20 ピアニスト
最近、アーサーの表情が険しい日がある。
(ムッとしているというか、機嫌が悪いというか)
理由を聞いても答えてくれないが、店を出てしばらく戻ってこない日もあった。どうしたの? と尋ねても、
「《ちょっとな……》」
曖昧な答えだけが帰って来る。
「フォルテは何か聞いてる?」
「《なんにも!》」
アーサーは今日も朝から出かけていた。フォルテは妖精王がシルフィとフロストを店に置いていけば文句はないようで、今日もチャキチャキと開店準備を進めてくれている。フロアの掃除は既に終わっており、パンや野菜をカットし、プリン用の皿を並べ、アイスコーヒー用のグラスを磨き上げてくれていた。
「《オリヴィア、おつりのチェックはいいの?》」
「だ、大丈夫……!」
ちゃんと補充しました!
(私がオーナーならフォルテは店長ねぇ)
たいした報酬もなく申し訳なく思ってたのだが、
「《早く夜にならないかなぁ!》」
満面の笑みでお手伝い妖精はパンにタマゴを挟んでいく。慣れた手つきだ。形も綺麗。
「あはは! 楽しみだよね!」
ついにフォルテに報いることができそうなのだ。あのピアノを演奏してくれるピアニストがやってくる。ジョルジュ先生の声掛けもあって、一人手を上げてくれた音楽院の学生がいたそうで、今日の閉店後、ここで顔合わせを予定している。
「苦学生って話だから、報酬に追加して三食用意するってことになったの。ピアニストがいてくれる日は多めに準備しようね」
二食じゃなくて三食なところがちょっと心配になる。うちは午前十一時から夕方六時まで。昼と夜はもちろん出すつもりだったが、プラス一食と交渉があったのだ。よっぽど苦労しているのだろう。
「《クガクセイ?》」
聞きなれない単語にフォルテが反応していた。
「勉強頑張ってるけど、お金の面で苦労が多い学生ってこと」
「《お金……人間はいつもソレだね》」
「う、うん……」
ギクリと居心地悪くなっている私を横目に見つつ、よくわからない話題だと判断したのか、フォルテはまた作業に戻って行った。
「かき氷を」
「かき氷は今日何味かな? ベリー? そしたらかき氷とアイスコーヒーを頼むよ!」
「かき氷とホットコーヒーお願いします。いや、これが美味しいんだよ。あ、あとタマゴの惣菜パンも」
今日も暑いのでかき氷がよく売れる。一方で甘みの強いドーナツの人気は落ちているので、ショーケースに並べる数は控え目だ。
(プリンは安定してるし、来年の夏はチョコドーナツはやめてゼリーにする? う~んでも、似通ったメニューばかりなのもなぁ)
前世の記憶を思い起こすが、あっちは暑ければクーラーもあるのでこことは状況が違うことを考えると、とりあえず一年やってみて考えるのがいいかもしれない。
「ありがとうございました~」
本日最後のお客が帰ったところで店じまい。表の札を『閉店』にひっくり返し、鍵はそのまま。
「《忙しかったねぇ! アーサーさま、明日までに帰って来るかな?》」
「ここに来てから一日以上戻らないことないから……大丈夫とは思うけど」
これはちょっと恥ずかしい思い出なのだが、ランドルフ家の屋敷にいた頃、アーサーがふらっと出かけて、一週間屋敷に戻らないこともあった。その時の私は心細さから、戻ってきたアーサーに八つ当たりをしつつ大泣きしてしまい……それ以来、彼が長期間私の側を離れることはなくなっている。
(あの時はしかたないのよ~叔父夫婦に家を乗っ取られたりしてメンタル弱ってたし~~~)
ああ恥ずかしい恥ずかしい! 長らく他人に(他妖精か?)弱味を見せず生きてきたので、思い出してもソワソワする記憶だ。
窓に映る私が苦笑いしているのが見えた。思わず目をそらす。
(もうすぐ来るかな?)
例の学生。
「《床掃除始めてもいい?》」
「うーん。面談が終わった後の方がいいかな……流石にびっくりするだろうし……椅子が浮かんでたら……」
ブラウニーは体に見合わず力がある。軽々と椅子を持ち上げ、床の掃除を始めようとしていた。
フォルテの話はジョルジュ先生がしてくれているらしいが、どういう風に伝わっているかは謎のままなのでまずは様子見だ。
その学生はそれから五分もしないうちにやって来た。
「はじめまして~よろしくお願いします~……フィン・ノーランです~」
「ようこそ! どうぞこちらへ!」
そろりと扉を開けて、背の高い細身の青年が入って来る。キョロキョロと店内を見渡しているあたり、フォルテの話を聞いたというのは本当のようだ。
ややのんびりとした口調の彼は、席に座った後まずはピアノの方に興味津々と視線を向け、
「あれが例の……」
「はい。例のピアノです」
「では、今近くに?」
「……ええ、います」
パァっと笑顔が広がった。とりあえずネガティブな印象がないというだけで私としては安心する。お金の為に渋々だったらどうしよう……と実はちょっと心配していたのだ。
フォルテが恐る恐る鍵盤をポロンとたたく。存在を知らせたかったようだ。なんせ大事なピアノを演奏してくれる相手。彼なりの誠意を見せたかったのかもしれない。もちろん、フィンの切れ長の瞳は大きく見開らいていた。
「実は~祖母が妖眼持ちだったんですよ~父も僕も半信半疑だったんですが~……」
本当だったんだなぁとしみじみと思い出に浸っていた。
(思ったよりずいぶんとゆるい雰囲気ね)
切羽詰まっているようには感じないが、実際は事前連絡の通りで、
「お話をいただけて本当に助かりました~精一杯いい演奏ができるよう努めますので~」
フィンは音楽院の調律科の学生、それも奨学生ということなので優秀なのは間違いない。ただ、生活費まで面倒見てもらえるわけではなく(寮費は無料だそうだ)、日々の暮らしにあくせくしていたそうだ。
「演奏科や作曲科の学生は家庭教師したり、ちょこちょこお金持ちの演奏会に出してもらったりしてるんですが~背負ってる看板がちょっと違うだけで僕まで仕事が回ってこなくって~」
うちのような小さなお店や一般家庭の調律の仕事をごくたまにやっているらしいが、やはり頻度は高くないのだと、アハハと笑いながら教えてくれた。
「《ねぇ! 何か弾いてもらってよ!》」
待ちきれないのかフォルテが私の袖を引っ張る。こんなこと初めてだ。
「まだ話の途中なのにごめんなさい。よければ何か弾いてもらってもいいですか?」
「もちろんですよ~」
フィンはなんの躊躇いもなくピアノの椅子に座り、鍵盤に指を乗せた。
(おぉ! 流石音楽院の奨学生だけあるわ!)
小気味よく、心が弾むような気持ちのいい曲を演奏してくれた。おそらく、小さな妖精ブラウニーから連想して選曲してくれたのだろう。フォルテが頬を赤らめて見入っている。
「《ああ! ピアノがまた音を鳴らしてる! 嬉しいなぁ嬉しいなぁ!》」
この喜びようをフィンに見せられないのが残念だ。
「……いかがでしょう~?」
これは私ではなくフォルテの感想を待っているのがわかったので、
「大喜びですよ。もちろん私も!」
ジョルジュ先生はいい学生を紹介してくれた。次、店に来てくれたらお礼をしなければ。
「よかったら演奏日以外もうちに来て。軽食くらいだったらサービスで出すから」
「えぇ~! いいんですか!?」
演奏後もしばらく雑談と言う名の面談をしたのだが、一日一食の日もあると聞いたら、そのくらいのことはしたくなる。うちの店長の福利厚生の一つにもなるし。
「ありがとうございました~!」
サンドイッチとドーナツを持って、フィンは満面の笑みで四番街へと帰って行った。
「《またね~!》」
と手を振るフォルテの代わりに、私が大きく手を振って見送る。彼が見えなくなるまで。
(ふぅ。一つ気になってることが終わった感じ!)
生演奏が聞けるカフェなんてなかなかすごいじゃないか。あのピアノが気になってしかたがないお客達も満足するだろう。
「さ! 片付けようか!」
「《片付けよう~!》」
そう言った瞬間だった。チリン、と扉が開く音がした。鍵をそのままにしていたのだ。
「すみません! もう閉店してて……えっ」
目の前には予想外の人物が、小さな微笑を浮かべていた。
「やあオリヴィア。久しぶりだね」
ライオネル・バンディッド……なんでここに!?




