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大剣のアリスティア  作者: 雉子谷 春夏冬
第一章「神様は赦してくれない」
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第四話(生まれる前からって卑怯ですよね)・9

 太陽がその身をほとんど地に沈めたころ、加工した石を積み上げた開きっぱなしの門と、緩んだぼろぼろのロープで括られた柵で仕切られた木猫族の里の入り口に着いた。


 その簡素で粗末な門に近づくほどに、ナナシが気になっていたのは匂いだった。里に近づけば近づくほど獣の濃厚な匂いが鼻をつく。姫は特に気にならないのか涼しい顔をしているが、ナナシは左腕で鼻と口を覆う。


(本当にいやがるのか、ここに獣が)

 しかしその匂いは、獣のいる山界の森で漂う肌を差すような刺々しさのものとは似て非なるものだった。どこか少しだけ甘ったるい弛緩した匂いで、ナナシは気分も居心地も悪くなる。ナナシの五感は確実に得体の知れない獣があの村で蠢いていることを訴え、ナナシの常識がそれを必死に否定していた。


 門のそばになにやら動くものがあって、ナナシの心拍が上がる。手が自然と背の柄への伸びる。

(いや、子供……か?)


 暗くて顔が判然としないものの、門にはナナシの背の半分くらいの人影が背伸びをしながら備え付けられた門灯に火を入れていた。恐らく幼い女の子だろうとナナシはあたりをつける。


 ナナシの頭にまだアムトに出逢う前、預けられた村の人間に頼まれた雑用をしながら、師匠を待っていた思い出がよぎった。

(あのくらいの年の子はつまんねー雑用やらされるんだよな)


 その子供に見える人影が姫とナナシに気づくと、かわいそうなくらいに狼狽えて蝋燭を落としそうになった。


 ゆっくりと近づき、さっとナナシが相手を観察すると、まだ10歳になったかならないかくらいの女の子に見えた。その年齢なら里の外の人間に初めて会ったとしてもおかしくないだろうに、とナナシは同情する。


 ナナシはこれ以上驚かないように努めて優しく声をかけようとしたら、その前に姫が歩を速めて近づき、見下ろしながら話しかける。


「里長に伝えなさい。約束の日に私が来た、と。それで伝わるでしょう?」


 ナナシの背筋が冷たくなるほどそれは凍てつく声色だった。相手の事情心情一切省みない命令口調は、まさにナナシの毛嫌いする貴族そのものの態度だ。


 言われた当の本人はペタンと尻餅までつき、「ごめんなさい」と小さな声で姫に謝りさえしている。


「赦します」


 姫のその一言に、とうとう地面に座りこんだ相手はじんわり目に涙をためた。


「おい、子供相手に」


 慌ててナナシが屈んで目線を合わせ、話しかける。


「驚かして悪い。俺達は旅の者だ。お嬢ちゃんお名前は?」


 作り慣れない笑顔をナナシが向けると、おびえた表情をしながらも答えてくれた。


「イ、イデラ……」


 誰か大人を呼ぶようにと、ナナシが口を開きかけると、やはり姫が命令口調を改めず先んじる。


「もてなしもいらない。それも伝えなさい」


「おい!」


 いい加減、ナナシは諫めようと振り返ると。


 無表情だった。ナナシが別人かと一瞬疑うほどに。


 戦いが生業のナナシすらも動きが止まるほどの迫力。


 アリスティア姫は顔が整っているために、表情がなくなると人間離れしてしまう。


 醜いのでは決してないが、穏やかな美しさでもない。それは山を切り崩すほどの雷光が、身を滅ぼすほど危険な光なのに魅入ってしまうのに似ていた。

(これじゃあ、まるで……)


 ナナシがそれ以上考える前に、尻餅をついたイデラが這いつくばるようにして走り出し、里の奥へと消えてしまう。


 真正面から見た本人はあまりにも衝撃だったのだろうと、ナナシは責めるように姫を見据える。


「おい、あんな小さい子になにやってんだ。めちゃくちゃ怖がってたじゃねぇか。一体どうした?」


 問いつつもナナシは困惑していた。

(子供にこんな態度をとる奴か?)


 以前、北の狼族を甲斐甲斐しく世話をしていた姫の姿とはかけ離れ過ぎている。


「怖かったのですか? 私……」


 姫は姫で、顔を伏せてその表情に影を落とす。その様子にナナシはそれ以上追及できなくなってしまう。


 ナナシは溜息をつくと立ち上がり、イデラが落とした蝋燭の火のついた先端を靴裏で踏み消した。


「あーあ、なんにせよ案内は期待できそうにねぇな」


 ナナシは努めて明るく、肩をすくめて言った。


「大丈夫でしょう」


「まぁな」


 村長のいるところなど、村の奥か中心の大きな家と相場が決まっている。


 2人は壊れそうでも、なんとか形を保っている門をくぐり、里へと足を踏み入れた。



 アリスティア姫から逃げ出すように駆けだしたイデラと名乗った彼女は、先ほどとは打って変わってはじけんばかりの笑顔だった。

「できる、できる、はじめていいんだ!」

 向かう先は里長のところではない。儀式の期間中以外は誰も近づくことのない、捧げ場へ一目散に目指していた。

 捧げ場とは里の一番奥まった場所にある建物のない広場で、石を切り出して作られた墓標がいくつも並ぶ言わば墓地だった。墓標には短く名前と感謝の文字だけが刻み込まれ、墓石周辺には里の外には一切なかった雑草が生い茂っている。 

 その捧げ場にたどり着くと、墓石の1つを愛おしそうに何度も撫でる先客がいた。

「お姉ちゃん!」

 呼び声にその先客は優雅に振り返る。妙齢の貴族のご令嬢然とした人物だった。

 その身に纏うは闇色のワンピース。ライラとお揃いの侍女の標準服。艶やかな微笑みを読んだ彼女に向ける。

「ダリネお姉ちゃんの言ったとおり! 来たよ、2人で来た!」

「そう、そうなのねイデラ。よく知らせてくれたわ」

 彼女は駆け込んだ勢いそのまま、漆黒のワンピースにしがみつくように飛びつく。

「いよいよ始まるよ、ダリネお姉ちゃん。準備はいい?」

「ええ、もちろんよイデラ。王都からの暗殺者集団はほとんどライラが始末したわ。ライラは暗殺者を殺す暗殺者だったものね」

 彼女は抱きつきながら相手の頭をもみほぐす。大丈夫、大丈夫、と何度も呼びかけながらやさしく、やさしく揉んでいく。

「残党も2班が相手をするからどちらも里にはこれない。一番厄介だったライラはもういないし、これで邪魔は入らない」

「今度こそ私を守ってね、ダリネお姉ちゃん」

「ええ、もちろんよイデラ」

 どこからともなく聞こえる童歌。

 ──だあれ、だあれ、あなたはだあれ。

「私はダリネ。雨林のダリネ」

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