第四話(生まれる前からって卑怯ですよね)・19
夜は明けたが、運命の日の朝に陽は登らない。
ティアの予想は外れて雨は止んでいたが、黒々とした厚い雲が太陽を遮っていた。
真実を知った今、ここは類を見ない剣呑な場所だ。剣山の上に張った薄氷の上にいるに等しい。
そんな所で眠るはずもなく、部屋に戻ってもナナシは一睡もできなかった。
ベッドにちょこんと腰掛けているティアもまた、目こそ瞑っているものの時折口が動いているので眠っていない。おそらくなにかしらの詠術を行使している。この部屋にこっそり戻ってからずっとその調子だった。
あの時、泣き止んだティアが落とすように言った言葉が心からはなれない。
『私が探している御神体、環境維持装置はあの飼育施設の地下深くにあります』
400年も昔、救い主となった男がどんな思惑で狩師本来の信仰対象の上に飼育施設を建てたのか、ナナシには本当のことはわからない。ただ、粘着くような悪念を感じるだけだ。
離脱の2文字も頭から離れない。しかしティアにその気がない以上とれる選択肢ではない上、今から逃げて果たして6万の神話獣の影響範囲から出られるのかは、命を賭け金にするにはしては分の悪すぎる賭でもあった。仮に逃げおおせたところで、神話獣達が木猫族を壊滅させて満足する保証はどこにもない。
となれば、やはり獣であるうちに皆殺しにするしかない。
伏した目でティアはあの晩に語った。
『空気中の成分を変えれば強烈な眠気を誘い、そのまま苦痛なく死に至らしめられます。神の見えざる手で、人相手にはできないことですが』
6万以上の命を刈り取って、それで確かに当面の脅威は消え失せる。
後に残されるのは騙し通したつもりで全てを失った木猫族だけだ。
(いや、金塊は手に入るか)
ティアはこうも言っていた。王の預かり知らない市場ができあがっている、と。
突然の市場の消滅に、関わっている貴族達がどんな落とし所を見つけるのか、ナナシには確信に近い嫌な予感しかしない。
しかし、それはティアのとるべき責任なのだろうか? ここはそもそもラティカ領ではない。
『この里のなんと愚かなことか!』
一昨日、デエルが自分達の前で涙した理由にようやくナナシは追いついた。
『どうにも、本当に私にはどうにもできなかった!』
そう言って、デエルは哀哭したのだ。
(本当はこの里を壊したかったのか? デエル。とんでもない災禍を引き起こす前に)
考えても答えのでない思考に迷い込んでいると、窓の外に気配を感じてナナシは身構えた。ティアもまたそちらの方へと向き直る。
「私の侍女です」
(ここは2階で、外に台なんかねぇっていうのに)
姫が窓を開けると、漆黒のワンピースを纏った女が1人、するりと部屋に入ってきた。
「リセ様、お待たせしました」
ワンピースの裾を少し持ち上げて優雅な礼をした後、女は片膝をついた。
「フィー、よく来てくれました」
フィーと呼ばれた、少し年上そうな女はナナシに刺すような視線を向ける。手段の中に人殺しという選択肢を持つものの目つきだ。
「なんだよ?」
なにも答えず、フィーは姫に顔を向ける。
(無視かよ!)
「一帯の掃除が終わり、ご指定の場所へご依頼の物品を隠すところまで完了しております。ただ、ライラとダリネが……」
言い淀むフィーに姫は大丈夫と頷いた。
「そちらは私達で対応します。それよりお願いを追加したいです」
「なんなりと」
「今、隠し場所の近くに、私の詠術で大量の金塊を用意しています。そうですね、お昼前には完了させますから、それを今日の真昼時にこの建物の近くまで持ってきてください。重いのであの荷車を使い、2班全員で取りかかってくださいね。隠行も不要です。むしろ堂々と来てください」
「かしこまりました」
(そんな雑な指示でかしこまれちゃうの?)
ナナシは突っ込みそうになるのをかろうじて自制した。なぜ急に大量の金塊の話になるのか等、まるで気にならないのはさすがアリスティアの侍女と言うべきなのか。
「この程度で驚くな」
見抜かれて逆にフィーに突っ込まれた。
「はぁ? 俺に言ってんのか?」
またしてもフィーはそっぽを向いた。
(また無視かよ!)
「やめなさいフィー。それよりも金塊を持ち込んだら全員速やかに里の外にでて、私の指示があるまで待機していてください。これは明確に言いましたからね」
「はい。確かに承りました」
フィーは姫にだけ一礼すると、またスルリと窓から出て行った。
里人の声がまるでしないことから、どうやら潜入の技術はかなり卓越しているようではある。
「態度悪りぃな、あいつ」
ティアにしては珍しく口を半開きにして、その大きな瞳をまん丸に見開いている。
「なんだよ?」
「あ、いえ。赦してくださいね。みんな、あなたに興味があるのですよ」
「なんだそりゃ? 迷惑な話だな」
「それよりナナシさん、金塊の受け渡しは今日のお昼です。私の侍女達が派手に来ますので、それが合図」
これからこの里に起こるのは種の知れた寸劇だ。しかし舞台だと思っているのは木猫側だけで、ティアに騙りは通じない。彼女は〈ここに〉にいる百数頭も、そしてあの巨大な建物にいる6万以上の獣も、殺すと言ったら絶対にやり遂げる。その確信がナナシにはあった。いや、そうせねば全員が死ぬ。
金塊だけせしめる気でいる木猫達は、獣の死体の山を前にして一体なにを思うのか。
そして、今の今までまるで姿を現さないダリネは混乱を待っている可能性が高い。
「俺は具体的にはどうすればいい?」
「変わりありません、何一つ」
向かってくるならすべて切る。
哀れな里人も。
ずっと仕えてきた侍女であろうとも。
★
太陽が真上に来ても、曇の奥に隠れてその姿は隠したまま、ついにその時が来た。
(派手とは言っていたが……)
腹に響き渡る太鼓の音色とともに8名からなる一団が里の中央を威風堂々と行進している。その様子をナナシと姫は窓から見下ろしていた。揃いの服を纏うその一団には朝会ったフイーもいる。確かめるまでもなくティアの侍女達だ。
無論、目を引くのは陽光指さなくても光り輝く金塊だ。車輪つきの巨大な代車が6台、侍女達が牽く様子もないのにゆっくり進み、その容器には山と積まれた零れんばかりの金の塊ががしゃりがしゃりと揺れている。
それと同じくらい視線が引き寄せられるのはそれぞれの台車の先頭に括り付けらた人間だ。計6人、全員ぐったりと俯き、胸のあたりが乾いた血で汚れている。遠目でも生きているようには到底見えない。
意味がわからなすぎて口から疑問が出ず、死体とティアを交互に視線を往復させるナナシに、彼女はぶんぶんと首を振る。
「違います! 私の指示ではありません」
ティアはこめかみをぐにぐにと揉んだ。
「いえ、責任は私にありますけど。死体はカレドアージェの暗殺者達でしょう。あの子達は私に関することになるとちょっと過激になるのですよね」
(あれがちょっと?)
ナナシはバレないようにそっと彼女から距離をとった。
当然のようにバレていて、がしぃっと手首を掴まれた。にっこりとティアは微笑む。
「さあ下へ行きましょうか、私の護衛様?」
★
ナナシ達が寝泊まりした集会所前の広場には里人が集まっていた。異様すぎる揃いの服を来た女達と金塊を遠巻きに囲んでいる。その中にはツァイやデエル、食事の時にいた里の中心人物達もいて、集会所から出てきたナナシに、縋るような目線を向けてきた。
注目の的となっている当の侍女達は、里人のまるで化け物を見るような目など意に介さないどころか、どうも里人達を本当に認識しているのか怪しいくらいに微動だにしない。ただ、じっとナナシを目だけで追いかけくる。
そんな彼女達が動き出したのはもちろん、アリスティア姫が集会所から出てきたからだ。
8名全員が彼女達の主へと挨拶をする。一糸乱れぬ動きの膝折礼はとても優雅であり、同時にナナシの目には不気味にも映る。
(人形みたいだ)
みな一様にアリスティア姫ほどではないが透明感のある白い肌、蒼い瞳、そして。
「第2班、揃いましてございます」
8名全員による完璧に揃った異口同音。
不気味から要警戒にナナシの肌がざわつく。
(こいつらはティアと一緒だ)
戦士ではない。しかし毒を持つ花の美しさと通じるものがある。
「金塊を運んでくれてありがとうございます。ですが……」
そこまで言いかけて姫は死体へと目を向けた。
「これはなに?」
朝に会ったフィーが満面の笑みで答える。
「逆らう愚か者達の末路がどうなるのか、わからない人達に教導しようと思いまして。明確さにこだわりました」
もうその一言でナナシは悟る。こいつらは違う常識に生きている。
「久遠城でリセ様がご就寝されていた時、侍従長が愚かな騎士達を見せしめにしたのが効果覿面でしたから」
「クラリス……」
そう呟いて姫は天を仰いだ。
「ほらぁー、リセ様お気に召さないみたいだよ? ちょっとフィー」
フィーの横にいた別の侍女が、見た目通りの幼い声を上げる。
「だからこのくそどもの死体は高く掲げるべきだったんだって。金塊と並べたんじゃどっち見るべきかわかんないじゃん」
「正気か? 2人とも」
また違う背の高い侍女が会話に加わった。
「身体がいらなかったんだよ。こいつら小汚いだろう? 首級だけがこの場合正解だった」
フィーは動揺しながらも早口でその2人に反論する。
「ば、馬鹿な! 薄汚い死体だからこそリセ様の金塊が映えるんじゃないか! 芸術における対比という概念をまさか君ら知らないのか?」
バチン、と姫は指を鳴らす。
一斉に侍女達は片膝をついた。寸分の狂いなく。
「死体は降ろして里の外の待機場所で丁重に弔いなさい。死ねば、罪は土の中で解けます」
固く目を閉じたままアリスティア姫は指示を飛ばす。
「無論、今からです。急いで」
斉唱のようにかしこまりました、と返事をすると侍女達はあっという間に死体を降ろして、里から出て行った。
去り際に姫に挨拶と、そしてナナシを睨みつけることはご丁寧にも全員が行った。
「なんだ、その、大変だな?」
面倒くさくて顔を背けていたナナシは、最後の1人がいなくなってからティアに話し掛ける。
「楽しい子達ですよ。私に安全上の懸念がない時は」
ティアはツァイとデエルに近づいた。2人は、というよりここに集まった里人達は呆気にとられて立ち尽くしている。
「さあ、私は宣言通り金塊を用意しましたよ」
ティアは平手で台の1つを叩く。がちゃりと金塊が音を立てる。
「答えを聞かせてもらいましょうか」
我に返ったツァイは、深々と頭を下げた。
「殿下のご提案、お受けいたします」
苦渋に満ち満ちた声だった。もしナナシがこの里の真実を知らなければ、その短い言葉の中にどれだけ悩み抜いたのか、想像を巡らせずにはいられないほどの悲痛さだ。
(大した役者ぶりだな)
その演技が真に迫るほど、ナナシのはらわたは煮えくり返る。
「ただ、殿下には早くここから立ち去っていただきたく存じます。予言には『日の光、差さぬ頃』とありますゆえ」
「わかりました。すぐ取りかかりましょう」
そうティアが言い終えた時、前触れなく事件は起こった。
出し抜けにツァイの身体が左足を上にして、宙吊りにされたのだ。
そして逆さ吊りのままツァイの悲鳴ごとみるみるうちに空へと昇っていく。
突然過ぎてみな、ただ見上げるばかりだ。ナナシですらティアのそばに行くのが一瞬遅れた。
誰もが事態が把握できず、ナナシもまた何からティアを守ればいいのかわからず、長剣を抜いただけになっていた。ただ、姫だけが険しい顔で里の奥へと視線が臨む。
ツァイは明らかに吊るされている。が、ここは外で、ツァイが昇る先は昨日まで雨を降らせていた曇天しかないのだ。吊る糸も、支える天井もない。ましてや吊り上げている犯人が周囲に見当たらない。
(白い、蛇? いや……)
ツァイの吊されている左足首にちらりと白い紐状のものが蠢いているのをナナシは捉えた。しかし、さらなる悲鳴で思考が中段させられる。
事態はツァイだけに留まらない。続けてツァクト、エントハクト、マステン、シュレプト、ラハテンが一斉に虚空へと引き吊り上げられた。
ナナシはティアと顔を見合わせる。中空へと誘われているのは姫との食事会にいた人間、この里の中心人物達だ。
(なぜティアを真っ先に狙わない? 陽動のつもりか?)
ナナシは辺りを全警戒しても、こちらに向かってくるものは感知できない。
「助けて!」
口々にそう叫ぶ彼らに誰もなにも出来ない。集会所よりも高い位置では下ろしようがなく、なぜ浮かぶのかもわからないのだ。
小さな青白い光がツァイ達の首を通り過ぎる。一拍してのに、ジタバタとしていた彼女らの手足が小刻みな痙攣に変わり、悲鳴が止む。
代わりに勢いよく首から血が噴き出した。まるで雨の如く。青白い光が彼らの首を裂いたのだ。
天には血雨を運ぶ曇と化した死体が浮かび、大地は赤い雨降り注ぐ阿鼻叫喚の地獄となった。
その場にいる皆がツァイ達由来の雨に打たれ、一気に恐慌状態に陥る。
誰かが叫ぶ。
「災いだ! 災いがはじまってしまった!」
「あの女だ! あの女がいるから!」
赤い雨に濡れた里人の目が、一斉にアリスティア姫へと向かう。
血塗れの里人達が姫に雪崩れ込もうとした刹那、ナナシは極めて冷静に、長剣を納刀し大剣を引き抜く。そのまま思い切り振り下ろし、地面を切り砕き、轟音とともに大穴を穿つ。
──その一振りは敵を黙らす。
「で、俺に勝てそうか?」
ナナシのたったその一言で、暴徒化しそうだった里人は腰を抜かしてへたり込んだ。同時に浮かんでいた死体も地面にぐちゃりと堕ちた。
その死体に目を向けてティアは呟く。
「モトの器が大きい……!」
すぐさま叫ぶ。
「デエル!!」
ティアの大喝で茫然自失していたデエルは我にかえった。
「近くに本当の里人達を待機させているのは知っている。今すぐここに呼びなさい! もう始まってしまう!」
続いてティアは全天候型飼育施設のあった方角とは逆方向を指差す。
「ナナシさん、あれ!」
指し示す先には、立ち去ろうとする黒い影が走る。
ティアはその背を追いかけるべく飛び出した。
「おい!」
ナナシは大剣を背に戻しつつ追い掛ける。
「ここにいても!」
みなで言わなくても伝わる。この里にもう安全な場所などありはしない。
それに追いかけているあの黒い影が今の騒ぎの首謀者で、暗殺者ダリネならばここで見失うほうが危険だ。6万以上の獣を殺すティアの大規模詠術の詠唱中に狙われるわけにはいかない。
逃げる背は成人の女に見える。丁度ティアと同じ位の背丈で、確認できる範囲は後ろ姿だけではあるが、今朝や先ほど見た侍女達と同じ服を来ているようだ。そんな人物に思い当たる可能性は1つしかない。
「あれがダリネか?」
「ええ」
端的にティアは肯定した。
不意に逃げる人影が2つに別れる。
「はあ!?」
最悪なことに左右別々の方向に逃げ始めた。
「2人いた? 協力者かよくそったれ!」
どちらを追いかけるか、判断に迷うナナシに姫は言い放つ。
「ナナシさん! 二手に分かれましょう!」
「有り得ん! 俺はティアの護衛だぞ!?」
どこの世界に護衛対象を暗殺者と対峙させる護衛がいるというのか。
「もう私が保たないの! 予言の日なんて救い主のデタラメ、ここはとっくにモトが漏れ始めてる! 里初日から私がずっと抑え込んでいたの!」
「はあ!? おまっ、言えよ、そんな大事なこと!」
「時間がありません! お願いナナシさん信じて!」
右に向かったほうのダリネを指差して、ティア自身は左側に進路を取る。
「あーもう、くそくそくそ! すぐ片を付けて合流する! 無茶すんじゃねーぞ!」
ナナシは仕方なく右のダリネを追いかける。
ナナシとはっきりと分かれ、姿が見えなくなったの見計らい、ティアは走りながら小石を拾って投げつけた。背中に吸い込まれるように命中する。
短い悲鳴とともに、相手は地面に倒れた。
姫は走るのを止めて、歩きながら倒れた相手に近づいていく。
「さて、あなたは私と対話をしましょうか。事実は人が紡ぐもの。人が紡ぐは言葉。かつてあの子に私が教えた事です」
背中の痛みで動けないのか、相手の動きは鈍い。
姫の身体の周囲に、風もないのに小石が幾つも浮かび旋回し始めた。
「逃げたら撃つ」
温度のない姫の宣告に、相手は凍りついたように身体が強張る。
「ダリネ、そう名乗っているそうですね?」
「ダリネ、ダリネ、私はダリネ」
「なるほど、そうですか。ダリネは幼少期身体が弱かったとか。そうですよね?」
「そうあの子は身体が弱かった。特別な薬をもらって。イデラの面倒はいつも私が看てた」
「今はイデラの話をしていませんけどね」
姫の矛盾の指摘にも相手は曖昧な表情を浮かべるだけだ。
「まあいいでしょう。その後、ダリネは王都で侍女になった」
「そう、私はそしてこの里に帰ってきた。妹を守るため」
「いきなり時間が飛びますね。侍女としてあなたはどう王都で過ごしていたのですか? そもそも誰の侍女になったのてすか?」
相手の顔が凍りつく。上手く口が回らないようだ。
「カ、カレドアージェ様の……」
「なるほど、カレドアージェですか。では王都にあるカレドアージェの邸はどんな感じでした? あなたはどんな仕事をしていましたか? 一緒に働いていた侍女の名前を1人でも言えますか?」
姫に詰問された相手は首を左右に何度も傾けるばかりで1つも答えられない。
「そのあたりの記憶は渡されていないから、答えられないのでしょう?」
姫はつかつかと大胆に距離を詰める。相手は泣き笑いの表情で歌いはじめる。
「だあれ、だあれあなたはだあれ」
「我が名を問うなら、まず自分から本当の名を名乗りなさい!」
言うなり、姫は相手の頬を思い切り張った。衝撃に相手は思い切り尻餅をつく。
「私は人相手には直接的な詠術は使いたくありません。死以上の恐ろしい結果を招きかねないから。だから少々手荒な方法でいきますよ。まずは纏わりついているあの子のモトを引き剥がします。そうしないと対話もままならないですからね。さあ、いつまで座ったままでいるのですか? 立ちなさい!」
頬を抑えたまま目が泳ぐ相手を姫は無理やり立たせる。
「そもそも王都へはどうやって行ったのですか? その道のりを覚えていますか? あるいはカレドアージェはどんな理由で侍女を故郷へ帰したのですか? そんなことあのご老人は一度もやったことないのに。この里に、王都へ行って帰ってきた人が他にいますか?」
「あれ? あれぇ?」
答えられない相手にもう一度姫は頬を張った。同じ箇所、同じ強さ。糸の切れた人形のように倒れ込む。首を掴んで引き上げる。
「答えられませんよね? なぜならあなたはこの里から一度も出たことなんてないから!」
姫はそのまま相手の喉をぐにぐにと揉んだ。
「喉も弄られているな。まったくあの子は」
姫はその銀髪をかきあげると、銀色を構成する金剛石の粒子がキラキラと舞う。姫が手を突き出すとその粒子は掌に集まって鏡状に変化した。
「ダリネのモトとともに顔の化粧も剥がれてきましたね。この鏡を見てごらんなさい」
突きつけられた鏡を見て相手は絶叫した。
叩かれた部分の化粧が落ちて、顔が左右で別人の様相となってしまっている。化粧が落ちた部分は自分の思い描く姉の顔とは程遠い。しかしながら、化粧が残っているもう半分も、自分の知る姉の顔ではなくまるで別人だった。叫び声も段々と野太く低く変化していく。
「ツィオーン、フェルシェ、イスラ、イミタ、イデラ」
姫は続ける。
「あなたの家族の名前です。このなかのどこにダリネがいると言うのです?」
いやいやするように首を振って鏡から逃れようとする相手を、姫は左で髪の毛を掴んで赦さなかった。
「いいえ、あなたには向き合ってもらいますよ。妹はどこ? 守りたかったのでしょう? どこにいるの? ダリネのモトはもうあなたにはない! 声も戻した!」
姫に頬を叩かれて、ダリネのモトが離れた今、記憶の蓋が開かれていく。
「妹は確かに身体が弱かった!」
相手は叫ぶ。
「赤い液体の特別な薬を飲む子?」
姫は問う。
「イデラはそんなの飲んでいなかった……」
「妹は兄をなんと呼んでいた?」
「あいつはお兄ちゃんと呼んでいた……」
「カレドアージェの侍女になったのは?」
「イスラ……姉の」
相手は頭抱えて「まさかそんな」と繰り返し呟きはじめた。
「ダリネはね、確かに侍女になりました。でも彼女が仕えたのはカレドアージェなんかじゃない。私があの子を選んだのです。私こそダリネの主、アリスティア・リチェルカーレ・ラティウム! さあ、私は名乗ったぞ! 今度はあなたが自分の名前を言ってみなさい!」
「あの日、あの日、毛布に包まれていたのは、嘘だ違う、あの小さな身体! そんなまさか!」
あの日、めくった毛布から見えたあの顔は、自分の顔じゃなく、幼い妹の顔、小さな身体。
相手は全ての力が抜けたように地面にへたり込んだ。両手で顔を覆い、はらはらと涙を零しながら答える。
「イミタです……。ツィオーンの息子、俺はイミタです……。俺が、俺が妹を殺した」
「あなたは何から妹を守りたかったのですか?」
「イスラが約束したはずなんです! 自分を犠牲にして、もう家族から御子を選ばないようにって! でもツァイ様がそんな約束してないと、イスラを嘘つき呼ばわりして妹を御子に選んだ……」
「その後、あなたはどうしようとしたのですか?」
「イデラを連れてこの里を逃げようとしました。御子がどうなるのか、俺は知っていたから。でもツァイ様に心酔していたイデラは俺の話なんて聞かなかった。そればかりか俺を詰り始めた。そしたら、そしたら手にはあのナイフが、あのとき貰ったナイフがあって! ああ、ああ! なんで俺はあの時ナイフを貰ったままにしていたんだろう! 棄てれば良かった、あんなナイフ貰わなければ良かった。殺すつもりなんかなかったのに……。ただ、ただ役割から解放を……」
「その罪悪感にダリネはつけ込んだのですね」
姫は深々と頭を下げた。
「ダリネの主として、記憶を弄るというあなたにした非道をお詫び申し上げます。あの子を業を解くためとはいえ、手荒な真似をしたことも。ごめんなさい」
イミタは力なく首を振った。
「でも、でもねイミタ、あなたはダリネとともにこの里の多くの人達を救ったんだよ。この私から」




