第3話 王都案内
翌朝。
私は王城の玄関ホールで、勇者様を待っていた。
いつもより少し早く来すぎた。
落ち着かなかったわけではない。
ない、ということにしておく。
「リシアさん」
声がして、顔を上げる。
遥斗がこちらへ歩いてきた。
昨日よりは落ち着いている。けれど、目元にはまだ疲れが残っていた。
当然だ。
知らない世界に突然呼ばれて、一晩眠っただけで平気になる人間がいたら、その方が怖い。
「おはようございます、勇者様」
「あ、おはようございます」
遥斗は少し遅れて頭を下げた。
その後、周囲を見回す。
「えっと……本当に俺、外に出ていいんですか」
「はい」
「いや、いいなら助かるんですけど。昨日来たばかりの異世界人を、いきなり街に出すんだなって」
「護衛はつきます」
「ですよね」
遥斗はほっとした顔をした。
すぐに、もう一度周囲を見る。
「……どこに?」
「見えないところに」
「見えない護衛って、怖くないですか」
「見える護衛の方が怖い時もあります」
「ああ……まあ、確かに」
「三人ほどはいます」
「ほど」
「私が把握している限りでは」
「把握していない護衛もいるんですか」
「王城ですので」
「王城、怖いですね」
「慣れると便利です」
「慣れたくはないかな……」
遥斗は小さく笑った。
昨日より少しだけ、肩の力が抜けている。
それを見て、私まで少し息を吐きそうになった。
いけない。
案内役。
私は案内役である。
「帰還紋が私の魔力に反応しました。しばらく近くにいた方が安全です」
「それは聞きました。えっと、リシアさんがいないと、俺が急に帰ったりするんですか」
「可能性は低いです」
「低い」
「ゼロではありません」
「急に怖い」
「なので、私のそばから離れないでください」
言ってから、少しだけ言葉が近すぎた気がした。
遥斗も一瞬だけ黙る。
私はすぐに咳払いした。
「安全管理上、です」
「あ、はい。安全管理上」
遥斗は真面目にうなずいた。
こういう時、変に茶化さない。
助かる。
助かるけれど、少し困る。
「では、行きましょう。まずは中央通りから案内します」
「お願いします」
遥斗は丁寧に頭を下げた。
私は頭を下げ返す。
やめてほしい。
元恋人に、知らない人として礼を言われるのは、思っていたより変な感じがする。
もちろん、顔には出さない。
たぶん。
*
王都レイヴェルは、朝からよく動く街だった。
石畳の道を馬車が行き交い、通りの両側には店が並んでいる。
果物屋。薬草屋。魔道具屋。焼き菓子の屋台。
店先からは、焼いた麦と香草の匂いがした。
遥斗は歩きながら、街のあちこちを見ていた。
ただ珍しがっているだけではない。
道の幅。
馬車の流れ。
店先に並ぶ品物。
子どもが走り抜けた後の人の動き。
一つずつ、目で追っている。
初めて来た街なのに、驚くだけでは終わらせない。
昔から、そういう人だった。
「見られてますね」
遥斗が小声で言った。
「昨日召喚された勇者様ですから」
「まだ何もしてないんですけど」
「勇者様は、存在だけで噂になります」
「困るな、それ」
「王都の噂は馬より速いです」
「怖いですね」
「魔物より怖い時があります」
遥斗は少し笑った。
その笑い方に、うっかり足が止まりかけた。
私はすぐ歩き出す。
危ない。
笑顔一つで前世に引き戻されていたら、案内役なんて務まらない。
「リシアさん、あれは?」
遥斗が指したのは、小さな魔道具屋だった。
店先には、銅色の金属板がいくつも並んでいる。表面には、小さな紋様が刻まれていた。
「帰巣板です。持ち主の魔力を覚えさせると、落としても一定距離なら戻ってきます」
「落とし物防止?」
「はい。子ども用の迷子札にも使います」
「便利ですね」
「便利ですが、過信した子どもが自分から迷子になることがあります」
「自分から?」
「板が戻るなら自分も戻れる、と」
「発想がすごい」
「親御さんには、魔道具より教育が必要です」
遥斗が苦笑した。
「教育」
「勇者様?」
「ああ、いえ。ちょっと、その言葉に反応しました」
「教育に?」
「はい」
懐かしい、とは言わなかった。
でも、そういう顔だった。
昨日の「待っている子たち」も、まだ分からないままだ。
聞きたい。
でも、聞けない。
あなたは結婚したんですか。
子どもがいるんですか。
幸せでしたか。
そんな質問を、初対面の案内役がするわけにはいかない。
「勇者様、こちらです」
私は店先から視線を戻した。
中央通りを進む。
馬車が近くを通った時、遥斗が自然に私を道の内側へ寄せた。
ほんの少し。
たぶん、本人は気づいていない。
私は気づいた。
前世でもそうだった。
駅前の細い道を歩く時、彼はいつも車道側に立った。私が大げさだと笑うと、「癖だから」と言っていた。
異世界でも、その癖は残っているらしい。
「リシアさん?」
「はい」
「今、一瞬止まりました?」
「止まっていません」
「止まりましたよ」
「気のせいです」
「気のせい、便利ですね」
「はい。王都ではよく使います」
「王都、怖いな……」
遥斗は本気で少し困った顔をした。
私は笑いそうになって、耐えた。
「大丈夫です。悪い街ではありません」
「今の流れで言われても、あんまり信じられないんですが」
「慣れれば便利です」
「それ、さっきも聞きました」
「便利な言葉なので」
「リシアさん、意外と雑ですね」
「勇者様は、意外と細かいですね」
「よく言われます」
「誰にですか」
言ってから、しまったと思った。
少し踏み込みすぎた。
遥斗は一瞬だけ考えて、それから答えた。
「生徒に」
「生徒?」
「はい」
遥斗は照れたように笑った。
「俺、向こうでは高校の教師をしています」
教師。
私はその言葉を、心の中で一度だけ繰り返した。
待っている子たち。
生徒。
そういうことだったのか。
「……そうだったんですね」
「はい。昨日の言い方、ちょっと紛らわしかったですよね」
「ちょっとではないです」
また本音が出た。
遥斗が目を丸くする。
私はすぐに咳払いした。
「一般的に、です」
「一般的に」
「はい」
「なるほど。一般的に」
絶対に納得していない。
でも、遥斗はそれ以上聞かなかった。
こういうところが、ずるい。
「教師、似合いますね」
言ってから、またしまったと思った。
初対面の案内役が言うには、少し近い。
遥斗は不思議そうにしたあと、小さく笑った。
「そうですか?」
「はい。なんとなく」
「なんとなくで、そこまで?」
「案内役の勘です」
「案内役って便利ですね」
「便利です」
なんとなくではない。
ずっと昔から、この人はそういう人だった。
けれど、それはリシアが知っていることではない。
私は前を向いた。
「では次に、市場広場へ向かいます。人が多いので、足元に気をつけてください」
「分かりました」
「あと、屋台に近づきすぎると買わされます」
「そんなに強引なんですか」
「店主によります」
「気をつけます」
「勇者様は、断るのが得意ではなさそうなので」
遥斗が少し困った顔をした。
「それも案内役の勘ですか」
「はい」
「当たってます」
「でしょうね」
「そこは謙遜しないんですね」
「優秀なので」
遥斗は笑った。
「頼もしいです」
その言い方が自然すぎて、返事に少し困った。
「……では、頼もしい案内役についてきてください」
「はい」
敬語が丁寧すぎる。
でも、今はそれでいい。
距離がある方が、助かる。
たぶん。
市場広場の方から、子どもの泣き声が聞こえたのは、その時だった。




