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大剣のアリスティア  作者: 雉子谷 春夏冬
第一章「神様は赦してくれない」
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第四話(生まれる前からって卑怯ですよね)・4

 振り下ろせ、止まれ。相反する命令の狭間におかれた拳はただ微かに震えていることしかできなかった。


「殴ってもいいのですよ。それだけのことを、いえその以上のことを私はしてきた。殴られるどころか、生きたまま焼かれても生温いほどの。でも私、ずっと欲しかった。私がしたことの報いが。あなたがくれるというなら」


 その言葉で、むしろナナシは乱暴に姫から手を離す。


「報いなんぞ! 俺があんたに与えられるわけねぇだろう。投げ出すことが、見殺すことが罪になるなら、共犯だよ、俺もあんたも」


 力なくその場にへたり込もうとするナナシを、アリスティア姫が支える。


「そうですね。いずれ私は地獄に落ちるでしょう。それでも今、私は立ち止まるわけにはいかない。あなたも」


「悪いのは大剣使いだ。大剣使いを放置している俺だ。俺が見つけられずにいるから。俺が、俺が……」


「そうですね、あなたにも私にも罪はある。けど一番悪いのは環境維持装置を暴走させた奴です。だって意図的に暴走させたのだから。こうなると見越して」


「え?」


「さあ、進みましょう。この先の昇降機に乗らなくちゃ。あなたはね、事実を知るべきです。この先にある事実は、あなたと大剣使いを結ぶ最初の糸になるでしょう」


 行き止まりまでナナシを引きずるように歩かせたアリスティア姫は、壁に左手をくっつける。

 ピンとナナシが聞いたことのない高音が短く鳴ると、滑らかに緩やかに床が真下へと落下し始める。


 滑車を使った昇降機を利用したことはナナシにもある。しかしこの音もなく振動もほとんどない昇降機は、どんな原理で降りて行くのかさっぱり理解できないが、興味もわかない。


「戦いはどうなったんだ?」


 しばらくの静寂を破ったのはナナシだった。

 姫の話が本当なら、あの大剣使いと戦ったというのに彼女は無傷だ。


 不意打ちであれなんであれ、狩師という神罰狩りを生業とする手練れの戦闘集団をたった1人で壊滅させる実力の持ち主に対して、いくら常識外れのアリスティア姫といえども無傷は信じがたい。


 もっともズタボロの致命傷を負ったナナシを完治まで持っていった姫の並み外れた詠術なら、あるいは負った怪我を治療したのかもしれないが。


 大剣使いを討ったという可能性についてもナナシの思考には浮かばない。

(やられるはずがない)


 あの大剣使いが、僅かにも手傷を負うなどと、どうがんばっても想像の埒外だ。


「交戦はしましたが、すぐに邪魔が入ったので実は戦いと呼べるほどのものではありませんでした。私の目的も戦闘ではありませんでしたし」


「邪魔?」


「グゼと名乗る者が介入してきたのです」


 停止による反動も微塵も感じさせず、昇降機は停止した。すぐに目の前の壁がさざ波のように開く。

 開けた先にはがらんとした薄暗い空間が広がっていた。


 引っ張ろうとする手を離して、姫の後を歩き始めたナナシは疑問を重ねる。


「グゼ? あの白いもやみたいなものに覆われたリリトゥ・トライセンに叫んでいたな。なんなんだ、あれは?」


 なにもない空間かと思いきや、少し先にぼんやりと灰色の台座に乗る黒い墓標のようなものが見えた。


「神を騙る人でなし。私の敵です」


 アリスティア姫の敵。その言葉を意外に思う自分自身にナナシは驚く。


 とはいえ、姫は明確に敵意を剥き出しにした瞬間をナナシは目撃している。それはまさしく、リリトゥ・トライセンと対峙した時だった。


 人買いと出くわした時は、怒りは見せても殺意はなかった。

 神罰獣や神話獣に対しても姫は怨恨を持って戦っていたわけではない。あくまでも駆除の心持ちだったと今ならわかる。


 リリトゥ・トライセンへ放った詠術こそ、姫の殺意そのものを象っていた。

 ちらりと姫はナナシに目線を向ける。


「そして戦いは中断されたまま、大剣使いはグゼとともに去りました」


「戦いを中断した!?」


「そうですね。私の声は、声は届かなかった……」


 姫は不意に前方を指差す。


「あれが御神体、環境維持装置です。リリトゥ・トライセンを操り、ここに侵入したグゼが狂わせたのです」


 見れば見るほど、近づけば近づくほど、威圧感を増す漆黒の石柱は、この空間に比べてそんなに大きくはない。せいぜい大人2人分の高さに、1人分の幅だろう。飾りつけは一切なく、真っ黒な石を切り出して光沢がでるように磨き上げたものにナナシには見える。


 あるいは北の狼族の里よりも広いこの空間にぽつりとあるその石柱は、ちっぽけに感じそうなものだが、目の離せない存在感を醸し出していた。


「各地にある御神体を狂わせるのは、私を殺す手順の1つ。それをされたら私は王都から出ざるを得ないですからね」


「あんたを、殺す? そのグゼって野郎はラティカ王ではなく、あんたを狙っていると?」


「現ラティカ王はもうこの世にはいませんから」


 ナナシは瞬時には姫の口から出たその言葉を理解できなかった。


「い、いない? ラティカ王は、あんたの……」


「表向きは長期療養とされています。でも王都の貴族の間では行方不明として捜索が秘密裏に行われています。様々な派閥が各々の思惑のなかでね。そして私は……。非道い娘でしょう? 私はお母さんが生きているとは考えていません。もうとっくにグゼに殺されています。死体が出てこないのは、そちらのほうが混乱が長引きますからね」


 大国ラティカの王が死んでいる。ナナシは情報だけで頭が吹き飛びそうだった。一介の傭兵が知っていい事実ではない。その話は下手したら戦争を引き起こしかねない。


「さあ、装置を正常に戻します。少し待っていてくださいね」


 いつの間にか例の石柱の前に着いている。話の内容に時間も距離も吹っ飛んだかのようだった。


 目の前の漆黒の石柱と灰色の台座は、近くでみれば、実にちぐはぐなものだった。


 墓標のような石柱は、狼族が御神体とあがめていた黒い壁同様、とても滑らかで人工のものとは思えない程精緻極まる造形物に対し、それを乗せる台座はこの山にある石を慌てて切り出したかのような、間に合わせの印象を抱かせる。


 姫は石柱に両の手のひらをくっつけると、目を閉じ集中し始めた。


 その様子をじっと見ながらも、ナナシの頭の中は、先ほどの姫との会話がずっと渦巻いていた。


 北の狼族を滅ぼした大剣使い。

 大剣使いをおびき寄せるため、北の狼族を見殺しにしたアリスティア姫。

 そうなると見越して御神体を暴走させたグゼなる者。

 その死を隠されているラティカ王。


 黒い石柱にいくつもの赤い直線が走り、うなり声のような振動音にナナシは現実に引き戻された。段々と騒音じみてきた音はやがて空間を埋め尽くす。


 不安になって姫を石柱から引き離そうか思案し、そろそろ実行に移そうと腕組みを解いたとき、振動はやっと収まった。


「お待たせしました。これで装置は正常にもどりましたよ」


 振り返った姫はうっすらと汗ばんでいる。


「少し、休憩したほうが良さそうだな」


「私なら大丈夫ですよ?」


「いや、話を整理したいんだ」


 台座に寄りかかるようにして、2人は腰を下ろした。

 姫の話が全て本当かどうか、確かめる術はナナシにはない。


 しかし、姫を襲う得体の知れない敵がいるのは事実だった。大剣使いの痕跡に今まで一番近づいたのもまた事実だった。


 ナナシは唐突に自分の頬を叩く。


「ナナシさん?」


「いや、まったく惑わされるところだったぜ。あんたがごちゃごちゃ説明するからさ」


「えっと、ごめんなさい?」


「俺にとって重要なのは大剣使いの行方だ。そのグゼとかいう奴のところに大剣使いはいるんだな?」


「おそらくは」


「そして、そのグゼはあんたの命を狙ってる。そうなんだな?」


「はい。間違いなく」


 ナナシは勢いよく立ち上がり、姫に向かって手を差し伸べる。


「あんた、報いが欲しいって言ったよな?」


 その手を掴んで、姫もまた立ち上がる。


「ええ。私は大勢を救うためなら、いつだって少数を切り捨てます。どんなに大切な人であったとしても。そんな人間はきっといつか報いを受けるでしょう」


 ナナシは師匠の言葉を思い出し、首を傾けた。


「道に迷ったとき、誰かに聞いたとするだろ? でも聞いた情報も間違っていてもっと道に迷ったとする」


 突然の話に困惑しながらも、姫は黙ってナナシの話に耳を傾ける。


「誰が悪い? 間違った道を教えた奴か?」


「それは……」


 言いよどむ姫に、ナナシは答えを放つ。


「自分自身さ。師匠はいつも言ってた。自分の人生の責任は自分にしかとれないんだと。恨むのも、そいつらの自由ではあるけどな」


「私はそれでも……」


「そうだな、あんたがそれでもその重荷を自ら背負うと言うなら、それは誰にも分かち合うことはできねぇだろう。でも……」


「でも?」


「俺は傭兵だからな。あんたが俺に報酬をくれるなら、どんな戦場でも一緒に渡ってやることはできる」


「どんな報酬を私に望むのですか?」


「大剣使いに至る道をくれ。俺を大剣使いに会わせてくれ」


 互いに掴んだ手を胸の高さまで持ち上げて、握り直す。


「契約は成立ですね」


 石柱に走った赤色の線は、音も振動もないものの不気味に明滅を繰り返している。


「それにしても、モトってのはなんなんだろうな」


 ナナシを助けたのはモトならば、狼族を滅ぼした直接の原因もまたモトだ。


「私もずっとそれを知りたくて研究をしています」


「あんたでもわからないことがあるんだな」


「それはありますよ。わからないことだらけです。わかっていることは、モトがなければこの大地で私達は生きていけないということだけ」


 ナナシは鼻を鳴らした。


「大げさだな。困るのはあんたら詠術師だけだろう」


 貴族にあらば、人にあらず。ナナシが会ってきた貴族達はそういう態度を堂々と振る舞う奴らだった。どことなく姫は違う、そう思っていたのだが。


「これから、どうするんだ?」


 気を取りなおして、ナナシは問う。いつまでもこんなところにはいられない。


「東へ向かいます。そこの狩師の集落だけ異常が報告されていません


「そこだけ?」


 姫はこくりと頷いた。ラティカはその四方の国境付近を四大狩師族が取りまとめている。即ち、東の木猫族、西の猿面族、南の大熊族、そして北の狼族だ。


「最初は西からでした。神罰の被害が急増し、対処できなくなったと猿面族の狩師から急報が入ったのです。収穫に影響がでると踏んだお母さんは討伐軍を組織してすぐに向かわせました。西の豪農貴族達の機嫌を損ねるわけにもいきませんでしたしね。その甲斐あって、西の騒動は迅速に治まったかのようにみえた……」


「実際は違うと?」


「討伐軍の報告を信じたお母さんは、被害の確認と慰労を兼ねて視察に行くと言い出したのです。私は強く反対しましたが、王の剣の精鋭達を引き連れて結局は出掛けていきました。そして消息を絶っています」


「罠、か」


「捜索隊を組織している内に、南からも同様の嘆願が届き、北はさっきお話した通りです」


 ナナシは頭をぼりぼりと掻いた。


「東ってここからどんぐらいかかるんだ? すげー遠い気がするんだが……」


「まともに旅したらひと月以上かかりますね」


 ナナシはあからさまにげんなりした顔を隠そうともしない。


「でもまともじゃない方法を使えば、今日の日没あたりには着きます」


「なんだ、そのまともじゃない方法って?」


 姫は黒い石柱をトントンと叩きながら答える。


「アマリア様がここに面白い聖遺物を保管してくださったのですよ」


「聖遺物だぁ?」


 ナナシが素っ頓狂な声を上げたのと同時、地面から振動がして、石柱の先の床がぱっくりと開く。

 振動は止まない。開いた床から巨大な灰色の鉄塊がせりあがってきた。


「なんなんだぁこりゃあ……」


 ようやく振動がなくなった時、呆然とナナシはつぶやきながらその鉄塊に近づいていく。


 全体の形の印象は、鋭利で歪な平べったい三角形だ。床との接地はその巨体からすれば、おもちゃみたいな車輪2つで支えられている。


「これが聖遺物?」


「そうです。神罰戦争よりずっと以前の人類が残した聖遺物。箱舟の上陸艇兼護衛戦闘機、ビルレスト。可愛くないですよね。私だったら飛丸と名付けます」


「良かったよ、もう既に名前があって」


「え? どういう意味ですか?」


「いや、なんでもない。で、これがなんなんだ?」


「乗り物ですね」


「乗り物ぉ? こんなのどうやって牽くんだよ。俺やだよ」


 心底嫌そうな顔をしたナナシに姫は苦笑する。


「人力車じゃありませんよ。と言っても燃料も武装もないので、私の詠術で動かします」


「詠術で動かすってなぁ、こんなんが地面を走るのか?」


「走りますよ。あと、飛びます」


「走る、飛ぶ。飛ぶ!?」


「はい、空を飛びます」


 ナナシは顎が外れそうなくらい開いた口がふさがらない。今度こそ、今回こそナナシは姫を信じられないと思った。


 跳ねる生き物はいる。腰や精々頭辺りを舞う蝶もいる。しかし空を飛ぶものはいない。それは伝説の中にしかいない。


「鳥だとでも言うのか、これが!?」


「これは鳥ではありません。残念ですけど鳥は復活しませんでした。まあ、全体的な造形は参考にしているそうですよ。生体模倣技術ですね。ハヤブサという鳥はこんな形をしていたということです」


「ああー、ごめんね全然わかんない」


「大事なのは……」


 姫の言葉をきっかけにするように、鉄塊近くの床がせりあがり、階段状に変化する。


「この飛ま……、ビルレストがまだ動く、ということです。さあ、乗り込みましょう」


 透明な膜のような部分が滑り開くと、1列に並んだ座席が2つあった。姫はナナシを前方の席に座らせると、ベルトのようなものを腰に回して装着させた。


「なんか窮屈だな」


「あら、狭いところは苦手ですか?」


「そういうんじゃないけどよ」


 ナナシのうっとおしそうに払う手を避けながら、姫もまた後部座席に潜り込んだ。

 透明な膜が再び動き、2人の頭上を覆い閉まると、なにもないと思っていた座席の周囲が輝きはじめる。その光はナナシには判別できない文字や図形だった。


「掴まって下さい。地上に一気にでますよ」


 その言葉に驚く間もなく、2人を乗せたビルレストは垂直に持ち上がり、ナナシは天井を正面に見ることになった。その天井は勢いよく何枚も開き、遂には蒼天を見せた。


「な、なにこれ……」


「もう喋らないで、舌噛みますよ。それと頭は背もたれに押し付けて。衝撃がきます」


「えっ! えっ?」


「飛丸、発進!」


 凄まじい衝撃が、座るナナシの全身を押し付ける。なにが何だか分からないうちに、身体がふわりと浮き上がり、ベルトに引き戻される。


 座っているだけなのに息があがったナナシが、ようやく周囲を確認できる余裕を取り戻した時、絶叫した。


「く、雲があんなに下に……」


 さっきまで自分達がいた場所が、まるで緑と茶色の絨毯だった。あまりにも高すぎて、眼下に広がる土地に起伏がなく、平べったい一枚絵のようだった。


 山に登って、そこから下を見下ろしたことはあるが、こんな高さは経験したことがないし、なによりここは地続きではない。


「これ大丈夫なんだろうな? 落ちないよな? てか、どうやって浮いてんだよこれ!」


「ナナシさん落ち着いて。浮力の説明は多分1日じゃ終わりませんから」


 ビッー、ビッーっと甲高い笛の音が響き、座席全体が赤い光に照らされる。


「今度はなんだ!?」


「斜め右後方! 何か発生してる!」


 姫が指さす地面は、この高さでも分かるくらい巨大な白い塊が泡だっていた。


 それは段々と禍々しい角が渦巻く山羊の形を取り始めた。


「おい、ありゃあまさか神罰なのかよ」


「有り得ない。装置はもう正常なのに。神罰を超えて神話化してる!」


「なんの神話だ!?」


「山羊の神話、知を喰らうもの、アマルティ!」


 はるか上空にいて感覚が麻痺しているが、アマルティは山と変わらない大きさだった。もしこの乗り物に乗っていなければ、成す術なく押しつぶされていたことだろう。攻撃ですらない、圧倒的な存在の物量である。

「どうする?」


「もちろん、鎮めます。ここが上空で良かった」


 姫は早速詠唱に入る。アマルティは不気味な赤い相貌をこちらに向けているのみだ。


 不意にナナシの頭上に影が落ちる。雲ではない。日の光を遮るほどの馬鹿でかい氷の塊だった。


「神魂展開! 驟雨氷愴、蒼馬!」


 空気を切り裂き、轟音とともに隕石の如く氷塊はアマルティ目掛けて落下していく。その大きさたるや、アマルティと遜色ないほどなので、山に山をぶつけるようなものだ。


 あまりにも現実感の欠ける光景に、ナナシはもう乾いた笑いしか出てこない。


「衝撃を相殺します! でも掴まっていて!」


 姫の警告にナナシは衝撃に備える。


「全方位、波紋照合!」


 叫び声ともに、暴風が襲い来る。嵐に投げ出された小舟のように、もみくちゃにされもはや自分がどこを向いているのか全くわからない。ただただ不規則に回転し続けていた。


「ナナシさん、大丈夫ですか?」


 回転がようやく終わったとき、姫は小憎らしいくらい平静な声でナナシを気づかう。


「吐きそう」


「吐いたら楽になりますよ」


「それより、神話獣は?」


「潰しました。もうなにも出来ないはずです」


 覗き見る眼下は酷い有り様だった。山が大きく痛々しくえぐれ、氷塊とアマルティの肉塊が混じり合って地面にめり込んでいる。もう狩師の里は跡形もないだろう。


「いや、白い肉塊があるってことは死んでないんじゃないか?」


「アマルティの能力は際限のない細胞増殖です。正直、殺しきるには時間が足りません」


「これだけの攻撃をしてもか!」


「でも、さすがに活動は出来ないでしょう。そのまま人が近づかなければ神罰の意義を失い、消滅しますよ」


 このだけの攻撃、その自分の言葉にナナシは気づく。


「あんた、大丈夫なのか? その、あの時は……」


「マナガルムの時とは違います。今回は条件がよかった。1から全てを構築しませんでしたから。だから大丈夫ですよ」


 ならいいが、とつぶやきながら目は惨状の中心を捉え続ける。


「おい、なんか氷のほうが溶けてないか?」


「そんな、有り得ない!」


 姫は口を抑える。


「いえ、そう、そもそもアマルティが現れることが有り得ないことでした。まさか……」


 みるみるうちに氷は完全な溶け、肉塊が再び白く泡立つ。


「神話化すら利用するか! 有り得ない赤の天使! あざわらうもの!」


 泡が一段と膨らみ、卵のように象られたその内側から突き破り、威風堂々と羽根を広げだものが今、飛び立つ。


「そうだぁ! アリスティア、お前は僕が殺すと言っただろう!」


 北の狼族、その惨劇の夜にアリスティアを襲った異形の怪物が咆哮とともに羽ばたく。


 殺す、殺しきると呪詛を蒼穹に振りまきながら。

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