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約一年半毎日通うことにより地の利を得ている流星は何とか校舎内に入り、一階職員用トイレの個室の一つに隠れ潜む。
「さてこれからどうしよう」
どうするべきだ? どうすることが出来る? 悶々としつつ頭を回転させる流星。力で戦えないなら、頭で戦うんだ。そうと決めても中々妙案は浮かばない。すると、流星の耳にガシャリという明らかに人ではないものの足音が届く。スマ子に向かって立てた人差し指を口に寄せるジェスチャーをとる。スマ子も事態を察知したのか同じジェスチャーを返す。
キィ、と職員用トイレの扉の金具が軋む音がする。モータードが中に入ってくる。モータードは入口から右手の個室を順番にチェックしていき、鍵のかかっている個室の前で立ち止まる。表情の判別は非常に難しいが、それは笑っているようだった。モータードは個室のドアの取っ手に自らの手をかけ、力一杯に引く。バキボキッ、と耳障りな音を立てドアは無理矢理に開けられる。
しかし、そこには誰もいない。
「あれっ!?」
素っ頓狂な声を上げ、モータードは辺りを見回した後、入口の向かいの窓に飛びつく。そこには流星が先ほどまで履いていた安物のスニーカーが落ちている。急いで逃げるあまりに脱げたまま走って行ったと判断したモータードは、窓枠に足をかけ校舎の外に飛ぶ。
流星は職員用トイレ最奥の掃除用具入れからモータードが地面に着地した音を聞き、押し殺していた息をゆっくりと元に戻す。
流星はトイレに入った時点であらかじめモータードがやってくることを予測していた。だから一計を案じたのだ。先ず、個室に入り鍵をかけ、よじ登り個室の外へ、そして閉じていた窓を開け、自らの靴を脱いで放り投げる。最後に掃除用具入れで息を潜める。
流星は、これでモータードをまくことが出来たと安心し、掃除用具入れから出ようとする。作戦が見事に成功した、という油断からだろうか、流星は扉を開けた拍子に足元にあった青いポリバケツを蹴飛ばしてしまう。ガランガランとけたたましい音を立てるバケツ。
「あぁ~☆」
スマ子が心より残念そうな声を漏らす。
外から聞こえていたモータードの足音が止まり、急いでこちらに戻ってくる気配を感じる流星とスマ子。二人は顔を見合わせる。そしてにわかに走り出す流星。流星がトイレから出たのとほぼ同時、モータードが窓にやってくる。
「見つけたー!」
ことここに至り、あいつの鈴を転がすような可愛い声が疎ましい、と思う流星。
校舎一階を駆けていた流星は前方に古文担当の伊藤教諭の姿を発見する。幸いまだこちらに気付いてはいない様子だ。伊藤教諭は生徒指導に熱心な人だ、見つかるとその場で正座して説教を受けなければならない可能性が高い。後ろを振り返ると彼方にこちらへと疾走するモータードの姿。流星はそちらに行っても仕方ないとわかっていても、右手にある階段を登るほかに選択肢がない。
「着実に追い込まれてる……」
「二階なら飛び降りて逃げることも可能ですよ☆」
「そ・う・で・す・ね!」
スマ子の無茶な物言いに思わず声を荒げてしまう流星。そうこうしている内に階段を上りきった流星は、逃走ルートをどうするか考えるために立ち止まる。今上った階段は三つある階段の真ん中に位置するものだ。なるべく人目につかないルートを選択しようと、F型校舎の付け根を目指す。こちらなら距離も短いし、あまり頻繁に使用しない特別教室が集まっている。
リノリウムの廊下を片足だけ靴下、もう片方はスニーカーで走る流星。本来なら上履きに履き替えなければならないが、そんな暇はなかった。今の光景を桜屋が見たらきっと怒るに違いない。そもそも片足だけ靴を履いているというのは逆に走りにくい。走っている内に付け根の階段に到着する。一階に戻り校舎の外に出てそのまま校外に逃げる、という案を考えていた流星は思いも寄らない伏兵に出会う。
CPと戦っていたはずのカブが、一階から階段を駆け上がってくるのだ。流星は一階に行くことが出来ずに、三階に向かう階段を上る。途中、煩わしくなってスニーカーを脱ぎ、せめて邪魔にならないように階段踊り場の隅に投げる。
「どうなってるんだよ!? CPは何してるんだ!?」
「通信が繋がりました☆ 相手が突然逃走して今追いかけてるそうです☆」
スマ子の報告を聞きながら流星は三階に辿り着く。今度はFの中央の棒に位置する階段を目指す。途中桜屋が授業をしているはずの音楽室の前を通る。流星は身を低くして廊下側の窓から見えないように進む。ちらりと教室の中を覗くと、偶然にも合唱をしている最中の桜屋と目が合う。一瞬動揺を見せる桜屋、そして明らかに歌とは違う口の動きを見せる。焦っている流星はその意味を理解する前に音楽室を通り過ぎてしまう。
やっとのことで三階中央階段に着いた流星を待っていたのは、モータードであった。
「くそっ! 先回りされた!」
それでも流星は走ることを止めず、モータードに突進する。と思わせてスライディング。流星は一時期男友達とどれだけ華麗にスライディングをキメられるか、という下らない遊びに興じていたことがあるので、リノリウムの床がよく滑ることを知っている。
「わぁ!」
可愛らしい声を上げるモータードの股下を潜り抜け、流星は四階を目指す。この選択が誤りであったことを、流星は早々に知ることになる。
四階に上がった流星は右手にはカブ、左手にはゴリラ、階下からはモータードが迫っている、という状況に陥ったのだ。前方は袋小路なので、実質屋上へと続く階段しか進路はない。
「ハコも敵に逃げられてたのか……」
「みたいですね☆」
「報・連・相が行き届いてない!」
「今はそこに怒っている場合じゃないですよ☆」
「わかってるよ! もう屋上に行くしかないけどな!」
屋上に向かう階段を、急ぐあまり這うようにして進みながら流星は言う。屋上への鉄扉を開け、急いで後ろ手に閉じる流星。
扉を閉めてからは静寂が二人を包んだ。ヴァイストロン達に力づくで扉をぶち破ってこられると思っていた流星は拍子抜けする。警戒心が少し薄れたせいで、流星から扉を押し支えていた力が抜ける。その時だった、不意に扉が開かれ、流星は扉に押し出されてひっくり返る。ヴァイストロンがすぐにやってくると思った流星は、起き上がりもせずに向き直ったので、リングの上で寝技に持ち込もうと相手を誘う総合格闘家のような格好になる。
「何してんの?」
やってきたのはヴァイストロンではなく、ハコだった。屋上をゆるやかに吹く風が、ハコが着用している山田高校指定の制服のプリーツスカートを揺らす。健康的な太股を晒しながらハコは怪訝な様子で流星を見下ろす。
「……これは古来より日本に伝わる迎撃のポーズだ」
「マジで!? あたしもやる!」
喜び勇んでハコも流星同様のポーズをとる。タイミングが良いのか悪いのか、そこにCPがやってくる。
「流星! 大丈夫か!? って二人して何してるんだ?」
CPの当然の疑問に答えようと流星が口を開く前に、屋上の唯一の出入り口である鉄扉が乱暴に閉じられる。CPがドアノブを回し、開けようと試みているが、鉄扉は微動だにしない。扉越しにカブのハスキーボイスと呼ぶには些か低すぎる声が聞こえる。
「これでうちらの仕事は終わりだなぁ。後はドゥカ姐に任せようや。クソッ、まーたあいつヤリそこなっちまった……。まあしゃーねーか。さっさと帰ろうぜ」
足音が遠ざかっていく。
CPは尚もドアノブと格闘していたが、諦めて流星達の方を向く。
「鍵をかけられたみたいだな。だが、体当たりすれば開けることは可能だろう。しかし……気になることを言っていたな……。まあそれはいいとして流星、これは君の靴だろう」
CPは流星がここに来るまでに脱いでしまった白地に三本のラインが入ったスニーカーを片手に持っている。
「片方しか持ってきてくれなかったみたいだけど一応言っとく。ありがとう」
流星はCPから靴を受け取ろうと手を伸ばす。
靴が突然跳ねる。
一瞬、流星はCPに意地悪でもされたのかと思った。しかし、CPの驚いている表情、そして転がったスニーカーの底に親指ほどの穴が空いているのを見て、状況はそう悠長なものではないと察する。
狙撃されている。
誰が何を言うでもなく、その場の全員が屋上の床にへばりつくように伏せる。経年劣化で屋上の床は歪み、タイルの隙間に名も知れぬ草が育っている。
「どこからだ?」
「あいつら初めからここに閉じ込める気だったのかな?」
「俺の靴……」
「屋上のこの位置を狙える高所は南東のビルの屋上くらいです☆ カブさんの言ったことから推測すると最初からそれが目的のようですね☆ 靴は新しいのを買ってください☆」
スマ子は律義に全員に回答する。
「一難去ってまた一難、か……」
「年寄り臭いこと言ってないで、これからどうするか考えましょう☆」
少しきつめの突っ込みをスマ子から貰った流星は、生き残るために考えを捻ろうとする。
「敵の詳しい情報が知りたい。スマ子、敵は本当にあのビルにいるのか?」
流星が考えを思い付く前に、CPがスマ子に再度問いかける。
「そのはずです☆ ちょっと視認出来ないかやってみます☆」
一同は伏せたままで南東の方角に向かう。
屋上は二クラス分程の広さ、縁は高さ五〇センチくらい、その縁の向こうに転落防止用の高さ約二メートルのフェンスがある。屋上といえば学園物の定番の憩いの場所だが、山田高校は特に重要な施設と見なさなかったのかあまり手入れが行き届いておらず、学生がやってくることは稀だ。自由に出入りできるが、好んでここに来る学生を流星は知らない。
無事南東の縁に辿り着いた面々。流星はスマ子に言われ、既に穴のあいた靴を放り投げる。放った靴は空中で一度軌道を変え、屋上の床に落ちる。無残にも穴の増えたスニーカーを見ながら流星は溜め息を吐く。
「穴の開いた靴に未練を感じてるんじゃありません☆ どの道もう履けないでしょう?」
その様子を見ていたスマ子が流星を諭す。
「いやわかってるよ。わかってるんだけど、今日何履いて帰ろうかな、とか、結構気に入ってたんだけどな、とか思っちゃうわけだよ」
「靴の穴の空き方から考えても狙撃地点はあのビルです☆」
流星のことなどお構いなしでスマ子は淡々と事実を述べる。スマ子が指しているのは市内でも有数の外資系企業の中富商事の自社ビルで、屋上にヘリポートを備えているナカトミビルディングだ。そのヘリポートに敵スナイパーがいる。
「困ったな……。ここから逃げるにはそこのドアをぶち破るか、フェンスを乗り越え下に降りるか、しかない。ドアを破るには立ち上がらないといけないし、乗り越えるなんて恰好の的だ。レイがいれば床を破壊することも可能だっただろうが……」
「させないよ、そんなことは」
特に何の感情も見せずに人の通う学校を破壊しようとするCPに、流星はすかさず横槍を入れる。
「あっ☆ ヘリポートにいるのはやっぱりドゥカティさんですね☆ 構えているのは……ベレッタ501でしょうか?」
「持ってる銃まで見えるのか?」
流星は屋上の縁から顔を少し出し、ビルに目を向けるがドゥカティの姿は見えない。
「媒体であるスマートフォンのカメラのズーム機能を最大限に強化すればなんとか☆」
突如流星の近くで壁が炸裂する。散った破片が流星の顔面にかかる。
「中々の腕持ってるじゃないか……」
流星は引き攣った表情で強がりを言うが、その実心臓は早鐘を打っている。
「いやいや、一流のスナイパーならワンショット・ワンキルでしょう☆ 付け入る隙はあるはずです☆」
「そうだな。一つ案が浮かんだんだが、みんな聞いてくれるか?」
「聞かせてくれCP、いつまでもこうしてはいられない。あんまり授業をさぼるとまた委員長に怒られる」
一同は修学旅行の就寝前のお喋りのように伏せたままで顔を寄せてCPの案を聞く。
「私の案は案と言える程大したものではないが、この場にいる面々なら何とか出来ると思っている。さて、一般にスナイパーに対抗できる者は、その射程からスナイパーしかいない。ハコ、以前の戦闘でやったように今度は狙撃銃を形成してくれないか?」
「えー……ていうかさっき流星が銃は使うなって言ってたじゃん……」
「いやこの状況は想定外だ……。ライフル使ってもいいよ」
ビルまでは相当な距離がある上に、こちらはこの場から動けない。ハコがスナイパーライフルを持てば、状況は対等に近くなる。しかし、ハコ自身はそれほど乗り気ではない。
「そう……まあ、それしか方法なさそうだし、やるよ……パーシャル・アームド……」
渋々了承したハコの全身が光に包まれる。発光が収まった後、ハコの両手にどこかで見たような狙撃銃が姿を現す。
「何故ドラグノフ?」
ハコが抱えている銃は旧ソ連で開発されたセミオートマチックライフルだ。
「名前が恰好良かったから……そもそも今はこれしか具体的にイメージ出来るスナイパーライフルがなかったし……」
「ハコちゃん! 足が!」
スマ子がハコの異変に気付き声を上げる。ハコの右足が太股の半ばまで消えているのだ。
「ちょっとパーツが足りないから自分ので代用した。重心が定まらないから余計パイスナし難くなっちった……」
ハコは冗談っぽく言う。しかし、こうなることが予想出来ていたから、力にはあまりなれないことがわかっていたから、乗り気ではなかったのだ。
「大丈夫だ。私達がカバーする」
「言ってくれるねぇ」
ハコはそう言いつつ縁石にライフルを据え、スコープを覗く。ここで流星の頭に疑問が浮上する。その疑問を解決する前にハコは引き金を引く。バスン、という重い音と共に銃弾が発射される。ハコは撃った瞬間、片足がないことにより安定した姿勢をとれず、リコイルで体勢を崩す。
「外れましたね☆」
スマ子は冷静に観測手の役割を果たす。ここで流星は疑問を解消しておくことにする。
「ドラグノフの有効射程ってどれくらいだ?」
「八〇〇メートルとされていますが、実際のところは六〇〇メートルです☆ 風圧、減衰の影響で八〇〇メートル離れたターゲットに着弾させるのは至難の技かと☆ ちなみにあのビルまでの距離はGPSで調べたところ約八〇〇メートルです☆」
「……それでハコの普段のFPSでの戦闘スタイルは? スナイパーについてどう思う?」
「SMGとかPDWを持って単身突撃。芋砂は死ね」
芋砂とは一か所に留まり、他プレイヤーを狙撃するプレイスタイルの通称だ。そのスタイルはスナイパーとしては間違っていないのだが、あまり歓迎されるものではない。
「狙撃戦で勝てる要素がない……。くそっ! ゲームだったら俺の神懸かり的スナイピングを見せてやれるのに……」
流星はFPSでは狙撃手を好んで使用するタイプだ。今まで何度となく心ないメッセージをいただいた経験がある。それほど卑怯な手を使っているわけでもないのに、スナイパーというだけで嫌われる傾向にあると流星はいつも思う。
「……あーもう! 今日はやりたくないことばっかりやらされる! この手は使いたくなかったのになぁ……。流星、あたしを使ってあいつを倒して」
「ちゃんと説明してくれ……」
ハコは何やら覚悟を決めて言ったようだが、流星は全く理解できない。
「あたしの媒体はゲーム機じゃん? だからさ、コントローラーを使えばあたしを操ることが出来るんだ」
「そんなことが……でも本当は嫌なんだろ?」
「めっちゃ嫌だけど、今のあたしじゃあいつを倒せない……。流星だから許す……だから、ちゃんと仕留めてよ」
そう言うとハコは自らのスカートの中に手を突っ込み、XBOX360のコントローラーを取り出す。流星は手に馴染んだ流線形のコントローラーを手にする。
「そこから出すんだ……」
「ちょうどこの位置にあっただけだよ?」
コントローラーのケーブルがハコのスカートを浮かせ、危険が危ない状態になる。ハラハラする流星をよそにCPが話を始める。
「舞台は整いつつあるな。最善の結果を出すには最善の努力を要する。私とスマ子は二人をサポートしよう。スマ子、君が見ている映像を私にも転送してくれ。あと風の強さと風向きの情報を随時頼む」
「了解です☆」
今要請した情報を手に入れたCPはおもむろに制服の背を捲りあげる。
「ちょ、ここは学校だよ? こんなところでまずいって!」
「よく見てくれ」
「よく見ろ、だなんて意外と大胆……ってモニター?」
真面目なCPがこのタイミングでふざけるわけがない。CPの背中のモニターにはスマ子が見ている拡大されたビルの映像が映っている。幾分か画質が粗いが、そこにはドゥカティの姿が見とめられる。
「ハコ、悪いが連結させてもらう」
「あっ! 勝手に!」
CPはドラグノフを構えたままで抵抗できないハコの左手のコアストーンにコードを接続する。直後、CPの背中のモニターに映っている映像が、まるでFPSの画面構成のようになる。
「マルチプラットフォームで良かった。情報を再構成してゲーム画面に近づけた。こちらの方がやりやすいと思ったんだが、どうだろう?」
「最高だ。これなら俺のポテンシャルを最大限に発揮できる」
こんな状況なのにも関わらず、流星は自らが高揚していることに気付く。実銃、ではないが現実世界でカウンタースナイプが出来るなんて、夢にも思っていなかった。
「流星さん、テンション上がってますね☆」
「さて、反撃を開始しようか。レッツ・ロックンロール!」
「あいたたた☆」
流星がキメ顔で言い放った言葉にスマ子は腹痛を感じたようなリアクション。
「流星、恥ずかしがるなら言わなくても良かったのでは?」
言った後で急に羞恥の心が芽生えた流星は、コントローラーを握りしめたまま屋上の床に顔を伏せる。CPの冷たいツッコミが突き刺さる。
「あたしは流星のそういうとこ好きだけどなー。同じものを感じる」
「さっ! 気を取り直して、始めましょうかね!」
「その前に流星、どれほどの弾速・威力・軌道の減衰が起こるか実際に見てみたい。適当に撃ってくれないか?」
CPからの提案があったので、ヘリポートにあった電灯に狙いを定めてコントローラーのR2ボタンを引く。放たれた弾丸は一度浮き、次に大幅に沈み込み、大きく電灯を外れ、ビルの壁面を穿つ。
「ビル壁面に着弾を確認☆ ターゲットから下方三メートル、左に一メートル半のずれ☆」
「なるほど……。この風速ではこれだけ変わるのか……」
CPは一人でぶつぶつ言いながら何事かを考えている。
流星はCPモニターに目を向ける。しかし、ドゥカティの姿はない。どうやら移動したようだ。こちらの詳細な状況が相手に伝わったということはないはずだ。それでも移動したということは、撃ってからポイントを変えるという狙撃戦の基本を相手が理解しているということだ。
「こっちも移動しよう」
流星達は這うようにして屋上を十メートル程移動し、再びセッティングをする。流星はハコを操作し、スコープを覗くがドゥカティの姿は発見できない。しかし、相手もこちらの姿を見失ったのか、こちらを焦らしているのか、それから長時間、膠着状態が続く。食い入るようにモニターを注視している流星の頬を汗が流れる。巨大な入道雲が太陽光を遮り、流星達を日陰に落とす。その場の誰もが特に何を言うでもなく、緊迫した時が流れる。
焦れた流星は皆に話しかける。
「先に仕掛けるか?」
こちらが撃てば相手に居所がばれ、ドゥカティは発砲をしてくるだろう。そうすればこちらも相手の場所がバレる。しかし、先手を取られる可能性が高まる。なるべく危険を冒したくはない。しかし、先ほど流星は穴の空いたスニーカーを放り投げてみたが、相手は誘いに乗ることはなく、靴は屋上に転がっただけであった。危険を承知の上で現状を打開するために動くか、相手が動くのを待つか。
「仕掛けようよ。このままじゃ日が暮れちゃうよ」
射手が最も危険なのにも関わらず、ハコはそう言う。
「仕方ないな……。全員今以上に身を低くしろ。さすがにもう外してはこないだろう」
CPがそう言ったので、流星はコントローラーを握り直し、ドゥカティがいそうな場所にドラグノフの弾丸を放つ。先ほどの試し撃ちの弾道から目算して撃った弾丸は、狙った地点からわずかに横に流れる。風だ。先ほどよりも風が強くなった。
こちらが撃ってわずか数十秒、ドゥカティが撃ち返してきた。相手はこちらよりも多くの弾丸を撃っている、軌道修正は既に済んでいる。金属と金属の擦れ合うようなギィンという音がして、苦痛に歪んだ顔をしたハコが声を漏らす。
「左手にかすった……」
CPが尚もドラグノフを構えているハコを屋上の床に押し倒す。ハコの後ろにいた流星の耳元わずか数センチを何かが掠めて行った。ドゥカティの放った弾丸が屋上の入り口の鉄扉に痕を残している。流星はコントローラーを取り落とす。
「流星! ハコは今お前に全てを預けているんだぞ! しっかりしろ!」
外部の者がコントロールをしている間、ハコは自らの意思で動けない。CPがハコを押し倒さなければハコは……。
「皆さんもう一度場所を変えましょう☆ 仕切り直しです☆」
スマ子の提案を飲み、一同は再び移動し、ドゥカティの姿を探す。
流星の目はモニターを眺めてはいるが、ある感情に支配されていた。
それは恐れだ。自らの命が危険にさらされているのだ、当然の反応といえる。自宅においての戦闘ではそこまで危機感はなかった。しかし、先ほど耳元を弾丸が掠めてからというもの、震えが止まらない。死にたくない、という感情が初めて現実的なものとして認識された。それは十六年しか生きていない少年にはあまりに重い感情だ。
「流星、しっかりしろ」
CPが流星をデコピンする。流星の思考は中断される。
「あいたっ!」
「目が覚めたか? 大丈夫だ、何が何でも流星だけは家に帰す。でないとウチのリーダーが嘘つきになってしまうからな」
「そうです☆ そうはさせません☆」
「一応ウチのリーダーだから顔は立てないとねー」
三人は苦境にありながらも、流星を励まそうと明るく言う。流星は自らの情けなさに涙が出そうになる。そして先ほどまでの弱気を振り払うようにこう言う。
「流星だけは家に帰す? そうじゃないだろ? みんなで、一緒に、帰るんだ」
「よく言いました! それでこそわたしが見初めた男です☆」
飛びつこうとするスマ子をひょいっと持ち上げ、元の位置に戻す。
「また変な事言いだしやがって。よし! 次でワンショット・ワンキル決めるぞ」
「今のは割と本心ですよぉ☆」
スマ子の言うことには耳を貸さず、流星はコントローラーをしっかりと握り直す。
モニターにちらりとドゥカティの影が見える。
先ほどのショットでもう勝った気でいるのか? 流星の心に闘争心がふつふつと湧きあがる。
「山田高校のシモ・ヘイヘと呼ばれた俺の実力を見せてやる……」
モニターを睨みつけるように見つめる流星。
突然CPがハコの左側に寄り添う。
「何だよ急に!?」
「先ほど左手を負傷しただろう。安定したショットを撃つためだ我慢してくれ。流星、私の合図でトリガーを引いてくれ」
嫌そうにするハコなどお構いなしでCPはドラグノフに自らの左手を添える。
「任せろ。必ず当てる」
ハコは諦めたように溜め息を一つ吐き、スコープを覗く。流星は照準をドゥカティの隠れている場所に据える。
それからは静寂の時。その間にも流星の、みんなでこの局面を切り抜けたい、という思いは大きくなっていく。
一際強い風が吹き、止む。
「今だ!」
こちらを窺おうと少し顔を上げたドゥカティが照準に合う。流星は引き金を引く。
銃身から発射された弾丸は校舎とビルの間を駆ける。あと少しでターゲットを捉える、というところで、ビル風が弾丸を襲う。長距離で勢いの失った弾があの風に煽られて無事でいるはずがない。CPは外れた、と確信する。
「当たれぇぇぇ!」
流星がそう叫ぶが、意気込みや気合で狙撃戦の勝敗は決さない。
CPは次の作戦を立てようと頭を働かせ始める。
「ターゲットに着弾を確認☆ ドゥカティさんの銃を破壊☆ 彼女も負傷したようです☆」
「……!」
CPは驚いて、映像を確認する。事実、流星の放った弾丸はドウカティの肩口を射抜いている。
しかし、それはおかしい、あの風を抜けてターゲットに当たるなんてことはあり得ない。それにドラグノフで撃った弾丸でこの距離だ、銃を破壊した上で、射手にまで手傷を負わせるほどの威力があるはずがない。CPが疑問を解決するヒントがないか辺りを見回すと、流星の左手がぼんやりと黄色く光っていることに気付く。直ちにヴォルテカの反応を示すインジケータに問い合わせる。それは今までにない高い数値を叩きだしている。
……こういう状況を日本の言葉では『灯台もと暗し』というのだったか、とCPは思う。
「よしっ! 今のうちに扉を破って逃げよう!」
CPの考えていることなど知らぬ流星はそう皆に声をかける。一同は立ち上がり、鉄扉に殺到する。鉄扉は三度目の体当たりでこじ開けられる。流星、スマ子、ハコ、CPは無事に屋上から脱出する。ああ見えて慎重派のドゥカティは、被弾した状態ではもう襲ってはこないだろう。
タイミングを計ったように授業終了のチャイムが鳴る。




