04 - 鮮血
血が吹き出す。血が吹き出す。血が吹き出す。
少女が、魔力でできた剣を振るった。僕の右腕が切断された。たったこれだけの簡単な事象を理解するまでに、遙か長い時間が流れたような気がした。
――殺される。死んでしまう。この少女の剣によって。
無意識に、左手で傷口を押さえていた。けれどドロドロとした赤色は、僕の意志とは無関係に、あるいは僕を嘲笑うかのように漏れ出ていき、職場の床をどす黒く染め上げていく。僕にとって日常の象徴だったはずの空間は、もう既に惨劇の現場に変わり果てた。
痛い。痛い。痛い。原始的な感情が、堰を切ったように流れ出す。
だが、それを吐き出す前に、僕は身体を捻って彼女の間合いから離れ、腕だったものを左手で拾いながら部屋の端まで撤退する。今すぐにでも泣き叫びたい思いを封じ込め、ライカ=バラードと向き合う。
「どうしました、何も抵抗しないのですか」
僕の覚悟は明確に、一拍遅れていた。今の剣も、ライカがその気であれば、腕ではなく、首をとらえていた。
普段の戦闘であれば、ギリギリではあるだろうが、おそらく避けられていただろう攻撃。だが、彼女の激情に反して、その魔力には、殺意が読み取れなかった。だからだろう、気配による反射が追いついていない。いや、仮に反応できていたとて、この距離であの出力を防げたかと問われると、かなり苦しいというのが正直なラインではあるか。
「私は、七年前にその役についてから、百六十三人の魔法使いを吊るしてきました。戦中・戦後を通して、もっとも同胞を葬った人間ですよ」
「……殺すことには慣れている、とでも言いたいのか?」
「いいえ、慣れてはいませんよ。命の大切さを忘れるほど、私は外道ではありませんから」
少女はそこまでを一息で言い切ってから、でもね、と小さく笑ってみせた。
「私は今日初めて、自分のために人を殺します。命の尊さも、英雄としての立場も捨てて、この刃を振るうのです。……シアンさん、どうか、私の気持ちを受け取ってください」
愛の告白のような、命を削る言葉。それに応えるように、僕の腕からはドクドクと赤色が流れ続ける。
「私は本気です。本気で、あなたを殺そうとしています。――だから、シアン=ルイス。あなたも本気になってください」
「……そいつは」
「もしも死にたくないというのなら、あなたの信じた正義で、私を殺しなさい。戦う意思がないなら、とっととくたばってください。この、悪魔が」
再び剣を向けられる。追撃はまだこない。挑発のつもりなのか。
殺されるにあたって、心当たりはある、覚悟もある。相手が彼女なら申し分ない。でも、今日はだめだ。
「……きみは強気な奴だな。気に入らない」
切り捨てられた右腕の断面は、機械で断じたように、綺麗に平らだった。負け惜しみを吐いてから、それを肩に押し付ける。切り離された四肢を握りしめたところで、普通は手遅れだ。事情を知らない第三者からすれば、きっといまの僕は発狂した重傷者に見えるかもしれない。けれどシアン=ルイスにとって、この行為は正気の産物だった。
僕は罪悪感から目をそらしながら、その魔法の名を口にする。
「『治癒術式』」
視界が歪む。おおよそ恵みとは受け取りがたい怪しい光が、僕の腕を包み込む。
そして一拍ののち、すっかり定位置に戻った右手が、何事もなかったかのように動き出す。僕はべっとりとした赤い液体を握りしめるように、強く拳を握った。
「やはり、あなたが、そうなのですね」
「……大道芸に満足いただけたようで何よりだ。ならもう一つお情けをくれよ、取引をしようじゃないか」
「はは、やめておきます」
ぴしゃり。コンマ一秒も経たずに拒絶され、再び刃先を向けられてしまった。当然か。ライカ=バラードは僕のことを殺しに来たテロリストであり、目的のためには自身の破滅さえも受け入れる覚悟がある。ターゲットの命乞いなんて、彼女は否定するに決まっている。
「……きみは、本当に、防衛システムに攻撃したんだな?」
「ええ、確かにこの手で」
「…………だよなぁ」
さて、どうする。宣言通り僕を殺しに来たのだとしたら、彼女はもう止まらない。というより、――彼女が満足するまで付き合うしかない。
地形条件が複雑ならともかく、今始まろうとしているのは、トラップもギミックもない広いだけの空間での、タイマン近距離ヨーイドンだ。順当に決着するとしたら、貧弱な僕からしてみれば、100回やって2回勝てればいい方だろう。単純に、出力が違いすぎる。小手先で覆る力量差ではない。
話がしたい。ならば、彼女を止めるしかない。
ライカが踏み込むほんのわずか前に、僕は魔力を紐状に伸ばし、それで自分の首を絞めつける。
「……っ!」
僕とライカの呼吸が同時に止まる。一拍置いて、全身の魔力が暴走する。ちょうど、ライカが吊るした百六十三人の魔法使いのように、僕の全身は抵抗を始める。指先まで染み渡った窒息への恐怖を無理やり黙らせて、僕は全身から湧き立つドス黒い敵意を、すべてライカに向ける。
「趣味が悪いですね、あなた。気に入らない」
うるさいな。おまえが、本気で来いと言ったのだろうが。
それとも、君が求めているのは、「気持ちよく悪を成敗するライカ=バラード」なのか?
僕だって、正義を振るう英雄になりたかったさ。
……自身の首を絞めていなかったら、僕はきっとそんなことを吐き捨てていただろうか。いや、僕がこんな情けない、しょうもない、救われないことを考えているのは、ただ単に頭に酸素が回っていないせいだ。そういうことにしておこう。
さて、制限時間は一分弱。それを超えたら僕は失神するだろう。くわえ、これほど無様に自己強化を行なった上で、なおライカの出力には大きく劣るはずだ。普段ならいかにして逃げ出すかだけを考えるような対面で、僕は精一杯の虚勢を張るしかない。
魔弾を実験室内に広く展開し、彼女の動きを制限する。窒息の恐怖を完全に無視し、コントロールは十分効いている。動揺か余裕か、ライカはまだ動かない。どういうつもりか知らないが、こちらから動くことにしよう。今の僕には余裕がない。
彼女に向かって、正面から魔弾を放つ。ただしそれは、最大まで薄く引き伸ばした、もはや弾ではなく壁に近いだろう、殺傷能力を失ったこけおどしだ。目眩し以上の意味を全く持たないが、それで十分だ。彼女の視点からは僕が見えず、魔力探知に意識が割かれるはずだ。そして、三日前の共闘で、僕は彼女の魔力探知精度がさほど高くないことを知っていた。
正々堂々の強者にとって、こういう嫌がらせをされる経験はそう多くないだろう。さて、どう捌くか。
「本当に、小手先だけで戦ってきたのですね」
彼女が剣を振るうと、壁状の魔弾はあっさりと引き裂かれる。けれど、一枚割っても、そのすぐ後ろに次の壁が現れる。彼女は驚いた様子で態勢を立て直し、すぐさまもう一度構えるが。
瞬間、部屋の全方向に放っておいた魔弾がいっせいにライカへと襲いかかる。彼女の反射は流石なもので、これだけ意識を散らされながらも、彼女は瞬時に四方へ防御障壁を展開して身を守る。当然、無傷。
「こんなしょうもない攻撃では、私は決して――」
彼女は、追撃の壁状魔弾を引き裂きながら、僕がいた方向へと反撃の魔弾を浮かべる。様子見は終わりだ、と言いたいのだろう。
――だがまあ、これだけ僕の狙い通りに事が運べば、流石にやりようはあった。ライカが攻撃した場所にあったのは。
「……足だけ?」
彼女の視界が開けた時、その視線の先にあったのは、僕の魔力が強く込められた、切断された僕の右足。彼女の雑な魔力感知であれば、足に込められた強い魔力を、僕本体だと認識しても仕方がない。
そして僕はといえば、セルフ窒息をゆるめ、火事場の魔力バフをすっかり解除して、元の弱小状態まで気配を殺した上で、――すでに大きく飛び上がり、彼女の頭上にいた。ギリギリまで気配を悟らせないよう、身体強化を最小限に抑えたまま自由落下し、左足を振り下ろし、ライカ=バラードの脳天にかかと落としを決める。
「っ、ぁ、かぁ!?」
踵から伝わる大きな衝撃。完全な不意打ちがヒットする。
その一撃だけ入れて距離を取り、『治癒術式』で切断した右足を再接続。そして、――自身の甘さへの、強い後悔。
「なんで平然としてるんだよ、いま完璧に入っただろ」
「平然とはしてませんよ。めちゃ頭痛いです。あー、これコブになる」
一発でダウンさせるつもりで放った蹴りだというのに、彼女は家具に頭をぶつけたかのような反応。
一方の僕は、窒息未遂に、二度の四肢欠損からなる血液流出で、もはやほとんど満身創痍。今反撃されたら対処できない。
……さて、困った。
僕は再び部屋に極小の魔弾を展開し、――それをすぐに引っ込める。
「まじか」
僕でもライカでもない第三者が、すぐそばにいることに気づいた。
それを感知したのとほぼ同時に、破裂音、衝突音。それが実験室のドアの向こうから響く。悪戯や事故ではない。壁を隔てた向こうにいる何者かが、この部屋に侵入しようとしている。扉越しに室内の空気を揺らすほどの、防弾金属をひしゃげさせるだけの威力を抱えた打撃が、こちら側に向けて放たれていた。振動は決して無視できないほどに増幅され、殺気となって僕たちの周りを巡った。
「シアンさん。あなたの差し金ですか」
「違う、……といいな。僕の周りには、ドアの開け方も知らないような奴はいないはずだ」
「いざとなったら、このまま首を切り落としますからね」
比喩ならざる殺し文句が僕に届いた頃、ようやく打撃音が収まる。そして一拍ののち、歪な凸凹に変えられた扉が、小さくきしみながら開いた。が、音とともに侵入してきたそいつを視界に入れた瞬間、ライカの語彙力が溶け、表情が年相応のものに変わる。
「……え? は、え、何? 犬?」
轟音の主は、犬だった。
その見た目に限っては、極めて庶民的な畜生のモノだった。
傍の少女は見間違いを疑っているようで、剣をおろして自身の目をこすっているが、しかし何度見ても犬だ。ほへ、という気の抜けた声と、我が物顔で閉まる扉の音、そして小うるさい獣の呼吸が、数秒前までのシリアスをかき消していく。
四足歩行。そこそこ愛らしい瞳。どことなくふてぶてしい態度は若干猫っぽくもある。尾は平均的なモノよりやや長く、背中は若干もっこりとしているが、全体を見て分類するなら、おおむね犬だった。
「……あまり、可愛くないですね。シアンさん、こいつは?」
「きみが想像しているものであっているぞ。気をつけてくれ」
「……あなたに心配されるのは筋違いな気がしますけど」
言いつつも、ライカは獣に向けて手を伸ばす。犬畜生もまた、銀髪少女へとにじり寄り、威嚇のつもりなのだろうか、重心を低く構えながら吠える。命のやり取りはどこへやら、僕の視界には休日の公園のような微笑ましい景色が広がる――のだが、次の瞬間。
犬が鋭く吠え、命を疑う閃光と、張り裂けんばかりの爆発音が、僕に眩暈をもたらした。




