第三話(知らなかった、は言い訳ですね)・11
愚者両刃。その効果は2つ。1つは筋力の増大。中枢神経が普段は抑制している随意最大収縮の枷を外す。
2つ目は、無意識が捉えている情報の意識化。
代償は、過去と未来。
積み上げてきた研鑽を総て、これから過ごすための肉体の総てを捧げ、ただ一時の力を得る。
故に愚者。
動けば動くほど己の身体が壊れゆく。
故に両刃。
本来、光に情報があるならば、その目に光を捉えているならば、視界にあるものは全て見えている。
枷を解かれたナナシの眼球はもはや自由。前後左右、眼窩を高速で動き回り、網膜にマナガルムの姿を離さない。
無意識下の情報が意識にのぼるということは、時間単位の思考量が増えるということ。
ナナシの見る世界は今や、虫が羽ばたくその羽の模様すら視認する。
その世界で捉えたマナガルムは鉛色の液体だった。液体が形をとったもの。ナナシに理屈はわからない。でもそのようにしか見えない。それが速すぎる動きの正体。
マナガルムの身体の輪郭が溶け、水溜まりのように地面に広がると、激流の川であるかのように蛇行して流れてくる。
攻撃するその瞬間、その水溜まりの中からマナガルムの身体の一部が飛び出してくる。
今のナナシなら見える。かわすことも出来る。しかし。
腕が、足が、鉛色の澱みから無数に生えてナナシを襲う。
空間を埋め尽くす奔流。それは手足で出来た津波。
ナナシは地を割り、空へ飛ぶ。
ナナシがいた所はすぐに鉛色の澱みが飲み込んで、そこからいくつもの手が伸びてくる。1つでも掴まれば、そこで終わり。落下が始まれば逃れる術はない。
ナナシは体を丸めて、力を溜める。足を突きだすと、空気しかない空中で、再び推力を得て宙を舞う。追いすがる黒き手を嘲笑うように、距離を突き放す。
今のナナシにできないことはなにもない。それが一時のことだとしても。足の毛細血管が破裂して、血の雨降らす。
着地して反転、マナガルムに向かって飛び出す、無茶苦茶な軌道。今のナナシは人の限界を超え、迫る速度はマナガルムと遜色ない。寿命を焼べて推力に、ナナシは駆ける。
空気を剣先で切り裂き、その人間離れした速度を乗せた突きを放つ。
人型に戻ったマナガルムは避けもしない。
ナナシの、渾身の突きはマナガルムの体を突き抜けた。手応えは見た目通り、液体。効いている様子は一切ない。
反撃に殴られる顔面。すっ飛ぶナナシ。痛みは感じない。
態勢整えると同時にマナガルムが放つ拳の豪雨。大剣で迎え撃つ。
(こいつを殺せば間に合う。みんなのところへ追いつける)
ナナシの記憶は混濁し、過去の記憶と今が混ざり合う。
(今度こそ間に合う! 家族になろうって言ってくれたんだ、師匠とともに)
終わってしまった過去とともに、マナガルムの拳がナナシに襲いかかる。
まさしく雨を斬る感触。なのに、剣をすり抜けた相手の拳は堅くナナシを打つ。
打たれながらも、自ら後方に飛んで、破壊の力を受け流す。迫る無数の拳に足を、ナナシは全てかわしきる。ひらひらと落葉のように身を踊らせる。全部、教わったこと。
身のこなしは、"熱き手"ロウムが。
投擲は、"流星"トーレが。
拳術は、"魔眼"のシャーロット。
野宿と獣のやり過ごすやりかたは、ビーヌ。
宝石と夜空の物語は、大好きな姉になるはずたった人が。
「てめえなんぞにアムトの業が負けるもんか!」
ナナシは体を回転させる。迫る拳かわし、螺旋を描く、その溜め込んだ力を全て大剣へ。
大剣の刀身がマナガルムの表面へぴったりついたその刹那、ナナシは思い切り踏み込んで、急制動。その止めた力さえ剣へ送り込み、マナガルムへと流し込む。破壊の奔流はマナガルムの体を突き抜け、大剣が触れた反対側の脇腹一帯を爆発させた。
あの人の剣技。
「なんで置いていったんだよぉ!」
剣が通らないほど固い鎧を着こんだ人間を、斬らずに殺す技。剣から放つ波動が、体内の水を暴れされるのだ。液体そのものの体を持つマナガルムにも効くはず。
(こんなに上手くできるようになったのに)
ナナシの業を見るものは、もう誰もいない。
「負けるはずねぇんだ、みんなが! 間違うはずがねぇんだ、俺が!」
手応えは束の間、飛び散った黒き水はすぐに集まり、マナガルムは元通り。
波1つ砕けたとて、大海に変わりなし。
「じゃあ何度でも、てめえが乾上がるまでよぉ!」
半狂乱になってナナシは大剣を振り回す。
それを棒立ちでマナガルムは受け止める。
「消え失せろ、俺の前から!」
常人には目に留まらぬ剣技だとしても、こうなっては幼子の癇癪を受け止める大人の構図とまるで変わらない。それでもナナシは大剣を振り続ける。
マナガルムを構成する鉛色の水が、ひちゃびちゃと辺りに跳ね散る音が、ナナシの記憶を刺激する。
あの時も、飛び散っていた。大量の液体、どす黒い血が。
「待っていたはずなんだ! あの時帰れば、家族が!」
幼いナナシを待ち受けていたのは、血の海に沈むバラバラになったみんな。大剣使いを追う、地獄の日々。
ナナシは叫んで斬りつけ、叫んで斬りつけ、叫んで、止まる。
限界が近い。
ごまかし、無理やり動かしたそのつけ。
逆流した血が口から吹きだす。
体の止まったナナシへ食い込むマナガルムのつま先。
「ナナシさん!」
聞こえる、アリスティア姫の叫び声。血が詰まって咄嗟にナナシは声が出ない。
(黙ってりゃあいいのによぉ)
危惧したとおり、マナガルムが視線を向ける。
「最初が正解! ひか…」
瞬時に向かったマナガルムはアリスティア姫を蹴り飛ばす。
「てめえの相手は俺だ!」
その背を追いかけ、大剣はマナガルムを頭から斬りつける。ただ刃がマナガルムの体を通っただけで効果なく、回し蹴りの反撃を喰らい、ナナシは地べたに叩きつけられる。
(最初ってなんだよ)
立ち上がり、螺旋の攻撃をまだ体が動く内に放つ。マナガルムはやはり避けもしない。体の一部分が吹き飛んだとしても、まるで揺るぎない。ヤケクソに剣を振り回す。
手を広げた態勢で、マナガルムはその剣戟をすべて身に受ける。全て元通り。流れ落ちる瀑布に剣を叩きつけているようなものだった。
マナガルムの表情が変わる。先ほどから無表情ではあったが、ナナシには違和感を抱かせた。首筋がざわつく。
マナガルムの爪先がナナシに向けられる。咄嗟にその直線上から身を外す。
見えたのは爪先から伸びる極々細い線。間一髪、なんとか避けられたが、ナナシはさらに身を沈める。その上をギリギリを通る、先程の細き線。それはナナシの遥か後ろにあった、岩も木も綺麗に真っ二つに斬り崩す。
マナガルムを構成する液体を糸のように細く絞り、爪先から射出、その恐ろしい流速が生み出す圧力で、あらゆるものを穿ち切断する、水圧の刃。
マナガルムの前に大軍は意味を成さない。この刃一振りすれば、全てがするりと傾いていく。
ナナシは察する。
(こいつは俺を殺すと決めた)
どこか手加減されているのは分かっていた。もし、この水圧の刃をナナシが愚者両刃を使う前に繰り出していたなら、瞬殺されていた。
(こいつは姫さんが死んでいると勘違いしてたんだ)
そして姫が叫び、生きていることがわかって、役割を入れ替えた。
(今度は俺が餌)
マナガルムは両手を、指先を広げ伸ばし、その全ての指先から射出される、12本の必殺の刃。水圧の刃の射程はナナシの剣とは比較するのも愚かしい。ナナシの放つ矢よりも長く、その射線上全てを断ち切る。
大地を、木々を、岩壁を穿かつ12本の凶刃を従えて、一歩、また一歩とナナシに迫る。
マナガルムは両手をとじて、ナナシを細切りにするつもりだ。右にも左にも後ろにも逃げ場はない。懐に飛び込んでも細切れになるのみ。
マナガルムの表情からナナシへの関心が消えたとき、一気に手が閉じてゆく。
だからナナシは飛んだ。大きく動けるのはもうこれが最後。
もちろん、上にも死角はない。そんな甘さはない。ナナシもそれは百も承知。
狙いは本数を絞る事。間隙に身を滑り込ませて迫る刃を左右1本ずつに誘導。ここからが勝負。それは左右から閉じる水圧の刃に対し、正確に大剣の切っ先を横なぎに当てるというもの。
ナナシは見切っていた。水圧の刃の切れ味はその細さ。ならそれより細い剣の切っ先を正確に当てれば、水は分散する。
金箔を縦ではなく、さらに薄く横に二分するような超精密な剣の操作ができるかどうか。僅かでも逸れれば、命はない。
大剣と水圧の刃が接触し、生まれた霧がナナシとマナガルムを覆った。
勝負に勝ったのはナナシと大剣の織りなす神業。致死の刃をくぐり抜け、ナナシはマナガルムへと大剣を叩きつける。
マナガルムは避けない。動揺もない。なにも効かない、それは圧倒的な力ゆえの真っ当な傲慢。
「避けねえんだよなぁ、てめえさっきからよぉ!」
そんなことはナナシも嫌というほど理解している。これは目くらまし。取り出す瞬間を見られ警戒されないため。
隠れて取り出したのは、閃火種擬き、最後の1つ。
ばきり、と種割れる音。噴き出す強烈な光。
再び目を灼かれるマナガルム。手の甲にある目が、ぎょろりと開く。
しかし目的は目ではない。目潰しではない。
最初が正解。それはナナシが閃火種擬きを砕いた時。
「あの時だけ! てめえ避けたんだよなぁ!」
ナナシは大剣を切り上げる。今度こそ、固体の手応え。
今、ナナシが持つ最大の力で、マナガルムの体を切断する。
くるくると宙を回転するマナガルムの上半身、まだ消滅していない。
べちゃりと地面に落ちると、奇声を撒き散らし、のたうち回るように上半身だけで、アリスティア姫へと向かう。
猛追するナナシ、全身から流れる血が羽のように煌めいて、その背に追いつく。
「先に地獄に行ってろぉ!」
突き下ろす大剣は、マナガルムを大地に縫い付けた。
ついに、マナガルムは断末魔をあげて消滅した。
そして、愚者の時間もまた、終わる。
今、無理を通した代償がナナシの命へと這いよる。
ナナシは大剣にもたれかかり、ゆっくりと崩れおちていった。
駆け込んできたアリスティア姫はうつ伏せに倒れたままのナナシにしがみついた。
「ナナシさん、ごめんなさい、ごめんなさい、私知らなかった! 知らなかったの、あなたがこんな風に戦うなんて、知らなかった……」
「あんた、無事だったか……」
最初に発する言葉がそれで、アリスティア姫は大粒の涙がとめどなく溢れだす。
「泣いてんのか? ばーか」
常にない、か細い声でナナシは答える。
「傭兵は命を金で売ってるんだぜ。こんなの、こんなこと、もある」
「どうして、置いていっていいって、なんで」
「ほんと、どうしてかねぇ。どうかしちまった、ね。装備も大方潰しちまってさ。でも……」
「喋らないで。今、治療しますから」
「でもあんた、俺のやりたかったこと、全部やってんだもんなぁ。俺ずっと後悔してた、奴隷たちを見捨てようとしたことも」
「ちがう! あの時、あなたは半歩飛び出していた。私でしょう? 私に迷惑がかかると思ってあなたはやめたの。あなたの優しさを殺したのは私!」
「誰かを守れる、剣に……。今度こそ、みんなのところへ……」
ナナシの意識は闇に沈んでいく。必死に呼びかけ続けるアリスティア姫の声を置き去りにして。
「行かせない! どんなことをしても、私が絶対死なせない。死に逃げるな! 私だけが、そう言えるんだから、あなたに!」
金色に輝きだす、姫の髪。
「神威限定解除、やおよろずのかみ解放!」




