58 帰って来た調査隊
58 帰って来た調査隊
王様と会ってから数日が過ぎたある日、ギルドの扉が勢いよく弾け飛ぶように開いた。
「門からの使いだ! 瘴気の調査に出ていた連中の一人が戻ったぞ!」
その声に、心臓が跳ね上がった。
「戻った……?」
椅子を倒しかねない勢いで立ち上がる。考えるより先に体が動いていた。
「どこですか!」
「門だ、今――」
最後まで聞かず、僕は外へ飛び出した。
息が切れるのも構わず、門までの道をがむしゃらに走る。
間に合え、間に合え。それだけを祈りながら。
たどり着いたとき、そこにいたのは――。
「アンディ!」
赤毛のアンディが、青ざめた顔でソファにぐったりと寄りかかっていた。
「ルーク……来たか」
ひどい顔色だが、致命傷はない。僕はすぐに治癒魔法を展開し、彼の体を調べた。
アンディが喘ぐように話し始める。
「瘴気は……あった。見つけた。だが、それより――魔獣が多すぎる」
「多い……?」
「やばい数だ。あんなの、見たことがない」
背筋に冷たいものが走った。あの不気味な黒い網が脳裏をよぎる。
「クリフたちは!?」
「負傷者が出て、足が遅れている。だから、俺が先行して戻ったんだ」
「そうですか」
無事ではない。けれど、生きている。今はそれだけで十分だ。
状況を聞き取った使いの者が、再び走り出す。
「ギルドに報告してくる!」
遠ざかる背中を見送り、僕はアンディに向き直った。
「あと、どのくらいで皆さんは着きますか?」
「わからない。だが、一刻の猶予もないと思う」
やがて、ギルドから人々がなだれ込んできた。
フェルナンドと騎士団、そして訓練中だった冒険者たち。
「状況を話せ」
フェルナンドの低い声が響く。アンディは簡潔に、瘴気の位置、魔獣の数、そして負傷者の状態を伝えた。
居合わせた全員の顔が、岩のように険しく引き締まる。
「救出が先か……それとも迎撃か」
誰かが呟いた。フェルナンド様は腕を組み、わずかに目を細める。
苦渋の決断を迫られている。その時だった。
「王よりの使いである!」
別の声が割って入った。一瞬で空気が凍りつく。
「ルーク殿は自重せよ、との命です」
フェルナンドが深くうなずいた。
「聞いたな、ルーク。君を迎えに行かせるわけにはいかない。俺の判断も同じだ」
僕は小さく、震える息を吐いた。
「そう、ですよね……」
自分でもわかっている。僕が今倒れるわけにはいかない。優先すべきは、瘴気だまりを消し去ることなのだから。
「ルーク」
フェルナンドが僕の肩に手を置いた。
「すまない。だが、必ず全員を連れて戻る。約束しよう」
短い、けれど重い言葉だった。
そこからは嵐のような騒ぎになった。
「ポーションをありったけ集めろ!」
「倉庫の備蓄をすべて出せ!」
「担架の用意だ!」
怒号が飛び交う中、僕も棚からポーションをかき集める。
「これも、これも……足りるかな。足りなきゃ作らないと」
「全部預かる。行くぞ!」
騎士の一人がそれらを受け取り、馬に飛び乗った。
「アンディ、案内を頼む」
「任せろ」
騎士団が砂塵を上げて駆けていく。
残された僕は、ただ祈ることしかできなかった。
家に戻っても、指先が震えて落ち着かない。
部屋の中を歩いては止まり、また歩く。
「大丈夫……だよね」
独り言が虚空に消える。胸のざわつきが、どうしても収まらない。
「僕も、行けていたら……」
言いかけて、唇を噛んだ。
だめだ。僕にしかできない役割がある。この判断は正しいんだ。自分にそう言い聞かせ続けた。
翌日の夕方。外がにわかに騒がしくなった。
「戻ったぞ! 帰還だ!」
その声に弾かれたように外へ飛び出す。
そこにいたのは、見慣れた顔ぶれだった。
けれど、いつもとは決定的に違っていた。
誰もが泥と返り血にまみれ、装備はボロボロに損壊している。
「クリフ!」
駆け寄った瞬間、僕は言葉を失った。
クリフの右腕が――肩の先から、なくなっていた。
厚い布で固く縛られているが、そこからはどす黒い血が滲み出している。
「魔獣に、やられちまった」
クリフが、力なく、けれど自嘲気味に笑った。
「っ……!」
喉の奥が詰まって、声が出ない。
「ルーク、頼む。こいつらを……見てやってくれ」
その一言で、弾かれたように意識が戻る。
「すぐにやります! 今すぐ!」
クリフの傷はもう、落ち着いている。腕がないだけだ。
左頬から肩をえぐられた傷はまだ出血している。
その人から、治療を始めた。
順に、治療をしていく。ここまでひどいと失われた血を考慮しないといけないようだ。
まだまだ、勉強不足だ。それに全員を完治させるには魔力の不足も起きそうだ。
とりあえずの治療をすませると、安静にしてもらって後は明日にすると決断した。
「今日のところはここまでです。血が失われていますので、安静に。食べられるようなら食事をしっかりと。無理なら食べなくてもいいですが、水分をしっかりと。アルコール。えっとエールはダメです」
「え?そうなの?」
「はい、ダメです。果汁やスープ。水ですね」
それから、ちょっと元気になってきた人たちに向かって
「安静というのは、ベッドに横になると思ってください。明日もう一度治療をします。熱が出るかも知れませんが、水分をとってください」
そう言って締めくくった。
僕も今日はしっかりと休んで明日、クリフを治療しなくては。
彼らの報告がまとめられていく。
「来る前に、こちらから叩けるのか?」
誰かが重苦しく問うた。それに対し、フェルナンドが決然と告げる。
「まずは防衛だ。この町に一匹たりとも通さぬよう、迎撃態勢を整える」
「了解!」
冒険者たちの乾いた声が揃う。
王族にはすでに避難勧告が出されていた。
だが、第一王子たちは「我々は民と共に残る」と宣言し、城に留まっていた。
立派な覚悟だ。そう思った。
なのに「フェルナンド様ぁ……!」
場違いな、甘ったるい甲高い声がギルドに響き渡った。
振り返ると、血と汗の臭いが充満する空間に、場違いなほど着飾った令嬢たちが数人、入り込んできたところだった。
「わたくしたち、皆様を励ましに参りましたの」
「まあ、なんてひどい怪我……頼りにしていますわよ?」
「どうか、わたくしたちを守ってくださいませね!」
「もう、怖くて夜も眠れませんの!」
「皆様」などと言いながら、彼女たちは一斉にフェルナンドの腕にすがりついた。
僕はそれを見て。
「は?」思わず声が漏れた。
騎士や冒険者たちが、文字通り命を削って戻ってきたばかりなのだ。
「危ないから避難しろって、言われてるはずなのに……」
何かが、胸の奥でドロドロと煮えくり返るような感覚。
「なんで……今、ここに来るんだよ」
小さく呟いた。
町から離れればいい。それが嫌なら、城の奥で震えていればいい。
怪我人がいるこの場所に、香水の匂いを振りまいて邪魔をしに来るなんて。
「腹立つ……」
ぽつりと漏れた本音に、自分でも驚いた。
けれど、怒りは止まらない。
「フェルナンドは今一番忙しいのに。……あんなの、ただの邪魔じゃないか」
毒づきながら、僕は視線を傷口に戻した。
今は、彼らを治すことだけに全神経を注ぐ。
怒りを魔力に変えるようにして、僕は再び光を手に宿した。




