18 ここでも婚約破棄
オリヴィアとベンジャミンが婚約破棄をしたしばらく後、バンディッド家の嫡子であるライオネル・バンディッドの方も婚約破棄となった。
「ニコール嬢。私に隠していることがあるね」
バンディッド家の美しい庭を散歩しながら、ライオネルは婚約者に冷たい声で話しかける。
彼の婚約者はニコール・サラヴィス。ベンジャミンとは幼い頃から婚約を結び、間もなく結婚の予定だった女性だ。
「ライオネル様……申し訳ありません……」
全てを見透かすような彼の視線に貫かれ、ニコールは震える声で白状することにした。
「私……愛する方ができてしまったのです……」
真面目を絵にかいたような彼女が、若い画家に夢中になった。画家の方ももちろん彼女に夢中になってる。彼は密偵からそう報告を受けていた。
「ですが! ですが決して何もないのです! ただ……会話だけ……!」
「……そうか」
ムッとライオネルの表情が曇る。
(なんだ。その程度か)
彼は不快に思ったわけではない。がっかりしたのだ。もっと決定的な出来事が欲しかった。ニコールと、その若い画家との。
(しかたない……)
この話を――自分達の婚約を解消するという話をすると決めた時から、ライオネルはいくつか成功に至る道筋を考えていた。
「知ってしまった以上、このままではいられない。それはわかるだろう?」
「あああ……申し訳ありません……申し訳ありません……!」
元来真面目な彼女のことだ。この心変わりに罪悪感を持たないわけがない。
「君とは信頼しあっていたと思っていただけに残念だ……」
さらに彼女の罪悪感を煽る。このまま彼の望む結果が得られるように。ニコールは目に涙を浮かべていた。
ここからが本題だ。
「婚約を白紙に戻したい」
「……当然のお考えですわ……」
唇をギュッと噛むニコールは全てを受け入れた。途端に、冷たかったライオネルが優しくなる。
「君は愛する人と一緒にいた方がいい。彼といる時の君の笑顔を見て気が付いたんだ……私には決して見せないものだった……」
「……!!」
ニコールはハッと頬を染め、愛する人を思い浮かべたようだ。
「君の幸せを祈っているよ」
そう締めくくったのがよかったのか、その後の婚約破棄の手続きもスムーズに、お互い遺恨なく終わらせることができたのだ。
もちろん両家の当主はそれぞれに思うことがあったのだが、当人達の強い意志や、現在の両家の状況を鑑みた結果、それを受け入れた。
表向きはニコール嬢が国外留学するため、ということになった。例の若い画家と共に……ということはごくごく一部しか知らない。そうなるよう彼女の両親を説得し手配したのは、ライオネルだった。
(あのバカな弟が内に泥を塗ってくれたおかげで父を説得しやすくて助かったな)
バンディッド家も流石に立て続けに婚約破棄なんて世間体が悪すぎるが、こうなってしまった以上、なるべく穏便に全てを終えたかったため、全てがライオネルの希望通りとなった。
「……どこまで兄上が仕組んだことなんですか?」
バンディッド家の屋敷の廊下で、ベンジャミンは自分を無視して通り過ぎた兄に尋ねた。
「あの画家をけしかけたのは兄上ですか!?」
いつもとは違う声量のベンジャミンの表情は、長年の穏やかなものではなく苦悶に満ちたものだった。まだ弟に対して多少の情があったのか、それとも弟へ言い足りないことを思い出したからなのか……ライオネルが足を止めて振り返る。
「人聞きが悪いな。私は後押しをしただけだ」
やれやれと肩をすくめる。何も悪いことはしていないと。
「時代は変わった。愛に生きるのも悪くはないだろう?」
ライオネルはニコールと婚約破棄する理由を探していた。時期的には弟のベンジャミンがモニカ・ランドルフにうつつを抜かし始めたあたりから。
「二人は惹かれ合っていたから、本当にちょっとだけだよ。ああ、安心しろ。お前達にはなにもしていない」
後半には明らかに侮蔑が含まれている。
「オリヴィアを傷つけるなんて」
そして言葉を詰まらせた弟を睨みつけた。彼女への裏切りがライオネルには何より許せなかったのだ。
「オリヴィアは僕のことなんてなんとも思っていませんでした……! 兄上もご存知でしょう!」
ずっと仲はよかった。オリヴィアが自分のことを婚約者として誠実な気持ちで接してくれていたことも、ベンジャミンはわかっている。だが、それ以上はなかった。お互いにだが。
「いや。お前の優しさは確かに彼女を助けていたよ」
ライオネルはずっとオリヴィアを見ていたからこそ断言できた。難しい立場の中で、ベンジャミンが隣にいることでオリヴィアが安心感を得ていたことも彼は気付いている。
「……兄上はこれからどうされるおつもりですか? オリヴィアと結婚を?」
過去の自分のおこないを思い出し、いたたまれなくなったベンジャミンは、無意識に話題をすり替えた。兄の非を責めようとしたのだ。
「お前には関係ない」
だがライオネルはこれ以上弟を相手にしなかった。話は終わりだとその場を去る。屋敷の廊下には、俯き、力なく肩を落とすベンジャミンだけが残った。
「《オマエの弟は随分愚かで可愛らしいわ》」
「それで? いい加減カフェには近づけるようになったのか? ティターニア」
半透明の美しい妖精にライオネルは視線もむけずに話しかける。
「《まあもう少しお待ちなさい。妖精王の力を侮って痛い目にあいたくないもの》」
「ニコール嬢の時のように中途半端なことはやめて欲しいね」
「《あら! 言うじゃないの!》」
ご機嫌な声で笑ったティターニアはくるくるとライオネルの周りを飛び回った。
「《オマエ達が不用意に近づいたから警戒されて結界を張られてしまったのよ。バレないように解くのも一苦労なんだから!》」
「……それはすまなかった」
屋敷のメイドが近づいてきたのを確認し、ライオネルは小声になる。
「《オマエの髪が全て白髪になるまでにはなんとかするわ》」
「……!!」
「《アハハハハ! 冗談よ!!》」
そうしてティターニアはライオネルの頬にそっと触れた後、窓の外へと出て行った。
晴れ渡る、夏の青空が見えた。




