01 - 無縁塚
「いらっしゃいませ、ようこ……そ……?」
花屋の少女の幼い笑みが、僕を見た瞬間に凍り付いた。
「どうも、予約していましたレイです」
「あ、はい、その、お待ちしておりました……?」
彼女の反応も無理はない。朝っぱらから堂々と、狐の仮面を被った客が花屋にやってくるだなんて、人生で二度とないイベントだろう。多少の申し訳なさのなかで、使い慣れた堅苦しい敬礼をしてみせる。
「職業柄いろいろあってね、失礼な格好で申し訳ない」
「その敬礼……あ、あー! 軍人さんでしたか! これは失礼しました……! いま、お品のほう用意しますね」
彼女の怯えの質が変わるとともに、その視線に敬意と興味の色が加わる。彼女はぱたぱたと店の奥へ向かい、数分ののち、花束を抱えて戻ってくる。
「ええと、レイ=ミラーさん、でお間違いないですね」
「あっている。とは言っても偽名だけれどね。ありがとう。確かに受け取った」
「……この時期ということは、やはり、休戦記念日に合わせて、でしょうか」
おそらく純粋な興味からだろうか、あるいは珍しい軍人と話でもしたかったのだろうか。彼女は素朴な疑問をつぶやいて、数秒後、しまった、とでもいうかのように口を覆った。
「大丈夫、休戦とは関係ないよ。毎年この時期に、大切な人に贈っているだけだから」
「そ、そうなんですね」
彼女はほっと胸をなでおろす。あどけない笑みだ。まだ純粋だったころの幼馴染を見ているようで、なんだか少しだけ虚しくなった。
「そういえば、軍人さん、休戦で思い出したのですが、最近奇妙なうわさを耳にしまして……」
「はぁ、なんだろうか」
「最近、街の酔っぱらいが乱心して、国境付近まで馬車で突撃したらしいんです」
国境付近。いやな話だ。
休戦から7年が経過したいまも、一般人は立ち入れないはずだが。……封鎖の手数は足りていない以上、国境近くまで到達できてもおかしくはないか。
「その時に見たそうなんです。頭が3つ、羽が8枚ある猛獣が、魔力弾で地面をえぐっているところを……!」
「……単に酔いすぎでは?」
怪談風に語っているところからも、たぶん少女も大して信じていないのだろう。なお、その酔っぱらい氏は治安維持班につかまって連れていかれたとのことだった。かわいそうに。いや危険区域に勝手に侵入したのだから同情の余地なしか。
「……まあ、仮にそんなバケモノがいたとして、だ」
僕はなるべく優しく、自分には全く似合わない声色で、幼い彼女をあやすように語る。
「国境には、国の防衛システムがある。どんな脅威からも国民を守ると約束しよう」
だから心配はいらない、と伝えたところで、どれほど説得力があるのかはわからないが。少なくともそれが僕の役目であり、存在意義なはずだった。そう信じていた。
「それに、僕たちのエスト王国には、英雄がいるじゃないか。戦乙女、ナシェ=バラードさん。もしそんなキメラのようなバケモノがいたとして、もしそいつが国に牙をむいたとしても、最後には彼女が何とかしてくれる。そうだろう?」
「……軍人さん?」
「まあうん、一応警戒はしておこう。情報提供に感謝する」
街に人が増え始めた。狐の仮面をつけた怪しい奴がいる、と噂になりかねない。そろそろお暇させてもらおう。花束を大事に抱え、彼女に背を向けようとして。
「その、軍人さん」
少女は僕を呼び止める。純真さとは恐ろしい。たった数分話しただけなのに、僕の仮面と、そして浅い底を見透かされてしまったようだった。
「そのお花、ナシェ様のお墓にお供えするつもりだったのではありませんか?」
数秒後、彼女は再び自身の口を覆った。
*
目的の墓地に着いた頃には、すでに日が沈みかけていた。
立入禁止区域のすぐ手前。木製の簡易な柵を越えれば、そこはもう危険地帯、という僻地中の僻地。街からは遠く離れたこの霊園の、さらに一番はずれにある、ひどくくたびれた無縁塚。これまでに何度も足を運んできたが、誰かと鉢合わせたことなどただの一度もなかった。
そのはずなのに、今日のこの場には先客がいた。銀髪の少女が、僕を待ち構えるように立っていた。
「こんにちは、素敵な仮面をつけてらっしゃいますね。少しお時間よろしいですか」
「……何の用でしょう」
「失礼しました、私こういうものでして」
彼女は可愛らしく微笑んで、懐から手帳を取り出して表紙を見せる。描かれた魔法陣の紋様は、僕がよく知るものだった。
「……治安維持班。軍の精鋭さんが、本当に何の用事ですか」
「おや珍しい。部隊のエンブレムだけで所属がわかるのですか」
「ええ、ファンなもので。それで、ただ墓参りをしに来ただけの人間を呼び止めて、何が聞きたいのでしょう」
「最近、奇妙な噂を耳にしまして。それで、この無縁塚にやってくる方には話をしていただくことになっているのです」
にこやか、可愛らしい、まだ幼い。けれど言葉に圧がある。逃がさない、と瞳が告げている。
「……花を添えて手を合わせる。それくらい待ってくれてもいいよな?」
「ええ、もちろん」
「手を合わせる間だけ仮面を外す。しばらく後ろを向いていてくれ」
本当は墓の手入れもしたかったが、それはまたの機会にしよう。そう諦めを抱えて碑石に向き合い、……それが綺麗に磨かれていたことに気づく。
入り混じった感情を吐き出し、素顔を晒し、花を添えて、目を瞑る。数秒なのか、数分なのか、あるいはもっと長い時間だったかもしれないが、その間横槍は入らなかった。
慣れた砂のにおい。ため息の出る湿気。風に交じって、遠くから仰々しい馬車の音がかすかに聞こえた。
「終わったぞ、話をするんだろ」
律儀に後ろを向いていた少女に声をかけ、並んで霊園を歩く。いや、僕より彼女のほうが少しだけ歩く速度が速いようで、すぐに3歩ぶんの差が広がった。僕から見えるのは揺れる銀色のサイドテールばかりであり、彼女の表情はわからない。
「お名前は、なんといいますか」
「……レイ=ミラー」
……少女の目つきが険しくなるのがはっきりわかった。
「ご職業と、なぜそのような仮面をしているか伺っても?」
「ものづくりをしている。顔を見られたくないから仮面をかぶっている」
どうだ、おしゃれだろう、と続けると、鼻で笑われた。愛想の悪い娘だ。
「そのような仮面をつけて、休戦記念日でもない日に、わざわざ市街地から8時間かかるこの霊園にやってきているのですから、疑われて当然だとは思いませんか?」
「きみたち治安維持班は、なんとなく怪しそうというだけで、人畜無害な一般人相手でもそうやって難癖をつけるのか?」
「ええまあ、必要であればしますよ、普通に。レイさんが本当に人畜無害かは知りませんが」
まあ確かに、こんな仮面をつけた奴が、ひとりで僻地の墓場にやってきたのだ、一般人である確率より墓荒らしの可能性のほうが高い。これは確かに職務質問される。これは僕が悪いのでは。
うるさい、黙れ。あまり僕を客観視させるな。僕は自分を客観視するのが一番嫌いなんだ。なんでもいいから反撃してやろう――と悪口の手札を引こうかとしていたところ、彼女は急に立ち止まる。
「『ナシェ=バラードの亡霊が無縁塚にあらわれる』」
「……なんだそれは」
「そのような手紙が届きました。3日前のことです」
亡霊。亡霊とはまあ、行儀が悪い言葉だ。
7年前の戦争のあと、英雄ナシェ=バラードは行方不明だった。確かに、軍の規定により書類上は戦死扱いになっている。だが、誰も死体を見ていない。
ありふれた英雄譚なら、もう一度国の危機がやってきたときにでも現れるのだろうが。
「さて」
彼女はぱたりと立ち止まって振り向く。その表情は完全に漂白され、一切の感情が読み取れない。
「私はエスト王国軍治安維持班の、ライカ=バラード、と申します。――ナシェの実妹にあたります」
「……」
「驚かないんですね」
「……まあ、治安維持班には有名人が多いからな」
嘘は言っていない。人々を取り締まる治安維持班、とりわけこの少女ライカは有名人であり、一般市民も彼女の名前を聞いたことがあるかもしれない。職業柄、良くも悪くも、という枕詞がよく似合う、難しい立ち位置だろうとは思うが。
「ナシェ=バラードが行方知れずなのはご存じですね?」
「ああ」
「彼女は終戦時15歳。人望も実力もありましたが、肉体的には意外にも小柄でした」
「……」
「ちょうど、レイさんと同じくらいの背丈で、そしてあなたと同じように、女性ながら自身を『ぼく』と呼んでいました」
「そうか」
「さてレイさん。今の話とは全く関係がないのですが、――その仮面の下を、見せてもらえませんか?」
彼女の赤い瞳。そこには、縋る、突き刺す、あるいは嘆く、あまりにも感情が入り乱れていた。
「顔をさらすのは嫌だな」
「さっき花を添えているときは、あっさり仮面外していましたよね」
「じゃあその時、勝手に盗み見ればよかっただろう」
「逆ですよね。私がそういうことをしないのを確信していたから、碑石の前であの行動がとれた」
ライカは小さく息を吐き、目を閉じ、――その周囲に、輝く半透明の球体を無数に浮かべる。
魔弾。人類のわずか少数のみが使用できる、非科学の武装。それを、彼女は僕へと向けていた。牽制のつもりなのか、あるいはもっとドス黒い感情に由来するのかはわからないが、彼女は明確な敵意を持って、僕の前に立ち塞がる。
「ご存じの通り、治安維持班には武力行使が許可されています。その仮面をかち割るくらいの攻撃は平気でしますよ、私は」
「治安維持班の人間は、禁止区域に不用意に近づいてはいけないんじゃなかったか?」
「……あなた、ずいぶんへらへらしてるじゃないですか。自身の立場をわかって――」
特に挑発をしたつもりはなかった。僕が何か仕込んだわけでもない。けれど第三者から見れば、それは図ったかのようなタイミングだったことだろう。
突如、霊園に、けたたましいサイレンが響いた。本能を揺さぶるそれに混ざって、国境の方向からは地響きと、はるか遠くに土煙が上がる。
『防衛システムが作動します。禁止区域から離れてください。繰り返します、防衛システムが――』
「レイさん、あなた何かしましたか」
「信じられないと思うが、本当に何もしていない」
はるか遠くからかすかに、しかし確かに、獣の咆哮が聞こえる。命の危機を感じさせるのには十分な、悲鳴のようなそれが、非科学由来の第六感を激しく震えさせる。
頭が3つ、羽が8枚ある猛獣。街で聞いた『噂』の正体。
あの土煙の向こうにいるのは、おそらく。
「防衛システムと、何かとが、あの場所で戦って――レイさん、私の後ろに隠れて、早く!」
茜色に染まっていた空が、突如輝く。そして一拍置いて、――国境方向の空から醜い放物線が描かれ、赤黒い魔弾群がやってくる。柵で隔たれた遠い向こう、僕たちには視認できないほどの遠距離から、ちょうど僕たちの周りだけを正確に。流れ弾でも誤射でもないだろう。
「――っ!」
ライカが空中に魔力を展開する。壁状に延ばされ、空気を媒介に固定され、それらは僕らを守る盾になる――はずだったが、たった一発の魔弾を受け止めることすらできず粉々に砕け散る。魔弾はそのまま、勢いを落としながらも僕たちに襲い掛かり、……そして空中でわずかに角度を変えて、僕たちの数歩左に大きな窪みを作った。
「外れた……いえ、レイさんが何かしたのですか?」
「ライカ、きみは今みたいに弾の勢いを殺してくれ。そうしたら今みたいに僕が逸らす。ほら、次が来る」
どこの誰かもわからないだろう僕の言葉に、ライカは渋々ながら乗ってくれるらしい。彼女は再び、空中に障壁を展開する。
飛来するそれらは、弾数にすれば数十程度だろうか。僕たちの座標めがけて次々に放たれ、寂れていた霊園を徹底的に否定していく。石碑が砕け、土煙が舞い、周囲百歩分の大地が抉れ返るなかで、僕たちの立っているわずかな四方だけがかろうじて原形を保っている。
「このまま引く。200歩後退できればレンジから外れるはずだ」
「根拠はありますか」
「信じろ」
「……本当に何者なのですかあなたは!」
問題は、後退する数分で彼女の体力が持つか。
だなんて、まるで軍師のように振る舞う僕だが、ライカと比較して、魔力の才能は天と地の差がある。もちろん僕が地だ。彼女が硬い盾で砲撃の威力を落としてくれるから成り立つだけの、完全に彼女頼みの撤退戦だった。僕は、彼女の盾の下位互換でしかない貧弱な障壁を、弾に対して斜めに展開し、ほんの少し脅威の角度を逸らすだけ。完全に、守られている弱者側である。ああ情けない。
「ライカ、まだいけそうか?」
「ええ、なんとか」
弾幕の雨の中で、少しずつ、殺意の主から距離をとる。ライカのスタミナは大したもので、20歩引いて、50歩引いて、まだまだ防御障壁の出力は落ちていない。さすがエリート軍人なだけはある。そして何より、――この惨めな撤退戦でよく現実が見えている。御伽話の英雄様なら、あの遠い向こうの化け物に一矢を報いようとするのだろうか、あるいは大切なひとの墓を守ろうと奮闘するのだろうか。だが彼女は徹底して引き続けている。
そうやって100歩引いた。穴だらけの地面に足を取られそうになりながらも、まだ僕たちは無傷だった。仮にこの場に僕一人だったら、まず絶対に『こう』はなっていない。奇妙な笑いがこぼれかけて、――その顔が引き攣る。
「ライカ」
「なんですか!」
「いまの弾幕が途切れたら、後ろを向いてダッシュしろ。僕のことは置いていっていい」
「……はい?」
「奴の気配が変わった。次の攻撃は逸らせない」
これまでの弾幕を逸らすことができていたのは、攻撃者が範囲重視の散弾型でこちらを狙っていたからだ。だが、痺れを切らしたのだろう。10秒後に降ってくるだろう追撃は、おそらく、強大な一撃必殺になる。防ぐことも逸らすことも叶わない。
一方で、魔力の肉体強化を生かせば、彼女はギリギリ、本当にギリギリだろうが、逃げ切れるだろう。多少爆風にやられる可能性はあるが、まあなんとかなるだろう。
「3、2」
「レイさん……?」
「1。走れ。健闘を祈る」
……そういや、なんで攻撃を受けているんだっけ。
…………化け物はきっと、英雄が嫌いなのだろう。
僕は狐の仮面を少しだけずらし、ライカと一瞬だけ目を合わせる。彼女の戸惑いは速やかに引いていき、あっという間に険しい顔つきになった。
「……健闘を祈ります」
ライカの3歩目に重心が乗ったことを確認し、僕も走り始める。ちょうど、……彼女とは反対方向。殺意の主のいる方向に向かって、だった。
その数秒後、強大な爆発。大地が震え上がる。
*
「やあ、派手にやられたね」
更地になった旧霊園で横たわっていると、よく知った声がやってきた。見慣れた金髪、見慣れない表情。そういやさっき、誰かが馬車で近づいていたな、などと思い出した。遠い昔の記憶のように思えた。
「死ぬほど心配した」
「ごめん」
「おや、今日は素直だ。……まああれだ、とりあえずわたしの上着をどうぞ」
血まみれの衣服を破り捨て、渡されたものを羽織る。僕が着るには少し小さかったけれど、妙に暖かくてため息が漏れた。
立ち上がって、辺りを見渡す。まだ僅かに土臭い。
大切な場所だったのだが、残念だ。
「思い出よりも、いまの自分の心配をしたらどうだい」
「そうだな、明日は半休とります」
「意外と余裕そう?」
そりゃあまあ、僕は爆風を少し受けただけだから。それなりに死を覚悟したとはいえ、まあ8割がた生き残るだろう、との見立てではあったのだ。
そもそも、僕は狙われていない。なぜなら、英雄ではないから。
思えば、禁止区域の化け物がこちら側への攻撃を始めたのは、ライカが魔力を使った直後だった。彼女が僕に向けて魔弾を浮かべ、僕の正体を暴くため威嚇した、そのすぐ後。僕が化け物の攻撃気配を察知できるように、化け物もライカの魔力を探知して、――敵とみなしたのだ。だから最後の強大な爆発弾も、ライカめがけて放物線を描いた。尤も、彼女が本気で走れていれば逃げ切れただろうけれど。
化け物は、英雄が嫌いなのだ。
まあ、ライカは、自身を英雄とは認めないだろうが。
「あの子は無事だよ。吹き飛ばされて打撲くらいはしただろうけれど、仰々しい治療が必要なほどじゃない」
「そうか。なら、まあ、いいか」
ライカの身体能力は僕より圧倒的に高いはずだ。心配するほどではないだろう。ふぅ、と息を吐き、そして、……頭をかかえる。
わずかにとはいえ、ライカに顔を見せてしまった。そうしなければ、あの場で彼女は走り出さなかっただろうから仕方がないことではあるが、顔を見せてしまったことは事実だった。次に会うときは、きっと穏やかにはいかない。
だから、治安維持班には禁止区域に近づかせないようにしていたのに。
「……英雄、ねえ」
あるいはライカは途中まで、僕の正体を英雄ナシェ=バラードと勘違いしたのかもしれないが、それはとんでもない誤解であり、見当違いで筋違いで、あの英雄に泥を塗る行為だ。ライカも今頃憂いているだろう。
なぜなら、七年前の戦争で、――もし、かの救国の英雄を殺した誰かがいるとするなら、それは紛れもなく、僕なのだから。




