37 生まれ育った場所
久しぶりのランドルフ家の屋敷は真っ暗に静まり返っていた。無人だと分かっていても、やっぱり少しばかりの寂しさがある。あれだけ華やかだったのに。
「けど……」
「思ったより荒れてないな」
うん、と頷く。アーサーの言う通り、周囲から伝え聞いていた話から想像すると、ランドルフ家の屋敷は荒れ放題でもおかしくはないのだが、
「ブラウニー達が張り切ってくれてるのかも」
使用人達もいないはずなのに、敷地全体に不思議と清潔感がある。
ちなみにランドルフ家、現在当主不在。長年の国への貢献を理由に爵位剥奪だけは免れたが、血縁の近い人間はすでに私のように飛び火を恐れて見切りをつけており、かといって遠縁の人間は火中の栗を拾うようなことをしたがらず……全員が消極的。これからどうなるやら……。
「《これほどアッサリ辿り着けるとは……!》」
デュラハンは大袈裟に体をのけぞらせた。散々探していた場所が、アッサリ見つかったからだ。
「誰かさんが二番街全体に力の強い妖精が入り込めないようにしてたんだろ」
一瞬ムッとした後、ふう……と息を洩らしてアーサーの表情が元に戻る。少し前の態度から考えるとずいぶん冷静になって来たのかもしれない。
「あ~! アーサーが三番街に張ってくれた結界と同じやつか!」
「《なんと! それでは妖精女王もこちらに!? いやはや、確かに今の帝都は面白いことになっておりますなぁ!》」
はっはっはっと豪快な笑い声と共に体が揺れている。黒馬から降りたデュラハンは、失礼いたしますと呟きながら門をすり抜けていった。
「俺達も行くか」
アーサーが呼び出したシルフィの風に包まれて私の体がふわりと浮く。そのまま彼に手を引かれて、門の上を渡った。
「こんな楽しく実家に帰ったのは久しぶりかも!」
「ま。目立つからな」
ゆっくりとつま先から石畳の上につける。衛兵や警備兵達はアーサーがうまく誘導し、今はすこし離れたエリアにいるので、気楽さもあった。以前はわざわざ屋敷に戻るなんて……と思っていたが、この屋敷もどうなるかわからない。プライドも邪魔をしていた。これが最後の里帰りかも、と思うとセンチメンタルな気分にもなるというものだ。
(……出て行くときにはもう二度と戻らないって思ってたんだった)
私は父の遺言で夏季を除き、領地より帝都で暮らすようにと言われていたので、人生のほとんどをここで過ごした。叔父についた家臣達よりも、色んな立場の人間がいる帝都の方が、私にとっては暮らしやすいと考えてくれての事だろう。
「《ああ! あの東屋! あそこでよくボードゲームをして遊んだものです……いつも新しいものを用意してくれていまして……あれは楽しかった……》」
彼は負けず嫌いでね……と、楽しそうに思い出を語る大きなデュラハン。黒馬も目を細めて主人に寄り添っていた。
「……私達、少し他を見てきますね」
死を告げる妖精の、じっと東屋を見つめている(ような)背中が小さく見える。しばらくその思い出に浸る時間も必要だろう。
「《……感謝申し上げます》」
ゆっくりと……もう存在しない我が高祖父がいるかのように、東屋に置いてある大きな椅子に腰かけていた。
「行こっか」
私同様にその様子を眺めていたアーサーに声をかけ、屋敷の入口へと向かう。鍵は内側から簡単に開いた。アーサーが何かしたわけではない。
「《オリヴィア! 久しぶり!! 帰って来たの!!?》」
ピョンピョン飛び跳ねながら出迎えてくれたのはランドルフ家のブラウニー。主に大広間や食堂周辺をなわばりにしていた。フォルテよりも背が少し高い。
「ごめんね。ちょっと寄っただけなんだ」
「《なーんだ》」
チェッと残念そうにした後、
「《散らかさないでね!》」
とだけ言って奥へと去って行った。忙しいのだろう。
「流石に美術品なんかはなくなってるわねぇ」
大きな玄関ホールがさらに広く見える。
「けど肖像画なんかはそのまんまだな」
「バンディッド家がちょっとだけ手を回してくれたってニルスが言ってたの、こういうことかも」
この屋敷がランドルフ家の屋敷として残っていられるように。まあ価値の高い美術品なんかは、払われなかった税金の代わりに持っていかれのはしかたのない。
そのままアーサーと二人で並んで屋敷の中を散歩する。時々、顔見知りの妖精達が声をかけてくれるが、私達が家主として戻ったわけではないとわかると、不満げに口を尖らせ持ち場へと帰って行った。
「悪いことしちゃったかな」
思っていたより、私がこの屋敷の妖精達に必要とされていたことが今更嬉しい。同時に罪悪感もわく。あの日、私はそんなこと私は考えもせずにこの屋敷を出て行ったのだ。薄情だったのではないか、と今更気付く。
「んなこと気にするようなやつらかよ。オリヴィアが好かれてたのは間違いないだろうけど、だからって俺みたいについて行こうとはしないやつらだ。それが妖精だ」
そう口にした後、アーサーの顔が赤くなる。
「ついてきてくれてありがとう」
「ウッ! そ、それはお前のとこが一番面白そうだったし……その……」
ごにょごにょとわかりやすく照れていた。
屋敷の三階にある私の部屋へと向かいながら、アーサーはゆっくりと話し始める。こっちを見るなよ! といいながら。
「正直に言う……俺は記憶を取り戻したい。いい加減この状況にうんざりしてるんだ。……なのにまだ、真実を知るのが怖い……」
一瞬、アーサーの方を見そうになったがグッと首に力を込めてそれをとどめた。
「……何を知ってるかは話せる?」
「俺の妻を名乗ってる妖精女王ってのがいること。それからどうも……俺の力が漏れ出ていること……」
どうコントロールしようと思ってもどうしようもない、ということも。
「妖精を感じ取れる人間が増えたのはこのせいかもな……レムナントの関係者が多い……それに食堂のばーちゃんには、最近よく話しかけられてたんだ」
俺絡みばかりだ……と小さな声だった。
「あとは……さっきから……あのデュラハンに名前を呼ばれたあたりからだな……俺の中にナニカがいるっていう感覚が確かにある」
聞いたことのないアーサーの声。困惑と悲壮感の合わさったような。
デュラハンは先ほどアーサーに対して『他の名前もある』と言っていた。彼はその時、それが『真名』であると考えていたそうだ。記憶を失っている自分自身だと。だが、
「明らかに俺とは違うナニカだ。手触りが違う……魂の在り方が……違う……これはなんだ? 俺は……なんなんだ?」
二千年もの間、妖精王を体内に抱き彷徨っていた。『妖精王』として。分離すれば、彼はそうではなくなる。『アストラ』と『オベロン』になるのだ。私も急に怖くなってきた。『アーサー』がそのことに耐えられないんじゃないかと。
(自我の崩壊……)
そもそもの話を考えていなかった。無事に『オベロン』と『アストラ』が分離できたとして、彼は……『アーサー』は?
(アストラに主導権があるってティターニアは言ってたわよね)
つまり今、アストラが『アーサー』になっている。分離した後、彼の自我はどうなってしまうんだろう。彼は彼でなくなってしまうのだろうか。
(アーサーの表情、ティターニアが見せてくれたオベロンと似てる時があるし……)
性格だってオベロンの影響がないとは思えなかった。なんせ彼らは二千年、融合しているのだ。二千年、一緒にいるのだ……。
「ねえアーサー。そっち向いてもいい?」
私が暮らしていた部屋も大きな家具を残してスッキリとしている。新しい入居者を待っているようだ。だが、窓の縁についた傷や、ちょっぴり焦げた床はそのまま。……アーサーが精霊達を使って私の部屋で遊んでいた痕跡だ。
「ん」
小さな返事の後、ゆっくりと向かい合う。アーサーの目には涙が溜まっていた。それからゆっくりと、
「記憶を取り戻したら……俺が俺じゃなくなってしまうんじゃないかって……それが怖い。今は変わるのが怖い。なのに、自分が何者かわからないのは不安で不安でしかたがないんだ……」
実体化は何も怖くなかったのに。これまで怖いものなんてなにもなかったのに。と、一生懸命に今の不安を言語化していた。
(アーサーがアーサーじゃなくなったら、私はどうするんだろう)
どうしたいんだろう……と考えた瞬間に、答えは出ていた。
「アーサーが何者でも、私はアーサーと一緒にいるよ」
アーサーがそうしてくれたように。人生のほとんどをアーサーと過ごしている。辛い時も、楽しい時も。これからもそうしていたい。
「本当か!?」
その答えに食いつくようにアーサーが私の両手を握り締めた。
「うん。誓うよ」
目を見て、彼が安心できるまで何度も伝えた。
「ずっと一緒にいる。アーサーがそう望んでくれるなら」
うん……と小さな声を漏らして、アーサーの頭が私の肩に触れる。足元に、小さな水滴が落ちてきたのが見えた。それからしばらく、私は月明かりだけを眺めていた。
◇◇◇
「最近は怖いものが増えてるんだ」
「そっか。他に何が怖いの?」
照れくさそうに顔を上げたアーサーの声は落ち着いている。一番の不安が解消できたのかもしれない。
「オリヴィアが俺を残して死ぬこと」
それから、窓の外に見える東屋に視線を向ける。デュラハンの影と黒馬が見えた。
「……あれは俺の未来の姿だ」
言葉の割に、同情しているわけでも、悲観しているわけでもなさそうに見える。
それから今度はアーサーが私の目をしっかり見つめ、
「オリヴィア。俺は、人間になる方法を探してる」




