35.深淵
「ようやく二試合組めるようになりましたわね……」
試合のポスターを眺めながら、フレアは感慨深げに呟く。
満足げなフレアの表情とは裏腹に、次の試合の下馬評は低かった。
ロシモフ、マリガンといった強敵との激戦を経て、心技体ともに充実を見せるチャールズ。
それに比べると、ロシモフの陰に埋もれてしまったフレアは、もはや戦いについていけていないように見えていた。
『フレアはもう男たちの戦いについていけない』
それは衆目の一致する見解だった。
完全敗北した際の「敗者が勝者に従う」という魔女の契約も、まだ生きている。
『魔女フレアの終焉の時が来た!』
どこからともなく流された噂は瞬く間に広まり、世間を席巻していた。
試合数が増え、それまでより高めに価格設定されたチケットだったが、噂の影響もあって予約開始直後にソールドアウト。
試合開始前には各地の魔法ビジョンの前にも、いつも以上の観衆が集まっていた。
セミファイナルは佳境を迎えていた。
ロシモフのビッグブーツが、マリガンの顔面を歪めさせる。
ロシモフは倒れたマリガンにとどめとばかりにエルボードロップを落とすと、そのまま抑え込んだ。
健闘はしたもののまだ大巨人は、一人では止められなかったマリガンは、3カウントを聞くことになる。
興奮冷めやらぬ会場でリングアナウンサーがメインイベントの開始を告げた。
普段は赤地に黒のフリルがついたリングコスチュームを纏うフレアが黒地に赤のフリルのついたコスチュームで現れる。
観客たちはフレアが『次の試合は少し本気を出す』と言っていた事を思い出した。
「衣装変えたって強さは変わらねーぞ!」
「明日は本気出すってやつか?」
品のないヤジが、入場中のフレアに浴びせられる。
チャールズの入場の際には、
「フレアを追放しろ!」
「いや処刑しろ!」
といった物騒な声援が飛び交った。
噂の影響は恐ろしい。
会場は、異様なまでにヒートアップしていた。
「まもなく本日のメインイベント、チャールズVSフレアのタイトルマッチが始まります。アトキンス将軍、世間では今度こそフレアが敗れ追放されるという噂で持ち切りですが、今日の試合はどうなるでしょうか?」
「そうですね……ここ数試合のチャールズとフレアの戦いぶりを見る限り、そのような展開は十分考えられます。さらに、いつもはフレアのセコンドにいるロシモフがいません、もしかしたら先ほどの試合で負傷をしたのかもしれません」
「アトキンス将軍もフレア一人ではもはや殿下の敵ではないと?」
「そう思います、ただ何をしてくるか分からない女です。油断だけは禁物です。」
アナウンサーは、我が意を得たりとばかりに頷く。
裏を返せば油断さえしなければ、チャールズの勝ちは揺るがないということだ。
チャールズがレフリーに自身をボディチェックするように要求した。
そのままの流れでフレアのボディチェツクも行われる、どこにそんなに隠していたのかフォークやスプーンが出てきて没収された。
観客はフレアの凶器攻撃を封じるチャールズの頭脳プレイに感心した。
試合が始まった。
チャールズとフレアが対峙する。
元から圧倒的な体格差、更にここ数か月のトレーニングの賜物でチャールズの身体は、初対戦時に比べれば一回りほど大きくなっていた。
フレアもトレーニングを続けてはいるが、男性ホルモンの差でチャールズほどの成果は見られない。
手を合わせるまでもなく、残酷なまでの性差を見せつけられる。
会場の誰もがチャールズの勝利を確信していた。
(…悪いけれど、皆さんの期待通りにはならないわ)
ニッと笑うとフレアがその場で跳んだ。
目にも止まらないとはこのこと、空中で身体を反転させたフレアは、背を向けたまま、足の裏をチャールズの鳩尾に突き刺さしていたーーローリングソバット!
力が抜けたかのように尻もちをついたチャールズが立ち上がりかけたところに、自らロープに飛んだフレアのフライングボディアタックが炸裂する。
ダウンしたチャールズの頭をサイドヘッドロックに捕らえると、自分の身体を軸にしてコマのように回転を始める。
チャールズの身体に巻き付いくような動きをみせたフレアは、いつの間にかチャールズを引き倒して足で足首の関節を決めていたーータイガースピン!
「アトキンス将軍、今、フレアは何をしたのですか?」
「全く分かりません! まるで魔法でも見ているかのようだ!」
対戦相手どころか客席や解説席をも翻弄する。
フレアの素早い空中技や独特のムーヴに会場中に混乱が広がっていった。
フレアはリバース・インディアンデスロックに移行してチャールズを攻め立てる。
どうにかロープに逃れたチャールズは、起き上がったところをフレアにコーナーマットに叩きつけられた。
フレアはそのままチャールズの身体を駆け上るとバク転をしながら顎を蹴るーーサマーソルトキック!
ギアを上げたフレアのスピードと芸術的な技の数々に、チャールズは、まるで反応出来ない。
観客席も解説席も信じられない光景に言葉を失っていた。
思わずリング下へ逃れたチャールズは、自分がプロレスというものを甘く見ていたことを痛感していた。
身体を鍛え、それなりに技も使えるようになった自負はあった。
だが、その先にこれほどの深淵が広がっているとは思わなかった。
(またフレアが新たな世界を見せてくれた……)
観客の想像を超えた展開に、一度静まり返っていた会場から大歓声が巻き起こる。
どうやら元婚約者は、感慨に浸る時間すら与えてくれないらしい。
トップロープを越えてフレアがチャールズに向かって飛んで来ていた。
チャールズは驚いた! 反面、嬉しくもあった。
受け止めなければフレアはそのまま鉄柵へ突っ込む。
それでも躊躇なく飛んできたのだ。
自分なら受け止めてくれると信じて。
チャールズは身体を張ってフレアを受け止め――
受け止めきれなかった!
それはチャールズの想定以上に疾く鋭かった。
二人まとめて鉄柵へ激突する。鈍い衝突音が響き渡った。
フェンスに身体を打ち付けた両者は場外マットの上を転がり、痛みに悶絶する。
リング上ではレフェリーが場外カウントを数えて始める。
急かされるようにもそもそと立ち上がった二人は、カウントぎりぎりでリングへ滑り込んだ。
試合は、まだ始まったばかりである。




