失礼します」
何人かの教師が振り返る中、佐伯が机から顔を上げる。
「岩崎? どうした」
「遠征のことで、相談があって」
「遠征?」
佐伯の眉が僅かに上がる。
「お前、昨日帰ってきたばかりだろ」
「はい」
「もう次の遠征か?」
少し呆れたような声。
蓮は苦笑しながら、用意していた申請内容を見せた。
佐伯はそれを受け取り、まず行き先へ目を落とす。
「……闇属性?」
「はい」
佐伯の表情が少しだけ変わった。
「風や地と同じつもりでは行くなよ。闇属性は、属性迷宮の中でも少し厄介だ」
「分かってます」
「ならいい」
佐伯はそこで一度、申請書から蓮へ視線を戻す。
「その前に。今回の遠征はどうだった?」
「予定してた二つとも攻略できました」
「風と地だったよな?」
「はい」
「問題は?」
「特には。怪我も残ってません」
「そうか」
佐伯が小さく頷く。
「二つとも攻略して戻ってきて、その次が闇か」
僅かに呆れたように息を吐く。
「ほんと、止まらないな。お前は」
蓮は小さく苦笑した。
「時間は無駄にしたくないので」
「前も聞いたな、それ」
佐伯は申請内容へ視線を戻す。
行き先は、F級闇属性迷宮。
遠征予定は、来週月曜日から木曜日まで。
月曜に現地へ移動。
火曜を攻略本命日。
そして、万が一に備えて水曜を予備日として確保。
木曜に帰還。
そこまで確認して。
「……来週?」
「はい」
「いや、早いだろ」
佐伯が眉を寄せる。
「昨日帰ってきたばかりで、次は闇属性。それで来週月曜からか」
「そうなんですけど」
蓮は一度、言葉を区切る。
「前回、許可が下りるまで二週間くらいかかりましたよね」
「ああ」
「普通に申請したら、来週は無理だと思ってます」
「だろうな」
それでも。
「何とか早めてもらうことって、できませんか?」
佐伯が顔を上げる。
「そこまで急ぐ理由は?」
「これです」
蓮は自分のステータスを表示した。
そこには、これまで達成したランクアップ条件が並んでいる。
雷。水。火。風。
そして、昨日浄化した地。
五つの属性迷宮が、すでに条件として認められている。
佐伯も、その表示へ目を落とす。
「今週の日曜に、光属性迷宮へ行く予定です」
「光か。近場のやつだな」
「はい」
属性は全部で七つ。
ここまで五属性が条件として認められた以上、残る光と闇も条件になっている可能性は高い。
「光を攻略して、それも条件に入れば。残るのは闇だけだと思ってます」
佐伯の視線がランクアップ条件へ向く。
「だから、先に闇の遠征申請を出しておきたいってことか」
「はい」
「闇まで条件なら、そこで全部揃う」
「可能性は高いと思ってます」
数秒。
佐伯は黙って画面を見ていた。
そして。
「……なるほどな」
小さく息を吐く。
「確かに、急ぎたい理由は分かった」
蓮が佐伯を見る。
「ただ、来週月曜からっていうのはかなり厳しいぞ」
「ですよね」
「前回より時間がなさすぎる。俺だけでどうにかできる話でもない」
「はい」
それでも、佐伯はもう一度申請内容へ目を落とした。
「……まあ」
少し考える。
「事情は分かった。俺からも話してみる」
「本当ですか?」
「ああ。ただし、来週に間に合うとは思うなよ」
「分かってます」
「今回の遠征も問題なく終わってる。それに、ランクアップ条件って理由もある」
佐伯は申請内容を軽く指で叩く。
「それに、闇を火曜一日で片付ける前提にせず、水曜を予備日にしてるのは悪くない」
「何があるか分からないので」
「そこはちゃんと考えてるんだな」
少しだけ、佐伯の表情が緩む。
「そこまで含めて、できるだけ早く見てもらえるようにはしてみる」
「ありがとうございます」
蓮が頭を下げる。
そこで、佐伯が再び口を開いた。
「ただ、光も簡単じゃないぞ」
「分かってます」
「予備日は?」
「取ってません。近場なので、厳しければその日は撤退します」
蓮は続ける。
「日帰りで行ける場所ですし、駄目なら別日にもう一度行けるので」
「なるほどな」
佐伯が小さく頷く。
無理に一日で攻略し切るつもりではない。
そのことが分かって、僅かに表情が緩んだ。
「ならいい」
そして、佐伯の声が少しだけ強くなる。
「光も闇も、風や地と同じ感覚で行くなよ」
「はい」
「前より戦えるようになってるのは分かってる」
そこで一度、言葉を切る。
「だからこそだ。行けると思った時が、一番危ない」
以前と同じ言葉。
蓮は僅かに表情を引き締める。
「分かってます」
「ならいい」
佐伯が頷く。
「申請は預かる。結果が出たら俺から言う」
「お願いします」
蓮はもう一度頭を下げ、職員室を後にした。
廊下へ出る。
「……よし」
小さく拳を握る。
許可が下りたわけではない。
それでも、前へは進んだ。
あとは目の前のことを、一つずつ終わらせていくだけだ。
◇
放課後。
学園の訓練施設。
蓮とゴロは一室を借りていた。
今日の目的は、地属性迷宮を浄化したことで起きた土ノ体の強化を確かめることだ。
蓮はステータスを開く。
──────────────────────
【ゴロ】
強化ログ
・土ノ体:魔力効率上昇
──────────────────────
「魔力効率上昇……」
迷宮を浄化した直後、ゴロの魔力が以前より早く戻っているように見えた。
ただ、あの時点では何が変わったのかまでは分からなかった。
「今日はちゃんと調べるぞ」
こくり。
まずは一番分かりやすいところから確認する。
蓮はゴロへ適当に魔力を消費させたあと、魔力残量を確認した。
何もさせず、一定時間ごとに魔力の増加量を記録していく。
しばらくして。
「やっぱり、前より戻りが速い」
地属性迷宮へ行く前に取っていた記録と比べても、魔力残量の増える速度は明らかに上がっている。
なら、単純に自然回復量が増えたのか。
そう考えたが。
「……魔力効率、なんだよな」
表示されているのは、魔力回復上昇ではない。
魔力効率上昇。
言葉通りなら、回復する量よりも使う側に変化がある可能性もある。
「まず、スキルから見てみるか」
こくり。
ゴロが構える。
「≪大地ノ拳≫!」
拳へ魔力が集まり、訓練用の的へ叩き込まれる。
──ドゴッ!
蓮はすぐに、消費した魔力量を確認する。
「……少ない」
以前の記録と比べる。
間違いない。
≪大地ノ拳≫を使った時の消費魔力が、僅かに減っている。
「もう一回」
こくり。
同じ条件。
同じ出力。
何度か繰り返しても、結果は変わらなかった。
「確定だな」
蓮はノートへ書き込む。
続いて、他の大地系スキルも確認していく。
≪大地ノ角撃≫。
≪大地ノ甲殻≫。
≪大地ノ衝撃≫。
≪大地ノ棘≫。
≪大地ノ砲拳≫。
結果は同じだった。
土ノ体で使用した場合、大地系スキルの消費魔力が以前より少なくなっている。
減少量自体は、そこまで大きくない。
それでも、何度もスキルを使えばその差は確実に積み重なる。
「これだけでも結構大きいな」
こくり。
念のため、≪砂塵ノ体≫や≪火岩ノ体≫でも同じように確認する。
だが、こちらは以前と変わらない。
「やっぱり、土ノ体だけか」
強化ログに表示されている通り、今回の強化は土ノ体に限られているらしい。
これで、大地系スキルの消費魔力が減っていることは分かった。
だが、まだ一つ説明できていないことがある。
迷宮浄化直後に感じた、魔力の戻りの速さ。
スキルの消費量が減っただけでは、何もしていない時の魔力が以前より早く戻って見えた理由にはならない。
「……なんでだ?」
蓮は腕を組む。
自然回復そのものも、一緒に強化されたのか?
それなら説明はつく。
だが。
魔力効率。
その表示が、どうしても引っ掛かる。
「何か見落としてる……?」
蓮はゴロを見る。
今は何もしていない。
スキルも使っていない。
ただ土ノ体で立っているだけだ。
「…………」
ふと、蓮の視線が止まる。
何もしていない。
本当に?
「ゴロ」
こくり。
「一回、召喚を解除するぞ」
ゴロが首を傾げる。
「確認したいことがある」
こくり。
蓮が召喚を解除する。
解除前の魔力残量を記録し、一定時間後に再召喚して増加量を比べるつもりだ。
白い光。
ゴロの姿が消えた。
蓮は時間を測り、記録を取る。
その後、再召喚。
白い光とともに、待機形態のゴロが現れた。
「もう一回」
条件を変えながら、何度か測る。
召喚している時。
召喚していない時。
待機形態。
戦闘形態。
細かく比較していく。
そして。
「……もしかして」
蓮の眉が上がった。
僅か。
本当に僅かだが、差がある。
「使ってるのか……?」
こて。
ゴロが首を傾げる。
「土ノ体そのものが」
今まで考えたこともなかった。
≪砂塵ノ体≫。
≪火岩ノ体≫。
≪電晶ノ体≫。
≪泥ノ体≫。
そうした肉体スキルが、維持しているだけでも魔力を消費することは分かっている。
だが、土ノ体。
ゴロが最初から持っている普通の身体。
それにも。
「ほんの少しだけ、維持するための魔力が必要だった?」
もしそうなら、今まで気付かなかった理由も説明できる。
自然回復する量の方が、維持で消費する量より多い。
だから差し引きでは、魔力が回復しているように見えていた。
そして今回。
「その消費が減った……?」
なら、自然回復量そのものが変わらなくても、見かけ上は回復が速くなる。
蓮はノートへ数字を書き込み、しばらく見つめる。
「……これなら辻褄が合う」
完全に正確な消費量までは測り切れない。
それでも、これまでの記録と今日の結果を合わせればかなり可能性は高い。
蓮は改めて強化ログを見る。
──────────────────────
・土ノ体:魔力効率上昇
──────────────────────
土ノ体そのものを維持するための魔力。
そして、土ノ体で使用する大地系スキルの消費魔力。
その両方が以前より少なくなっている。
「地味だけど……」
蓮は小さく笑う。
「かなり大きい強化だな」
戦闘が長引くほど、魔力消費の差は大きくなる。
今回の土蚯蚓主戦のような消耗戦なら、その恩恵はさらに大きい。
あと少し魔力が残っていれば、もっと余裕を持って戦えたかもしれない。
そう考えれば、この強化の価値は決して小さくない。
こくり。
ゴロも嬉しそうに頷く。
そして。
──どんっ。
胸を叩いた。
「新しい身体じゃなかったけどな」
こくり。
「これはこれで当たりだ」
──どんっ。
もう一度、胸を叩いた。
蓮は笑った。
◇
翌日の金曜日。
昼休み。
蓮が教室を出ようとしたところで、廊下から佐伯に呼び止められた。
「岩崎。昨日の遠征申請だけどな」
「はい」
佐伯が手にしていた書類を軽く持ち上げる。
「通ったぞ」
「……もうですか?」
蓮は思わず聞き返した。
昨日の昼に申請したばかりだ。
前回の遠征では、許可が下りるまでかなり時間がかかっている。
その反応に、佐伯が少しだけ眉を上げた。
「なんだよ。その反応」
「いや、前はもっと時間がかかったので」
「俺も頑張ったんだぞ」
「ありがとうございます」
「即答かよ」
佐伯が苦笑する。
「まあ、前の遠征を問題なく終えてるのが大きかったみたいだ。
それに今回は、ランクアップ条件の確認って理由もある」
佐伯は書類へ目を落とす。
「希望通り。月曜に出発、火曜に攻略。水曜を予備日にして、木曜に戻る日程で許可が出た」
「本当に通ったんですね……」
「ああ。ただし」
佐伯の声が少しだけ真面目になる。
「日曜の光も、次の闇も。風や地と同じ感覚で行くなよ」
「分かってます」
蓮は頷く。
まだ、光属性がランクアップ条件だと確定したわけではない。
それでも。
日曜日は“光蟲花園”。
その翌日からは遠征へ出て、火曜日には“闇骨墓地”へ挑む。
蓮の予想通りなら、そこで七属性すべてが揃う。
そして。
初めてのE級へのランクアップ。
そこまで、もう手の届くところに来ていた。
「ありがとうございます。先生」
「礼は無事に帰ってきてからでいい」
佐伯はそう言うと、軽く手を上げて去っていった。
蓮はその背中を見送り、小さく息を吐く。
光。
そして、闇。
その先にあるE級が、これまでになく近く感じられた。
◇
同日の午後。
週次ランキング戦。
蓮とゴロは、試合場へ向かって歩いていた。
現在の順位は二百四十七位前後。
ここまで三戦三勝。
それでも、退学を回避するために必要な百五十位にはまだまだ届いていない。
「まだ先だな」
隣では、待機形態のゴロがこくりと頷く。
だが、以前とは違う。
勝てる。
それはもう、蓮の中では偶然ではなかった。
迷宮を攻略し、新しい肉体を得る。
検証し、できることを一つずつ増やしてきた。
昨日は、土ノ体もまた一つ強くなった。
「今日も勝つぞ」
こくり。
ゴロが小さな胸へ拳を当てる。
──どんっ。
やがて、二人の前に試合場の扉が見えてきた。
週次ランキング戦は、観客を入れて行うものではない。
中にいるのは、対戦相手と試合を監督する教師だけ。
だからこそ、扉の向こうは静かだった。
蓮は一度、ゆっくり息を吐く。
そして。
扉へ手を掛けた。




