#72 幼馴染。
◇◆◇ルベルアが心の中で歓喜の叫びを上げた瞬間より一時間ほど前。ワプル村・西の森でもぎこちない二人組が散歩をしていた◇◆◇
「行っちゃったね」
「うん。ルアさんが変な事言ってたけど、気にしないでね?」
「あっ、えっと、うん。気にしてないよ、大丈夫。大切に思われてるんだね」
「ルアさんはね、いつも大切にしてくれるの。何でもハッキリ言われるから傷つく事もあるけど、大切にされてるって事だけは分かるんだ」
「良いお兄さんだね」
「うん」
◆
いつもの様に教会でリエルとお喋りをしていたメル。
そこに汗を光らせて駆け込んで来たバース。
教会を見渡したバースが誰に向けて、という訳でも無く「ハァ、ハァ、行き違いになったのか」なんて口にするものだから、一週間ほど前のやり取りで気まずくなりバースを避けていた筈のメルだったが、思わず話しかけてしまったのだ。
「急いで来たみたいだけど、どうしたの?」と。その一言が「ううん、何でもないんだ。あの、メルとも話したい事もあるんだけど良ければ少し時間を貰えないかな」という言葉に繋がると知っていれば話し掛ける事はなかっただろう。
適当な理由をつけて断ろうとしたメルだったが、リエルに“行っておいで”と背中を押されたので渋々付き合うことに。
話したい事があるから。と意味ありげに言われたというのに、特に重要な会話も無いまま歩くこと数分、気付けば西の森へと足を運んでいた。
時折、沈黙を誤魔化すように花を摘んでみたり、名も知らぬ木を二人で見上げてみたりしたが、緊張したバースは手に汗を握るばかりで会話を広げることが出来ず、時間だけが無駄に流れた。
“私に話たい事って?”そうメルが聞くことが出来たのなら、ここまで歩きはしなかったかもしれない。が、一週間前の事を思うと、メルはメルでその質問を出来ずにいたのだ。
ルベルアとユクスが姿を見せたのは、やむを得ず“そろそろ戻ろっか”とメルが口にしようとしたその時であった。
◆
「さっき言ってくれたけど、本当に僕がルベルアさんと仲良しになれれば、メルも嬉しい?」
「もちろん嬉しいよ!ルアさんの事を誤解してる人も多いと思うけど、バースが味方になってくれれば心強いもん!」
「ふふ。お互いがお互いを大切に思ってるって、凄く素敵だね。僕もそういう関係になれたら嬉しいなぁ」
バースの耳がそっと赤くなる。少し鼻の頭に汗を滲ませたが、バースはそれをすぐに指でなぞり拭き取った。
「なれるよ」
「えっ!?本当に!?」
「ルアさんは人見知りとかしないから」
「あっ……うん。そんな感じだね」
「初めて会う人とも自然に話せちゃうなんて、私には……ちょっと真似できないや」
「僕だって同じさ。心の中では何度も練習していたのに、いざ話そうとすると、言葉が全然出てこないんだ」
「…………バースはさ……」
(あっ。私、何を言おうとしてるの?元々バースの気持ちは分かってたでしょ?分かってて触れないようにしていたのに……)
「なぁに?」
「ううん、ごめん!やっぱり何でもないや!」
「言って?僕だって馬鹿じゃないからさ、何も期待はしてないから」
少し俯いてしまったメルを見たバースは、あっけらかんと白々しい嘘笑いをしてみせた。
「違うの!そういうんじゃなくて……!バースは……。バースはどうして私なんかに優しくしてくれるの?」
「えっ!?」
メルからの予想外の問いかけに、バースは戸惑った。
一週間前のやり取りを忘れてはいない。三つ歳の離れた幼馴染としての関係が崩れた事、その後のメルの気持ちを考えなかった訳ではない。先ほどルベルアが顔を見せる前のメルの沈黙、気まずそうな顔、心中を察しなかった訳ではない。
実際、バースは馬鹿ではないのだ。が、あまりに突然の質問と、返答に時間をかければメルが後ろ向きな考えを抱きかねないという焦りから、実に幼稚で、実に純粋な気持ちを口から溢した。
「きっかけは色々あるけど、簡潔に言えば、メルだから……かな」
「私だから?バースが皆に優しいのは知ってるよ?でも、気味の悪い子供だった私に優しくしてくれたのはどうして?」
「そうか……」
メルの一言。その言葉に、バースの心は強く痛んだ。
昔、といっても大昔ではない。ほんの十年と少し前。バースと同世代の村の子供達は、人並み外れた身体能力、一人で居る事を好み、独り言も多かったメルを気味悪がり、仲間内で集まっての陰口が当たり前だった。
メルが誕生する以前に、村の大人達がモルドーの家には悪魔が生まれるかもしれない!と陰口を言っていた名残でもあるのだが。
時が経つにつれ、そういった陰口は無くなり、むしろ憧れや尊敬の念を抱く者の方が多くなったのだが、本人であるメルからすれば、良いことよりも悪いことの方が印象に残るのは当然である。
「皆が色々言っていたの、知っていたんだね?本当に、まだ子供だったとはいえ、メルの事を何も知らないで酷いことを言っていたと思う。でも僕は――!」
「それも知ってたよ。私の悪口を言う子にバースが怒ってくれてた事も、その所為でバースまで嫌な事を言われたのだって」
「メル……」
「女の子だって、私なんかより素敵な子しか居ないのに……私は今のままで大丈夫だから、バースは気にしないで自分を幸せにして欲しいなって思うの」
「いつも“私なんか”とか……そんなに自分の事を悪く言うなよ!」
「私が言ってるのは本当の事だもん!」
「僕より小さなメルが、村を守るために剣や魔法を弱音も吐かずに頑張って練習していたじゃないか!動物や草花に話しかける優しい笑顔だって他の誰よりも素敵だ!」
「バース……。でも、動物を食べちゃう事だってあるし、木だって何本も斬っちゃったよ?」
「それは……そうだけど……そういう意味じゃなくて!僕だって自信なんか無いし、色々言われる事だってある!自分の情けなさを嫌に思うだってある!けど、それを当たり前みたいに口に出しちゃいけないと思うんだ!」
「私は……」
「例えメル本人が気づいていなかったとしても、メルを認めている人は沢山いるんだから!」
「――ッ!バースが……怒った……」
(ルアさんやお父さん、お母さん以外の人にこんな風に思われた事なんて……。ううん、リエルだって、アリエス様だって、何度も誉めてくれた。他にも沢山……。私は生まれ変わった……つもりでいたけど……心は何も変わっていなかったのかもしれない)
「当たり前だよ!好きな人の事を悪く言われれば僕だって怒るよ!」
「えっ!?……ふふっ。何それ……ルアさんみたい……!」
「わっ!メル、涙が……!?ご、ごめん!そんなつもりじゃ!」
「違うよ……嬉しかったの。えへへ、泣かせるなら涙を拭くものも用意してくれなきゃダメだよ?」
前に僕があげたハンカチは?と思ったバースだが、その疑問は瞬きよりも早く飲み込んだ。
「今日は持ってなくて……えっ、と……これでも良い?」
「変わったハンカチだね、自分で縫ったの?……ありがとう、もう良いよ。そうだ!もっと可愛いハンカチを作って今度プレゼントするね」
バースがメルの涙を拭く為に出したのは、綺麗なハンカチではなく、歪な形をしたボロ切れだった。解れないように縁を縫ってはあるが“女の子の涙を拭く”という用途に出すには恥ずかしさが勝る代物である。
「僕の御守りなん……ええっ!?本当かい!?絶対だよ!?楽しみにしてるからね!」
「うっ。あんまり期待されると困るかも」
「あはは!じゃあ期待しないで待っとくね!」
「うんっ」
「あのさ……メル。今までも、これからもずっと僕の気持ちは変わらな――」
「今日はここまで!じゃあ私は先に戻るから!!」
――タンッ!!シュタタタタタタッッ!!
「い……から……。えぇ……行っちゃった。ハハ」
――タタタタタタタッッ!!
(はわわわわ!どうしよう!どうしようどうしよう!生まれて初めて男の子にあんなこと言っちゃった!!どうしようどうしようどうしよう!)
「エヘヘ!」
メルが去った後の西の森、未だに言い知れぬ高揚感に包まれたままのバースは御守りを握り締めたまま、ゆっくりとワプル村を目指していた。
鳥の声は聞こえない。遠くで虫が鳴く音と、葉が風に揺られる音だけが耳の中に柔らかく差し込んだ。
「はぁ……信じられないや。メルは僕の事なんて興味がないと思ってたのに、結構見てくれてたんだなぁ」
少し時間が経ち、高揚感も薄れた頃。バースは自らの鼓動の激しさに驚いた。いつからこんなに脈打っていたのだろう。膝だって震えている。
もしかすると自分が自分ではなくなってしまったのではないだろうかと、そう思える程に。
歩みを止めたバースは、右手に握っていた御守り、左手に持っていた白い花を見つめた。と、その場にしゃがみ込み、やがて大の字に寝転んだ。
空はどこまでも高く、深呼吸をすると、心の全てが洗われた気がした。
「偉そうな事を言っちゃったけど、初めてメルに指先が届いたかな?僕ももっと頑張らなくちゃ!」
「確かにメル様は優しい子だね。優しすぎるくらいに」
「――ッ!?誰だ!!」
不意に声をかけられたバースは、飛び起きると同時に腰の剣に手を掛けようとした。が、剣を持ってきていない事を思い出し、慌てて近くに落ちていた木の枝を拾い、構えた。
「争う気は無いのに。それに無駄だよ?たとえ剣でも私は傷つけられないから。私の体は自分の意思で触れようとする物以外をすり抜けるからね」
「誰だと聞いているんだ!姿を見せろ!!」
叫ぶバースの目前、一瞬 景色がぐにゃりと歪んだ。いつの間にかそこにあった煙がぐるんと輪を描くと、中性的な顔立ちをした白いシルクハットの男が仰々しくお辞儀をしていた。
「私はレコード・ルーラー、世界の全てを知り、伝える者」




