12 ゴシップ
長い間、ピアノの管理はフォルテがおこなっていた。彼は調律も見よう見まねでやっていたのだが、やはり餅は餅屋。プロの仕事は違う。
「《すごい! この音! この音だよ!!》」
「へぇ~違いがわかるんだ」
フラワーフェアリーのお叱りを受けていたジョルジュ・バロー氏が、昨日約束通りカフェのピアノの調律してくれたので、フォルテは朝からずっとこの調子だ。
大興奮のブラウニーはかつて自分が聞いた音そのものが戻ってきたことが嬉しくてしかたないようで、ピアノの周りをぐるぐると回っている。
「《あとはこれを弾く根性のある人間がいるかだな》」
偉そうな妖精王はカフェの特等席でふんぞり返っている。
実際、たまにお客から質問があるのだ。
『あのピアノは弾けないんですか?』
と、興味津々に。わざわざいわく付きピアノを残している理由があるのだろうと、彼らの想像を掻き立てているようだ。
「フォルテは誰が弾いてもいいんだよね?」
「《うん! 前は色んな人間が弾いてたよ! 若い人間も年取った人間もいた!》」
ここがバルだった時代の話はご近所さんが色々と教えてくれていた。いつもほどよく賑わいもあり、客層も悪くなく、あのピアノは音楽院の学生から音楽好きの紳士まで様々な人間が演奏していたと。バルを閉めたのも、店主が田舎暮らしをしたくなったからという、幽霊騒動とは無縁の理由だった。
「ジョルジュ先生が学生に声かけてくれるって言ってたから、ほどほどに期待して待っとこうね」
満面の笑みのフォルテを見て、妖精王もこれ以上皮肉を言うのはやめたようだ。アーサーは最近、街中をよく散歩している。二千年世界を徘徊した後、十年ちょっとランドルフ家の屋敷にいたが、その間にロンディエナの街も様変わりし、散歩のし甲斐もあるようだった。
「《人間は生き急ぎすぎじゃないか?》」
言葉とは裏腹に、表情は明らかに人類文明の発展を楽しんでいる。
もちろん、カフェ・レムナントの一員としての仕事もきっちりこなしてくれていた。主に用心棒としての仕事だ。
「そういえばあの記者、いい加減諦めたかな?」
「《ここ三日は見てないな》」
実は先週、アーサーがカフェの周りをうろつく怪しい男を身元を調べていたのだ。
(ゴシップ誌の記者ってことは、婚約破棄か脱税か……)
二つも思い当たる節があるのが元令嬢の悲しいところ。帝都では一般的な新聞だけでなく、貴族階級のスキャンダルや社会問題などが掲載されている所謂ゴシップ誌なんかも出回っており、民衆の娯楽の一つにもなっていた。
古今東西、世界関係なく、人気なのは恋の話題だ。だが私とベンジャミンの婚約破棄の記事はほんの半ページにも満たない小さなもだった。おそらく、バンディッド家が大金を使ったのだろう。
「《まあ俺がいる限り三番街には近づけもしないから安心しろ》」
「さっすが妖精王! 頼りになる~!」
私に用があるであろうその記者は、ありとあらゆるアーサーの妨害に会い、店に近付くことができなくなっていた。具体的には、大風が吹いて帽子が飛ばされていったり、小雨かと油断して外に出たら彼の上にだけ大粒の雨でびしょ濡れになってしまったり、裏道を通れば見たこともない土壁が出来てそもそも先に進めない……という目にあっている。
「《オリヴィアの要望通り痛めつけちゃいないぞ》」
「ありがと!」
私の平穏なカフェ経営はすでにピンチを迎えている。これ以上余計な騒動はごめんこうむるのだ。
(関わらないが一番!)
この考えもあって、ゴシップ誌を眺める以外は私はランドルフ家のことも、バンディッド家の現状も何も知らないまま日々を過ごしていた。彼らの近状を知ったのは、それからさらに一週間後、カフェのお客からだった。
「えっ!? ……オリヴィア様!?」
「あら! スーザンじゃない!」
偶然カフェにやって来たのは、私が婚約破棄される直前にランドルフ家を寿退社していたスーザン。年齢も近く、ハキハキとした性格で、あの叔父夫婦やモニカも恐れずに屋敷内で私の世話という職務を全うしてくれた一人だ。
「ああオリヴィア様……申し訳ありません……私、何も存じ上げずに……」
受付カウンターの前でハラハラと涙をこぼし始めたので、こっちは大慌て。のんびりコーヒーを楽しんでいた店内のお客も、何ごとだ!? と、こちらを伺っている。
彼女が何故泣いているかというと、私(つまり労働を知らない元伯爵令嬢)が婚約破棄された上にランドルフ家を追い出され、苦労しながら小さなカフェで働いているのだろう、お可哀想に……ということなのだ。
「大丈夫、大丈夫だから! ここ、私のお店なの!」
「……どういう意味でしょう?」
「経営者ってことよ!」
はて? と、涙を拭いながら頭を傾げているので、とりあえずカウンター席へと案内した。友人と待ち合わせ前にちょっと話題になっている私のカフェへ寄ってくれたらしい。
「コーヒーとプディング。美味しいよ」
今回だけ特別だ。次のお客もいないので、ささっと彼女の前にホットコーヒーと冷たいプリンを並べた。
「ありがとうございます……あの、これはオリヴィア様が作られたので?」
「そうなの~意外でしょ?」
なんせランドルフ家ではキッチリお嬢様をやっていた。こういうのは運んできてもらうことはあっても、運んだことはない。
隣に座り、簡単に現状を説明する。聞き耳を立てている他のお客もいるので、言葉も選び、かなり端折ってはいるが。
『《あの記者、店に近付けないからか聞き取り調査してたぞ~》』
というアーサーからの報告もあったので少々慎重に。ちなみに妖精王は今、スーザンの反応を見て大笑いしている。
「《確かに、知らなきゃそうなるよな! 惨めで哀れなオリヴィア嬢……! ってとこか?》」
「《オリヴィアが……惨めで、哀れ……?》」
どこのオリヴィアの話? とフォルテがアーサーに聞き返したことによって、彼の笑い声はさらに大きくなっていた。
(そうなのよね~割と悲惨な目にあったけど、惨めって単語も哀れって言葉も出てこないのよねぇ)
不幸中の幸い? いや、災い転じて福となす? なんて前世の言葉を思い出す。
スーザンはそっとプリンを口に運んだ。これまでにない滑らかさに驚いたようで、目を開いて私を見つめる。
「ツルンとして食べやすいでしょ?」
コクコクと頷いていた。それから彼女はコーヒーを一口飲み込み、表情のこわばりがとれ、小さく息をつく。
(落ち着いたかな?)
とりあえず最初に、私は好き好んでこの仕事をしているということをスーザンに伝えておく。お陰様でお客は入っているし、雨風しのげる家もある。強がりではなく、結果的に婚約破棄してよかった、今がとても幸せだと。
(多額の慰謝料のことは言わない方がいいわよね~)
彼女も長年貴族の屋敷に勤めていたので、こういった場合金銭で解決することくらいはわかっているだろう。まさか人生三回遊んで暮らせる金額だとは思っていないだろうが。
「私はてっきり、アーレイド家でお過ごしだとばかり思っておりまして……」
なのにここで労働している私を見つけた結果、妙な想像を働かせて狼狽したのだ。
「あはは! そりゃそう考えるよねぇ~」
スーザンは私に自分の家がある、という点を聞いて安心したようだった。一瞬、店内の客入り具合も見て、ぼちぼち繁盛しているということも確認していた。
「屋敷の者達も皆、オリヴィア様のことを心配していたんです」
確かに、婚約破棄の後はトントン拍子に事が進み、私はあっという間にランドルフ家を出たので、使用人達にはきちんと挨拶できなかったのだ。
(というか、私が挨拶したことによってアイツらに目を付けられてもって思ってたんだけど)
悪いことをしてしまった。どこかで伝える機会があればいいのだが……。
「この後会う予定の友人、コルネなんです」
コルネは現役のランドルフ家のメイドだ。
「あら! じゃあ、私は元気だって伝えておいてくれる?」
「もちろんです! 今度お店にも連れてきます」
「ありがと」
それからスーザンは険しい表情になり、周囲に聞こえないよう声を潜め、ランドルフ家が今いかに大変かを教えてくれた。
「……モニカ様のご懐妊が噓だったことがわかったのです」
「えっ!!?」
「《えっ!!?》」
予想外の内容につい声が大きくなる。今回ばかりは大声を出しても問題ないアーサーが少し羨ましい。
「《そこまですんのかあの女! そんなのすぐバレるだろ!?》」
だがすでにベンジャミンもモニカも婚約をしてしまっている。あの優しいベンジャミンも流石に傷ついたらしく、モニカと距離を取るも、モニカは絶対に彼を離す気がないそうだ。
「《そりゃベンジャミンじゃなくて大金を離す気がないんだろ》」
呆れるを通して感心したアーサーの声に私は心の中で同意した。
もちろん今両家は揉めに揉めているらしい。ああ~家を出ていて本当に良かった!
さらにゴシップネタは続く。
「それから、ライオネル様も婚約破棄をされたらしいです」
「えぇぇぇ!? ま、まさか……弟の醜聞で……?」
相手はサラヴィス侯爵家のニコール嬢。こちらもいいお家柄なので、ベンジャミンのやらかしを嫌がったのかと思ったが、
「いえ、どうもご自分から申し出たそうで」
これはバンディッド家、大変なことになってるぞ。次男だけでなく長男まで婚約破棄だなんて。これに関してはアーサーは難しい顔をして聞いていた。
(こりゃあゴシップ誌の記者が忙しく駆け回るわけだわ)
変なところで納得してしまった。
「ごちそうさまでした。とても美味しくて……安心いたしました。オリヴィア様の表情、お屋敷に居た時より生き生きとされています」
スーザンはカフェのプリンをすっかり気に入ってくれたらしく、今後常連の一人になってくれたのだった。




