第四話(生まれる前からって卑怯ですよね)・3
廃墟になり果てたこの里で、目当ての物が無事なのかナナシが問うと、アリスティア姫は村の外れ、上へと登る山道を指差す。
「御神体はこの里の先、山頂付近の洞窟の中にあります。暗くなる前に行きましょう」
里を後にし、するすると進むその背中にナナシはぽつりと言葉を被せる。
「リリトゥ・トライセンってどっかで聞いたことあんだよなー」
「ああ、となりの大陸の新帝国宰相ですよ。本物の」
その意味を理解するのに何度かまばたきした後、ナナシは素っ頓狂な声をあげた。
「"運命を操るもの"リリトゥ・トライセンか! 腐敗した帝国を倒した立役者の1人じゃねぇか!」
こんなところにいるはずがないという先入観が、理解を阻む。音に聞く新帝国宰相、リリトゥ・トライセンは只の冒険者だった若者を導き、新帝国皇帝の座へとつかせた希代の詠術師だ。容姿端麗にして強力な詠術を繰り出すその様はまさに運命すら操ると噂は語る。
もちろんナナシは本物のリリトゥ・トライセンを見たことないが、先程の化け物ぶりには姫の話に説得力を持たせていた。
姫の話が嘘であれ真実であれ、なにかとんでもないことに巻き込まれつつある。それは確かだった。
(いまさらか)
この目の前を歩く銀髪の少女は、もう既にとんでもない少女だ。
「傭兵の方々の世界でも有名人ですよね。そう、つまり新帝国はその始まりからして、人外に乗っ取られている、ということです」
一介の傭兵風情がその一生の中で知るはずのない情報をさらりと言う姫へ、顎が外れそうだと言わんばかりにさする喉元から、ナナシは驚嘆を押し殺した声を絞り出す。
「あんたさ、ちょっとは俺に嘘ついたっていいんだぜ?」
「それは嫌です」
その即答にナナシは肩をすくめて、何気ない調子の声色で話を変える。なるべく温度がのらないように。
「まあいいさ。ところであんた、ここに来たことあるだろ」
ちらりと目線だけナナシに向けた姫は、直ぐに正面に瞳を戻す。
「ええ」
「それも、そんなに前じゃない」
姫は歩みを止めず、ナナシを振り返らない。
「その通りです」
「具体的には、あの里があんなんになる前だ」
「ここを案内できるから、そう仰るのですか?」
「それもある。だけどそうじゃない。そうじゃないだろ?」
その言葉にアリスティア姫は歩みを止め、ナナシへと銀髪を翻す。
「私の認識ではナナシさん、あなたと私の関係はまだお試し期間で仮契約中、ですよね?」
同じく緩やかな坂道の途中で歩みを止めたナナシは、逆光のなかそれでも輝く碧眼を見上げる。左右でやや色合いが異なる宝石のような瞳は、ナナシにその胸の内を読ませない。柔らかな木漏れ日が姫の輪郭をにじませていた。
「俺も、その認識だな」
「もったいぶるわけではありませんけれど、ここから先は御神体の前でお話します。私の目的、そして私の敵について。あなたが知りたいことについても」
ナナシが頷くと、姫は再び歩みだす。
2人の間には重苦しい沈黙が横たわったまま、目的の場所に辿り着いた。
「入らないのか?」
そう問うナナシに対し、アリスティア姫は洞窟の脇、急勾配な獣道と見紛う下り坂を指差す。
「実はねナナシさん。ここは近道なんです。公国側の隊商道につながる道への。ナナシさんがお望みでしたら、食料と地図に加えて関所を通るための通行手形も差し上げます」
「いきなり何を言っている?」
「つまりは、ここがあなたと私の岐路、というわけです。依頼を受けていただけるのか、それともここまでお終いなのか」
「判断するさ。話は聞かせてくれんだろ?」
頷くと姫はひかりのかみと呟く。その手に灯る光で内部を照らし、洞窟内に足を踏み入れた。
中は寒々とした空気が肌を刺激するが、意外にも地面が平らに均されていて歩きやすい。とはいえ2人が歩くのがやっとの洞窟内は圧迫感で息が詰まりそうだ。
「なんだ? 壁、なのか?」
狭い洞窟内が急にひらけたと思ったら、姫の照らす先に、ぷっつりと道を閉ざす壁が屹立し、ナナシの視界いっぱいに広がっていた。
ナナシが困惑したのは、明らかにその壁が人工物であると同時に、見たこともないほど表面が滑らかに磨かれていたからだ。
ほんのわずかな凹凸もないのは姫の灯りの反射具合で良く分かる。狼型神罰と交戦する直前にあった銀灰色のざらざらとしていた壁とは比べ物にならない。
材質も謎だ。ただだた黒く、立体感が抜け落ちたこの壁は金属かどうかすら解らない。剣で切れるか以前に、触れれば吸い込まれるような気すらしてしまう。
ここまでの洞窟内の道のりは、いかにも山を人の手で掘り進めた原始的のものだったが、目の前の壁はとても自然にも人間の技術でも作れるような代物とは到底思えなかった。
「これが、北の狼族にとっての御神体です」
「これが、こんな壁が?」
超技術の産物であることは確かだが、壁になにかを示すような意匠や文字が刻まれているでもなく、無機質な面を見せているに過ぎない。狼族達がこれにどんな神性を見いだしのか、ナナシにはまるで理解できなかった。
温度感も伝わらない壁に、アリスティア姫はぴったりと掌をつけると、突然笛に似た高音が短く響く。続けて姿の見えない全く知らない女の声が無感情に発せられた。
「生体認証を開始します」
「誰だ!? 壁の向こうに誰かいんのか?」
反射的に剣の柄に手をやるナナシの前で、アリスティア姫の身体が一瞬だけ赤く照らされる。
「おい!?」
「大丈夫です、ナナシさん。私達以外誰もいません。この壁が喋ったんです」
「壁が?」
「進み過ぎた技術は魔法にしか見えない」
「え?」
「大昔の諺です。さあ、開きますよ」
完全に無音なまま、壁に格子状の線が走る。それは亀裂と呼ぶにはあまりにも正確無比な直線だった。
その線はつなぎ目の全くなかった一枚の巨大な壁を煉瓦のような細かい塊の集合体に変えて、みるみるうちに左右の岩壁へと均等に吸い込まれていく。
蜃気楼だったかのように壁はたちまち消え失せた。先に続く道は、もはや山を掘っただけのこれまでの道とは打って変わり、消えた壁と同じ材質で病的なまでに正確に真四角に切り取られた通路となっていた。
「これも……詠術のなんかなのか?」
通路でありながらこの整い過ぎている様子は、もはや人を拒んでいるようにすら思える。
「鋭いですね、ナナシさん。この技術の先に詠術があるのです」
歩き始めたアリスティア姫の後を、慌ててナナシは追う。
姫はいつの間にか手から光を消していた。それでも辺りは暗くならない。通路の四隅が仄かな光を発していた。
「さっきの壁はね、ナナシさん。アマリア様の血に連なる者しか開けられないのです。だから、狼族はあの壁を御神体と思うしかなかった。だから、私は北の狼族を見殺しにした」
「見殺しにした? いや、なんの話だ?」
「私の敵、私の目的の話です」
姫の目的と敵の話が、どう北の狼族の惨事につながるのか、ナナシにはわからず相槌も打てない。
「狼族は、王宮に助けを求めていました。原因不明の疫病が発生し、里の幼子、老人が次々と倒れてしまったから、医術者を寄越してほしい、と。私はこれを黙殺しました。だからこそ彼らは密猟に手を出したのです」
「どうして黙殺したんだ?」
「疫病ではなかったからです。だから医術者を派遣してもどうにもならなかった。彼らの助かる道は唯一つ。この土地を捨てて逃げること」
「言ってやりゃあよかったじゃねぇか。逃げろってさ。命にかえらんねえだろ」
ゆるゆるとアリスティア姫は首を横に振った。
「この先にある本当の御神体はね、環境維持装置って正式には言います。その役割はモトを均しておくこと」
「なんだぁそりゃ?」
「覚えていますか、あなたを治療したときの話を? モトは多すぎても少なくてもいけない。この先に安置されている環境維持装置は、この周囲一帯のモトを一定の濃度に保つために吸い込んだり、吐きだしたりする装置なんです。これが暴走してモトを吐き出し続けるようになってしまった。つまり疫病の正体とは、濃すぎるモトが引き起こしたモト中毒だったのです。だから狩師ではなく、体内モトの器が小さい幼子や老人が真っ先に倒れてしまった」
なぜそのモト中毒が狼族を見捨てるに足る理由となるのか、ナナシはいまいち姫の話の着地点が読めない。
「以前ナナシさんは私に疑問をぶつけましたね。なぜ大剣使いは狩師の里を襲うのか、と。農村の人達と狩師の違いとはなんでしょう? 狩師には《山渡り》という秘術があります。それはモトを急速に取り込み自分の体内モトに速攻変換するという業です。この《山渡り》を行うと身体能力が向上し、そればかりか何日も食事や睡眠をとらずとも活動できるようになります。そんな秘術を繰り返してきた彼らは、結果として普通の人達よりも体内モトの器が大きく、普段から保持する量が違うのです。だから私は考えました」
「待てよ。ちょっと待ってくれよ」
遮るナナシの声を無視してアリスティア姫は続ける。
「大剣使いは、狩師達の普通の人より多い体内モトに引き寄せられているのではないか、と」
「おまえ自分が何言ってんのかわかってんのか!」
無機質で冷たい通路内に、ナナシの叫びが木霊する。
ナナシは目頭が熱くなっていることを自覚する。頬が熱くなっていることを自覚する。
爪が食い込むほど後ろからアリスティア姫の肩を掴んだが、姫はうめき声1つ漏らさない。
「あなたが予想する通り。私は北の狼族の里で大剣使いと交戦しました。そう、ここに大剣使いをおびき寄せるために北の狼族を見殺しにしたのです」
無理やり姫をこちらに振り向かせると、ナナシは握り締めた拳を振り上げた。




