因縁試合
先鋒の桃子と半多が、開始線に立って向きあう。
双方が構えると、主審が「はじめ!」と試合開始を告げる。
桃子が少しずつ右にまわりながら、距離を詰めてゆく。
両者の体格差は歴然で、桃子が146センチなのに対して半多は165センチと、約20センチの差がある。
身長が20センチほどもちがうと、ふつうに立ち合えば、相手との距離に多少なりとも違和感がある。
程度の差はあれ、相手の背丈が自分よりも低ければ、いくぶん離れているように感じるものだ。
しかし、桃子を叩きのめそうと熱くなっている半多は、そこまで頭がまわらない。相対する桃子との間合いが、他の選手と試合をするときよりも近いのだが、半多の頭には違和感がない。
桃子は、なぎなたを自分の身体の方へ、やや引きぎみに構えている。なぎなたの位置から、自分との正確な間合いを悟られないようにするためだ。
半多はすでに桃子の術中にはまっており、完全に目測をあやまっている。
桃子が足をとめ、自分のなぎなたを半多のなぎなたにカンッと軽くぶつける。
半多は飛び退き、間合いを離す。
──このチビ……っ
楽勝だと思っていた半多は、まったくスキがない桃子に少なからず動揺する。優勝候補の自分たちに向かって、えらそうな口を叩くだけのことはあると思った。
桃子がふたたび右にまわるように、少しずつ身体を動かす。半多は、桃子の様子をじっとうかがう。
──まだ、遠い
そう思って桃子の接近をゆるす半多の呼吸を、桃子が完璧に読みとった。
──絶対に、このチビを叩きつぶして……
半多がそう思いながら、ひと呼吸ついたときだった。
ズダンッという音が会場にひびき、半多はうつぶせに倒れる。彼女には、なにが起きたのかわからない。
脛を打たれた感触があるので、攻撃を受けて転んだらしいのだが、脛だけでなく頭と胴にも衝撃が走った気がする。
いや、気がするではなく、彼女は実際に面と胴を打たれて、そして脛を払われて転んだのだ。
半多の身体には、受けた衝撃の感覚がのこっている。だが、ほんのわずかな一瞬の出来事であったため、彼女の頭脳は実際に起きた現実についていけない。
倒れている半多のよこで、桃子はなぎなたの切っ先を半多の頭に向けている。
なにが起きたのか理解できなかったのは、半多だけではなかった。
なぎなたには二段攻撃、三段攻撃の技も実際にはある。桃子の技は非常にはやく、桃子と同じほどに鍛えた人間でなければ、目が追いつかない。
桃子は最後に低い姿勢でなぎなたをよこに振ったので、脛を攻撃したことが、かろうじてわかる。
だが、試合を見ている人たちは、その瞬間を視界にとらえることができなかった。
呆然としていた主審はハッと我にかえり、桃子の一本先取を告げる。
周比華の選手たちの顔から、血の気がひいてゆく。桃子の先輩たちは、いままでまったく知らなかった桃子本来の実力に、唖然となっているのだった。
思いもよらぬ試合展開に、会場が静まりかえる。
桃子が、何事もなかったかのように開始線にもどる。その冷静な足どりは、この選手は本当に人を殺めても、なんとも思わないのではないかと思うほどの冷酷さを感じる。
桃子を見る人たち全員の背筋に、冷たいものが走った。
半多も起きあがって開始線に立ち、双方が構える。
主審が「はじめ!」と二本目の試合を開始させるが、半多はまだ混乱の最中にいる。
自分になにが起きたのか、いまだに理解できない半多だが、ひとつだけわかったことがある。
それは、自分はいま、とんでもない相手を敵にまわしているという事実だ。
桃子の目にたたえられているのは、凍りつくほどに冷たい静かな殺気であった。
そんな桃子の殺気を、主審は敏感に感じとる。
自分の合図で二本目の試合をはじめたものの、この異様な雰囲気は、試合がただでは終わらないことを予測させる。
──……一旦、中止するか
主審が、そう思ったときだった。パアンッと弾ける音がひびき、半多がもっていたなぎなたが空に舞う。
次の瞬間、今度は半多の身体が宙に浮く。
半多は自分の左側から足を払われて、空中で時計の振り子のように回転している。それは転ぶ感じではなく、身体をもちあげられた拍子に、空中でバランスを崩したかのように見える。
その身体が床と平行になったとき、桃子のなぎなたが上から打ちおろされ、半多の胴に炸裂する。
人間業とは思えない、現実にはあり得ないような技に、会場のみんなは息をのんだ。
ダンッと、背中から床に叩きつけられた半多は、一瞬、呼吸が止まる。
あきらかにやり過ぎだが、桃子はまだ終わらそうとはしなかった。
倒れている半多を左足でドンッとふみつけ、なぎなたを逆手に構え、切っ先を半多の面に向ける。
桃子の目にやどる静かな殺気が、獰猛な殺意に変わる。
桃子が逆手に構えたなぎなたをふり上げたとき、半多は叫び声をあげた。
──ひっ、ひいいいい!
だが、叫んだ声が、声にならない。半多に襲いかかる恐怖が、彼女の声帯を締めあげている。
そのとき
──いけない!
異様な雰囲気を察知していた主審の動きは、はやかった。
「やめなさいっ」
主審は、手にしている旗を放り投げると、桃子に抱きつくようにして危険な行動を制止しようとする。主審をつとめる彼女は、162センチで60キロのがっしりとした体格だ。
桃子の身体が、半多からひきはなされる。桃子は両足をふんばり、上半身を左へまわすようにブンッと腰をひねった。
桃子にしがみついている主審の身体がふりまわされ、彼女の両足が宙に浮く。
すごい膂力だ。
呆気にとられていた桃子の先輩たちは、目が覚めたように我にかえると、自分たちがやるべき行動に移った。
「やめろ、廿橋!」
主将の嘉野をはじめ、先輩たちが桃子を抑えこむべく、一斉にかけ出して行く。
そのあいだに、副審と周比華女学院の顧問の教師が、半多を場外へひきずっていった。
周比華の選手たちは顔面蒼白になり、金縛りにかかったように、まったく動けずにいる。
前代未聞の出来事に、会場は騒然となるのだった。
この事態に大会を主催する連盟は、大久万女子学園を反則負けと処する。
さらに、翌日に行われる個人戦に、同学園の選手全員が参戦することをゆるさない処罰を与える。
因みに、周比華女学院の選手たちは、これ以後はとても競技ができる精神状態ではなかったため、三回戦の準々決勝は棄権を申し入れた。
桃子は会場で怒りをぶちまける。
「優勝候補なら、他の学校を侮辱しても良いというのか!」
しかし、連盟から伝えられた学園への通達は、厳しいものだった。
「大久万女子学園なぎなた部においては、当分のあいだ、対外試合禁止となるのを覚悟してほしい」
ここまでマリナの話を聞いていた真悟の顔は、真っ青になっている。あまりにも強くて危険な人物が、そのオーラを放ちながら、自分のすぐそばに立っている。
マリナの話を呆然となって聞いていた武が、ボソッとつぶやいた。
「おっかねえヤツだな」
これまでの話は、なぎなたに携わる者にとっては非常に有名である。隣接する県にまで噂がひろまったほどだ。
マリナのおしゃべりは止まらない。
「小柄な身体で、相手を一方的にねじふせる桃子さんは、すごくかっこよくて」
格闘オタクのマリナにとっては、桃子の技のすごさしか頭にないようだ。
マリナが話している途中で、武が桃子の方を見ながら割り込んでくる。
「おまえ、そんなにチビなのか?」
「………」
桃子は、黙ったまま武をキッとにらんだ。
しゃべりがすぎたマリナは「しまった」と思い、右手を口元にあてる。自分がみんなに話した事実を「いまの、なしね」と片づけるのは不可能だ。
不穏な空気が、みんなを包んでゆく。気まずい沈黙が漂い、マリナも真悟もどうすれば良いのかわからない。
時とともに凍えてゆくような静寂をやぶったのは、美希だった。
彼女は、いきなり真悟に問いかけた。
「真悟、あなた身長は何センチあるの?」
「160センチです」
「ふうん、わたしと同じくらいね」
武の眉間に、シワがきざまれる。
「おまえは、156センチ……」
「武は、大きいわよ」
美希は、武を無視して真悟に話そうとする。
まあ、高校生の先輩なので、自分よりは身体が大きいだろうと真悟は思った。
真悟は、軽い感じで武の身長を美希に訊いてみるのだった。
「何センチあるんですか?」
美希は答えた。
「188センチ」
「で、でかっ!」
真悟は驚嘆して叫んだ。武と真悟との身長差は、28センチもある。
まさか、武がそれほど背が高いとは思わなかった真悟である。なにせ、いま自分の目の前にいる武闘家キャラの武は、自分と同じ目線なのだ。
真悟が驚いて武を見ていると、その武は真剣な顔をしている。
「美希、それはちがうぞ」
「え?」
また背が伸びたのか?
そう思う美希に、武は真面目な声で告げるのだった。
「俺は、187.9センチだ」
「………」
みんなが唖然となる。たった1ミリ、それも高いのではなく低いのだが、武はそういうことに妥協をゆるさない性格なのだ。
美希が、あきれた声を出す。
「なんで、そういうとこだけ謙虚なのよ」
みんなを取り巻く空気が、やわらいでくる。マリナは、気まずい雰囲気を変えてくれた美希に感謝するのだった。
話題を変えるなら、いまだ。マリナは、桃子の方をふり向いていった。
「桃子さん、今年の春まで試合に出ていませんでしたよね?」
「一年ほどな」
美希がビックリする。
「一年間も出場停止になったの?」
「いや、そういうわけでは……」
それについて、桃子がみずから理由を話しはじめるのだった。




