調理人という名の侵入者
それから三日の時が過ぎて、出発当日の朝がやってきた。
朝食を終えた俺とダナヒは、準備を終えて館を出発し、入口で待って居たギースを合流して、街の港に向かって歩いた。
「すみませーん!! カタギリ・ヒジリさんですかー!?」
そんな時に、名前を呼ばれ、俺は後ろに振り向いたのだ。
どうやら手紙の配達人のように見える。何かと思って待っていると、名前をもう一度確認してきた。
「え、ええ。そうですけど……」
肯定すると、その男は「良かった、間に合った」と一言を言い、それから一通の手紙を出して俺に手渡して来たのである。
剥き出しでは無く、封筒に入れられた封書と言う形の手紙のようだ。
差出人を見るより早く、配達人が言葉を続ける。
「いやぁー、館の方に行ったのですが、今、出たばかりだと言われまして……あ、サイン、頂けますか?」
直後に出したのは紙を留めた板。同時に羽ペンも手渡して来る。
割と重要な手紙なのだろうか。どうやらサインが必要ならしい。
「ここで良いですか?」
一応聞いて、名前を書いて行く。縦に三列分かれている中の中心の列の上の方だ。
「それじゃどうも」
配達人が一礼して去る。
後ろからの「良いか?」はダナヒのものだ。
手紙を見せろ、と言う事では無く、出発しても良いか? と言う意味だ。
「あぁ、はい。すみません」
それに答えて歩き出しつつ、手紙の表の差出人を見た。
「ピシェト・ノールス……ピシェトさんか!?」
すぐにも出たのは驚きの声で、それにはユートが「あらなつ!」と言う。
「あんだぁ……?」
ダナヒとギースは妙な顔だが、立ち止まらずに港に向かい、俺もそこには謝罪をせずに、歩きながらに中身を取り出した。
入っていたのは本文と、例の、ピシェトが信仰する神への契約書のようなもので、そこには以前に俺が書いた直筆の名前が記されている。
「(どういう事だ……? 何でこれが……?)」
浮かんだ疑問を解く為にも、俺は本文を読み出すのである。
『お久しぶりです。
お元気でしょうか?
こちらは皆、元気でやっています。
あれから何か月が経ったのでしょう。ミスターヒジリの活躍を耳にして、一筆認めた次第であります。
聞けば、海王ダナヒの元で国作りの為に励んで居るとか。
ナエミさんの事も気になりますが、まずはあなたの居場所が見つかった事を、非常に嬉しく思っています。
そういえば……
と言うのはわざとらしいですね。
実は分かって書いている事なのですが、海王ダナヒはマジェスティだとか。
それに、名前は存じませんが、そこにはもう一人いらっしゃるようです。
同封の契約書を見た事と思いますが、出来れば、そう、出来ればで良いのですが、そのお二人にも私の神を信仰する同志になって頂きたいのです。
久しぶりの手紙でこんな頼み事等、ミスターヒジリはお怒りかもしれません。
ですが、お二人と親交を得た、あなたにしか頼めない事柄でもあるのです。
以前にあなたに言ったように、何かをして欲しいと言う訳ではありません。
ただ、私の満足の為に、名前を書いて欲しいと言うだけの事です。
突然のお願いで申し訳ありませんが、出来ましたらご協力をお願いいたします。
その代わり……と言うのも何ですが、真新しい情報を記しておきましょう。
紛争地帯が纏められ、ひとつの国が誕生しました。
ゴルズリア諸領主連盟という名で、略してゴル連と呼ばれているようです。
これは、ヨゼル王国の侵略への対抗策と考えられ、その事によって諸領主達が、危機感から妥協をした結果だと思われます。
中心になった人物は、カムシール・イーブと言う名の男で、これからは彼が頭領となって、ヨゼル王国に備えるそうです。
国が纏まったのは良い事ですが、税金制度が復活してしまい、私達としてはどちらが良かったのかと、少々疑問する状態でもあります。
それと最後に、落ち着いた時には一度は孤児院に戻って来て下さい。
リースもそうですが子供達は、皆、あなたに会いたがっていますので。
それではこの辺りで失礼します。この先もお元気で。
ピシェト・ノールス』
読み終えた時には船に乗っており、すでに港を離れていた。
「うーん……流石に二人とも断るだろうなぁ……」
船の手すりにもたれたままで、同封されていた契約書を見る。
ダナヒも、カレルも良い人であり、頼めばある程度の事はしてくれると思う。
だが、流石に宗教関連の事にホイホイついてくるとは思えないのだ。
命を救われ、世話になった。だからこそ俺はサインをしたが、もし、人に頼まれての事なら、普通に断っていたと思う。
「署名とか言って嘘つけば?」
「いやいや、嘘は駄目でしょ。嘘は。
そんな事で書いて貰えても、ピシェトさんも喜ばないって」
ユートの言葉にはそう返し、とりあえずの形で手紙諸共、セキュアの方に送って置いた。
「まぁ、何にしてもこの作戦が終わった後の話だな」
その後に呟き、船の事を教える為にギースを連れて回るダナヒを見つけた。
「こいつがメインマストだな。沖に出るまでは帆は半開だ。
何でかって言うと沖に出るまでは浅瀬が岩礁があるからだな。
あんまり飛ばすと避け切れねえ。だから半開にしてるって訳だ」
「あ、そ、そうなんだ……」
いつものジコマン講義の始まりだ。
ダナヒの方は嬉しそうだが、一方のギースの表情は微妙。
「実際にやってみるか?」
と、好意で言ったが、「良いです……」と拒否されて、少々凹んでいる。
「あ、あー……じゃあアレだ! 船の動かし方を教えてやるよ!
面舵いっぱーい! ってアレだアレ。楽しそうだろ? なっ? なっ?」
「あ、じゃあ……やって見ても良いけど……」
次に提案したそれにも微妙で、ダナヒは「がくっ」とこかけていた。
それが普通だ。仕方が無い。興味が無い者に自分の好きな物を押し付けても、普通はそういう反応なのだ。
俺の場合は借りだとか、気まずさだとかで口裏を合わせたが、そう言う事は気にしないのか、ギースは気持ちにストレートのようだ。
「オイオーイ……大の男がそんなんで良いのか……
船は男のロマンだろうが? デッケェ船を腕一本で動かしゃ、どんなオンナもイチコロだぜ?」
が、続くその言葉にはギースは「マジで!?」と、顔色を変え、聞かれたダナヒは少々引いて、「お、おう……」と困惑して返答していた。
「じゃあやる! いや! やらせて下さい!
面舵一杯やらせて下さい!! さぁ早く! 行きましょうよ早く!」
直後にギースは鼻息荒く、ダナヒを引っ張って船尾へ移動。
「お、おぉ、何だか知らんがやる気になったか!」
と、ダナヒの心にも火が点いて、「コイヤー!」と言って走り出した。
「やっぱアレ、カレルさんの為かな?」
「じゃなーい? でもカレルさんだったら、一人で船を動かした所で、「ふーん、で?」とか言いそうでボクは怖いです」
聞くと、ユートがそう言ったので、そこには「確かに……」と同意をしておく。
その上で「どうなんだろうな。カレルさんの方は」と言い、後ろに振り返って海を眺めた。
その日から五日が過ぎた頃。
ヨゼル王国に侵入した俺達は、ヴィアーと言う名の街に来ていた。
ヴィアーは首都から半日の場所にあるヨゼル王国の工業の要で、古都エイラスと比べても負けない程に繁栄していた。
訪ねた理由はこの街で大型船が作られているからで、それを奪う為に料理人として忍び込むのと言うのが作戦だった。
出来上がった船を送り出す式、即ち進水式はこれから五日後で、料理人を含む乗組員達は、明日の朝から実習を開始する。
手続き自体は工作員と言うか、情報収集員がやってくれていたようで、故に、特にする事の無い俺達は明日に備えて休んで居た。
「ていうか寒ぃよ! なんなんだよここ! 海には氷とかが浮いてたしさぁ!」
これはギースで、ベッドの上で毛布にくるまって震えている。
俺はその隣のベッドに腰掛け、暖炉に火を入れるダナヒを見ていた。
ヘール諸島と比べるのなら十度くらいは低いのだろうか。
寒い、と言われたらそうなのだろうが、俺自身は実はそこまででも無い。
冬の朝の道場と比べたらこんなのはまだまだ余裕の域だが、デイラー王国――
ヘール諸島よりももっと暑かった国出身のギースには、この寒さは相当に堪えているらしい。
「よし。これで暖まって来るだろ。俺様はちっと外出してくるから、オメェらはオメェらで好きにしてろ。明日の朝には戻るからよ」
暖炉に火をつけたダナヒが動き出す。
向かっている先は部屋の外だ。
「ど、どこに行くんですか?」
「暖まれる所。こっちの女がどんなもんか、まぁ言わば敵情視察だな」
一応、引き止めて聞いてみると、ダナヒはそう言って「にかり」と笑った。
要するに、それは女の所だ。
まさか囲ってはいないのだろうから、一夜の相手を探しに行くのだろう。
お盛んだな。と、思うと同時に、誘ってくれないのか、と少しだけ思う。
いや、まさかついては行かないが、誘ってくれない事自体に、俺は若干の残念さを感じたのだ。……多分。
「あと一年もしたら誘ってやるよ。ギースの方は五年後だな」
どうやら顔に出ていたらしい。むっつりと思われてしまっただろうか。
一応「ちがっ!」と言って置いたが、ダナヒは「じゃな」と言って外へと出て行った。
「ナニナニ? ナニが一年後なの?」
「(分かって言ってない?!)」
ナニナニ言って来るユートに対し、心の中で密かに叫ぶ。
「五年後……? 何が……? 酒か何か?」
小刻みに震えてそう言ってくるギースには「きっとそうだね……」と、出来るだけ優しい顔で答えて置いた。
そして翌朝。
宿屋を出発し、沿岸沿いにある工廠へと向かう。
俺達は調理人として雇われているので、全員がコック服に着替えた上でだ。
工廠に着き、初めて船を見る。
「デケェな……こいつぁハンパじゃねぇぜ……」
第一声はダナヒのそれで、コック帽を押さえて上を見上げた。
俺は勿論そうだったが、ギースもおそらくそうなのだろう、その船の長さと高さに圧倒され、口を開いて茫然としている。
船の全長は二百m以上。高さはおよそで八m程だ。
他の軍船よりもふた回りは大きく、マストもまさかの六本マスト(通常の大型船は三本)。
大砲はまだ乗せて居ないが、射出口は片側で百門はあり、左右併せて二百門以上になるだろう、まさに超弩級の戦艦と言えた。
それは大きさだけで言うのなら、俺達の世界の空母と言うものに近く、こんなものが強奪できるのかと、俺は思わず息を飲むのだ。
「ま、やるとしたら砲を積んでからだな。それまでは艦内を探索しながら、大人しく仕事に励むとしようや」
ダナヒが言って歩き出し、俺達が黙って後ろに続く。
大きさにこそ驚きはしたが、気持ちは全く揺らがないようだ。
頼もしいやら、恐ろしいやら。微妙な気持ちで俺が苦笑する。
そして、俺達は少し歩いて、技術者達が作業をする中、タラップの近くで立ち止まった。
そこには俺達調理人の他に、水夫として乗艦する兵士達が見られ、兵士を前にして何列かに並んで、指揮官らしき男の言葉を待って居た。
兵士の数はおよそで五百人。対する料理人は十人程度だ。
どうやら船医も居るようで、白衣を着ている男性も居る。
兎も角、併せて五百人程が、実際に乗艦して実習をするらしい。
ちなみに俺達料理人の予定は、五百人分の昼飯を作ると言う事。
調理室の場所すら分かって居ないのに、これはなかなかの無茶ぶりであり、料理人の中には「無理だろ……」と、露骨に口にする者も居る。
「ま、やってから言って見ようや」
とは、料理の「り」すら知らないダナヒで、なぜかどうして好意的に迎えられ、すぐにもリーダーとして君臨するのだ。
「今日の予定は以上とする! それでは総員、乗艦せよ!」
訓示が終わり、兵士達が、一斉に船に乗艦し始める。
その後に乗る為にそれを見ていると、ユートが「あっ!?」と何かに気付た。
何かと思って目で追うと、青色の鎧が目に入り、俺もまた「なっ……?!」と発した上で、マズさに顔を背けるのである。
その人物とは言うまでも無く、鮮烈の青ことレーヌ・レナス。
一人の中年と、若者を従えて、こちらに来ている最中で、現状ではこちらに気付いていないのか、若者と何かを話していた。
「(とりあえず隠れろ!)」
ユートに言って、ダナヒの後ろに姿を隠す。
「あんだ? どうした?」
と、ダナヒが言うので、「見つかるとマズイ人が……」と短く返した。
「(何しに来たの? 作戦がバレた?)」
ユートも俺の後ろに隠れ、小さな声で聞いてくる。
実際に答えが分からないので、それには何も返せなかった。
だが、とにかく見つかるとヤバイ。もしも顔を覚えられて居たら、一悶着は避けられないのだろう。
「凄まじいな。ここまでとは……」
レナスの声が聞えて来る。
独り言のような口調であるが、近くに来た為に聞こえたらしい。
「一つの国の経済がこれ一隻で傾くそうだ。果たしてそこまでの価値があるのか、私にはまるで理解できんがな」
こちらは男が発したもので、レナスはそれには「ふっ」と笑った。
おそらく若い方では無くて、中年の男が発した声だろう。
「強奪でもされたらおおごとになるな。そちらの方は警戒せずとも良いのか?」
一笑の後にレナスが言った。これにはダナヒが背中を揺らせる。
俺の方は「バレたのか!?」と思ったが、或いはダナヒは「いらん事言うなや!」と思って、拳の一つも作っているのかもしれない。
「そんなバカが居ようはずも無い。それに生憎、そこまでは手が回せんよ。
余裕があるのならば貴殿がしてくれ」
聞かれた男がそう返し、レナスが「いや」と言葉を返す。
その後には黙り、暫くしてから足音を徐々に遠ざけて行った。
「なんかすげーこっち見てたけど……」
「アレが噂の鮮烈の青かぁ? ヤッベェオーラがプンプンじゃねぇのよ……
美人は美人だが、お相手はしたくないね。
なんつーかあれだ。噛み切られそうだ」
ギースとダナヒがそれぞれに言い、二人の間から俺が顔を出す。
レナス達はすでに工廠内には居らず、技術者達が見えただけだった。
「そこぉ! 何をやっているか! 皆、とうに乗艦しておるぞ!」
怒って来たのは指揮官らしき男で、俺達は慌ててタラップに乗る。
「何だったんだろーね?」
と言うユートの質問には、結局最後まで答えられず、強奪を見透かされているのではないかと言う疑問に悶えつつ仕事に励むのだ。
噛み切られそうな事をするからでしょうよ、と




