第四話(生まれる前からって卑怯ですよね)・11
「毒?」
ツァイは目をまん丸にひらく。
「一国の姫君と、その護衛様に、そんな大それたことを私達が? なんのためでしょうか? 無論、そんなことしておりませんよ」
「そうするだけの理由があることをちゃんと知ってるいるよ、俺達はさ」
「なにか、致命的な行き違いが私どもの間であるようでございますね。そんな理由、どこにもごさいませんことよ」
反応したのはアリスティア姫だ。
「そうですか? 救い主とやらが残した予言にちゃんとあったでしょう? 私が今日ここに来ることも。なにをしに来たのかも。17年前、私の名前が公示されたときさぞ驚いたのでは? だから準備万端で待っていた」
姫は一番近くにあった湯気立ち上る皿に触れた。
「随分と手間暇をかけていますね。いろいろと王都から取り寄せたり、仕込みが大変だったでしょう」
ナナシからもわかるくらい、ツァイはゴクリと唾を飲んだ。
「ええ、ええそうですとも。お口に合わないと大変ですから。精一杯作らせていただきました。何よりもここに並んでおります獣肉は、救い主様の奇跡の御業を代々受け継いできた木猫の誇りです。毒などでそれをどうして汚せましょうか」
「私はあなた達にこの土地から離れることを、そして畜産の即時停止を要請します。神罰現象がある限り畜産は無理です」
出し抜けに姫は言い放つ。空気が変わる。
「ここはかつて救い主様が築かれた秘密の楽園なのです。他では無理でもここでならできる!」
ツァイの激昂は、一拍置いて後に重苦しい静寂をもたらした。
その空気を破ったのは里長デエルだった。彼はわざわざ椅子から立ち上がって平伏する。
「妻の非礼を深く深く謝罪いたします。申し訳ございませんでした」
デエルは額を床につけたまま続ける。
「恐れながら申し上げます。どうかこのままお帰りいただけませんか? どうか、どうか……」
「あなた!」
悲鳴に近い声をあげて、ツァイもまた里長の隣に並んで跪いた。
「夫婦揃っての非礼をここにお詫び申し上げます。こんな夜更けに追い出すなどと。お気に障ったのなら料理はそのままで結構でございます。こちらで全て処分いたしますゆえ。お部屋をご用意しておりますからそちらでお休みください。お話をさせていただくかも含めてまた明日にいたしましょう」
「いいえ、それには及びません。そうですよね?」
姫は横目でナナシを促した。ナナシは頭をかく。
「俺はいただくよ。でも詫びっていうならさ……」
ナナシははっきりとツァイを見据えた。
「毒味をしてくれよ」
「なるほど」
ツァイは立ち上がり、ナナシを見下ろした。
「失礼ながら、護衛様になんの権限が?」
「私の言葉と受け取って構いません」
姫の即答に、ナナシは無表情を保つことに全集中力を使わされた。
(こいつむちゃくちゃ言いやがる!)
無論ここだけの話だろうが、一介のそれも外国人の傭兵を大国ラティカの第一王位継承者の代理だと言い放ったのだ。
「左様ですか。わかりました」
ツァイは姫の言葉を吟味するようにゆっくりと頷く。
(ずいぶんと素直に受け取るもんだな、こいつも)
内心呆れているとツァイが毒味役をさせるべく近くの里人を呼びかけた。それをナナシは素早く制する。
「違うね、あんただ。毒味するのはあんただよ。名前、なんだっけ?」
ツァイは大きく息を吸った。
「そう、ですか。私が。ええ、いいでしょう」
まだ平伏し続ける夫を通り過ぎてツァイは席へと戻り、卓に並べられている料理を一皿一皿舐めるように見渡した。
そして意匠の凝った食事用の匙に手を伸ばそうとした所でまたナナシに制される。
「こいつを使いな」
ナナシはひょいと何かをツァイに向かって放り投げる。ツァイがなんとか受け取ったそれは、使い込まれた食事用の匙だった。卓に用意してあった木猫側のものではない。
怪訝な顔をするツァイにナナシは獰猛な笑みを向ける。ツァイにはナナシはなにも隠し持っているようには到底見えていないだろう。
「こういうの、体のあちこちにあるもんでな。俺みたいな傭兵ってやつはさ」
「さすが、殿下の護衛をおつとめになる方ですね。器用でいらっしゃる。他にも?」
「いいや?」
ナナシは指を1本だけこれ見よがしに立てた。それが数字の1を示しているのではなく、上を見ろだとすぐに気づいた一同は天井を仰ぐ。
天井には木猫の用意したものではない食事用のナイフが深々と刺さっていた。
ナナシの仕業だ。しかし、いつどうやって音に気づかせもせずに天井に突き刺さったのか、木猫側の誰1人として見当もついていないのは明らかだった。この場で姫ぐらいしか涼しい顔をしていない。
ナナシにしか聞こえない声で、あれ回収するのですか? という隣はもちろん無視する。
「互いを信用しあうって難しいよな?」
「ええ、本当に。でも私が毒味するくらいで信用いただけるならいくらでもいたしますわ」
その言葉通り、ナナシが指定する料理は全てためらいなくツァイは口にしてみせた。
ナナシの目をもってしても、そこに何かしらの欺瞞、たとえば皿や匙の交換、食べているふりをして飲み込んでいない等はしている様子はなかった。
隣の姫もまた食べるツァイを観察しているようだったが、なにも言わない。
「いかがでしょうか? これで少しは信用いただけたでしょうか? 料理に毒などもっておりませんよ」
結局すべての皿を毒味したツァイは、両手を広げて微笑む。まるで勝ち誇っているかのようだった。
これまでの振る舞いからツァイは十中八九里長を凌ぐ権力者だ。里の中心人物が自ら毒をあおる心中攻撃を仕掛けてくるとは考えにくい。
「これで安心して召し上がっていただけますね?」
ナナシは頷くしかない。
「では、今日の善き日に、この糧に、杯を掲げましょう」
ツァイは1本の瓶を手に取ると、手ずから杯へと注ぐ。
「一番近くの村から取り寄せている酒です。この地方ではもっとも愛されているものをご用意いたしました。もちろん同じこの瓶から、護衛様のお好きな杯へとお注ぎしましょう」
ツァイはにっこりと微笑む。
「当然、先に頂くのは私です」
言うやいなや、ツァイは杯の酒をくいっと飲み干した。
杯を卓に置いても、微笑む彼女の身体はなんの異常もきたさない。目だけは笑わず、じっとナナシを見つめてくる。
「いいだろう。こいつにもらおうか」
ナナシは覚悟を決めて近くの杯を手に取った。
(こいつらは明らかに素人だ)
ここまでの観察から、ナナシはそう判断した。この里人達に自分や姫の目のかいくぐっての小細工は無理だ。身体検査をしない雑な武装解除も、殺気への対応も、天井のナイフに気づかなかった事もすべてがそれを物語っている。
でもなにかを狙っている。それがナナシに掴めない。不気味だった。
とはいえ、このままでは話すらできない。それが意味するのは木猫族の全滅だ。
そもそも話し合いはむしろ姫の優しさだろう。そうナナシは予想している。姫の目的はあくまでも御神体の正常化であって、木猫一族の存亡ではない。姫の話が本当ならば、なにもしなくてもこのままではモトがあふれ、木猫は滅ぶ。
しかしその話を木猫側がまるで信じる様子がないことは、「土地を棄て、生業をやめろ」と姫が言った時のツァイの激昂が裏付けていた。
姫からしてみれば、北の狼族が壊滅してからも御神体の正常化ができたように、姫の目的に狩師一族の生死は直接関係がない。
ちらりとみる姫の無表情には、揺らめく炎のせいで物憂げな陰が波打っていた。
(でも見捨てることはできないんだよな、あんたは。危険にその身をさらそうとも)
あの時、奴隷として連行されていた北の狼族の前に駆け出したように。
どれだけの時間が残されているのかはナナシにはわからない。それでも妥協点を探る話し合いは必要のはずだ。ナナシがこの木猫の用意した食事に手を着ければまだ話し合いの余地が残されている。
酒が注がれた杯を受け取ったのはアリスティア姫だった。
「おや、お酒は召し上がるのですか? なら姫様の分も」
「いいえ、いりません。ですが掲げるくらいは共に、と思って」
姫が目配せするので、ナナシはその杯を姫の手に重ねる形で握る。
「今日の善き日に」
「善き出会いに」
するりと姫が杯から手を離したので、ナナシはその酒を口に含む。
ふわりと花の香りが広がると、じわりと口中に旨味が膨らんでいく。
口の中に酒の特有の味も残らない。致死に至る強力な毒なら舌に触れた瞬間にわかる。そうナナシは鍛えられている。しかしさらりと喉に落ちていく。
「うまいなこれ」
警戒していたはずのナナシが思わず誉めてしまうほど飲みやすい。
「お気に召したのでしたら幸いです。さあ、どうぞ料理も召し上がって下さいな。どれも木猫自慢の品々でございます」
今度はナナシがアリスティア姫に目配せする。姫はこくりと頷いた。
「わかった。いただこう」
ナナシは手始めに一番気になっていた、表面を軽く炙っただけに見える肉の薄切りを口にした。
「う……」
ナナシの口からうめくような声が出た。
これは単に生焼けなのではない。絶妙に火入れをしているのだ。それが噛むに楽しい食感を生み出し、旨味がそのたび溢れ出す。
しかし旨味だけではない。くどくなる直前でピリリとした香辛料の刺激が顔をだす。
目が覚めるような、いや脳が開いていくような感覚すらしてくる。周りの情景すら鮮やかに色めきだつ。
美味すぎて思わず声がでるなんて、かつて経験がないほどだ。
「お気に召したようでごさいますね」
そんなツァイの言葉も聞こえないほどナナシはあっという間にその皿を平らげた。
「これもきっと美味しいですよ」
姫が新しい皿をナナシにすすめる様子に、ツァイをはじめ木猫側のみながどよめく。
(護衛にこんなことする王族なんて普通いないよな)
ナナシは理不尽ともいえる恥ずかしさを感じながらも、姫が差し出す料理を受け取った。
みるみるうちに空になり積まれていく皿に、同席した面々は目を見張る。
内臓が煮込まれたスープは、後から辛みが口の中で暴れだすがこれがやみつきになる。あばら骨付き肉は舌の上でホロホロと解けるし、胸肉の団子などしっとりとしていて肉汁が溢れだしてくる。
ナナシにとってはどの料理もこれまで見たことも聞いたことすらもないものばかりで全て絶品だった。
ナナシは同業の人間と比べても獣肉を食べる機会は多い。
それでもまるで初めて、あるいは別物であるかのような食感、味わいに警戒心やわらかな屋上と宮園吹き飛び、心を奪われた。
香辛料もいい仕事をしている。ほとんどの皿に使われているが、配合は料理ごとに違うようで味は一様ではなく、その素材の味を十二分に引き出していた。
結局、ナナシが全ての皿を空にするまで、幾ばくの時間もかからなかった。
「いや、うまかったよ。すげぇな」
ナナシの賞賛に、喜びよりむしろ戸惑っているように里人達はあんぐりと口を開けて驚いていた。
「おっと悪いな。俺は人一倍食うもんでよ。もしかしてあんた達の分もあった?」
「いいえ、全部お2人の分としてご用意しておりました。気持ちの良い食べっぷりに見入ってしまいました」
そう述べるツァイの顔が多少引きつっていたのは、ナナシの暴食ぶりか、ただの傭兵に甲斐甲斐しく世話する王族を見たからなのか。たぶん両方だなとナナシは穴があれば入りたい気持ちも味わった。
ツァイが指示して、給仕役に徹していた里人が皿を下げていく。
飲み物だけ残された卓で始まったのは木猫側の自己紹介だった。席についた面々がいちいち1人ずつ立ち上がって名乗っていく。
ナナシに近い位置から、壮年の男がツァイの弟のツァクト。
そのとなりの中年男がエントハクト、さらに隣がその妻、マステン。
姫に近い位置にいるのが、この中では比較的若い男のシュレプトとその兄ラハテンと名乗った。
ナナシは壁に控える給仕役を一瞥したが、名乗る様子はまるでなかった。
さて、と族長ではなくツァイが口火を切る。
「姫様のご要望は先ほど伺いました。恐れながら姫様にお訊ねしとうございます。よろしいでしょうか?」
「かまいません」
「なぜ我らをこの土地から追い出そうとなさるのか」
問われたアリスティア姫はゆっくりと目を閉じそらんじる。
「名も無き護衛1人をともなって、銀の髪の少女が訪れるだろう。その者、古王国唯一の継承者、名をアリスティア・リチェルカーレ・ラティウム」
(名も無き護衛!?)
内心そう驚くナナシ以上に驚愕が顔に出たのはツァイだった。構わず姫は続ける。
「彼の者、楽園を壊すものなり。導因、これすべて大いなる禍へ転ずるだろう。源を断つより他なし」
「なぜそこまで……」
姫はその大きな瞳を開けて、ツァイを見据える。
「あなた達の言う救い主は、私にも伝言していた。それだけのことですよ」
ツァイは動揺していて二の句を継げない。
「質問に答えましょう、ツァイ。源を断つより他に方法がないから来たのです。予言の通りではないですか」
「源はそちらのことだろう!」
叫んだのはエントハクトで、身を乗り出す彼を止めたのはその隣のツァクト。ナナシを抑えたのはアリスティア姫だった。
ナナシを左手で制したまま姫はまんまるな瞳でエントハクトを見つめると、弾かれたように笑いだした。
「私が源? そう、あなた達は私が禍と思っているのか!」
アリスティア姫のその笑い方は、つい最近ナナシは聞いたことがあった。あの時姫は、自分が怖くないのか、と聞いてきた。
「なにがおかしいの!」
卓を叩き、怒気も露わに立ち上がったのはマステンと名乗った女だ。
「あなた達ラティカはいつもそう! 私達から脅して奪うばかり! 獣肉だけでは飽きたらず、今度は土地まで奪うと言うの!? 言っときますけどね、この土地を手に入れったってあなた達みたいななにか奪うだけの人間にはなにも生み出せない!」
名乗った木猫側では一番年若い男、シュレプトもまた激情をぶつけてくる。
「ここを救ったのはかつての救い主様だ! あの方の御業は今でも我ら木猫を救い続けおられる。そちらはどうだ!? ただただ武器で脅して奪っていくだけじゃないか!」
もう無表情に戻っている姫は黙したまま、ナナシを制し続ける。
感情は伝染することをナナシは知っている。このまま木猫側の感情が高まれば、危うい状況になる。ナナシが倒す順番を決めはじめた時、動いたのはツァイだった。彼女は大きく手を3回打ち鳴らす。
「やめなさいお前達!」
その一喝で、木猫側は全員びくりと身体を振るわせた。続けてツァイは夫の肩に手をおいた。デエルは目を固く閉じて深々と頭を下げる。
「幾重ものご無礼、重ね重ね申し訳ございません。もはや赦されるとは思っておりません。この場の責はすべてこのデエルにございます。罰するのは私のみに……」
お前が謝んのかよ! と辛うじてナナシは口に出さなかった。冷静に考えてみれば、確かにあちらの責任者は里長のデエルであることには間違いない。実権はどうであれ。
「いいえ、デエル。別に私は気にしていません。もし災いに個別に名前があったとしても、被害を被るという点においては変わりありませんからね」
姫はデエルからツァイへと視線を移す。
「予言の日まではまだあります。今日はもうここまでにしましょう。いいですよね、ツァイ?」
問われた彼女はにっこりと微笑む。
「もちろんです。2階にお部屋をご用意しておりますわ」




