第三話(知らなかった、は言い訳ですね)・9
ナナシは舌を巻く。
(工作も得意とは言っていたが)
ナナシが切り出した岩を、詠術も使って姫はあっという間に1人用の簡易なソリに拵えてしまった。
2人がいる場所は小高い山の4合目あたり。平らに整地されたかのような高原。
遥か先に、なにかが焼け落ちた残骸があり、その反対側には、方角からして洞窟の入り口があった崖が見える。
あの隠し洞窟に入った狼型は総数からすればわずかでしかない。それ以外は健在なら、遠からずここに到達する。
作戦は単純。姫が予想する地点でナナシは待機、姫の詠唱が終わるまで登ってくる狼型を迎え撃つ。
そして姫からの合図で、この石のソリで彼女の元まで一目散に離脱。
「私はここから2つの詠術を使います。1つ目は全方位の波紋照合。これを行うことで、狼型の群全体に攻撃が通るようになります。動きも多少鈍るでしょう。でも基本的には倒すよりも、登ってきた狼型を崖下へ落とすことを優先して下さい。そして2つ目。群全体を滅ぼす詠術。これは発動までに時間がかかります。絶対に巻き込まれないように、合図があったらソリに乗って速やかにこちらに戻ってくださいね」
ナナシの腰にあった糸巻取機を外し、ソリと連結。一連の作業を流れるように行いながら、姫は作戦を説明した。最後に、と姫は真正面からナナシを見据える。
「危ない、と判断したなら、合図を待たず離脱してください。私の事も置いて行ってもらって構いません。あなたは私の、騎士ではないのですから」
ソリに乗り、鞘と背中の間に隠していた小型の絡繰りを取り出す。
「ああ、そうさ。俺は騎士でも素人でもねぇ。傭兵。たった1人の、そして1人で戦をおこせると言われた、な」
「ご武運を」
「出しな」
ナナシの乗るソリの縁の部分に手を当てると、姫は短く詠唱、ソリは矢の如く崖の方向へと飛び出していく。行く道を既に液状化させていたので、羽ばたきのようにソリの両脇に黒き水沫があがる。
ソリの上、こともなげに体幹でソリを繰りながら、ナナシは左手でもった絡繰りの起動装置を押す。開き広がりゆくそれは、片翼を思わせる巨大な弓。
ナナシだけが持つ、世界でただ1つ、折りたたみ式狩猟弓。
肩の起動装置を押すと、背中の装甲が剥がれ落ち、現るは幾重にも重なった矢。背中に沿うよう無理矢理押さえつけられていた矢が本来の形を取り戻し、バネ仕掛けがつがえやすいように、羽丈を後頭部の高さまで跳ね上げる。
空気が背後から震えるのがわかる。風とも違う緩い衝撃波がナナシを通り過ぎていく。
(これが姫の言っていた1つ目の詠術。全方位波紋照合か)
ちょうどいい。そうつぶやいて、急制動、ソリは崖ギリギリで止まり、その反動で飛び上がるナナシ。眼下には蠢き、切り立つ崖を登る無数の狼型神罰。その足を釘のように尖らせて突き刺して、崖を侵食していた。
「さあ、俺と踊り狂おうぜぇ」
殺し殺されの舞踏会、その始まりを告げる、ナナシの矢。音すら切り裂いて群の一体に突き刺さる。剥がされ落ちる狼型神罰数体。残りの群全体が一斉にナナシをぎょろりと捉える。
「宴だぁ、てめえら! 星の底まで落としやるよ!」
ナナシがつがえる矢は1本にとどまらない。まだ空中にいる間にまとめて3本、4本、と放ち、一矢も外さない。
ナナシは崖の垂直面に降りたつ。人離れした芸当を支えるのは、靴裏の無数に生える棘と、腰のベルトから伸びる4本もの人蜘蛛製の糸。先端が崖上に深々突き刺さる4本の短刀とつながっていた。飛び上がる直前のナナシの早業。
土煙を上げながら、ナナシは崖を駆ける。矢を放つ。
頭に鳴り響く音楽、口から流れる詩。その律動に身を任せ、矢を雨霰とばかりに放ち続ける。
幼い頃、ナナシに投擲全般を遊び教えた者は言っていた。
『狙うのに、いちいち止まるんじゃねぇや。がきんちょ』
『でもよく狙わないと当たらないよ。相手は動くんだし』
『身体を見んのさぁ。その構造をな。人も獣も神罰も、なんだってよ、身体の通りにしか動かねえ。構造を知り、動きを知れ。全部覚えろ。したら、相手が動いてようが、がきんちょが動いてようが当たるぜ。そして、なによりも音楽。頭に音楽鳴らして動くのよ』
ナナシは止まらない。今度はナナシが止まらず、走り、射抜く。その背の矢が尽きるまで。
◆
一方のアリスティア姫。ナナシを見送った後、空を仰ぎ、胸の前で手を組む。唱えるは古代の言葉。
「起動形成、Accurate Extensive-Scale Quantum device」
姫の呼び声に応えるのは、空気が渦巻いて、形を成した透き通る女性のような顔。姫の肩辺りに漂うその口も、また古代語を紡ぐ。
「Please login to the system to start」
名を問われ、答えるアリスティア姫。
「AliceThia」
「Our system has used biometric vibrations to identify you as an AliceThia」
「Connect to Weather Modification System」
「Connection complete. Use of the system requires the approval of all three individuals with administrative privileges」
「I am Shindo, I am Liland, and I am KAMUI」
「Our system has identified you as AliceThia before it was completed. The authority of the Weather Modification System is a limited delegation」
「I checked」
突如、透明な顔の瞳が赤く染まり、緊迫した声を絞り出す。
「Warning! The veto was issued by Amaria, the administrator」
アリスティア姫もまた、早口で指示を飛ばす。
「Abrogate the Amaria Code immediately」
「The Amaria code has been discarded. Performance is down 30%」
「I checked. I'll do some of the calculations manually. After this of the communication is done in a compressed language with quantum encryption」
「Yes, sir. My Lord」
◆
狩猟弓から解き放たれた矢が狼型の顔面に直撃する。鏃にため込まれた力が体を突き抜け、内部から体を爆ぜさせる。消えゆくその前に、後に続く数体を巻きぞえにして地面に落ちる。
空を背に、遙か下の地面を視線の先に置く、空中戦闘。
ナナシは自分から糸の限界まで降り、群へと突っ込む。矢はまるで足らないからだ。
左手に弓を、右手に剣と次のつがえる矢を器用に握って、薙払う。飛び跳ねて襲ってくるものには矢を放つ。下に落ちて命なくすはナナシも狼型も変わりない。
崖を蹴っては牙かわし、矢を放っては射殺して、剣を振るっては地面に叩き落とす。
囲まれないように空に躍り出て、体を回転させて糸を巻き取り上へと登る。
立体的全方位戦闘。前後左右、須く全て敵。独りきりで戦場を渡り歩くナナシの真骨頂。
落としても落としても落としても。地面から生まれてくるかのように終わりない。途切れない。
姫の波紋照合で、狼型の動きが精彩を欠いている。ナナシがここまでなんとか囲まれずに戦い続けていられる理由だが、それにしても襲い方が散漫になってきた。
気になって地面をよく見てみると、全てが登ってきていない。
(こいつら、待ってやがる!)
狼の狩り、それは持久戦。囲み、獲物を走らせて相手が疲れきったところで襲いかかる。神罰化してもその記憶があるのか、まさにナナシは狼に狩られている最中。動き続けると案外疲れは感じない。疲れがでるのは休まされた時なのだ。
しかしナナシはほくそ笑む。持久戦は望むところ。
(こいつらは知らない。姫さんのために、まさに俺が持久戦をしていることを)
ナナシは勝ちを確信する。
決着つく前に勝利を思うことを油断、という。
ガクリ、とナナシの体が急に不安定になる。
ナナシを支えるまさに命綱、ベルトから伸びた人蜘蛛製の糸の1本が噛み切られた。
(2体、回り込んでやがった!)
囲まれないように、そして、自分より高い位置を取られないように立ち回っていたナナシだが、回り込む2体が見えないように、狼型もまた連携し立ち回っていた。
因果関係は獣もわかる。ましてや神罰化した獣ならなおさらだ。支えているのが糸だとわかればそれを断ち切るまで。
「邪魔だ、くそったれども!」
先ほどまで散発的に襲ってきていたのが嘘のように狼型はナナシに飛びかかる。もちろん糸を断ち切る役の狼型へ向かわせないためだ。
焦るナナシ。剣は届かず、矢をつがえる余裕は与えてくれない。1本、また1本と噛み切られていく。
不意にあたり一面が暗くなる。
日が落ちたのではない。
日を遮る分厚い雷雲が空に蓋をしていた。
「ナナシさん!」
遠くにナナシを呼ぶ、姫の叫び声。合図に他ならない。
「忙しいんだよなぁ!」
ナナシは膝を曲げて沈みこみ、思い切り崖を蹴って空に身を晒す。
ピンと張った最後の糸を噛み切られ、ナナシは本当に空中に放り出された。
重力の見えざる手と、狼型のぽっかり開いた牙のぞく口が、ナナシを引きずり下ろすべく向かってくる。
「しゃらくせぇ!」
ナナシは半回転、その勢い利用して迫る狼型を剣で払い落とし、さらに回転して、残しておいた最後の一矢をつがえ放って、切断役の狼型を縫い付け殺す。その羽丈には糸がくくりつけてあって、刺さるやいなやナナシを崖へと引き戻す。勢いそのまま、もう1体の切断役へ剣を押し付け圧殺。死体がすぐさま消えるのは、悪い事ばかりではない。
ナナシは急いで崖を登りきり、ソリに乗り込む。巻取機を動かして姫の元へと滑りだす。
姫も大きく剣を振る、ナナシを見つけた。中空に浮かぶ顔が、姫に話しかけてくる。
「Final approval is requested」
姫は大きく息を吸い込む。
「暗雲は鞘なり。引き抜くは神の御剣」
頭上遙か上の雷雲の中、大粒の氷が暴れまわり、ぶつかりあって雲底に恐ろしい光が走る。
弾き出された電子は原子にぶつかり、空と大地の間にプラズマの道をつくりだす。姫の望むままに。
大地もまた姫に応じる。姫からは見えぬはずの狼型がたむろするその大地が放電を開始する。その刹那。
「みかふつのかみ、解放」
姫の静かなる声、轟く雷鳴。
ナナシは見た。光の剣のような分厚い雷光が、世界を切り裂いた。先ほどまでいた崖を飲み込み、大地に大穴を穿つ。山の一部が解けて消えた。たった一瞬で地形すら変えてしまう一撃。
ナナシは笑う。瞳に涙を湛えてナナシは笑う。
「全くしょうがねえ女だなぁ」
嫉妬でも恐怖でもなく、抱いた感情は憐憫。
「こんなんじゃ世界が変わっちまうよ。あんたにこんな力があったんじゃ、世界があんたをほっとかねぇじゃねぇか」
そのナナシの笑いも涙も一気に引っ込んだ。
崩れて形が変わった崖に、ひょっこりと人の顔。
縮尺がおかしい。ナナシは十分崖から距離をとっている。それなのにその顔がよく見える。つまりは巨大。
ナナシが瞠目するのはそれだけではない。
その顔が備えるのは狼の耳、狼の口、狼の瞳。毛深い顔の輪郭。
なのに、人の顔に見える。人のように感じる。人だと思ってしまう。
それはナナシは見つけ、にんまりにたぁと笑顔へと相貌を崩す。
ナナシはわかる。わかってしまう。直感ではない。理解させられてしまう程の圧。
あれが神話獣。
あれが太陽を喰らうもの。
「あれがマナガルム!」
(だめだ、あれはだめだ)
ナナシは姫を振り返る。そこには。
倒れ伏す、アリスティア姫。呼吸もわからぬほど、動いていない。
「馬鹿か、おれは!」
大きな力に大きな反動。それを言ったのは自分自身。なのにまだわかっていなかった。
頭の中に姫の言葉が残響する。
『危ない、と判断したなら、合図を待たず離脱してください。私の事も置いて行ってもらって構いません』
「置いてくだと。俺が!?」
こだまする、自分の言葉。
『引き際は知っている』
「そうさ、引き際は知っている。切り上げてやればいいんだろう! あの野郎を、俺の剣で切り上げちまえばよぉ!」
マナガルムは喜びの雄叫びをあげて、飛び上がった。




