ある日の出来事
そのころ、人間の世界では──
「暑い……」
季節は年間をとおしてもっとも暑い時期、夏休みのど真ん中を迎えていた。
織音中学校の二年生である久松真悟は、二階にある自分の部屋で、ぐったりしていた。扇風機の風は、涼しさをまったく感じさせてくれない。
クーラーはあるのだが、電気代が高くつくという理由で、母親から使用禁止にされている。
昼ごはんに、そうめんをすすって一時間ほど経つが、どうにもならない暑さゆえ、なにをしようとも思わない。
「のどが渇いたな」
真悟は階下へおりて台所へ向かい、冷蔵庫をあける。しかし、麦茶もジュースも、すでにきらしていた。
仕方がないので、真悟はコンビニへ行くことにする。服を着替えて、財布をズボンのポケットに突っこむと、自転車のキーをもって玄関から外に出る。
チェーンが錆びている自転車にキーを差しこんでロックを解除し、サドルにまたがった。目指すはコンビニだ。
「外の方が涼しいや!」
そう思いながら自転車をこぎ続けて五分後、コンビニに到着して自転車からおりた真悟は、店のウィンドウを見た。なんの特徴もない自分の顔が、コンビニのウィンドウに映っている。
いま、真悟が気にしているのは、顔よりも身長のことだ。といっても、みんなから馬鹿にされるほど背が低すぎるというわけではない。
だが、真悟より背の低かった同級生たちは、中学生になって以降、一人また一人と160センチの真悟を追い抜いてゆく。
真悟にすれば、確かに気になることではある。
コンビニの店内に足をふみ入れると、冷房のきいた空気が、たちどころに爽快感を与える。
──あー、涼しい!
当分のあいだ、この店のなかから出たくないという想いが、真悟の胸にひろがってゆく。
しばらくここで本でも読んで過ごそうと考える真悟は、その足を右に向けて雑誌のコーナーへ進んだ。
しかし、同じことを考える人間は、真悟だけではなかった。雑誌がならぶコーナーはすでに人がいっぱいで、真悟が割り込む余地がない。
がっかりした真悟は、突き当たりまで歩いて左にまがる。右手の側は一面冷蔵庫になっており、真悟が飲みたいジュースはもっと先にある。
冷蔵庫に沿って歩を進ませる真悟は、ふと顔を左に向ける。冷蔵庫の対面に位置するレジに向かって、商品が置かれた棚が真っ直ぐにならんでいる。
真悟は、棚と棚にはさまれた通路に足をふみ入れた。買いたいものはジュースなのだが、全然ちがう商品がならぶその通路が、なぜか気になる。
数歩あるいて、左の棚に置かれたマグカップに顔を向ける。
──別に、ほしくはないんだけど
そう思ったあと、レジの方へふたたび目を移した真悟は、ビクッとおののいた。
さっきまで誰もいなかったその通路に、青いローブを着た人間が立っているのだ。
その人物は、真夏だというのに長袖のローブをまとい、頭からスッポリとフードをかぶっている。ゆえに、顔がよくわからない。
ただ、自分の方を見ているのは確かだと、真悟は感じる。
真悟は、思わず目をそらす。紫の色あいが強い青色のローブが、異様な雰囲気を漂わせている。
──あんな人を店のなかに入れていいのかよ、店員
不気味な人物は真悟より高い身長からして、男のようだ。真悟の心に、かかわりたくないという想いがひろがってゆく。
すぐにその場を離れるのは、なにか気まずいと思う真悟は、自分の目の前にあるマグカップに右手をのばす。
ところが──
「あれ?」
真悟の指が、マグカップをすり抜ける。目の錯覚かと思った真悟は、もう一度マグカップに触れようとする。しかし、真悟の指は先ほどと同じように、マグカップをすり抜けるのだった。
突然、ローブを着た人物が、真悟に話しかける。
「そのカップに触れることは、できないよ」
男の声だ。不意を突かれた真悟は、驚きながら男の方をふり向いた。
彼は言葉を続ける。
「ここは君のいる世界ではなく、わたしが用意した異次元の空間なんだ」
ローブの男が話すその内容が、真悟にはまったく理解できない。真悟は声も出ないまま、その男をながめていた。
悪い予感が頭をよぎる。
「わたしのいったことが、信じられないようだね。まあ、無理もない」
ローブの男はそういうと、右手を顔の高さまで上げて、指をパチンと鳴らす。すると、マグカップやさまざまな商品をのせていた棚などが、一瞬ですべて消え失せる。
のこったのは、真っ暗な闇だけだ。暗闇ではあるのだが、青いローブをまとう男の姿は、その色も形もハッキリと認識できる。
いったい自分になにが起きているのか、真悟にはさっぱりわからない。自分はこれからどうなるのかという不安が、心にひしひしと押しよせてくる。
そんな真悟に、ローブの男はまったく予想もしなかったことを口にする。
「わたしを……わたしたちを、助けてくれないか」
おどおどしていた真悟の顔が、呆然とした表情にかわる。真悟の頭に「?」のマークが、いくつも飛び交っている。
──助けてほしいのは、ぼくの方だけど……
そう思った直後、いきなり足場がなくなった感覚が真悟を襲う。同時に、ローブの男の姿が、真悟の視界から消え去った。
一瞬、恐怖が真悟の身体を貫く。だが、次の瞬間、真悟は自分が浮かんでいるような沈んでいるような、よくわからない変な感覚にとらわれる。
どうやら、自分は地獄の底に叩きつけられるわけではないようだと、真悟は思った。
不意に、ローブの男の声がひびいた。
「アリッサが、君を待ってる」
「アリッサ?」
強烈な睡魔が真悟に襲いかかる。
真悟はその身体とともに、意識をも暗闇の奥に引きずり込まれ、しばしの眠りに陥るのだった。




