罰
試合場には、桃子の流派の門下生もきていた。 門下生である二十代から三十代の女性四人が、桃子の試合をじっと見ていた。
彼女たちは桃子の家にもどると、自分たちの師匠である桃子の母親の千鶴に、事のあらましをいいにくそうに話した。
端正な顔立ちの千鶴は、桃子が大人になると、こういう顔になるのかと想像させる。小柄だが着物のよく似合う女性であり、正座した佇まいからは、彼女の品格がしんしんと伝わってくる。
静かな表情で門下生の話を聞いている千鶴だが、彼女のまわりの空気がピリピリと張りつめてくるのを、門下生たちは感じる。
やがて彼女たちのいる部屋全体が、氷のように冷たく、尖った氷柱を思わせる危うい雰囲気で満たされる。
門下生たちは戦慄を覚えた。
──怒っていらっしゃる
表情ひとつ変えることのない静かな様子に、殺気ともいえるものが、千鶴の身体からほとばしっている。千鶴がどれほどの精神力でその殺気を抑えているか、本人以外に知るよしもない。
桃子が試合から帰ってくると、千鶴は娘を自分の部屋に呼んで正座させる。
門下生から聞いた話を桃子に伝えた千鶴は、娘に問いただした。
「いま、おまえに話したことは、本当ですか?」
否定できない。桃子は正直に答える。
「本当です」
それを聞くなり、千鶴の右手が桃子の頬を思いきり叩いた。
「いますぐ着替えて、道場にきなさい!」
そして、稽古という名の折檻がはじまる。
美希たちに、自らの口で話を進ませる桃子は、しみじみと語った。
「あのときほど、母上に打ちのめされたことはなかったわ」
母親との稽古は、防具を着けない危険な稽古だ。
使用するなぎなたは、刃の部分全体を緩衝材が包んでいる。だが千鶴の太刀は強烈で、転ばされると追い打ちをかけるようにビシッと身体を打たれる。
さっさと立ち上がらないと何度も叩かれてしまう。桃子はじっと痛みに耐えて母親との稽古に挑む。
しかし、桃子の技量が千鶴を超えない限り、桃子は千鶴の攻めをひたすら身体で受けることになる。
桃子が母親にかなうはずもなく、一方的に打ちのめされる稽古は、桃子が気を失うまで続いたのだった。
話を聞いていた真悟たちは、顔から血の気を失ったまま、固まっている。
武が顔をひきつらせながら、声を震わせた。
「お、おっかねえ母ちゃんだな」
しかも、この一件は家庭内の出来事で終わらなかった。
試合が行われたのは土曜日だった。翌日の日曜日は個人戦だが、桃子たちは出場停止の処分を受けているため、なぎなた部のみんなは試合をすることがかなわなかった。
月曜日に桃子が学校に登校すると、クラスのみんなは、両頬をぷっくらとふくらませた彼女の顔を見て驚いた。桃子をよく見ると、制服からのぞく手足が、ところどころ赤く腫れあがっている。
その姿を目の当たりにした教師たちは、驚いたどころではなかった。桃子から、母親との稽古でこうなったと聞いた彼らの頭に「児童虐待」という言葉が真っ先に浮かんだのは、いうまでもない。
教頭先生と桃子の担任の教師が、すぐさま桃子を車にのせて廿橋家に向かった。
廿橋の家は代々婿養子で、その家は道場があるだけに広くて大きい。廿橋家では、あらかじめ連絡を受けていた母親の千鶴が、教師たちを待っていた。
教師たちは、桃子の家庭でいったいなにがあったのか、ひととおり話を聞いた。だが、どう見ても児童虐待としか思えない桃子のありさまに、そこまでやる必要はあるのかと申し述べる。
しかし、千鶴は「わが家の問題ですので」と、まったく気にもとめていない。
なんにせよ、桃子をこのまま登校させると他の父兄をはじめ、PTAや教育委員会から「生徒がいじめを受けているのではないか」と問われかねない。
学校側としては、PTAや教育委員会が、しゃしゃり出てくる事態になるのは避けたいところだ。
桃子のケガがなおるまで、一週間ほど自宅でじっとしてくれればと思うのが、教師たちの本音である。
──桃子君には悪いが……
彼らにとって幸いなことに、桃子はなぎなた部の存続にかかわるほどの問題を起こしている。
そこで教師たちは、その事をふまえて、桃子を一週間の停学処分にすることを千鶴に告げるのだった。
今回の処分は、学校側の立場だけを考えたやましい判断だということを、教師たち本人も自覚している。彼らの話を冷ややかな面持ちで聞いていた千鶴が、どのようにいい返してくるのか、二人の教師はドキドキしながら冷や汗を滴らせる。
ところが、千鶴は
「娘の処罰に関しては、そちらにしたがいます」
と、学校側の判断をあっさりと受け入れる。
肩すかしを食らったような教師たちだが、とにかくこれで心配していた事態は避けられるようで、安堵する。桃子のことを考えても、全身ひどい傷だらけの状態で、むりやり学校に登校させるのは、かわいそうだ。
それからも、学校側と千鶴とのあいだで話が続く。
結局この日は、廿橋親子は桃子の停学処分のことで、のちほど学校に向かうこととなったのであった。




