05 - 亡霊
まだ幼かったころ、僕は弱者を守れる強い存在にあこがれた。
けれど実際になってみて、それは決して良いものではないと知った。大義を背負って世のため人のために戦うよりも、怯えながらひっそりと呼吸をしていたほうが何千倍もマシだと、僕は既に学んでいる。
人を救えるだけの力を持っていたとしても、誰かを助けるために使えるとは限らない。平和で穏やかな生活を望んでいたはずなのに、ふと気づくと真逆のことをしているときさえある。救われない現実が、僕たちの生き方を形づくっている。
非科学の産物を生まれもった異常な人間、通称魔法使い。
僕の故郷であるエスト王国には、血統的理由のせいか、あるいはもっと厄介なわけがあるのだろうか、30歳以下の若い世代において、これらのイレギュラーな存在が極端に多い。国内人口に占める魔法使いの割合は周囲他国を圧倒している。そして幸か不幸か、駆り出された彼らは、技術的後進国であるエストをギリギリのところで守る生命線として、今日まで機能していた。国境警備の任務や、兵器開発の役割、あるいは治安維持のための必要悪として、魔法使いはエストを支えている。
だが、非科学は万能ではない。魔法使いの大半は、光る魔力塊を飛ばすことと、魔力を固定して剣や盾にすることの二種類の魔法しか使えない。こと殺し合いにおいて、戦いなれていなければ、武装して訓練した一般兵にあっさりと負けてしまう。だから魔法使いも、殺すために努力をするし、必要ならば何でも使う。
つまるところ、僕たちの果てにあるものは、硝煙弾雨と同じだ。英雄の物語なんてものは、参加するには血生臭すぎる。頁を捲っているくらいがちょうどいい。夢のない、つまらない真実を、エスト王国の魔法使いは七年前の戦争で知っている。
――そして、時には、その殺伐とした教えに感謝する。もしも魔法を、優しさにあふれた恵みの力だと誤認していたら、僕もライカも、今の強大な爆発をいなすことは出来なかった。
「……大丈夫か? 怪我はないか」
「ええ、一応は。頭頂部がズキズキしますけれど」
幸い、血の匂いはしない。強いてあげるなら、洗っていない犬特有の獣臭さが漂うくらいだ。最低限の安全を確認して、僕たちはほとんど同時に、ふう、と小さく息をつく。
中型犬は、僕たちに向けて致死性の魔弾を放っていた。それに対し僕たちは、三日前と同じように、ライカが盾を張って勢いを殺し、僕がギリギリで逸らす。さっきまで殺し合っていた相手と、僕たちは再び共闘の姿勢を取ることで、なんとか不意の一撃を凌ぎ切っていた。
「……シアンさん」
「なんだ。次が来るぞ」
「あなたはなぜ共闘しているのですか?」
……まあ、そういう反応になるよな。
三日前と同じ。畜生に狙われているのはライカだけだった。
「そういうライカこそ、なぜ奴に攻撃しない?」
「……誰かさんのせいで、いまは脳が揺れているんです。魔弾のコントロールなんてできませんよ」
本当か嘘かは知らないが、確かに、可能性はあるだろう。魔力は、尾てい骨付近で生み出し、脳で操作する。さっきの踵落としが効いているのなら、彼女はまともに魔弾を展開できない可能性がある。確かに、犬畜生の初撃を彼女一人でいなせなかった以上、何らかの制約はかかっているのか。
そんなライカに対し、畜生は吠え散らかして、再び魔弾を展開する。
「%%$$$%#!」
「普段からどんな躾をされているのですかお前はっ!」
喧しく喚き散らす犬と、ややキレ気味に対応する少女。とはいえ、一度体勢さえ整えてしまえば、彼女にとって犬の攻撃を躱し続けることはそう難しくはないようで、僕が補助するまでもなくなった。
「この犬、やたら元気なのですけれど。シアンさん、どう対応しましょうか」
「殺すのは嫌か?」
「……はい、それ以外で」
「二人で逃げるか?」
「こいつを野放しにしたら街に被害が出ますよね」
「……本当にテロリストらしくないな。まともに相手をするなら、魔力切れまで付き合ってやるしかないかもしれない」
「それはそれは。私、あんまり持ちそうにないのですが」
少女に指摘され、現状を見つめなおす。改めて捉えると、奇妙な構図だ。
犬はライカの尻を狙っており、ライカは僕の命を奪おうとしている。ならば僕は、犬が暴れている間にライカのほうを捕縛するべきだろう。あるいは、隙を見て僕だけこの部屋から離脱して、増援を呼んだ方がいい。「シアン=ルイスが生き残る」ことを最終目標とするなら、むしろそちらが自然だ。少女が犬に気を取られている今をチャンスととらえ、打開のために動いたほうが賢いに決まっている。
……のだが、僕がその策をとってしまうと、ライカ=バラードはどうなる。駆けつけた増援によって捕縛され、投獄されることになる。僕が生き延びるためにも得策なのだが、しかし今は都合が悪い。
仕方ない。気は進まないが、穏便に済ませる作戦をとろう。
「ライカ。そのまま引き付けておけ」
「指名手配犯を顎で使うとか、良い根性していますね」
幸いにも、畜生は相変わらず美少女にばかりかまけており、僕のことなど気にも留めない。こちらへは魔弾の一つさえも飛ばしてこない。代わりにライカに向けて、ありったけの殺意を飛ばしているが、ライカは距離をとって難なく避け続けている。彼女の背後の壁に無数の凹みができ、窓ガラスがバキバキに砕けていることに目を瞑れば、無傷と言っても差し支えない。
そのお陰もあって、僕の狙いはすんなりと叶う。
僕は犬の背後にまわり、――完全に無警戒なターゲットに向けて、その尻に、魔力でできた棒を突き刺す。
「……はい?」
「ほら、魔力の生成は尻穴の近くで行われるだろ? その部位を、この棒で麻痺させる」
「や、そんな薄汚い情報を周知の事実みたいに言われましても……」
おや、意外と知られていないものなのか。でも確かに、相手が人間なら、たとえ対象が犯罪者でもこんなことはしないか。
「ちなみに、いい感じの力加減をしないと肉体が崩壊するのだけれど、僕は素の魔力量が小さいから、今回に限ってはその心配はなくて――」
「どうでもいいから早くやってください」
「はい」
僕はそうやって、特に躊躇うこともなく、棒伝いで、犬の尻に魔力を流し込んで、――そのまま尻の中で弾けさせる。ぱしゅん、という呆けた音と共に、畜生が浮かべていた魔弾は霧散する。
残ったのは、犬の尻に棒を突っ込む19歳の愚か者と、それを見てドン引きする17歳の少女、そして盛大に穴だらけになった僕のすみかだった。
「……あの」
「なに?」
ボロボロの部屋に響くのは、きゃいん、という犬らしい鳴き声。畜生はひっくり返って手足をバタバタとさせた。今更愛玩動物ぶっても無駄だが。
*
ぼろぼろになった壁から、他人事のような朝の日差し。ライカの美しい銀髪が風に吹かれて波打ち、キラキラと輝いて見えた。どこか懐かしい、思いがした。そうだ、それは七年前の戦場で――。
「やり切った顔をしているところ悪いですが、絵柄は大惨事ですよ」
「うるせえ」
いい感じの回想でも始めれば、この犬っころの話もなかったことにできるかと思ったのだが、現実の方が剣を向けてきた。そうだそうだ、そういえばライカと戦闘中なのだった。
だが、なあ。
いまの戦闘で、僕は確信を持った。だから尚更、僕はこの少女に殺されてやることも、あるいは殺すことも、もうできない。
「ライカ」
「……なんでしょう」
「防衛システムを破壊したのは、きみじゃないな」
一拍置いて、ライカが剣を引っ込める。図星なようだ。
後輩から告げられた状況証拠を思い出す。防衛システムにはライカの魔力跡があったし、ライカが現地から逃走していることも確認されている。そして、後輩が言っていた通り、それらが捏造とは考えにくい。
「きみがあれを破壊しようとしたのは本当だろう」
彼女は強い。単純に、ライカ=バラードの戦闘を見ていればわかる。
彼女は僕より圧倒的に強い。最初に見込んだ通り、100回戦闘して1、2回勝てればいい方だろう。しかも、僕のような小手先ではなく、明確に、大きな力を持っている。才能で言えば、エスト王国内でも最上位の精鋭なことは疑う余地もない。
「でも、防衛システムを攻撃して、――返り討ちにあった」
力量の問題だ。この幼い女は、防衛システムには勝てない。
僕が1%の勝ち筋を残せる程度の力量では、あのシステムには絶対に勝てない。それは、防衛システムを作った僕だから確信できる。仮にも、国を守るシステムだ。意地があった。
そう。あの戦場で、『治癒術式』のせいで大勢を死なせた僕の、せめてもの意地だ。彼らに報いるため、僕はここにいるのだから。
「返り討ち、ですか。……ええ、おっしゃる通りです」
彼女は降参とばかりに両手を上げて、はじめて、へらへらと情けなく笑った。
再び風が吹き込む。土ぼこりと血液のにおいが混じって、懐かしい香りがつんと鼻を刺す。あの頃、彼女は10歳で、僕は12歳。純粋さを失って、代わりに何を得たのだろう。
「ライカ。きみは誰を庇っている? 返り討ちにあった後、誰に助けられた?」
「……さあ。気絶しているうちに、全てが終わっていましたから」
「なるほど、信じよう」
もっとも、彼女の人間性を信頼したわけではない。状況をみただけだ。もし彼女が『誰か』の正体を把握しているなら、たぶんライカは僕を殺しにくるよりも、もっと優先すべき行動があったはずだから。
破壊事件について、後輩は、単独犯の可能性が高いと言っていた。けれど現実的に、どこかの誰か、それもとびきりの実力者が彼女に手を貸したことになる。彼女に気づかせず、魔力跡も残さずに、だ。そんなことが果たしてできるのか、と聞かれると、製作者の僕ですら心当たりはないのだが、でもそう考えるしかない。
大規模な動きがあれば検知できるはずだ。隣国の軍隊が動いた線は薄いだろう。となると最も可能性が高いのは、圧倒的な『個』が動いたか。
僕が知る範囲に限ると、システムを破壊できるだろう魔法使いは二人だけ。そのうちの一人である金髪少女には明確にアリバイがある。具体的には仮眠室で僕と添い寝をしていたので完全にシロだ。
なら、残りのもう一人はといえば。
――亡霊が、現れたのか。
「一時休戦をしないか。ライカ」
僕は、少女に向かって、精いっぱいの作り笑いを浮かべて、妥協するように手を差し伸べた。
「『その人』を見つけるまで、互いに協力してはくれないか。目的を達成したら、僕はきみに殺されてやる。……いや、きみと殺し合いをしてやる」
「信頼、すると思いますか」
「ああ、思う。なぜなら、僕がシアン=ルイスであることを、きみは知っているから」
先の戦闘の名残だろうか、僕の掌は真っ赤な液体にまみれていた。けれど目の前の少女は、自嘲気味な笑みを浮かべながら、薄汚れた提案を握りしめたのだった。
少女の小さな右手。その感触は何故だろうか、どこか懐かしかった。共に地獄を歩んだ戦友と、再びここでつながった。そんな気さえした。
僕と少女の、不可思議な仮面をかぶった関係は、こうして始まった。




