70 ミツルギとルーク
70 ミツルギとルーク
神殿の奥は静かだった。
磨き上げられた床には窓から差し込む光が映り込み、壁には高価そうな絵画や彫刻が並んでいる。
豪華で、どこか冷たい。
ルークはそんなことを思いながら歩いていた。
前を行くブラウン神官が、途中で振り返る。
「ミツルギ様の事情はアンディ様はご存じでしょうか?」
「むずかしいことはわからないから不要です。ルークに付き添うだけですから」
アンディがそう言って笑うと、ブラウン神官は少し申し訳なさそうに笑った。
「本来なら、きちんと時間を設けて説明するべきなのでしょうが……オオヤナギ――いえ、ルーク殿は、そういうのを望まれないでしょうし」
「そうですね。そのほうが助かります」
ルークが苦笑する。
その隣でアンディが肩をすくめた。
「はい。演習で大怪我をなさいまして、神殿も治療ができませんで、その治療をお願いしたく」
「ふぅん。神殿って神子がいるんだろ」
アンディが、何気ない口調で言った。
「つまり、ルークは神子以上ってことか」
「いや……」
ルークが困ったような顔をする。
すぐにアンディが笑った。
「安心しろ。言いふらしたりしない。ただの付き添いだからな」
その言葉に神官二人はほっとしたように会釈した。
やがて、一行は重厚な扉の前で立ち止まる。
ブラウン神官が静かに言った。
「こちらにミツルギ様がおられます」
ルークは小さくうなずいた。
ブラウン神官が少し真面目な顔になった。
「暴力を振るわれることはありませんが……護衛の方、よろしくお願いします」
「了解」
アンディが軽く答える。
ブラウン神官は扉をノックした。
コンコンコンコン。
返事はない。
少し待ってから、もう一度ノックする。
「ミツルギ様。失礼します」
それでも返事はなかった。
ブラウン神官はため息をひとつつくと、
「入ります」
と言って扉を開けた。
広く、明るい部屋だった。
豪華な家具、分厚い絨毯。
大きな窓の向こうは見事な庭園だった。
けれど空気は重い。
窓際に青年が立ってこちらを見ていた。
フードで顔を隠している。
ミツルギだった。
その顔には怒りと疲労が浮かんでいる。
「おや」ミツルギが皮肉っぽく笑う。
「今日は二人のほかにも誰かいるんだね」
四人が部屋へ入る。
ミツルギの視線がルークへ向いた。
「軍人さん?」鼻で笑う。
「なんの用だい?」
そして口元を歪めた。
「まさか怪我をさせたことを謝りに来たわけじゃないよね」
神官たちが顔を曇らせる。
ミツルギは続けた。
「今さらだもんね」
ブラウン神官が静かに言った。
「治療ですよ。ミツルギ様」
その瞬間だった。
ミツルギの表情が変わる。
「治療?」低い声で呟いた。
次の瞬間、「ふざけるな!今さら何を!」と怒鳴った
「ふざけてないよ」静かな声が遮った。
「誰だ、貴様は」
「僕、治療できるよ」
ミツルギの唇が震える。
「できる……?」
「できるよ」
ルークは神官たちを見た。
「悪いけど押さえてもらっていい?」
「え?」
「暴れそうだから」
ミツルギが反射的に言い返した。
「誰が暴れるか!」
「信用できない」
ルークが即座に返した。
アンディが吹き出す。
「確かにな」
そして部屋を見回した。
「その椅子を壁につけよう」
神官たちが慌てて動く。
椅子を壁際へ寄せる。
「そこに座らせて肩を押さえろ」
「は、はい」
マイル神官とブラウン神官が左右からミツルギを押さえる。
「離せ!」
「ご容赦ください」
アンディはその様子を見て満足そうにうなずいた。
「そうだな。それでいい」
そう言うと自分はさっさと床へ座る。
そしてミツルギの両足首を押さえた。
「よし」
「お前ら!」
「これで安心だ」
「ふざけるな」
「暴れるだろ」
「暴れない」
「じゃあ大丈夫だな」
アンディはにっこり笑った。
ミツルギは本気で悔しそうな顔をした。
ルークは少しだけ笑う。
そしてゆっくり近づいて、ミツルギの前に立つ。
震えている。怒りなのか、不安なのか。
ルークはそっと手を伸ばして、頬に触れる。
「っ」
ミツルギの体に力が入る。
柔らかな光が広がる。
部屋の空気が変わる。
暖かい、優しい光だった。
アンディには見慣れた光だった。
ミツルギの頬の傷跡が消えていく。
腕の火傷の痛々しかった赤黒い痕も、みるみる消えていく。
ミツルギの目が大きく見開かれた。
「な……」
ルークは治療を続けながら言った。
「頬と腕」
光がさらに広がる。
「あと、自分で傷つけたりした?」
ミツルギの表情が固まる。
ルークは優しく続けた。
「そこも治したよ。ついでに煙草の痕も」
誰も声を出せない。やがて光が消えた。
ミツルギは震える手で自分の腕を触る。
傷がなかった。頬を触る。
そこにもない。
「お前……」かすれた声だった。
「何者なんだ」ルークは少し首をかしげた。
そして小さく笑った。
「忘れたの?」
ミツルギは本気でわからないようだった。
ルークは何事もなかったように立ち上がった。
「じゃあ帰るから、案内よろしく」
アンディが立ち上がる。
二人は扉へ向かう。
ドアを開いて、出て行った。
扉が静かに閉まるまえに、ブラウン神官が外に出た。
部屋に残されたミツルギは、椅子にがっくりとうなだれた。
マイル神官は、お茶を入れようと湯を沸かし始めた。




