02 - 窒息
魔法使いは、首を絞められると死ぬ。
特殊な技能、非科学の産物を意のままに扱える反面、魔力強化をしていない時の肉体は、普通の人間と全く変わらない。腹を切られたら死ぬし、心臓が止まれば死ぬし、呼吸ができなければ当然死ぬ。もちろん、一度死んだら生き返る術はない。
だから我が後輩、指の力を直ちに緩めろ。このままだと僕は永久に死ぬ。そうです死にます。許して。
「なんで、もう、こんな面倒ごとをやってくれたんすか!」
「ぐぇ」
赤い髪の後輩少女にこってり絞られること、体感時間で数十分。ようやく解放されて大きく息を吸うと、生の喜びを実感する。ああ、僕は生きている。
あの戦闘から数時間が経過した。馬車に乗せられ輸送され、僕は定位置であるラボに戻ってきた。医務室を訪れ、後輩に血まみれの衣服を預け、抱きつかれ数分、泣きつかれ数分、そして説教開始からかれこれ一時間が経過していた。
「先輩にとってあの霊園が大事なことは知っています。でも、貴女なら、お参りに向かう最中で、ライカ?さんが待ち構えていることくらい気配で分かりますよね? どうして接触を避けようとしなかったんすか? 自分の立場分かってるんすか?」
「信じられないかもしれないが、本当に気づかなかった」
「先輩なのに?」
「先輩なのに」
はぁ、とため息。こういうリアクションが一番心に刺さる。
確かに、普段の僕であれば、霊園で誰かが待ち伏せしていることに気づいただろう。じゃあなんで今回はそれができなかったのかと問われれば、分からない、というのが正直なところだった。たぶん、ライカの隠密行動能力が優れていたとか、その辺りが原因なのだろうが、もう一度会ってみないことには確信は持てない。
もっとも、彼女ともう一度会うなんてこと、あってはならないのだが。
「でもはい、無事戻ってきてくれた点はちゃんと評価するっすよ、あたしは。先輩なら、バケモノと心中する、くらいの勘違い英雄ごっこをし始めてもおかしくなかったわけっすから」
「僕が命を賭ける程度であの場が収まると思うか?」
「はは」
後輩の目は笑っていなかった。ちゃんとごめんなさいをしておいた。
彼女はじーっと僕の目を見る。仮面越しではない僕の素顔を見慣れている彼女にとって、特に珍しいものなんてないはずなのだが、はて。
「……えぃ」
「ぐえ」
唐突に、再び後輩少女が僕の首を絞める。可愛らしいじゃれあいかと思いきや、その親指は的確に僕の気道を塞いでいる。冗談にしてはその攻撃は妙に長く、ギブギブ、と彼女の脇腹を軽くたたいて、ようやく解放される。
「なんなんだよ一体」
「先輩って、本当先輩ですよね。がっかりっす」
「首絞められた時のリアクションのダメ出しされてる?」
「はい。命の危機なんだから抵抗くらいしましょうよ本当」
じっとりとした瞳を向けられる。え、これ僕が悪いのか。
「よく見知った少女に首を絞められた程度で本気の抵抗をするべきなのか?」
「そういう話じゃないってわかってて言ってるっすよね。窒息が近づくと魔力が活性化する、これは命を持つ魔法使いの脊髄反射っすよね」
熱いものに触れたときに勝手に手が引っ込むとか、喉奥に指を突っ込んだらゲロを吐くとか、そういうレベルの話をされている。確かにこの反応は、ありふれた当然のものとして周知されている。
「で、なんで先輩は、その特性を強引に抑え込めるんすか?」
「努力の成果だ」
「……先輩は、自分の役割と、立場と、責任を常に考慮すること。いいっすね?」
再びため息。命への執念を捨てることは、何も格好良くないっすよ。……そうだね。
彼女はすっかりあきれた様子で、書類とってきます、とだけ告げて、ぱたぱたと医務室を出ていった。
ひとりでベッドに横たわり、気まぐれに、自分の喉に指を添えて、少しだけ指に力を込めて、さっきみたいに気道をふさぐ。20秒、30秒、40秒と経ったころ、一気に全身が苦しくなる。それでも指を離さず、むしろ全身の魔力操作を指に集中させて、生物的反射を超えて呼吸を阻害し続ける。
そうしてさらに20秒が経過したころ、全身に痺れる感覚が走り、――僕の意志とは関係なく、周囲に無数の魔弾が浮かんだ。それも、普段よりずっと密度の高い、生への執着が具象化した球体群だった。
「かはっ、ひゅー、ひゅー……」
気道を解放すると、情けない呼吸音とともに、周囲の魔力反応が一斉に消える。……一歩遅れたら、魔弾が暴走し、この医務室の壁が穴だらけになっていたかもしれない。こんな場所で試すべきではなかったな、などと今更後悔をする。
けれどひとまず、よかった。僕にもまだ、魔法使いとしての本能は残っていたらしい。ちゃんと鍛錬をしないとなぁ、などとは思いつつも、ほんの少しだけ許されたような気がして嗚咽が漏れて――。
「――っ」
頭痛。
何か思い出しかけたようで、けれどそれは輪郭を持たずに消えていった。大切なことを、忘れてはいけないはずなのに。
「先輩! 今の気配、何があったんすか、無事すか……え?」
部屋に飛び込んできた後輩に再度お説教を受けることになったのはいうまでもない。
*
ライカ=バラード、17歳、女性。
エスト王国防衛組織第7部隊、――通称、治安維持班に所属。
7年前の戦争では第18特殊兵部隊に所属し、部隊唯一の生き残りとなる。
姉には第17特殊兵部隊元班長のナシェ=バラードを持つ。ただし、ナシェも含め、血縁者は全員死亡または行方不明。
魔法使い適性あり、特殊魔法登録なし。現在の主な役割は、憲兵活動、要人の護衛、および、死刑囚への絞首刑の執行。『絞首台の英雄』で知られる。
「ライカ=バラードの基本情報っす。まあ先輩のほうが詳しいかもですけど」
「……『絞首台の英雄』ねえ」
後輩から渡された資料に目を通して、とびきり嫌な気持ちになった。特に、都合よく使われる『英雄』という言葉が心底気に入らない。
ひとえに英雄と言っても、その意味は多種多様だ。朝を豊かにし、国の民を導く、どこに出しても歓声が上がるだろう指導者。敵を追い払い、自国民を守る、見方によっては殺戮者にもなりうる戦女神。罪人を処罰し、刑を執行する、エスト内からも腫れもの扱いされる汚れ役。
どれも国を支える金色であるはずなのに、色眼鏡をかけた国民たちにとっては、映り方はまちまちだった。そして、ライカに向けて使われる『英雄』は、残念ながら見栄えにすぐれない。美しい銀髪を流す少女なのに、染み着いたイメージカラーは黒交じりの赤だ。
彼女は、内乱を起こした者、他国に情報を売ろうとした者、自分だけ助かろうと足掻いた者を処刑台に乗せて、その首を絞め上げる。数人でも数十人でもない、たぶんもっと多くの最期をもたらしてきた。そうしていつしか、畏怖をこめて、『絞首台の英雄』と呼ばれ始めた。
「ちなみに、彼女の処刑が滞りなく終わったケースはごくわずか。多分一回くらいしかないんじゃないすかね。その他全ての例で、死刑囚は命をかけて執行官を攻撃したそうっす」
魔法使いという生き物は、体内に武器を宿しているようなものだ。だから絞首刑の執行官には、死刑囚の足掻きを抑え込むだけの技量が必要だった。ライカが英雄となったのは、彼女が役割を持てるだけの素質と、覚悟の、両方を持っていたから。さっきの『気まぐれ』を基準に考えると、僕程度の外道が無様に吊られるとしても、その執行官には、やっぱりライカ級の実力者が必要なのだ。
理屈は、ああ、よくわかる。吐き気がする。喉からごろごろと嫌な音が鳴る。……さっきセルフ首絞めプレイをしたのがよくなかったか。
「よその国から見れば、ライカ=バラードも、先輩も、等しく哀れなガキっすよ」
「僕はもう19歳だが」
「背伸びしてもチビなんすから、あんまり格好つけない方がいいっす。ほどほどの他責思考が人生のコツっすよ」
一応、あたしは貴女の部下ですから、いつでもお待ちしております。そう続けて彼女は諦めたように微笑んだ。彼女は数少ない、僕の共犯者なのだ。少しくらい、甘えてもいいのかもしれない。
「でもきみ、僕が仕事面で甘えたいときは大概いないよな」
「定時あがりって良い響きっすよね」
「防衛の最前線にいる自覚はないのか?」
「あたしは悪くないっすね。小娘二人の防衛ラインにおんぶにだっこな国サイドの落ち度っす」
それは、確かに、そうである。
防衛組織第13部隊。正式所属しているのは、この後輩少女と、僕、レイ=ミラー、……本名シアン=ルイス。エスト王国防衛システムの開発と運用を担当する、実質的な最終防波堤は、僕たち小娘二人で成り立つ。厳密には、友人の金髪少女もこの部隊に関連しているが、まあ、あいつとは傷を舐め合うことはできない。
ともかく、この国は限界なのだ。なんなら7年前の戦争で滅びるはずだった。
でも、戦場にはナシェ=バラードがいた。
だから僕たちも、残念ながら、責任と覚悟と懺悔を背負い続ける立場にいる。
「……嫌だな、こりゃ」
休戦から7年間の不格好な平和は、確かに存在した。ではそれを脅かしたのは、果たして。
候補は絞られる。基本的に、僕の動向は、後輩少女と、金髪の友人、あとは防衛組織のお偉いさんしか知らないはずなのだ。それを踏まえたうえで、――僕とライカが鉢合ったのは、果たして偶然か。しかも、よりにもよってあの場所で。
運命と呼ぶより、誰かの存在を追う方が、僕たちの現実に合っている。
「『誰か』がいるとしたら、それなりに趣味が悪いな」
近日中に僕は、人生で初めて、シアン=ルイス以上の畜生と出会うことになるかもしれない。
僕とライカが再会した無縁塚。魔弾によって跡形もなく消え去ったあの霊園。あそこに眠っているのは、――救国の英雄なんかではなく、『絞首台の英雄』によって吊られた魔法使いたちなのだ。




