第12章「山の端のコミューン」(1)失われていくものを数える
「凪の轍」のその後はどういう展開になるだろう、と考えているうちに形になりました。
よろしくお願いします。
佐伯からの電話は、短かった。
山間の村が一つ、道を閉じた。NERVA崩壊の恐怖から自動運転車両を締め出したが、インフラの連鎖劣化が止まらず、孤立しかけている。
「理屈だけでなく、現場を知っている人間が必要です」
佐伯はそう言って、凪の名前を出した。
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公用車が速度を緩めたのは、県道と村道の合流点だった。
自動運転の制御が通行制限を検知したのだろう。合成音声が何かを告げる前に、凪は窓の外に目をやった。
ベニヤ板にスプレーで殴り書きされた看板。「自動運転車両 通行禁止」。その横に、無骨なパイプのバリケードが並んでいる。
凪はドアを開けて外に出た。山の空気が冷たく、肺の底まで滑り込んできた。晩秋の風が、色を失い始めた木々の間を吹き抜けていく。
合流点の手前に、都市部から上がってきた自動運転の大型トラックが停まっていた。荷降ろし作業の最中だった。数台の旧式軽トラックが横付けされ、村の男たちが無言で荷物を手渡しで積み替えている。
滑らかな自動のロジスティクスが、ここで物理的に切断されている。人間の腕と背中が、その先を担っていた。
バリケードのすぐ手前、アスファルトの上に無骨なタイヤの痕が残っていた。何かの車両がここまで来て、入り込めず、Uターンして引き返した痕跡。凪はしゃがみ込んでタイヤ痕を見た。トレッドのパターンから推測するに、大型の業務用車両だ。電力会社の保守車両か、あるいは広域組合の救急車か。
道を切っただけで、ここはもう島になりかけている。そのことが、冷たいアスファルトの感触とともに手のひらに伝わってきた。
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バリケードの内側から、一台の軽トラックがゆっくりと近づいてきた。
「来てくれたか」
運転席から降りてきたのは、大庭だった。分厚い作業着を羽織った、六十代半ばと思しき男。頬の肉が削げ、目の下に濃い隈がある。だがその顔に浮かんだのは、疲労と安堵のないまぜになった表情だった。佐伯から聞いていた電話の声よりも、ずいぶんと老けて見えた。
「状況は聞いています。遅くなってすみません」
凪は短く応え、公用車のトランクから荷物を取り出した。
大庭の軽トラックに乗り換える。この乗り換え自体が、今のこの村の構造を示していた。自動運転の公用車はバリケードの先へ入れない。システムから外れた世界に入るには、人間がハンドルを握る車に移るしかない。
大庭は無言でクラッチを繋ぎ、旧道の山道を上り始めた。
舗装はされているが、道幅は狭かった。対向車が来ればすれ違うために斜面に寄り添わなければならない。路面に落ち葉が溜まったまま、路肩の草木も手入れがされていない。
道路脇の街灯が、一つ、不安定に点滅していた。その奥の街灯はすでに消えている。大庭の手元を見ると、携帯端末の画面の端に「圏外」の文字が表示されていた。
「電波は、あの合流点の辺りまで降りないと入りません」
大庭がぽつりと言った。ハンドルを握る手に、かすかな力みがあった。
「街灯もですか」
「変圧器の点検が滞っとるんです。保守車両が入れんもんで。停電が続けば通信基地局の蓄電池も充電されんようになって、電波も死ぬ。……全部つながっとったんですな。道と電気と通信が」
声には自嘲とも後悔ともつかない響きがあった。凪は黙って聞いた。電気も通信も、最終的には「道」を通ってやってくる物理的なメンテナンスに依存している。道を切れば、そのすべてが止まる。佐伯が電話で言っていたとおりだった。
「広域組合の救急車も自動運転ですから」
「ええ。急病人が出ても、すぐには──」
大庭はそこで口を閉じた。言葉の先にあるものが重すぎるのだと、横顔の強張りが語っていた。
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二十分ほど揺られると、谷が少しだけ開け、集落の中心部が見えてきた。
役場らしい古い建物の前で軽トラックが停まった。大庭は降車してから、一瞬、建物の二階を見上げた。窓の向こうに、机の上に投げ出された封書が見えた──わけではないだろう。だが大庭の視線には、あの部屋に何か重いものが待っているという気配があった。
「行政から通達が来ました」
大庭は歩きながら言った。声のトーンが変わっていた。
「総務省と国交省の連名です。NERVAインフラの復旧と自動運転車両の受け入れに協力しなければ、補助金を打ち切ると」
「……それが、佐伯さんに連絡した直接の理由ですか」
「ええ。板挟みなんです。葛城の考えは理解できる。あの崩壊を経験した人間なら、一つのシステムに命を預けることが怖いのは当然でしょう。だが、このまま電気も通信も失えば、村が死ぬ」
大庭の声が低くなった。
「道を切ったのは、私です。私が許可を出した」
その言葉を口にしたとき、大庭の肩が小さく落ちた。自責が言葉になる瞬間の、身体の反応だった。凪は何も言えなかった。大庭が見回りのたびに数え上げてきたであろうもの──消えた街灯、途絶えた電波、入れなくなった保守車両、届かなくなる薬──その一つ一つの重さが、痩せた肩の傾きに滲んでいた。
「明日、公民館で住民との話し合いがあります。そこに出てもらえますか」
「はい。そのために来ました」
大庭が頷いた。凪を見る目には、まだ安堵と不安が混在していた。
集落の上空を、一羽の鳶が旋回していた。夕暮れの気流に乗って、声もなく円を描いている。山の端に沈みかけた陽が、谷の底に長い影を落としていた。
凪はその影の境界を見つめた。光の側と影の側のあいだに、線が一本、引かれている。この村が引いた線も、そういうものなのだろう。どこで引くかによって、何が光の中に残り、何が影に沈むかが変わる。




