33 世界の危機に妖精王は
芳しいコーヒーの香りが店内に広まる。開店前、フォルテが手際よくカップに注いでくれたそれをチョコレートドーナツと一緒にいただくのが、最近私のお気に入りルーティーン。ちなみにアーサーとルーネはカフェオレと、来週から出す予定の期間限定のジャムとクロテッドクリーム付きスコーンを。
「やっぱりジャムはもう少し多めがいいと思うぞ。もっとたっぷり付けて食べたい!」
「ワタシはクロテッドクリームの方が好きだがね。ジャムはほら、余った分をパフェに使って……」
「《パフェはまだ先だよ。この間話し合って決めたでしょ!》」
「う……うむ……」
フォルテにピシャリと言われてしまい、ルーネはシュンと小さくなった。彼はパフェが気に入ったらしく、自分で大きめのグラスカップに色んな甘いものを積み重ねて楽しんでいる。
「そう……? ならやっぱりジャムもクリームもどっちも増やす? ……けどそうすると価格がなぁ」
「それぞれ別料金にしたらどうだ?」
「うーん……」
ウンウンと唸っているが、こういう悩みは大歓迎だ。楽しくて仕方ない。それは、カフェ・レムナントの従業員全員同じようだった。
(たんのし~~~!)
だが、こんな平和な日常は長くは続かない。
「失礼」
「うわぁっ!!」
どこからともなく現れたのはクロ。いつの間にかカウンター前に突っ立っていた。
「お前、普通に扉から入って来いよ……」
「開店前でしたので」
はははと軽やかに笑いながら、クロはアーサーに意味ありげに目くばせした。
「……開店前には戻る」
「はーい」
と、返事をしてみたはいいが、私は内心面白くない。二人はそのまま裏庭へと出て行った。
(こんなあからさまにコソコソ話する!?)
とはいえ、なんとなく内容は察していた。おそらくアーサーは自分自身についてクロに調査を頼んだのだ。これまでは自分に記憶がないことも、『妖精王』という存在が曖昧であっても特に気にしていなかったのに。
(……何かあったのかな~)
私が幼い頃からずっと変わらなかった。けど、ここ一年は……身体まで手にしたわけで……。
「……さ! 開店準備進めようか」
と言いながら、ぼぉっと食器を洗っていたせいか、ルーネが少しおどけるように、
「なに。心配することはない。アーサーは何があろうとオリヴィアの元へ戻って来る」
そういう習性なのだと、大袈裟に慰めてくれた。
「《オリヴィア! そろそろ時間だよ!》」
「は~い」
フォルテに促され、店の扉へとゆっくり足を進める。だがその瞬間、私は小さな違和感を感じた。具体的には、そっと小さな風が頬を撫でたのだ。目の前の閉じたままの扉の方から。
「《あら。なかなか勘がいいのね》」
「あ、あなたは……!」
風の流れを追うように振り返ると、そこにはあの美妖精が。薄っすらと微笑を浮かべたまま宙に漂っていた。
「……今日は……あの、ライオネル……様は?」
何を話していいかわからず、反射的に出て来たのはライオネルの名前だった。関係者であることは明らかなので、このどういう立場にいるのかわからない美妖精との仲介役として、是非いて欲しい人物だからだろうか。
「《あの子、すぐ大騒ぎするんだもの。今日はお利口に留守番しているはずよ》」
やれやれ困った子! と、楽しそうな口調だった。あの大柄な彼を子供扱いするとは……やはり大物であることは間違いない。
「《自己紹介が遅れてごめんなさいね。私はティターニア。もう一人の妖精王》」
余裕のある、まさに王に相応しい声が届いた。フォルテも、そしてルーネも驚きすぎているのか固まってしまっている。
(妖精王!? もう一人の!?)
思わず脳内も体言止め。
(アーサーのことも知ってる風だったのは同じ王様だから!?)
(いや、そもそも妖精王って……まさかルーネが言っていた妖精女王ってティターニアのこと……!?)
点と点が繋がった瞬間だ。
なんて場合ではない。……パニックになりそうな頭を必死にコントロールする。感情も疑問も溢れてかえっているが、今はまだ我慢の時。でなければこの状況をさばききれないぞ、と私は本能的に感じていた。
「オリヴィア……アーレイドでございます」
ゆっくりと呼吸を落ち着けながら『妖精女王』に軽く膝を折って挨拶する。礼儀正しく振る舞うことで、こちらに敵意のないことを伝えたかったのもある。
「《可愛いオリヴィア。不安定な夫を預かってくれて感謝するわ》」
「おっと!?!?」
ああ駄目だ。決壊してしまった。
(おぉぉおおおおおっとって言った!? アーサーが夫!!!? この妖精が妻!? 結婚!? 結婚してた!? 既婚者!!? でも妖精女王!? 王妃じゃなくて!? どういうこと!?)
婚約破棄された時だってここまで動揺しなかった。無様に狼狽え、目があっちこっちに動く。何かに縋りたくて、フォルテとルーネに視線を送るも、彼らは驚いてすらいなかった。というか、微動だにしない。
「え……?」
「《ごめんなさいね。オリヴィアと話したくって。大人しくしてもらっているの》」
大丈夫よ。と、私の頬をそっと撫でる。前もこんなことあった。ティターニアは人に触れるのが好きなようだ。そして、触れらると不思議と心が穏やかになる。
「本日はどのようなご用向きでしょうか」
もちろんまだ緊張はしているが、今度は声が裏返ることもなかった。
「《オリヴィアにお願いがあるの。夫を取り戻すことに協力して欲しくって》」
「……それは、アーサーの記憶を戻すといういことでしょうか?」
「《それも必要。けれど、それだけではないの》」
ティターニアは自身の鼻先を私の鼻へとくっつけた。瞳の奥の奥まで覗かれて――私も彼女の驚くほど澄んだ瞳の中を見ることができたが――私の全てを知られたような気がしてくる。
「《オリヴィアが呼ぶアーサーという妖精について、ちゃんと知る覚悟はあるかしら?》」
「あります」
間髪入れずに返事をすると、ティターニアは嬉しそうにまた私の頬に触れた。暖かくも冷たくもないのに、ちゃんと美しい指先の感覚が伝わって来る。
(これはつまり、アーサーのことを事細かに教えてくれるってことよね)
既婚者という情報だけで動揺したというのに、自信満々な私の返事を聞いて妖精女王は疑ったのだろうか。まだジッと私の瞳を見つめている。だからここは正直に、
「ありますが……アーサーが自分で話すと言っていたんです。だから今は待っていたいんです」
こればかりは譲れない。信用問題の話だ。滅茶苦茶気になるけど……気になるけど!!
「《……そう》」
優雅に微笑むその姿はまさに女王の品格が漂っている。
「《人間って本当に可愛らしいわね。そんなことを気にするなんて……感情豊かで、表情がコロコロ変わって……人間が滅ばなくて本当によかったわ》」
それからティターニアは裏庭の方へと視線を向けた。つられて私もそちらの方を見る。
「!?」
アーサーとクロがいるはずの窓の向こうには何も映っていない。シャボン玉のような、幻想的な世界が広がっていた。
「オリヴィアが知りたくないのなら――覚悟がないのなら諦めようと思っていたの。でもそうでないのなら、二人の約束より世界の均衡を守ることを優先させてもらうわね」
「世界の均衡……?」
意識が遠のいていく中で重々しい単語を反復する。いったい何の話だ? 彼女が何を言いたいのか予想もつかない……いや、それは嘘。どこかで気付いていたのだ、私は。
(ライオネルが言ってたじゃん……アーサーは危険だって)
私の妖精王。ちょっぴり享楽的で、ちょっぴり過保護で、最近は実体化までして、一緒に暮らして、一緒に働いて……。
そのまま私は深い眠りについた。
◇◇◇
「おい!! どうなってんだ!!?」
裏庭へと続く扉をアーサーが大きく拳を振り上げて叩いている。だが、シャボン玉のような膜が全ての衝撃を吸収し音すらならない。
「この力は……」
眉間に皺を寄せたクロがスッと姿を消したが、
「……入り込めませんね。おそらく件の妖精女王が中に」
猫又の特別な力をもってしても潜り込めないほど力の込められた結界が、カフェ・レムナント全体にかけられていた。
「オリヴィア!!」
アーサーの声はどこにも届かない。




