5 新たな住処
扉はギィっと小さな音を立てて開いた。なかなか雰囲気がある……。
店内は十年誰も住んでいないにもかかわらず綺麗に整っている。最近誰かが掃除でもしたのか、埃も被っていない。テーブルと椅子が隅に積み上げられていた。
(あれが噂のピアノね)
店内の一番奥に小上がりのピアノステージがある。問題のピアノは噂通り綺麗に磨き上げられており、どう見ても十年放置された物ではない。
(みーつけた)
もしかしら幽霊かも……なんてドキドキはすぐさま消え去った。ピアノの足元にブラウニーがいたのだ。こちらを睨んでいる。
「《お前、人間がいなくなったのに家にいついてんのか?》」
ぶっきらぼうにアーサーが話しかけると、バルのブラウニーはビクッと小さな体を大きく震わせた。ホテルのブラウニーと少し似ている。親戚かもしれない。
アーサーは妖精王を自称するだけあり、他の妖精達から恐れられているのだ。何をしているわけではないのに、毎回最初はこの反応。
「《……ピアノを持っていかないで……!》」
震える声で必死に訴えていた。
「あの……どうでしょう……」
ピアノと私を交互に見ながら、アリロベは緊張した面持ちで尋ねた。
「ええいますよ。可愛らしいのが。ピアノが大切なだけみたいです。悪いものではありません」
人間に怪我をさせたという話だが、この感じだとピアノを守ために抵抗しただけだろう。
「やっぱりいたんですか!!」
カッと目を見開いて頬が赤くなる。それはもう嬉しそうに。ブラウニーもアーサーも彼に怪訝そうな視線を送っていた。
「……そんなあっさり信じてもいいんですか?」
つい苦笑しながら尋ねてしまう。こうもアッサリ信じられると、私の方が彼の正気を疑ってしまう。大変失礼な話だが……。
「いえ、本当にずっとずっと気になっていたんです。皆は不気味がっていましたが、あのピアノの音を聞いた時、自分はそうは感じませんでした……可愛らしい妖精なら納得です」
腑に落ちました、と心底ホッとしているようだった。
「まだいますか?」
ピアノの方に向き直ったアリロベは、落ち着きを取り戻したのか優しく微笑んでいる。
「ええ。緊張しているようです。またピアノが持っていかれるんじゃないかって」
「大丈夫ですよ。売主は店内のものはずっとそのままに、とおっしゃってたので」
買い手に全て引き取ってもらうと言う条件で価格も安くなっていた。この周辺の住人はここが“いわく付き”であることを知っているので、隠すことは早々に諦めているのだそうだ。
「《……しばらくは大丈夫って意味?》」
「そうだよ」
私は開き直ってブラウニーに返事をした。アリロベはワクワクしているようだったが、私も人前で妖精と会話することに慣れてはいないので必要最低限だ。
(ブラウニーと住居付き店舗か~悪くないわね)
家が好きなのか人間が好きなのかはわからないが、ブラウニーという妖精は人間の生活を助けてくれる。家事仕事だけではない。屋敷にいたブラウニーは家畜の世話や庭仕事までこなしていた。この十年無人だった店の現状を見るに、このブラウニーもキッチリ仕事をこなすタイプだろう。私に不都合はない。
(むしろありがたいわ!)
なんせお嬢様暮らしが長かった。手伝ってくれる妖精がいるなんて万々歳じゃないか。私の顔がニヤついていたからか、ブラウニーもアリロベも首を傾げているが、気付かないフリをして店内をぐるりと見渡す。
(広さもちょうどいいわね)
広すぎず、そして狭すぎず。席数を調整すれば一人でなんとかなるだろう。
「《居住スペースも悪くなかったぞ! 部屋数もあるし、状態も……このブラウニーがちゃんと管理してたんだな》」
いつの間にかアーサーは先に進んでいたようだ。ずるいぞ! 私も早くみたい!
そう、私たちはすっかりこの元バルを気に入っていたのだ。ということで、
「ここにします!」
アーサーも納得の微笑みを浮かべている。この新しい城に文句はないようだ。
「もちろんピアノはそのままで」
「《……!!》」
ブラウニーはピョンピョン飛び跳ねて喜んでいた。我々を受け入れてくれるようで一安心だ。
「ありがとうございます! ああ、妖精のいるお店……楽しみですねぇ!」
職務を全うできた上、長年の疑問も解消できたアリロベも小さな子供のように無邪気な笑顔になっていた。
その後は改装の相談だが、ここまで状態がいいので、大きな工事が必要なければそれほど時間はかからないだろうという話だが……。
「……修行しなきゃ」
「《なんの修行だ?》」
「カフェ運営の!」
「《今更!!?》」
ホテルの部屋に戻って、突然ぐだぐだ言い出した私に、アーサーは驚いていた。このタイミングで何を言ってるんだお前は、と。
実はこの計画を立てた時からうっすらと頭の片隅にあったのだ。前世の知識を使って経営無双! なんてことは私にはできない。
「いや、前世でカフェ巡りは趣味だったし、料理はわりと好きだったからやってたんだけど~……」
「《……だけど?》」
呆れ声のアーサーから視線を逸らし、
「実務経験がほとんどないんだよねぇ~」
あははと笑って誤魔化す。アーサーは、どういう意味かわからないのか目を顰めていた。
「友達に頼まれて短期でアルバイトはしてたんだけど、キッチンじゃなくてホールだったし、全部一人でやるってことはそれとはまた違うわけで~」
「《つまりやりこなせる自信がないってことか?》」
「正確にはちょっと自信が足りないって感じかな~……」
要するに見切り発車だったのだ。まあでも、とりあえず新しい何かのために動き出したかった。あの腹立たしい出来事をさっさと過去のことにしたかったのだ。
「《オリヴィア、たまにそういうところあるよな》」
ぷっと吹き出して自称妖精王は笑っていた。
「《まっ! なんとかなるだろ! 俺もいるしな!》」
「そうだねぇ~心強いわ~」
おちゃらけて返はしたがこれは本心。やはり、味方が文字通り側に居てくれるというのは心の支えになっている。アーサーの言う通り、なんとかなるだろう。ならなかったら、その時はその時だ。
私の修行の場は、あのおしゃれな回転ドアのある、カフェ・リアンフロンに決まった。




