第四話(生まれる前からって卑怯ですよね)・17
(うざってえ雨だな)
翌日、部屋の外を眺めるナナシは内心悪態をつく。
姫の予報通り、弱い霧雨が里を包み込んでいた。
ナナシはデエルが部屋を訪れた昨日の夕飯も、そして今朝の朝食も挑むようにして食べきった。
ただ椅子に座り窓の外を見続ける姫と、部屋でできる身体慣らしを黙々としていたナナシのもとへ、ツァイの使いが現れた。昼食会への誘いである。2人は顔を見合わせた。
「また、食卓をともに囲むことが光栄ですわ」
いけしゃあしゃあと言いやがる、と視線に乗せても、ツァイの面の皮は微動だにしない。
通されたのは、毒が盛られた食事が出できたあの広い部屋だった。
あの日の再現のようにやはり豪勢な食事が卓を埋め、参加している面々も同じ。違うのは、暖炉に火がなく、卓に酒が用意されていないことぐらいだ。
皮肉の1つや2つも言いたいナナシはそれでも我慢した。ただの昼食会であるはずがない。
「殿下、食事の前にいくつかよろしいでしょうか?」
口火をきったのはツァイだ。夫であるデエルはずっと視線を下に彷徨わせている。
「仮に殿下の要求を受け入れたとして、この里は、私達はどうなるのか、具体的にお伺いしたいのです」
「当然の質問ですね。もちろん答えましょう。私とあなた方では予言の捉え方が違う。予言の日とは、ここに神罰現象が復活する日です。ここが神罰に飲まれる日。よって私はここにいる獣をみな屠殺します。神罰となる前に」
とさつ。
その不吉な響きをナナシは知らない。しかし、ただ事ではないのは、デールとツァイ以外の里の上役達が一斉にどよめいていることでわかる。
「ここにいる豚を皆殺しにすると!? 何頭いると思っているんだ!」
机を叩き大声を出すのはエントハクトだ。あの夜と同じく。
「ここには、30戸ほどで1戸あたり3、4頭ほどですよね。私は詠術師ですから、問題ありませんよ。数が百を超えていても。皆殺しにできる」
静かな声色の反論にエントハクトは黙り込んでしまった。
「我らの土地と糧と生業を奪い、野垂れ死ね、と?」
怒鳴りはしないものの、目つき鋭く質問してきたのはツァクト。
「まさか。その後は移住してもらいます。生活は支援します。屠殺した獣もみな食肉加工すれば、私が全てカレドアージェよりも高く買取ましょう」
「話にならない! ここが何百年続けてきたと思っているの! 神罰!? くだらない」
「へえ、面白いな、あんた、マステンとか言ったよな」
その言葉はナナシに火をつけた。
「言ってみろよ、もう一度。なあ、戦友を何度も何度も目の前で神罰に殺されたこの俺の前で、もう一度同じ台詞吐きやがったらどうなるか、試してみろよ?」
マステンはただ怯えて口を噤むばかりだ。
「ナナシさん」
立ち上がりかけたナナシを姫は片手で制止し、もう一方の手を卓へと突き出す。
「話だけでは動けない、そんなことはこちらも重々承知しています。だから」
突き出した姫の手のひらから、ボロボロと石のようなものがいくつも零れ落ち、卓をコツコツと鳴らす。一同は金色に輝くそれを見て目を剥いた。
「これはまさか……」
「ええ、純金です。本物ですよ? もちろんこれは差し上げます。いかように鑑定してもらっても結構」
「前金、ということでしょうか?」
「この程度で? まさか。これはほんのお礼です。食事と部屋を用意してくれたことへの、ね」
この程度で、と言い切る姫にナナシは「じゃあちょっとくれよ!」と言いそうになるをこらえた。1家族ならゆうに数年は遊んで暮らせる量だ。形こそ不揃いだが、不純物はなさそうにみえる。
「結果としてそうなるとしても、私はあなた方から故郷を奪いとりたいわけではありません。せめて買い取るという形を取りたい。もし、移住に同意するというのなら、ここに住む1人ずつに成獣時の豚の重さと同じだけの純金を用意しましょう」
驚きのあまり、口をパクパクさせるだけの面々に、姫は上品に笑いかける。
「安心してくださいね。大人だけ、なんて言いません。子供の数もきちんと入れてください。もし妊娠されている方がいるなら、お腹の子も含めて大丈夫ですよ。子作りは、ツァイ、あなたが厳密に管理しているのでしょう?」
さすがのツァイも動揺しながら、しどろもどろに肯定する。
「もちろん私は知っていますよ」
ツァイは、はっとした顔を見せる。
「カレドアージェがあなた方に毎年いくら払っているかを」
そして、わずかに安堵したのをナナシは捉えた。
今や姫だけでなくこの場の全員がツァイに注目している。
「それはその、いつどうやって受け取ればよろしいのてすか? あ、いえ、仮に、のお話ですけれども」
声が上擦らないだけでも大したもんだ、とナナシは鼻をならした。
「明日、私の侍女達がここに到着予定です。その侍女達が持ってくる手筈ですよ。ああ、そうそう、そういえばもしかしてカレドアージェからの使いが来る予定とかありましたか?」
「い、いいえ、そのようなお話はなかったかと」
「ああ、よかった。私の侍女が里に近づく不審者達を排除したと報告があったものですから。私の侍女ってちょっと私の安全に過敏なんですよね」
にっこり笑う姫に対して、ツァイの笑顔はきごちない。
「いくつか、確認しとうございます」
「ええ、いくらでも」
「この土地はどうなるのでしょう? その、殿下が管理されるのですか?」
姫はあからさまに溜め息をついた。
「もう一度言いましょう。私とあなた方では予言の解釈が違う。ここは山界になるのですよ? 山界は誰も所有できない。買い取る、と言ったのは言葉の綾です。実際にはここは放棄です。誰も近づくことはできないでしょう。まあ、今ここにいる獣は屠殺しますから、いきなり危険地帯になるわけではないでしょうが」
ナナシは笑いを堪えるのに必死だった。里の上役の面々はあからさまに姫とツァイの間で視線を往復させている。端から見て滑稽だった。同時に無理もない、とも思う。
これもまた力だ。ナナシには思いつきもしない、思いついたとしても実行は不可能な王族の力業だ。
「移住、と簡単に仰いますが、我らにラティカの民なれと?」
「いいえ。狩師木猫族のままでいいですよ。カレドアージェには私から話を通しましょう。山界に沈んだとなれば、彼も納得するしかない。移住先であなた達が新たな生業を営むのかはおまかせします」
農業なら支援すると言う姫に、ツァイは理解できないという風に首を横に振った。
「なぜ殿下はそうまでして我らをここから追い出そうとなさるのか。そこに殿下に何の利があるというのです」
姫の顔から表情が消えた。みなが息を飲んだ。無表情でもまるで種が違うとでも思わせる美しさに。儚さに。その奥に透けて見える哀しみに。
「本当にわからないのでしょうね。私の望みが。ここの獣が神罰になってしまったら大惨事になる。それを防ぎたいだけ。多くの人命が奪われる。それを止めたいだけ。それを利と呼ぶならどうぞ。否定はしない。人あっての国ですからね」
ナナシはもどかしかった。
なぜこんなにも理解しないのか。
(見せてやりてぇ)
デエルが実際に見て理解したというなら、目の当たりにすればいくらなんでもその恐怖がわかるだろう。どんなに攻撃しても効かず、執拗に殺しにかかってくる神罰の獣の恐ろしさを。
「私からの条件は2つ」
姫は指をピンと立てた。
「全員が受け取り、全員が移住すること。例外はただの1人も許さない。受け取らないから移住しないという人が1人でもいればこの話はなしです」
場がどよめく。
「もし、拒否をしたとするなら、どうなりましょう?」
「私の詠術に、あなた方の同意なんて必要ない」
ツァイの顔が青ざめ、ナナシは怪訝に眉をひそめた。今の一言は、どちらにしたところでここにいる獣を処分するという宣言に他ならない。その点にナナシはなぜ引っかかるのか、自分でもよくわからない。
「受け取る、受け取らないは明日、実際に金の量を見てからでもかまいませんよ。全員にこの話を共有してください。そしてよく話し合いなさい」
引き潮の如く静かになると、姫は立ち上がった。
「これ以上質問がなければ私達は部屋に戻りますね。そちらは忙しくなるでしょうから」
姫と一緒に部屋に戻る途中、ナナシは気づいた。
あ、俺、飯食ってねぇ。
もし、ナナシ達がいる部屋の前を誰かが通りがかったなら、世にも珍しい王族の「ごめんなさぁい!」の声が聞けたはずである。幸いにして里の人間はそれどころではなかった。
「最後の条件、ありゃ難しいんじゃねぇの?」
姫の用意した携帯食糧のスープを食べながらナナシは質問する。
「全員が、という条件ですね。問題ありません。言い切りましょう。明日、受け取るといいますよ。絶対にね」
姫の自信の源がいまいち理解できないナナシは曖昧に返事をした。
「うーん、まぁいいけどさ、それにしてもあんたあんな金塊持ってたんだな。いいのか、見せちまって? 不用心じゃね?」
姫は含み笑いする。
「おい、なんだよ? まさか偽物?」
「いえいえ、本物ですよ。ただ、持ち歩いていません。今私の荷物に金塊はひとつもありません。一度お見せしたでしょう? レニウムでできた壁を白銀に変えたじゃありませんか」
「あ!」
「あの時は苦労しましたけど、適切な材料があれば、あそこまで消耗せずとも私は純金を作れます。先ほどのものはナナシさんが寝ている間にこの里で作った、ふふ、言わばできたてです」
料理みたいに言うんじゃねえ、の代わりにナナシは確認した。
「なるほど。じゃ明日来るっていう侍女がもってくるのも金の材料ってことか」
「いいえ。侍女が持ってくるのは次の移動手段の材料です。あとは日用品とか着替えとか」
むせて口からスープの中身がちょっとだけ出た。
「落ち着いてナナシさん。ここはね、実は金鉱床が近くにあるのです。人の手で掘り、精製するのは莫大な時間がかかるでしょうけど、私には造作もない」
「だから金、なんていきなり言い出したのか」
「まあ、そうですね。なんでも良かったのですけれど、金が一番都合が良かった。私、ここのカネとモノの流れを数字で追っていたのですけれど、デエルはなかなかのやり手ですよ。さすが貴族カレドアージェと里の指導者ツァイの間で長年板挟みになり続けただけはある。彼がいれば大量の金塊をいきなり渡しても捌いてくれると踏みました」
「俺にはわからねぇ世界だな」
食べ終えたナナシが見上げると、姫はこちらを見ていない。
姫が目を向ける先には窓を濡らす雨。
「ねぇナナシさん。真夜中になったらこっそり出かけましょう」
「出かけるって、どこに?」
「この里の真実が見える場所へ」
記憶・兄妹・検索
化け物と何度もなじる手が私の首に迫る。
なんで? なんで? 私は化け物なんかじゃないわ!
「お兄ちゃんだって私のおかけで楽できるんじゃない! 選ばれたのは私なのに!」
なんで? なんで? そんなこと言うんだ? 俺はお前を守りたいんだ!
雨だ。いつだって雨が降る。
手にはあの時のナイフ。生温かいぬくもり。
ばだばたばた。あんまり足を動かさないで。お願い。大人しくて。ねぇお兄さま、こんなにも小さかったかしら。大人しくしてくれるなら、どいてあげるから。
ベッドに横たわる毛布に包まれたそれを、直視できない。小さな小さな膨らみ。殺した。殺してしまったんだ。あの小さな身体。
家族の誰かはありえない。そんなはずはない。
ずっと家族を守りたかった。自分のせいでばらばらになってしまった家族。もうこれ以上なくしてしまったら1人だ。それでは家族とは言えない。
だからベッドの上の、毛布の膨らみは、その中身は家族じゃない。知らない誰か。
あの、噂ばかりしているおばさん達だろう。きっとそうだ。顔も知らない、声だけの人。いつも嫌な話を遠慮なくしている嫌な奴ら。
『殺してしまったのね』
毛布が喋る。膨らみがもぞもぞと不愉快に動いて。巨大な芋虫のように。
『こっちが死んだのね』
ああそうだよ! 殺してやったさ! 守りたかったのに! 約束が違う! 御子にしないって言っていたのに。なのにあいつ嬉しそうにしやがって!
俺に、俺にあんなこと言いやがった。
『そうよね、あなたじゃ妹は守れない』
『双子でもその出来は雲泥の差だった』
やめろ、黙れ!
『めくってみたら、この毛布。だあれ、だあれ』
『あなたが殺したのはだ、あ、れ』
手が勝手に動き出す。駄目だ、めくってはいけない。その死体を確かめてはいけない。でも俺の手は止まらない。
はらりとめくる、その先にある死体の顔は、
俺の顔。
雷鳴に紛れるこの悲鳴は誰のもの? 俺、私、俺? 私?
『どうしたの?』
ベッドにちょこんと腰掛けている妹が話しかけてくる。いつからいたっけ。いや最初からいたはずだ。だって喧嘩してたんだもの。
『ひどいのよ、お兄様。私の首を絞めて殺そうとしたの』
イデラ、イデラ、あなたはイデラ。
頭が痛い、頭が痛いよ。
『大丈夫、大丈夫』
優しく優しくイデラが撫でてくれる。
『私、助けに来たの。ちゃんと思い出してみようよ。お兄様はいつからお兄様だった?』
え?
ずっと夢を見ているみたいなんだ。頭の中にもやがかかったみたいで。
『記憶と夢に区別はないの。どちらも脳が見せている幻よ。だから他人とすりあわせるの。私とお話しましょうよ。事実は他者との対話で生まれるの』
うんうん、しようしよう。もうおかしくなりそう。頭が痛い頭が痛い。
『全ての始まりはあの日から。イミタお兄様が御子の真実を知った日よ。里の外の人に出会ったでしょう?』
名前も顔も思い出せない。でも話だけ覚えている。
『おかしいと思わない? 話だけ覚えているなんて。どんな人? どんな声?』
姿形も声色も思い出せない。でも話だけは思い出せる。
『そんな人、本当にいたのかしら? その話はお姉様も知り得る話よね? だって当事者なんだから』
え?
『あの日、お兄様はつけていったのよ、お姉様を。そして知ってしまったの。御子の役割を。思い出して。よおく思い出して』
頭が痛い、頭が痛い。
『そして、ひどく詰った。お兄様が、お姉様を。大変な目にあっているのはお姉様なのに。家族を守るために頑張っているのはお姉様なのに。お兄様は責め続けたのよ。家の中。外は雨。すぐそばにはあのナイフ』
そうだった。ずっと責めていた。あの日。嘘をつくなと。
『思い出して。よおく思い出して。お兄様は普段なにしてる?』
何もしていない。ただブラブラと。家族が御子に選ばれたから毎日なにもせず!
『そんなお兄様がお姉様に勝てるかしら?』
勝てない! 勝てるわけない。覚えている。ナイフが身体に埋もれていく、あの感触。小さな身体。
『困ったことになっちゃった。里を出て行く人は1人、里の残る人は1人。死体は1つ』
隠さなきゃ、この死体を埋めて置かなくては。
毛布をめくる。何度も何度も何度もめくる。何度めくってもその死体の顔は、
イミタ。同じ顔。
『辛かったよね。苦しかったよね。ずっとお兄様のふりし続けるのは。馬鹿で間抜けでそのくせ嫉妬深くて、でも同じ顔』
イデラが抱える大きな大きな鏡に写る私の姿。雨の日に現れる殺人鬼。
あの子は私に笑いかけてくれる。とても嬉しそうに。
『だあれ、だあれ、あなたはだあれ?』
「私はダリネ。雨林のダリネ」
そうだよ、私はダリネ。イデラを守るため、戻ってきたの。
『非道いと思わない? 約束を破ったのよ。大人はいつもそう。私には手を出さないはずだったのに。赦せないよね』
赦せない赦せない赦せない。絶対に赦さない。
『あの時みたいにやっつけちゃおうよ。簡単だったでしょ、人なんて』
簡単だった。人なんて。あんな小さな身体。
でも1つだけわからないことがあるの。
あの噂ばかり言っていた2人は誰なんだろう?
『気にしすぎだよ、お姉様』
そう、そうよね。
ああ、頭が痛い。
『今度こそ、私を守ってね』
「今度こそ、あなたを守ってみせる」




