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大剣のアリスティア  作者: 雉子谷 春夏冬
第一章「神様は赦してくれない」
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第三話(知らなかった、は言い訳ですね)・6

 曰く、村を滅ぼした。


 曰く、街を呑み込んだ。


 曰く、軍を壊滅させた。


 ナナシは戦ったことはおろか、見たこともないが、その恐ろしさは幼いころからよく聞かされている。


 神罰獣が、人を殺しに殺しまくった果てに顕れる最終進化の化け物。


 だがナナシにとってどんな噂よりも恐怖を感じたのは、師匠のたった一言「初めて苦戦した」だった。ナナシの前で、どんな相手でも、いくら数で囲まれても、汗一つかかなかった師匠の苦戦する姿なんて思い描くことすらできない。


 じっとこちらを見るアリスティア姫の視線に気付く。その瞳は不安げに揺らめいていた。


「逃げ出すとでも?」


「そういう心配ではありませんが、でも……」


「想定しないでもなかったさ。ここはもう神罰に沈んでんだしな。ただ無策で突っ込むほど俺は無謀でもねぇ。謎を解くってな、どういうことだ?」


 壁の向こう側で、確かに姫は相手が透明ではないと言った。聞き間違いとは思えない。


「あの狼型神罰は無色透明じゃないって?」


「はい。相手の姿が透明なのではなく、こちらの感覚がおかしいのです。ナナシさん、あの中で私の姿も見えなくなったのでは?」


「ああ、振り返ったときあんたの姿はなかった。声は聞こえていたのに。その前から変な感じだった。うまく言えないが」


「私もそうです。あなたが急に止まったようになってから見えなくなった」


 その事実にナナシは今さらながら背筋が冷える。剣を振り回す近くの味方が見えないのは、どんなに恐ろしいか。さりとてアリスティア姫は気にするでもなく説明を続ける。


「相手が無色透明化する能力なら、私達までお互い見えなくなるのはおかしい。結論を言います。壁の内側は、こちらの脳の機能をおかしくさせる何かがあるのです。私が壁を閉じる際、あの狼型が駆け込んでくるのが見えました。壁の外ならその影響を受けない、というのも、こちらの感覚の問題ということを裏付けています」


「脳、だと?」


 ナナシは普段意識することのない、でも自分の侵されてはいけない領域に無遠慮に押し入られたようで、怒りと気持ち悪さが胸に渦巻く。


「そうです。あの狼型が無色透明化しているのではなく、私達の脳に干渉して、動いているものを認識出来ないようにしている、というのが私の推論。私達の目は、ありのままを見ていると錯覚しがちですが、実は目から入ってきた光の情報を脳が加工しています。脳で見ているのです。左右の目が視神経に送る情報の不一致から遠近を認識したりとか。つまり目から入った光の情報を加工する前か、した後の情報伝達になんらかの阻害を受けている」


「言っていることの半分以上もわかんねぇ。動くものが認識できない? いや、俺が振ってる剣は見えてたぞ?」


「それはほぼ記憶と、体からの信号を組み合わせた結果で……」


「あーあー、間違えた。俺が間違えた。解説を聞きたいんじゃねえ。そこまでわかってて、なにか防ぐ方法はないのか?」


「どう干渉しているのかがわからないんです。それがわかれば防げるのに。神威は、神の見えざる手は突破されていないから、詠術で私達を直接操作できないはずなんです。でも何かしらの詠術は絶対に使っています」


「詠術だと?」


「神話獣は詠術を使います。マナガルムは配下の狼型神罰を中継にして、広範囲の詠術を使ってきます」


 ナナシは肩をすくめて、ため息一つ。


「干渉って言ったってな。なにか俺達は壁の中でされたか? 体に、頭になにかされたなんて全然感じなかったぞ」


「どこかに解決につながる違和感があるはずなんです。でもそれを違和感だらけのあの壁の中で、神罰獣と戦いながら見極めねばなりません。もしくは……」


 姫にしては珍しく言い淀む。

「もしくは、なんだ?」


「一番確実な方法は私の、う……詠術、環境設定再確認申請を行う」


「噛んだな」


「噛んでません。今なんの詠術がおこなわれているのか、それを探る詠術です。少し時間はかかりますが、ここから、壁の外から中の謎を解ける。そのほうが安全です」


「待て」


「待てません!」


 素早くアリスティア姫の手を掴んで、引き寄せる。先ほど言い淀んだ彼女に、待てないと焦る今の姿に、ナナシは彼女に言いたくない事があると確信する。この少女は珍しく動揺している。


「大きな力に大きな反動」

「え?」


 姫のぽかんとした表情に、ナナシはわずかに口の端を上げる。


「受け売り。あんた最初に言ったよな、俺に嘘はつかないって。言えよ。それは、さっきみたいに倒れるんじゃないのか?」


 見つめ合っていたその大きい瞳が不意に逸れる。それを今言いますか、と呟く声を聞き逃さない。


「はい、そう、なるでしょう」


「じゃ却下」


「でも!」


「あんたは雇い主であるのと同時に、神罰狩りに置いての最大の切り札だ。あんたの話が本当なら、ここを切り抜けてもまだ神話獣と戦りあう可能性がある。なのにいきなり切り札切るわけにいかねぇだろが。安全だと? 冗談言うな」


 塞いだとはいえ、穴が開いている以上、ここもいつ壁の内側のように影響下に入るかわかったものではない。それに壁が最近作られたものであるならば、輜重部隊を襲った神罰がいたように、この辺りに獣がいても全くおかしくないのだ。


「でも他に方法がありません」


「いやある。俺がなるべくここから見えるように戦う。んで、あんたはここで、壁の外で俺に相手の動きを伝えながら観察するんだ。俺がどんな干渉をされているのか。分かりゃ防げるんだろ」


「なにを、それこそ危険でしょう! 相手は無限の体力に、攻撃も効かない。一体だけとも限らない」


「神罰狩りの基本だろうが。戦士が時間を稼ぐ。詠術師が詠唱する。なんら変わらねえ。それとな」


 ナナシは静かに、憤る彼女を見つめる。


「俺は今でも、あの奴隷になりかけた村の奴らは見捨てるべきだったと思ってる。目的を果たすのを最優先させるならな」


「こんな時になにを……」


 ナナシは背の巨大な鞘を外して、壁の穴の目の前に、アリスティア姫を遮るように突き立てた。


「でもさ、あんたが怒って飛び出して行った時、俺は恥ずかしくなっちまった。金の為に、俺は剣を握ったんじゃないって思い出しちまったんだよな。いまさらよ」


「そんなこと」


「使うなら、俺の命から使えよ。戦場で傭兵を雇うってさ、命の売り買いだろ」


 その大きな瞳をさらに見開いて言おうとした言葉を失ったアリスティア姫の顔色は、みるみる怒りで紅潮していく。


「私にこれ以上犠牲を強いると言うの! 私の道も、この手も、もう真っ赤に染まり切っているのに!」


「犠牲?」


 こんな時なのに、ナナシは笑いがこみ上げてくる。


「あんたが何抱えてんのか知ったこっちゃないけど、俺をそこらの凡百の男どもと一緒にするんじゃねぇよ。相手が見えないぐらいで逃げ出したりしねえし、貴族の犠牲になる気なんざさらさらねえ。ただ、俺という人間はこんな場面はこうするってだけさ。命なら、常にかけてる」


 脱いだ外套を、剣を持たない左手にぐるぐる巻きつけて。


「動揺なんかしてる暇ないぜ? 壁の向こうで頼りになんのは、あんたの観察力と声だけなんだからさ」


 土壁をどけな、そう言い残し返事をはなから聞く気がない速度でナナシは壁へと走り出す。背中からアリスティア姫の憤慨する声。


「もう、もう、もう! 死んだら絶対ぜったい許さない! 私はあなたの命を買ったんじゃない!」


 怒りの声を投げつけてはいても、姫は生真面目にも土壁を解除した。


 壁に体当たりしたナナシは、心の奥で呟く。変なやつ。貴族は大嫌い、そのはずなんだけどな。


 再び壁の内側へと突入すると、正面に冷静の狼型神罰が最初に見た時と全く同じ姿勢で待ち構えていた。


 気合いとともに、剣をやはり絵のように見える狼型神罰へ振り下ろす。予想通り、手応えはない。


 恐らくこの狼型はわざと動かない時間を作っている。アリスティア姫の言うことが正しいとして、動いているものが脳で認識できないなら、動かないなら逆に見えるのだ。残像のように自分の姿を残し攻撃を誘発させ、その隙をつく戦法。

(小賢しい神罰だな)

「右後ろ、脇腹!」


 アリスティア姫の鋭い声が飛ぶ。これは予想通り、狼型は剣を振り下ろした後の、無防備になった右脇腹に喰らいつくつもりだ。足裏が地面にめり込むほど踏みしめると、剣を手放して体をひねり裏拳を放つ。特殊鉄砂を仕込んだ右拳の手袋は狼型の横面を捉え牙の向きを変えたが、狼型そのものを吹き飛ばすまでは至らず、遠心力をともなって鉄塊と変わらない胴体がナナシの胸に思い切りぶつかってきた。


 なまじ裏拳がまともに当たった感触があったため、体当たりを予想できず、なんの準備もしていないナナシは受け止めきれずに地面に転がる。


「向こうはもう立ち上がってる、ナナシさん!」


 痛みよりも胸への衝撃で息がつまる。体が止まる。

「頭!」


 姫の悲鳴。ナナシは全身の腕の筋肉を瞬発的に膨張させ、バネのように上半身を跳ね上げた。先ほど頭があった場所にガチりと響く牙が噛み合う音。


 ナナシは音のした場所を思い切り蹴り上げる。目には映らない塊は弾力と金属の硬さを併せ持ち、その重たさは痛めた太股をさらに苦しめるが、ナナシは足を上げきって狼型を吹き飛ばす。


「心配そうな声だしてんじゃねえ、集中しろ!」


「じゃあ心配させないで!」


 見えないから相手が受け身をとったのか、地面に叩きつけられたのかはわからないが、少なくとも地面との衝突音からして自分から引き離すことは出来たようだった。


 稼いだ時間で手放した剣を探す。大方想像通りの場所に落ちていて、少しほっとする。動かない物は見えると言っても、この気持ち悪い空間ではなにが起こるかわからない。


 剣を取り戻すべく走りだすナナシ。その視界から不意に剣がかき消える。


「なんで!」


「蹴られました、奥、道の真ん中」


 ナナシは当たりをつけて剣の方向へ走る。


「でも狼型がいます!」


「ああ見えたよ」


 相手はわざと姿を晒した。剣の前にいる狼型が、動かない本物か動いた後の残像なのか、区別できるのは外にいるアリスティア姫のみ。


「あいつは?」


「動いてません」


 直前まで動かずに正面から迎撃してくるのか、こちらの攻撃を外させてその隙をついてくるのか、判断のつかない二択。この短い攻防で相手は隙をついてきているが、そこをナナシは逆手にとった反撃をしている。神罰と化した獣はなんでもやってくる。対応してくる可能性は十分ある。


 判断を下す前に、体が反応してしまった。目の情報に引っ張られ、攻撃する体勢に無意識に動いてしまっている。走った勢いを乗せた前蹴り。


「止まれ!」


 大音量ではないのにやけに腹に響く重たい声。アリスティア姫の声だと自明なのに、こんな風に言うはずないという認識の不一致がナナシを急制動させる。足はまだ振り上げてはいない。


「左腕低く!」


 その言葉にナナシは外套を巻いた左腕を地面に突き刺す勢いで体の正面に出すと、すぐさま噛みつかれた。狼型は正面、それも蹴ろうとしていた足の軌道とは外れて姿勢低く伏せていたのだ。もし蹴りを放っていたなら軸足に噛みつかれ引きずり倒されていた。


 ナナシは巻き付けた外套のはしを掴み、噛みついている狼型の頭の位置に見当をつけてひっかけると、左腕とともにぐるりと勢いよくぶん回した。外套は突き立てられた牙と絡まり、狼型はなす術なく引き剥がされ、外套に包まれたまま木に衝突にした。外套は巻いていたのではなく、実際は緩く結んでいた。牙が通らなければ絡みつけて引き離すことができるように。


 ナナシは素早く剣を拾い上げて構える。波紋照合していない以上、どれだけ攻撃しても相手に損害はない。


 引き剥がした方向を確認すると、外套だけが地面に落ちている。

(風がないな)


 外套が風に流れないことにナナシは少し安堵した。同じものは恐らく二度と手に入らないだろう。


 同じ手は通じないだろうから、今拾いにいくのは危険と判断してナナシはその場に留まる。目的はあくまで時間稼ぎだ。


「ナナシさん、相手の様子が変です!」


「形状が変わったのか?」


 怒鳴り返すナナシの目に、狼型はその姿を現す。しかし1体ではない。


「増えた!?」


 目の前に2体、3体、4体と次々と絵画のように静止した狼型の姿が現れる。


「止まったり動いたりを繰り返してる、増えてはいません」


 狼型神罰はどうやらどれだけ止まれば目に映るのか把握している。先ほどのように目に頼っては写るものに体が反応して動いてしまう。


「芸が細かい野郎だな」


 ナナシの悪態に、アリスティア姫の声がかぶさる。


「そうじゃなくて! それよりもなにか変なんです、ナナシさんナナシさ、んナナシナナシナナシナナシ」


 アリスティア姫の声が突然増えた。意味のわからない状態に、閉じたばかりの目を見開いてアリスティア姫の姿を確認してしまう。全く同じ声を持つ複数の人間が、同時に喋っているとしか思えず気味が悪い。


「おい! どうした?」


 壁の向こう、地面に膝をついている彼女は、絵のように見えることを除けば、特段変わった様子はない。いやもはやナナシには、何が正常で異常なのか判断はつかない。


「違う! 途中から私じゃない」


「左腕、止まれ、動いてマセン、動い、てル右右」


「なんなんだよ、これは!」


 前方左右から響くアリスティア姫の声。妙に反響して声の出所が混じり合う。


「形態進化、私の声を再現してる! ナナシさん戻って!」

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