わたくしと魔王の
カルバスの王都を中心として勃発した内乱は、結果として王城の食糧庫のみの被害に留まった。その後の鎮圧が速やかに行われた理由としては、王が勇者を使い見事身内を取り戻したという事実と、なにより食糧庫を襲撃した民衆の大多数が“腹の底から”満足した、という部分が大きかったのかもしれない。
燻る不穏の火種が全て消える頃、姫は温かい民の見送りを受けながらエセドニアへの輿入れを果たす。つい先日まで王族を目の敵としていた筈の民衆達が彼女に向けた笑みの裏側に何があったのか、何故被害が食糧庫一点のみに集中したのか、詳細を知るのは護衛として傍らについた勇者のみの話だった。
そしてその数年後、カルバスから再起した戦にエセドニアは勝利した。
― ― ― ― ―
「……なぜ、姫様は」
雨上がりのしっとりとした鉱石の匂い。石造りの建物の隙間で外套にすっぽり身をくるみ、街角で拾いあげたビラに目を通していたクライドは、誰に投げかけるでもない問いかけをポツリと落とす。
あの後。
洞窟を抜けたクライドは城に帰還することをせず、路地裏を駆け回るはめになった。無論、それをクライドに強要したのは姫である。
その時点で一体何をしでかすつもりだと気が気ではなかったクライドだが、予感は見事的中、反乱奮起しようとしている民衆のたまり場を見つけたかと思えば、姫はそのど真ん中に立ちふさがり、これ以上なく美しい笑みを浮べて見せたのだ。
「わたくしの名は、シラヴィル・アン・カルバス。カルバスの第一王女」
これでもあなた方を救いに来たの、と。
高らかに宣言した姫は一家の飢えと貧困を主張する民に笑顔で答えた。
“成功すればあなた方のぶんは勿論、食べ物はご両親や子供達にも行き届くかもしれないわ。それを置いてでもやるべき事なんて、あるのかしら? そもそもあなた方の目的は、そこにあるのではなくって?”、と。
対する民衆の波は、揺れた。お互いを伺いあうように顔を見合わせた民衆達を前に、小さく漏れた姫の溜息こそが、その真意だったのかもしれない。
しかし。
何故、今更、此処へ来て、自国を完膚なきまでに叩き潰しているのか。
カルバスのほうからしかけた戦だとはいえ、風の噂で色々と耳にしていたクライドとしては非常に複雑な心境である。
『ふふふ。なんとも強引なお姫様だ』
その時不意に、さわり、とクライドの耳元を掠めたのは背の低い草が風にさざめくような声だ。
『カルバスの民の信念など、とうに喰われている。目の前の餌に飛びつくだけの、哀れで可愛らしい生き物を……ふふ、可愛がってやる気はなかったらしい』
「いきなりなんだ、そもそも――」
鋭く息を呑んだ喉が引き連れたような音を出す。それを反射的に飲み込んだ気管が吐き出したのは、クライドの衝撃そのものだ。
「なんでいるんだ!!?」
『待つだけは飽きた』
ここまで根を伸ばすのには苦労したぞ、と鼓膜に囁いてくる声にクライドの体から血の気が引く。
いつの間にか手放してしまっていたビラは地面に落ち変色し、耳元では楽しそうな笑い声が揺れ、落ち始めた西日は雨上がりの水滴を嫌と言うほど煌びやかに反射させていた。
― ― ― ― ―
大陸を統一しかねん勢いで勢力を広げるエセドニア。
かつてのカルバスを思わせる制圧の速さの根源、その王城の一室ではランプの火が何時も静かに揺れている。召使の手入れの行き届いた美しく広げられた絨毯と、何時もしわなく整えられている天蓋付きのベッドは、落ち始めた陽の射光にうっすらと染まり始めている。
それは、もう見慣れた風景。
そして繊細な彫刻が施されたスタンド式の吊りランプは、場所を取る上に不安定だ。
陽があるうちはどけておこうと昨日も一昨日も同じことを考えたというのに、今日もまたやってしまった――だなんて考えながら、ゆらゆらと揺れる明かりの元から視線を上げたシラヴィルは、目頭を揉みつつバルコニーの方へと顔をやった。
鮮やかすぎる橙色の夕日に自然と眉根が寄る。なんにしても、机の上に広げられた書物と、羊皮紙の束を照らしてくれるのであれば問題は無い。
「では第五王妃様の仰る通り、守りに裂く兵数は今の半分に――」
「いえ、そこから更に半分に減らしても構わないわ」
掛けられた声に視線を戻せば、銀鈍色の甲冑を身に纏った髭面の濃い眉が寄った。
伝令である彼がこの部屋を訪れる頻度からして、戦況は終局に向かっているのだろう。シラヴィルの指の間で回るペンの先が、伝令の甲冑と同様に鈍く西日を反射させる。
「それは……真に?」
「信用せずとも結構よ」
ペン先を見つめながらシラヴィルが返せば、重く落ちる唸るようなため息。何やら渋っている伝令だが、彼が今この部屋に居るのは王の令によるものの筈だ。
エセドニアの王は聡明といえた。幾多の妾の中、嫁いで来た一人を利用できるものと認めた潔さは、シラヴィルにとってもありがたい決断力の一部といえる。
何時からか何処からか、民の間に広がった『聡明な妃』の噂に関しては内心快く思っていないようだが。
「では、そのように……」
納得したのか、どうなのか。わざとらしい息をおとしながら部屋を去っていく伝令の後姿を、シラヴィルは視線だけで見送る。何かと人を疑ういけ好かない男に心中で舌打ちすれば、呼応するかのように卓上の羊皮紙が緩やかな風に舞った。
慌てて腰を上げ、踊るように身をひるがえす羊皮紙を追い指先を伸ばせば、バルコニーの先から夕時の透明な風を感じ顔を上げる。
燃えるような赤に混じる青と白の景観。拾い集めた羊皮紙が飛ばぬよう、その辺りに積んでおいた書物を重石代わりに乗せ、シラヴィルはバルコニーへと歩み寄った。
手すりに寄り掛かれば、頬を撫でる涼風が心地良い。広がる景観に、エセドニアも随分と大きくなったものだと苦笑する。
しかしエセドニアはカルバスと違い、森の少ない国だ。そのぶん複雑な構造をした建物が多々入り組み町となっており、風が運ぶ匂いはいつも乾いている。
そんな町を抜けてきた香りに今日はどこか懐かしいものを感じ、シラヴィルは微笑み目を閉じた。
「大陸を統一する……どんな気分だ?」
鼓膜をついた声。懐かしい、けれど何処か違和感のある淡々としたそれにシラヴィルは閉じたばかりの目蓋を押し上げ、鼻を鳴らした。
「遅いわ」
右方に向けた視界の先には手すりに背を預け、腕を組んだ不機嫌な魔物がいる。不可解そうに寄せられた眉と細められた金眼に、シラヴィルはこれ以上なく大きなため息を落とした。
「あなたってば、本当に鈍感なんだから」
「……お前まさか」
「気分はどうかと聞いたわね?」
彼も少しは成長したらしい。
信じられないとでも言うかのように瞠目する金に、シラヴィルは満面の笑みを浮かべる。
「最高の気分よ」
まんまと現れた彼の存在をシラヴィルは何時だって忘れられなかった。
大陸の統一は忌むべきもの。あの日彼が断言した言葉をシラヴィルは幾度も反芻した。
人込みを見れば自然と誰かを探してしまう視線があった。しばらく鏡の中の自分に笑えなかった。けれど今、詰まる息は美しい思い出を想ってのものではない。
「……覚えていたのか」
「……ひどい言いぐさね。わたくしを馬鹿だとでも思っているのかしら?」
「否定は出来ない」
真顔で言い切った相手にシラヴィルは軽く吹き出す。
焦げた机と、古びたランプ。こんな、たったの一言だけで、瞼の裏に広がる懐かしい景観に苦笑しつつ、シラヴィルは大きく息を吸い込み、改めて相手へと正面から向き直った。
「では、そんな馬鹿にまんまと呼び出された気分はどうかしら?」
仁王立ちになれば顔にかかって来た髪を、後方へと流す。夕日を透かし、視界の端で己の栗色の髪がちかちかと瞬いているのが分かる。それの眩しさにシラヴィルが眉根を寄せたまま鼻を鳴らせば、夕日より、火の粉のように輝く己の髪より、なによりも鮮烈に此方を射抜く金目が緩やかに細まるさまが見て取れる。
「存外、悪くない」
底意地意地悪く吊り上げられた相手の口元。それに対抗するようシラヴィルが笑みを濃くさせれば、やがて魔王の口角が柔らかくほころぶ。
「傍にいろ。それが最良だ」
苦笑まじりに差し出された手をシラヴィルは掴んだ。長い爪を持つそれは、思い描いていた以上に暖かい。
懐かしいと思った。彼をこんな風に抱きしめるのは初めてだというのに、何故こんなにも懐かしくなるのかと思う。
しかしそんな息の詰まるような感覚も一瞬の事で、 何の迷いもなく飛び込んだ腕の中、シラヴィルは溢れ出る笑みを咲かせる。
焦燥感はもうどこにもない。全ての選択に後悔は無い。
置いてきた夢以上に甘い、思い描く物語はこれから始まるのだ。
このお話はここでおしまいです。
たかたか書いて更新するつもりが、途中期間があいてしまい申し訳ありませんでした。
お話を最後まで読んでくださり、ありがとうございました!




