#50 壊れた心。
「ル…………さ……ん……」
背中と腹を容赦なく貫通している黒い槍、不思議と流れ出る量は少ないが、それでも赤々とした血はあまりにも現実的。メルは何かを伝えようと口を小さく動かすが、その声は聞こえない。
しかし、見た目以上に力を秘めた華奢な腕が力なく持ち上げられ、奇っ怪な存在のまま固まっている俺に向かって差し伸べられた。
頭が働かない……。眼が霞む、耳が音を拾わない、理解が追い付かない……いや、理解するのが怖いんだ。どうして槍が落ちてくる間際にメルはあの位置から飛び出した?動かなければ魔法の壁で助かった筈なのに……。
ああ、そんなの決まってる、メルは助けようとしたんだ。槍が俺を避けて降り注ぐなんて知らずに、俺の事を助けようとしたんだ。
こんな姿をした俺をルベルアだと信じて。
「キャアーッ!大変っ、メルが!テスタント様!メルに回復魔法を!!早くっ!!」
乱雑に並ぶ黒い槍の隙間からリエルの叫び声が聞こえる。それほど離れてはいないというのに、その声は遠く、遠くから聞こえた。俺は動くことを拒む脚を強引に引きずりながらメルの元へと歩み寄り、力なく差し出された両手をそっと握り返した。
暖かい。血を流し、腕を上げているのもやっとだろうに、メルの手は暖かさを保っている。本人とてこんな事になるつもりでは無かったのだろう、眼にうっすらと涙を浮かばせ、真っ直ぐに俺を見つめている。
「……ごめ……んね……」
――!!何謝ってんだよ……。どう考えたって、誰の眼から見たって、悪いのはメルじゃなくて俺だろう。
『メル……死なないでくれ……!』
「やっ……ぱり……ルアさ……だっ……た」
紛れもなく無意識。あれほど戻ろうと思っても戻れなかったのに、その所為で取り返しのつかない事態に陥っているというのに、メルの手に触れた俺は知らぬうちに元の姿へと戻っていた。
「なんと……あの化け物がルベルアだったとは」
「ミハエル様!今はそんな事よりもメルを!!」
気づくと横に居たリエル、赤い瞳を潤ませて、テスタントへ向かって手招きを繰り返す。
「うむ!テスタントよ!急ぎメルを回復せよ!!」
道を塞ぐ槍をすり抜けながらメルへと駆け寄ったテスタント、俺には眼もくれずに傷に手を当てた。
「メル様、どうか持ちこたえて下さい。グラン・ヒール!」
テスタントの手から涌き出た緑の光がメルの体を包み込む。だが、いつにも増して険しいテスタントの表情が崩される事は無かった。
「ダメです。槍が刺さっている所為か、回復しても通常の効果を与えることが出来ません。私の力では……」
『そんな……いや、まだだ!身体強化、再生強化、頼むから助かってくれ!』
「お願い!お願い!治って、メル!」
俺の使える最高の回復系魔法、これはメル相手にしか使えぬ上に、多くの魔力を消費する。その代わり見込める効果は絶大、これで助かってくれないと俺に残された手段は無い。
だというのに願い虚しく、生気が戻るどころか、息をするのも辛そうに、その傷ついた体を震えが襲いだす。力なく垂れ下がってしまったメルの手を握り締めるリエルの顔は既に涙でグシャグシャとなっている。
「天使の人、ちょっと退いてて」
テスタントとリエルを無造作に押し退け、メルの傷を除き込んだのは小さな少年。確かホーリープロテクションと唱えたのはこの少年の声だったはず。そういえば、過去に同じ魔法をミルザが使っていた。
となれば、この少年もビショップという事だろうか?確かヤハスと呼ばれていた気がするが。いや、この世界の魔法系統は職業を判別するには酷く曖昧だ。現にテスタントやメルも回復魔法を使えるが、ビショップではない。けれど、今重要なのはクラスじゃない、メルを救えるなら早く救ってくれ!
「助けて下さい!お願いします!メルは私の大切な友達なんです!」
精一杯の深いお辞儀をするリエルの眼からは二つ、三つと涙が落ち、地面を斑に濡らした。
『頼む、助けてくれて……!俺に出来ることならなんでも手伝うから!』
「……………………」
冷たい目で俺を一瞥し、何も言わぬままメルの方へと向き直ると、小さく震える背に手を当て眼を閉じたヤハス。それから数秒経った後、徐に眼を開いた。
「ふーん、変わった体だね。この娘、本当に人族?だとしたら、このままじゃ助からないよ。天使王、貴方ならこの槍を抜けますよね?」
視線は槍の向こうから此方を覗き込むミハエル。ヤハスに問われ、地面に突き立つ槍を邪魔そうに肩に当てながらメルの元へと歩を進め、辿り着くなり凶刃の槍へ手を掛けた。
「うむ。この槍を抜くくらいの事、余の力ならば造作もないわ。しかし小さき者よ、槍を抜けば血が一気に流れ出るのではないか?」
「心配要らないよ。槍さえ抜ければ自分の魔法でなんとかするから」
「ならば其方を信じよう!」
堂々と言い放ったミハエル。槍を掴む腕に力が入り、隆々とした筋肉がビキビキと唸りを上げる。その時、二人の一連の行動を阻止するかの様に、空から強大な魔力による圧力が掛かった。
わらわらと宙を漂う黒い羽。あれが攻撃へと変わるのなら先程と同等か、それ以上の規模になるだろう事は誰もが予想できる。その分かりやすい脅迫は二人の動きを容易に止めてみせた。
「黙って回復させるわけが無かろう、妾とてそれが特別な器だと知っていルのだから。その娘が居なくなれば真に封印が解かれるやも知れぬ、この機に消えてもらおうゾ。ルベルア様、その場から離れておくんなんし。貴方様に害を成す者共を一掃いたしンす」
眼前に黒い火の玉を出現させたユクス。その火の玉は瞬時に宙を舞う羽を伝い燃え広がり、再び黒い炎の鳥が上空を覆った。
『待て!待ってくれユクス!メルも皆も、俺の大切な――』
「あんたとあの馬鹿デカい鳥。何かあるとは思ってたけど、どっちが黒ノ王なの?呼ばれ方からしてもアイツよりあんたの方が偉そうだけどさ」
変わらず冷たい視線を俺へ向けるヤハス、見当違いな言葉を吐き出すと“スッ”と三人のローグの方へ杖を翳した。槍の間から見えるレイアとアーマスは、ユクスの初撃への対処に相当な魔力を使ったのだろう、かなり消耗している様子だ。ミナがその二人の横で空を警戒している。
「ホーリープロテクション!そこから出ないで!」
ヤハスの杖の先に付いた宝石がキラリと光り、ローグ達の頭上を薄い光の壁が覆った。
「助かるニャ!」
ミナはぴょんと飛び跳ね、ヤハスに手を振った。
『くっ!ユクスの攻撃は俺が何とかするから、ミハエルとヤハスはメルを助けてやってくれ!』
「うむ、そうであるな」
「気安く呼ばないで。さっきの質問に答えてよルベルア様。この娘を助けるかどうかはそれからさ」
「むぅ、何をしておる。息を合わせねば、抜くに抜けぬぞ」
ミハエルの言うことは尤もだ。ヤハスの言葉の意味が分からない。助ける為には一刻の猶予も無い筈だろ、優先すべきは俺の話なんかじゃない!メルの命なんだよ!!
『頼むよ!俺は黒ノ王じゃないが、ユクスとの関係は話すと長くなる。だから、どうか先にメルを助けてほしい!』
俺の頼みに、首を横に振って返したヤハス。そのクッキリとした眼が冷たさを増し、それとは逆に口元は少し緩んだ。
「あんたに聞いたのが間違いだったよ。黒ノ王!こっちの黒い奴はお前の何なんだ!」
「こっちの黒い奴だト?人族ごときが、かの魔王に随分な口を聞くものダ。その御方の前で立っている事すら痴がましいと知レ」
「なっ!!」
一見した時から冷静そうだったヤハスが焦り、俺の側から飛び退いた。が、ユクスの言葉に大きく反応を見せたのはヤハスだけに留まらず、ミハエルもメルに刺さった槍から手を離し、表情を深く曇らせた。
「やはり、そうであったか……」
「ミハエル様!その話は!!」
突然にミハエルの前へと入り立ち叫ぶテスタント。
「……分かっておる。もう、友と決めた仲である。それにルベルアは余の知るハールバドムとは違う。分かっておるとも」
『皆……。何やってんだよ……メルが……。メルが……!』
「むうっ!メル……。くっ、何という事だ……!」
メルの薄く開かれた眼からは光が失われ、長く震えていた体は時が止まったかの様に微動だにしない。
「ヒール!皆、事態は思ってたより深刻だ!黒ノ王討伐だけじゃない!魔王が居る!!」
いつの間にやら三人のローグの元へ戻っていたヤハス。疲弊していた二人へ回復魔法を使い、早口に戦況を伝えた。
「そんニャ!金貨五十じゃ全然割に合わないニャ!」
「黒ノ王の攻撃だけでも死にかけたのに、最悪。もう帰りたい」
「魔王が……英雄の封印魔法で死んだ筈では?して、あの槍の刺さった少女が話にあった盟主ですね?しかし、あれではもう……。となれば味方は天使の方々のみという事か……。確かに厳しい」
「その天使の人達も本当に味方か分からないよ。どうやら元々魔王の存在を知ってた風だし、仲も良さそうだったからね」
「どういう事ニャ。僕らを引き寄せる罠だったニャ?」
「分からない。そういう訳でも無さそうだったけど、アレが魔王ハールバドムだってのは間違いないよ」
「ヤハス様を疑う訳じゃ無いけど、どうしてアイツが魔王だって言い切れるんですか?」
レイアは面倒くさそうにひとつ溜め息を吐き出すと、燃えるような瞳でヤハスに尋ねた。
「小人族は元より臆病な一族でね。生まれつき相手の言葉が嘘か真かを見抜く事が出来るんだ。何故か魔王の言葉にはそれが通用しなかったけど、黒ノ王の言葉は紛れもない真実だったよ」
「つまり、黒ノ王がアレを魔王と言ったって事ね……ハァ。で、あの娘は早く助けないと助からないんじゃ?」
「……あれは普通の娘じゃない。魔王があそこまで必死になる娘、助ければ戦況が更に悪化したかもしれない。次に槍が落ちたらこの壁から出て、一気に仕掛けよう。長期戦になれば不利になるからね」
「了解です!鉄壁の守護者の名に恥じぬ戦いを見せてやります!レイアは俺の陰から存分に火力を出してくれ!」
「言われなくてもそのつもりだけど?魔王は少女に付きっきりで攻撃してくる様子も無いし、まずは黒ノ王からね」
「僕は自由に動いた方がやり易いから、気にしてくれなくても大丈夫ニャ」
組んで一週間足らずのパーティとは思えぬ迅速な作戦会議を終え、ローグ四人はユクスの第二擊に備えた。
「ふぐっ……ううっ……メルぅ。どうしてぇ……」
変わり果ててしまったメルを前に泣きじゃくるリエル。その悲痛な呻きに居た堪れなくなり、ミハエルとテスタントはジリジリと後退りをし、俯いた。
『助ける事が出来たんだろ?どうして助ける事が出来たのに見殺しにしたんだよ。メルが居なくなったら……俺に何が残るってんだ!!』
「落ち着けルベルア!喚いてもメルはもう……どうにもできん!今は黒ノ王を何とかせねば、それにはルベルアの力も必要なのだ!」
『ああ?黒ノ王だ魔王だってやってるからメルを助けられなかったんだろ。メルが助かるならなんだってやってやるさ、メルが助かるならな!』
違う、こんな事言ったってどうにもならない。ただの八つ当たりだってのは自分でも分かってる。でも負の感情が押さえられない!!
悲しい、悔しい、憎い……!助けれると言っておきながら見捨てたあの少年が、事情も知らずに槍を降らせメルを突き刺したユクスが、俺とメルを友と呼んでおきながら、危険が無い事を証明してくれなかったミハエルが……。
それら全ての元凶でありながら、何も出来なかった俺自身が……憎イ!!
『ウウゥ……!俺ガ……全テノ災イヲ……』
「ぬぅ、なんと禍々しき魔力!落ち着けと言ってるいるであろう!!其方が暴れてもメルが悲しむだけであるぞ!!」
メルが生きていたなら、「ルアさんの愛、重すぎ」とか言って氷の様な視線を送ったかもしれない。けど、溢れるドス黒い感情を止めることが出来ないんだ。
どうかしてる?ああ、そうさ。俺はどうかしちまった。メルみたいな“良い子”が理不尽に見捨てられる世界なんて……ぶち壊してやる。
『目覚めし暴食の王』




