08 広間の掃除
08 広間の掃除
広間へ向かう廊下は、冷えていた。
石の床が足裏からじわじわと冷気を伝えてくる。
向こうから神官や神官見習いたちが歩いてくる。
すれ違うたびに、視線が刺さった。
露骨だった。隠そうともしない敵意。
僕は神子に付き添う立場だ。
本来なら、彼らと関わることなんてほとんどない。
それなのに――どうしてこうなるのか。
理由はわかっている。
わかっているからこそ、余計に顔を上げられなかった。
背を丸める。視線を床に落とす。
足音だけを頼りに、すれ違う。
笑い声が聞こえた気がした。
気のせいかもしれない。でも、たぶん違う。
広間の扉の前で、一度だけ呼吸を整えた。
開ける。
中に入った瞬間、空気が変わった気がした。
そして、視界に入った顔ぶれで理解する。
……ああ、そういうことか。
そこにいたのは、以前僕を殴った神官見習いたちだった。
体が反射的に強ばる。
肩に力が入るのが自分でもわかった。
逃げる、という選択肢はない。
僕はここで掃除をしなければならない。
一歩、足を踏み出す。
彼らがにやりと笑った。
持っていた掃除道具を、わざと乱暴に放り投げてくる。
柄が床に当たって、乾いた音を立てた。
「きれいにしろよ」
一人が言う。
「親切に道具を持ってきてやったんだからな」
別のやつが続ける。笑い声が広間に響く。
僕は何も言わない。ただ、落ちた道具を拾い上げる。
視線は合わせない。
合わせたら、きっと面倒になる。
彼らは満足したのか、そのまま去っていった。
静かになった広間で、僕は一度だけ息を吐いた。
……さて。
魔法で水を出せば、すぐに終わる。
それくらいのことは、できる。
でも――やらない。
井戸へ向かう。桶に水を汲む。
広間に戻り、壁に水をかけ、布でこする。
床も同じように拭いていく。
何も考えなくていい作業。
それにじっくりと時間を懸ける。
待ちくたびれた頃、足音が近づいてきた。
嫌な予感というか、予定通りだ。
さっきの神官見習いたちが戻ってきていた。
何も言わずに、近くにあったバケツを蹴る。
水が床に広がった。
それだけして、また笑いながら去っていく。
……なるほどね。
僕は手を止めずに、そのまま布を動かし続けた。
広がる水。増える作業。
でも、不思議と腹は立たなかった。
慣れているからかもしれない。
予想通りで少し笑えるから?
どうでもいいと思っているからか。
そろそろ、あいつらが来る。
僕のこの姿を見に。
しっかり見せてあげなくては。
予想通り、扉の向こうから声がした。
「まだ終わらないのか」
王子の声だった。
空気が少しだけ重くなる。
顔は上げない。
「レオナード、オオヤナギは頑張っています」
ミツルギの声が続く。
その言葉に、王子は鼻で笑った。
「また神官見習いが言っていたぞ」
少し間を置いて、
「掃除した場所にバケツを倒したってな」
嘲るような声。
「まさかと思って見に来たら、この有様だ」
視線が向けられているのを感じる。
でも、僕は見ない。
見たところで、何も変わらない。
「でも……」
ミツルギが言葉を濁す。
ちらりと視界の端に、その姿が入った。とても自分とは思えない。
王子を見上げている。
その仕草が――
どうしようもなく、滑稽に見えた。あれは僕ではない。
僕には関係ない。
僕はただ、床を拭く。
「いくらのろまでも、一晩あれば終わるだろう」
王子が言い捨てる。
「行くぞ」
そのままミツルギの腰を引き寄せた、そのとき。
「王子殿下、神子様は今晩は神殿です」
別の声が割って入った。
神官だ。
気づけば、周囲には複数の神官が集まっていた。
「ここでお別れです」
きっぱりとした口調。
一瞬、空気が張り詰める。
「レオナード、神官長が怒ってるみたいだから、今日は神殿で」
ミツルギがそう言う。
王子は不満そうに舌打ちしたが、結局は引いた。
去り際、こちらを一瞥する。
「おい、余分……お前なんか追い出してやるからな」
吐き捨てるような言葉。
足音が遠ざかる。
完全に気配が消えたのを確認してから、僕はようやく手を止めた。
広間には、水の滴る音だけが残っている。
僕はゆっくりと立ち上がった。
床に広がった水に手をかざす。
魔法を発動する。
水が、形を変えるように集まっていく。
一滴も残さず、まとめて取り込む。
そのまま窓へ向かい、外へ放った。
水が地面に落ちる音が、遠くで響く。
掃除道具も同じように収納する。
最初からこうしていれば、すぐ終わった。
でも――それは、しない。
能力を見せる必要はない。もっと言えばこの国に使う必要はない。
部屋を出る。
道具置き場を探さないといけない。
廊下を歩いて、ふと足を止める。
……どこだったか。
記憶をたどる。
すぐに思い出せそうで、思い出せない。
少しだけ首をかしげる。
でも、すぐに考えるのをやめた。
どうでもいい。歩いていれば見つかる。
背を丸めて、足音を忍ばせるように。
誰にも気づかれないように。
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