37.友
フレアが前世の記憶を取り戻す一年と少し前の出来事。一組の男女が別れを惜しんでいた。
「ワフー、ついに行くのね」
男の名はワフー・マックスフォン。孤児院の出身だが、その明晰な頭脳と商才が、子供のいない隣国の大商人マックスフォン家の目に留まり、養子として迎えられた。
マックスフォン家は、何人もの子供を養子に取り、試験を行いその中から後継者を決めようとしていた。
試験の内容はシンプルだ、貸し付けられた資金を1年の間に最も増やした者が勝者となる
「カリーナ、君が背中を押してくれたおかげだ。 孤児院のみんなは心配だけれど、マックスフォン家の後継者になれば孤児院の支援もできるようになるだろう。まだ自信はないけれど出来る限りやってみせる」
ワフーはそう言うとカリーナの手を取る。
孤児院出身のワフーは、出自のコンプレックスからなかなか逃れることが出来なかった。
あるとき、些細な事で名門リーガル王立学園に通うカリーナから声をかけられた。
名門校に通う身でありながら、貧しい身なりの孤児院出身の自分に分け隔てなく接してくれた。
彼女は、田舎育ちで純朴だが優しいだけでなく、大商人相手に気後れしがちな自分を時に励まし、背中を押してくれた。
そんな彼女に心を惹かれるのは当然の事だったのかもしれない。
彼女への想いに後ろ髪を引かれながらも、ワフーは自分と孤児院の未来のために旅立った。
一年後、ワフーは見事に後継者レースに勝ち抜いた。
義両親との仲も良好、後継者を争った優秀な義兄弟は商売を手伝ってくれることになった。
彼は、故郷に戻ってきていた。
(孤児院のみんな元気にしているだろうか、園長先生も医者にみせてあげないと、ロシモフやアリスはどうしているかな?)
後継者争いの最中は連絡を取る余裕もなかった。少し前に出した手紙への返事がないことも気がかりだった。
ーー孤児院が無くなっていた。
ワフーは目を疑った孤児院の建物だけでなく、周辺の区画まるごと消えて、代わりに大きな建物が立っていた。
工事はほぼ終わっており、仕上げに大きな看板を付けているところだった。
(……フレアパレス?)
看板にはそう書いてあった。
「ちょっといいですか? ここにあった孤児院がどこに行ったか知りませんか?」
ワフーは、作業がひと段落ついたのを確認すると作業員たちを呼び止めて尋ねた。
「孤児院? 知らんよ、ここら一帯はエリック宰相様の指示で再開発に入ったんだ」
「何でも裏では一人娘のフレアが糸を引いているって話もあるぜ」
「マジかよ あの魔女が関わってるのか? 孤児院があったんだって? 酷い目に遭ってなきゃいいが……」
(フレア……?)
その名には聞き覚えがあった。
一年前、カリーナと話していたとき、彼女が「自分に嫌がらせをする侯爵令嬢がいる」と悲しそうに話していたことを思い出す。
ワフーはさらに情報を集めるため、道行く人々に話を聞いて回った。
フレアに関する噂を集めるうちに、どうにも気になることがあった……。
そんな時、人混みの向こうからひときわ大きな人影がこちらへ歩いてくるのに気づく。
間違えようがない。ロシモフだ。
「よう、ワフーじゃないか 帰ってきていたんだな、試験の結果はどうだった?」
向こうもこちらに気づいていたのだろう、以前と変わらない気安さで声をかけてくる。
だが噂ではロシモフは、フレアの手下になっていると聞いた。
信じたくはなかった。
しかし、かっては薄汚い汚れた服で孤児院の手伝いをしていたロシモフが、今では高価そうな洋服とアクセサリーで身を包んでいた。
(まさか……孤児院を売ったのは……)
そんな疑念が脳裏をよぎった。
「ロシモフ、園長先生を! 孤児院のみんなを! どこにやった!」
激昂したワフーはロシモフに詰め寄った。
「なんだ藪から棒に 園長先生もあいつらも別の場所で元気にやっているよ あのスラムに比べれば天国みたいなところさ」
ロシモフは笑いながら答えた。
本人にそのつもりはないのだが、悪役レスラーとしての振る舞いがすっかり身についてしまったのか、その笑みは嘲笑にも見えた。
「て、天国だと!? まさかお前が!」
最悪の事態を想像をしたワフーは、ロシモフの胸元に手を伸ばす。
だが身長差がありすぎて届かないので仕方なく服を掴んだ。
「いや違う。俺も手伝ったが、やったのはフレア様だ。まったく、フレア様様ってやつだな」
フレアから受け取った契約金で引っ越し費用を賄ったのだから、ロシモフの功績と言って良いのだが謙虚な彼は、自ら手柄のように語るのをよしとしなかった。
「……最低だ、お前ら! ロシモフ、お前を信じて試験に行ったのに!」
「おいおい、どうしたんだ落ち着けよ」
ロシモフはそう言いながら肩を軽く抑えた。
それだけで身動きが取れなくなり、ワフーは、自分とロシモフの圧倒的な力の差を思い知らされた。
(俺じゃ、このまま戦っても何も出来ない……)
ワフーは、身体を強く振ってロシモフを振りほどくとそのまま駆け出した。
「何だってんだ? あいつは……」
ロシモフは訳が分からないまま、走り去る背中を見送った。
ワフーは駆けながら涙が止まらなかった。
(園長先生、孤児院のみんな…ごめん、俺は無力だ)
気がつくと孤児院のあった場所に戻ってきていた。
ロシモフは追いかけて来てはいないようだった。
ワフーの大切な女性であるカリーナを迫害し、さらに故郷である孤児院まで潰したフレア。
(必ずや邪知暴虐なフレアを除かなければならない!)
ワフーは固く決意した。
孤児院の跡地に建つ悪の神殿――『フレアパレス』。
その看板の下には『総合アミューズメント施設』の文字が追加されており、よく見ると『入会者募集!』の張り紙まで貼られていた。
――虎穴に入らずんば虎子を得ず。
情報を得るため、ワフーは悪の神殿へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませー!」
金髪縦ロールに黒縁眼鏡という不釣り合いな恰好をした受付嬢が愛想よく迎える。
「ここは、何の施設なんだ?」
出鼻をくじかれたような気分になりながらも、ワフーは情報を引き出そうとした。
「興行用ホールとフイットネスジム、レストラン、バーが入った複合アミューズメント施設ですわ」
にこやかに金髪縦ロールの受付嬢は答えた。
「ずいぶんと景気がいいんだな」
聞き慣れない言葉もあったが、自分の育った土地に妙な施設が建てられたことが気に入らないワフーは皮肉を込めて言った。
「そうでもありませんわ、人も資金も足りていませんから。今日だって責任者の私が受付をしてるくらいですし…それよりお客様入会希望ですか? 入会希望ですわよね?」
そう言うと受付嬢はワフーの手を取り、がっしりと握ってくる。
(ここには俺の求める情報は無いか…)
そう思ったワフーは手を振りほどこうとして……振り解けなかった。
「離してくれ、入会とやらをする気も無いし俺には倒さなくちゃいけない奴がいるんだ!」
その言葉に、受付嬢の眼鏡がキラリと光った。
「倒さなくちゃいけない奴がいる? お客様は強くなりたいのですわね!」
「い、いやそういう訳では……」
ワフーは、急に圧が上がった受付嬢に気押されながら答えた。
「こんな小娘の腕も振り解けないで何を言っているですの? 誰と戦うつもりか知りませんが、それではやられに行くようなものですわ」
痛い所を突かれたワフーが思わず黙りこんだ。
「でも大丈夫ですわ! 今なら入会金無料、月々30Gで身体を鍛えなおすことが出来ます、さらに無料体験も実施中ですわ」
受付嬢は構わず話を進めていく。
ワフーは唖然とするしかなかった。
「強くなりたい! そう思ったときに貴方はもう私の友よ!」
何やら名言っぽいことを口にしながら、受付嬢はワフーをトレーニングルームへと引きずっていく
「あと一回! その一回が貴方を強くするのよ!」
気づいたらスクワットとやらをやらされていた。
「まだ限界じゃないわ! 限界と思ったところがスタートなのよ!」
足首を抑えながら受付嬢が腹筋の指導をしてくれた。
「いいわ、貴方は勝っているのよ! 昨日の貴方にはもう勝っているの!」
ベンチプレスの最中にも熱心に声をかけてくれた。
受付の仕事は?とは思わないでもないが熱意に圧されて反論出来ない。
「今やめたら苦しさだけが残るわ! でもやりきればそれが自信になるの!」
辛いジャンプスクワットも一緒にやりながら応援してくれた。
おせっかいで強引ではあるが悪い人ではないことが伝わってくる。
「辛いのね! 辛いときは倒したい相手の名前を叫びなさい! それで最後の力を振り絞るの!」
腕立て伏せをしながらワフーは叫び、最後の力を振り絞る。
「俺はッ フレアを倒すッ!」
その瞬間、全身の力が抜けた。
ワフーはそのまま床へ倒れ伏す。
「そう……」
受付嬢が静かに呟いた。
「貴方はわたくしを倒したかったのね」
そう言って、彼女は眼鏡を外す。
「もっと強くなったら、相手をしてあげるわ」
眼鏡の下から現れたのは――
ワフーが憎んでも憎み足りない仇敵、鮮血の魔女ーーフレア・ブラッシーだった。




