# 70 散歩。
◇◆◇
小鳥の姿とはいえ、ユクスと二人きりというのは少し緊張するけれど。
のんびりとした空の散歩。気持ちが安らぐ。
モルドー考案の作戦について俺も少しは考えてみようと思っていたけど、今はやめよう。
木造建築の家々。どこまでも広い緑。東に流れる小川。放牧されている家畜達、豊かな実りを迎えた畑。北にツナウ山脈、南にウラド山脈。
ツナウ山脈とウラド山脈は東の先で交わるが、そこから先の山脈がなんて名前で呼ばれているのかは知らない。
東と言えば俺の黒歴史のひとつ、湖がある。
ともあれ、ワプル周辺の景色は素晴らしい。文句無しの星三つだ。
ハイオークが全てを破壊しなかったのは本当に奇跡だと思う。
『もう少し向こうへ行くと湖があるんだ。折角だし見に行こうか』
「ふふ、喜んでご一緒しんす。もし、良ければ歩いて行きんせんか?」
『おう!』
歩いて、か。俺は浮遊物体Aであるからして、脚が無いんだけどね。
楽しそうにクルクルと回りながら地に降りたユクスが人型へと変わり、両手を広げて俺を待つ。黒ノ王なんて暗々しい呼び名とは裏腹に、俺に向けられた笑顔はあまりにも眩しい。
早く早くと言いたげなその仕草は実に、実にドキドキする!
ハァハァ。あれってつまり、胸に飛び込んでも良いってことですよねぇ?多少激しく飛び込んでも、ユクスなら怪我の心配は無いですよねぇ!?ヒャッハーッ!!
「おーい!!」
『ハッ!?』
見ると、湖の方向から飛んで来た大きめのドラゴンと、その背にひとつの人影。トマスとノートドラゴンだ。
「おや?……天使の」
「ルベルアに黒ノ王じゃないか!」「グルァウ」
こ・い・つ・ら!典型的な邪魔をしやがって!ユクスが両手を下げちまったじゃねぇかよ!
【目覚めし悪魔伯爵】の【刻の悪戯】なら邪魔される前の時間に戻せるか!?
いや、今から集中したんじゃ間に合わないか!クソッ!クソッッ!!
「こんな所で何を?もしかして二人も特訓をしていたのか?」
「ルベルア様と少し散歩を楽しんでおりんした。其方らは……今の物言いから察するに、何かの訓練をしなんしかえ?」
『トマス……そんなに特訓をしたいなら俺が相手をしてやろうか?』
◇
体から滲み出る黒い靄。暗闇に身を潜めた猛獣が如く赤く光る瞳。明らかにいつもと様子の違うルベルアの提案に、トマスは身震いし、ノートドラゴンは背筋を凍らせた。
◇
「うっ……!う、嬉しい申し出だけど、今日はもう十分動いたから、またの機会にお願いするさ!な、なぁ?ノート!」
「グキュゥン」
俺の桃色ハッピーニューイヤー(意味不明)を邪魔してくれたお礼にボロボロになるまでしごいてやろうかと思ったが、上手く回避されたか。
チッ、怒りが顔に出ちまってたみたいだな。仕方がない、ノートの親方に免じて許してやろう。
『まぁ、良いや。二人は居なかったけど、話し合いで今後の流れを決めたんだ。詳しい内容はテスタントから聞いてくれ』
「了解だ!テスタント様に聞いておくよ!」
(それにしても、楽しそうに散歩をする黒ノ王だなんて、以前なら想像もしなかった。かつての魔王に似ているから。ってだけの理由でルベルアを好いている訳じゃ無さそうだが、ルベルアが女性の扱いに長けているとも思えない。つくづく、何が起こるか分からないモノだ)
「行こう、ノート」
「ガルッ!」
ノートドラゴンが大きく風切り音を立てながら村の方へと飛んで行く。俺が居ない八年もの間、モンスターからワプル村を守り続けてくれた二人だけあって、トマスとノートドラゴンが村の上を通る時には手を振る村人が多い。
明るく爽やかなトマス、迫力のあるドラゴンから人型に戻れば寡黙でいて優しいノート。まさに狙ったような組み合わせ。人気があるのも頷ける。
話し掛けやすい人柄、他人のために戦える、人の見ていない所での努力を惜しまない。なんか、よくよく考えてみると俺が思うヒーロー像に近くね?
今まで気にしたことも無かったけど、これからは少しだけ尊敬しといてやるか!
それはさておき、邪魔者も居なくなった事だし、ユクスとさっきの続きをするとしよう。
『それじゃあ、散歩の続きでもしようか。目的地は湖だ』
「はい!」
あら残念。“私に飛び込んで!ポーズ”はしてくれないのね。まぁ良いや、今回は諦めよう。
「はて、ルベルア様?」
ん?ついて来ないのか?湖に行こうかって聞いたとき、確かに「はい」って言ったよな。うん、間違いない。
『ここから湖まではそんなに離れてないから、早く見に行こうぜ』
「ちょいと、お待ちなんし!」
ヒッ!?こわっ!ごめんなさい!!じゃなくて……急に何!?
『どうした!?』
「失礼しんした。ですがルベルア様、妾は歩いて行きんせんか?と言いんした。ルベルア様が快くお応えなさったので、とても嬉しく思いんしたのに……」
えっ?どゆこと?俺は湖に行こうとしたんだが、立ち止まったままなのはユクスの方。
待てと言われたのは俺の方で、ガッカリしてるのはユクスの方。
難事件か!名探偵でも泣いて土下座するレベルだぞ!!
んー。もしかしてこれが噂に名高い“女心”ってやつなのかな。
とは言え、今の俺なら分かるぞ。苦節三十年+十五年(実質八年)の末にモテ期の到来した今の俺ならば!
女心を読むなんて、昨日の晩御飯を思い出すより簡単な事さ。難事件も名探偵も俺の足元にすがり付くことを許してやろう。
あれ?昨日の晩御飯て何だったっけ?……まぁ、良いか。
答えは明確、手を繋いで歩いて欲しかったんだな!!
『ああ、悪かった。気が焦っちまって忘れてたよ』
そっと差し出す右手。ふわふわ浮いてて掴みにくいかもしれないけれど。黒いし尖ってるし少し気持ち悪いけれど。
握ったあとは離さない自信がある。だから遠慮はいらないぞ。
「いえ、妾の我が儘を許しておくんなんし。ですが、今後ベクールに活動圏を移すのであれば、ルベルア様の変化は必要となる事もありんしょう。その練習にもなれば、と言う妾の思いを知って頂ければ幸いにござりんす」
違った。手を繋ぐとかじゃなかったわ。歩いて行こうってそういう事だったのね。
変化かぁ。正直トラウマなんだよな、アレ。
なんてったって、一度変化すると簡単には元に戻れない上に、まともに動くことすら儘ならないんだもん。
結果的にメルの命まで危険にさらしてさ。
ユクスと皆が和解した今なら失敗しても同じ事態になる事は無いだろうけど、失敗すると分かっていて挑戦するのは怖いね。
『前回みたいに失敗するかもしれないが、そうなった時は皆に説明してくれよ?』
「失敗?前回のルベルア様の変身は失敗だったのでありんすね。魔族とは元来二つの姿を持つ生き物、ゆえに魔の者の姿で生まれてくる者もあれば人の姿で生まれてくる者もあり、元より自らが持つ姿に変化する際に失敗することは無いのですが」
ちょっと何言ってるか分かんないッス。とりあえず前回の俺の姿を見て失敗だと思ってなかった事実にビックリだよ。
『簡単に言うと?』
「失敗したと言うことであれば、ルベルア様が本来持つ姿以外の想像を元に変化をなさったのでは?と思いんす」
『なるほど』
はい、心当たりがありまくります。
「“もうひとつの自分”への変化だけを望めばルベルア様の体は自ずと本来持つ姿になりんしょう」
『分かった。やってみるよ』
余計な事は考えずに。ただもうひとつの自分への変化を望む。
もうひとつの自分って何だろう。向こうで暮らしてるマドカ?
あいつ、俺の姿で変なことしてないだろうな。車を見て「うわーっ!鉄の箱が凄いスピードで動いてる!!」とか騒いでないと良いんだが。
おっと、違う違う。余計な事は考えずに!だ。
もうひとつの自分って事は、俺の場合は確実に人間の時の姿の筈。悪魔になってからの期間よりも長い間過ごした愛着のある体だ、忘れる訳がない。大丈夫、大丈夫だ。
体脂肪率五パーセント以下の絞り上げらた肉体美は俺の作品だ。血と汗と涙を捧げて造り出した宝物を忘れる筈が無いだろ。
入院中に筋肉が減ったのは痛かったけど、時間軸のズレを考えたとしても既に退院してるだろうから、鍛え直してるよな。っていうか鍛え直しとけよ!
俺のアパートで暮らしてるなら筋トレ器具は揃ってるんだから。あれ?ってことは当たり前に俺の愛機だとかベッドの下に隠した秘密の花園もマドカの手中か!!?
くぅー!しまったぁぁあ!せめてアイツ等を処分してからこっちの世界に戻るんだったぁぁあ!!
「ルベルア様?大丈夫でありんすか?」
『あ、ああ。気にしないでくれ』
はぁ……まぁ良いや。どうせ向こうの世界に戻ることは無いんだし、今更気にする事でも無いか。
マドカが幸せに暮らしてるならそれで良いや。こっちはこっちで楽しくやるからさ。
なんだかよく分かんないけど、上手くいってくれよ?
“人化”!!




