21 もう一人の妖精王
(《何かおかしい……結界が……歪んでいる?》)
カフェ・レムナントの周りには自称妖精王が張り巡らせた結界があった。これは数名の人間を惑わせる呪いで、具体的にはオリヴィアを嗅ぎまわる記者とバンディッド家、そしてランドルフ家の人間が対象だ。
「《誰かが張りなおした? いやでも……誰が? 何のために?》」
その後も三番街を飛んで周る。妙な気配がないか、妙な存在がいないか。しかし夕日が沈み始めた頃、
(《そろそろ一度戻るか。オリヴィアがまた大泣きしちまう》)
思い出す度に笑顔がこみ上げてくる。彼にはそれほど前には感じないが、まだ幼い姿だった頃のオリヴィアが、自分がほんの一週間出かけただけで、わんわんと泣いたのだ。前世の記憶があるというだけあり、姿は子供ながら思考はすでに大人だった彼女だが、この時ばかりは年相応の反応を見せアーサーを驚かせた。というより、自分が彼女にとってそんな存在になっていたことが衝撃だった。
(《この話すると怒るんだよな~オリヴィア》)
長らく気の向くままに世界を放浪していたアーサーは、その時心に決めたのだ。ずっとオリヴィアの側にいようと。彼女の生が終わるまで。それは最低二千年生きている彼にとって、それほど長い時間でもなかった。
帰り道、ホテル・アルカディアの前を通りかかったアーサーは、ふと思い立ってホテルのブラウニーを訪ねる。このお手伝い妖精は大抵ホテルのエントランスで宿泊客の様子を観察しているので、今日もすぐに見つけられた。
「《あ~! アーサーさまだ! 今日はオリヴィアはいないの?》」
久しぶりにアーサーにホテルのブラウニーも嬉しそうだ。オリヴィアは彼を何度もカフェには誘っているが、結局まだ一度も来ていない。妖精の時間の感覚は人間と違う。特にブラウニーは気に入った建物からはなかなか離れない。
「《最近何か変わったことがなかったか?》」
「《変わったこと?》」
キョトンとしたが、
「《それってアーサーさまくらい力の強い妖精のこと? それとも人間に見える妖精のこと?》」
「《は!? えっ!? なんだって!!?》」
ダメ元の聞き込みで、とんでもなく大きな衝撃が二発も飛んできた。
「《強い妖精はね~入口の外をフラ~ッと通ってたのを見ただけ。人間に見える妖精はうちのホテルに泊まろうとしたけどお金がなくて帰っちゃった》」
まるでただの日常の一コマかのような話しぶりだ。
「《次……そいつらまた見たら教えてくれるか?》」
「《いいよ~》」
アーサーの表情が陰っていた。彼にしては珍しい。そのままスピードを上げてカフェ・レムナントへと向かう。あと一つ、角を曲がれば帰れる、その時だった。
「《!!?》」
バチンと見えない何かに弾かれる。こんなこと経験したことがない。岩壁すら彼は通り抜けることができるのだから。
(《結界!?》)
やはり自分以外にもそれができるナニカがいたのだと、すぐにその透明な壁と距離を取り軽く手を振る。二体の精霊が妖精王の左右に現れた。
「《妙な気配のする奴が居たらかまわずやれ》」
雷の精と炎の精に指示を出す。だが、それと同時につむじ風が彼の周りを一回りし、
「《あらいやだ。二千年でずいぶんと荒っぽくなってしまったのね》」
奇妙など美しい妖精が突如、アーサーの目の前に姿を見せる。
「《……俺の知り合いか?》」
「《元気にしていたようで安心したわ》」
警戒を強め、さらに大地と樹木の精まで呼び出したアーサーなど気にも留めず、美しい妖精は妙に楽しそうに話を続けた。
「《自分の妻を忘れるなんて……と、言いたいけれど、しかたがな……》」
「《つ、妻!?》」
険しい表情から一転、アーサーは何とも間の抜けた顔へと変わる。
「《お前が俺の妻だって!?》」
「《そう。私はティターニア。もう一人の妖精王》」
そう名乗った彼女は、確かに妖精王の肩書に相応しい威厳を放っていた。なにより力は本物だ。アーサーは数秒、思考を巡らせた。
「《悪いが何も覚えてないんでね。で、何をしに来たんだ。二千年経ってようやく迎えに来る気になったのか?》」
動揺を消しさり、冷静に尋ねる。その姿がティターニアには面白くないのか、こちらも先ほどまでと違い、不躾な物言いで、
「《ちょっとあなたのオモチャに用事があって》」
妖艶な黄色い瞳がカフェ・レムナントの方を向いた。同時に、パリンと何かが割れる音が響く。何も見えないはずの通行人達がその音を聞いてキョロキョロとしていた。
「《あら》」
アーサーが瞬時に結界を破り、自称妻のことなど無視してオリヴィアの元へと向かう。ティターニアはキョトンとした後、小さくクスクスと笑っていた。
「《ふはっふふふっ……可愛いわねぇ》」
夫であるはずの男を追いかけることもなく、ただ後姿をしばし見送ったのだった。
◇◇◇
「ど、どうぞ……」
気まずい……が、来てしまったものはどうしようもない。とりあえず席へ案内し、コーヒーを出す。まだ片付けてなくてよかった。フォルテは遠巻きにライオネル・バンディッドを見ている。アーサーが置いていった精霊達はまるで私を守るかのように側にくっついてくれていた。
(心強いわ)
ライオネルは穏やかな気質のベンジャミンとは違い、昔から自分にも他人にも厳しいタイプ。私とベンジャミンの婚約破棄の際は、私にできるかぎりの支援を、と口添えしてくれたことは聞いているので、そのお礼を伝えると、
「我が家は君に謝っても許されないことをしたのだから、当たり前のことだよ」
「家は関係ありません」
ベンジャミンが悪い! たしかに、思うところがないわけではないが……。
(って言うか、『家』がっていわれたらランドルフ家はモニカがやらかしてるしね!)
お互い様になっちゃう!
このカフェを開くにあたり、なんだかんだとバンディッド家の力を借りたのは確かだ。なんせ、ランドルフ家は代替わりして落ちていく一方なので、元ランドルフ家の肩書じゃ世間への影響力がイマイチなもんで。
とは言え、バンディッド家に会えばどうしてもベンジャミンやモニカの顔が思い浮かぶので、一家全員アーサーに遠ざけてもらっていたのだが……。
(あ~結界がイマイチだったから最近不機嫌だったのかな?)
妖精の『呪い』なんて何も知らないが、なんとなく今回の件と繋がりを感じ、変なところでスッキリする。
「それで……本日はどのような?」
おずおずと尋ねる。あまりいい話ではない気配がして。
ライオネルの方は、コーヒーをじっと見つめた後、珍しく視線を合わせずに話始めた。
「……オリヴィアは違うかもしれないが、私はずっと君のことを気の置けない友人だと思っていたんだ」
そうなの!? と、驚くが口には出さない。
(確かに、内輪だけの時は気軽に話ができてたな)
第三者がいる時は、弟の婚約者もしくは伯爵令嬢として接してくれていたが、バンディッド家へ遊びに行った時はいつも彼は自然体だったことを思い出す。
私もライオネルとの会話は楽しかった。私と対等に会話をしてくれる人自体少なかったからだ。ベンジャミンはどちらかというと聞き上手で、あまり自分の意見を言わないタイプだったので、彼が私の事を『友人』だと表現してくれたことが今更嬉しい。
しかしそうなると、婚約破棄後も彼を遠ざけていたことにちょっと罪悪感が出てくる。
「ああすまない。困らせるつもりはないんだ……その、オリヴィアと正式に家族になれる日を楽しみにしていたということを伝えたくて。そうすればもっと気軽に話をしやすくなると思っていたから……」
悲し気に微笑んだ。バンディッド家は資産家なだけあって、その嫡子であるライオネルには有象無象が群がって来るというのは知っている。信頼できる友人が少ないのも理解できる。何の気なしに話せる相手は心の平穏のために必要だったのだろう。
(うわぁぁぁうちのモニカがごめんなさいぃぃぃ)
ベンジャミンも悪かったけど、モニカも同罪だから……! まさかこんなに私の婚約破棄を悲しんでくれる人が存在したなんて。
「よろしければいつでもここに遊びに来てください。本来、ライオネル様が来るようなお店ではないんですが……」
わりと美味しいもの出すからねうちのカフェ! 今日は残念ながらフード系は何も残ってないから出せないが。
「ありがとう。そうさせてもらおうかな」
元気を取り戻したかのように表情が緩んだ。だがホッとしたのもつかぬ間、
「本題に入らせてもらうよ」
今度はハッキリ私と視線を合わせた。
「オリヴィア。君といつも一緒にいる妖精王、彼は危険だ。すぐに離れた方がいい」
「へっ?」
間抜けな声が出た。
(なに? どういうこと? なんでアーサーのこと知ってるの?)
疑問がどんどん湧いて出てくる。
(え? ライオネル、妖精が視える……?)
いやいやいや、流石にライオネルが妖眼持ちなら気付く。それなりに一緒にいた。だいたい私は妖精が視えるという話は周囲にしてきたが、妖精王の話はしていない。アーサーと出会った頃はすでに『妖精が視える』と世間からどんな評価をされるか分かった後だったからだ。
「……なんで危険なんですか? 今だってずっと私を守ってくれているのに」
「すまない。君の妖精王を悪く言うつもりはないんだ」
思ってたより私はずっと低い声になっていた。
(アーサーのこと何も知らないくせに……私もだけど)
二千年前の記憶がない、享楽的な自称妖精王だ。
「正確に言うと、これから君の妖精王に何が起こるか予想ができないんだ。だが、記録を読む限り……」
「《記録を読む限りなんだよ》」
「アーサー⁉」
音もなく帰って来た私の妖精王が、ライオネルの前の席に座っていた。いつになく真剣な目をして。
(あれ?)
やはりライオネルはアーサーのことが視えていない。私がアーサーの名前を出した事で本人が近くにいるとはわかったようだが(目を大きく見開いたので驚いてはいたようだ)、怯えるでもなく落ち着いていた。続きを言わないのは私への配慮からのようだ。
「何が起こるんですか?」
アーサーの横に立って続きを促す。ここまで来たんだ。ハッキリ聞こうじゃないか。頼もしい相棒も戻って来た。
「……君の妖精王は記憶が混濁していないかい?」
「ええ」
してるしてる。
「それは……ふたむぐっ」
「うぁああああ!!」
久しぶりに心の底から驚いた。
彼が答えを言おうとしたところで、突如目の前にとんでもなく美しい妖精が現れたのだ。真っ白な長い髪の毛を靡かせ、ふよふよと浮かんでいる。ライオネルの口元を塞ぎながら。
「《こら。いけないわ。全ては言わない約束でしょう? まったくこの子ったら》」
言葉の割に嬉しそうな笑みを浮かべたその美妖精は、真っ赤になっているライオネルの頭を撫でていた。ライオネルは筋骨隆々な青年なので、予想外の不思議な光景にさらに不思議な光景が重なって反応できない。
「《今日はここまでにしましょう》」
今度は私の頬を撫でたかと思うと、瞬きした瞬間にライオネルと美妖精は目の前からいなくなった。フォルテもポカンとしている。
「え!? 今のなに!? 今のなに!!?」
「《……知らん!》」
「いや噓! 絶対知ってる反応じゃんそれ!! ねぇ! アーサー!!」
こうして最大級の謎を残したまま、私の妖精王はまたフラフラと外へ出て行ったのだった。




