21 この人が一番怖い
21 この人が一番怖い
図書館は静かで、落ち着く場所だとわかっているのに、今日はどうしてもその静けさに馴染めず、どこか居心地の悪さが胸の奥に引っかかっていた。
窓辺の席に座って本を開き、いつも通りページをめくっていく。
文字を追っているはずなのに、内容が頭に入ってこない。
理由はわかっている。
視線を感じる。
気配を消しているのはわかる。だけどさりげなさが、気持ち悪い。
気のせいだと思いたい。
顔を上げれば簡単に確認できる。
でも、それをしたら何かが始まってしまう気がして、僕はあえて視線を本に落としたままにした。
やがて、耐えきれなくなって本を閉じる。
静かに立ち上がり、そのまま音を立てないように図書館を出る。
背後から足音はしない。
追ってきてはいないらしい。
それでも、完全に安心はできなかった。
翌日、ギルドに入った瞬間、すぐに声をかけられた。
「一度でいい、組んでみようぜ」と男が言いながら距離を詰めてくる。
「今日は無理です」と僕はできるだけ穏やかに言う。
だが、相手はまったく引かない。
言葉を重ねても、意味が通じていないみたいに、同じことを繰り返す。
じりじりと距離が縮まる。
一歩下がると、その分だけ詰めてくる。
逃げ場がない。
息が詰まりそうになる。
そのとき、受付が間に入った。
「薬師ギルドから薬草の供給を頼まれています。ですのでルークさんに頑張っていただきたいのです」と受付が言う。
ようやく、空気が動いた。
「だから今日は薬草を摘みに行きたいんだ」と僕も続ける。
男はしばらく不満そうにしていたが、やがて諦めて去っていった。
助かった、はずなのに。
背中に、まだ視線を感じる。
あのときと同じだ。
図書館で感じたものと、同じ種類の視線。
「ルークさん。いつも一人なのか?」とフェルナンドが声をかけてくる。
振り向くと、図書館にいた男だった。
やっぱり、あの視線はこの人だったのかと理解する。
「はい」と僕は短く答える。
「魔法士で一人はきついだろう」とフェルナンドが言う。
「いえ、剣も使いますので大丈夫です。危ないところには行きません」と僕は淡々と返す。
それ以上、会話を続けるつもりはなかった。
軽く頭を下げ、その場を離れる。
関わらない方がいい。
直感がそう言っていた。
三日後、ギルドに入った瞬間、また同じ状況に引き戻される。
今度は二人に囲まれていた。
逃げようと一歩下がると、その分だけ距離を詰められる。
肩に手を回される。
近い。
近すぎる。
「ルークをパーティに誘っているんですよ」と赤毛の男が言う。
断っているのに、聞いていない。
無理だ。
そのとき、「ルークさん」と声がかかる。
フェルナンドだった。
正直、助かったと思った。
この状況から抜け出せるなら、誰でもよかった。
でも同時に、胸の奥がざわつく。
この人に関わるのは、よくない気がする。
理由はわからないのに、はっきりとそう思う。
「ルークさん。薬草採取の護衛依頼を受けた。よろしく頼む」とフェルナンドが言う。
「護衛……ですか?」と僕は聞き返す。
「護衛ですか? いらないですけど」とはっきり言う。
本当に必要ない。
今まで一人でやってきた。
それで問題はなかった。
それなのに。
「頼まれたんだ」とフェルナンドが言う。
距離が近いまま、肩に手を置かれる。
逃げる前に、流される。
受付の説明が始まる。
断る余地が、少しずつ削られていく。
気づいたときには、うなずいていた。
外に出てからも、ずっと一緒だった。
「ルーク、俺も薬草図鑑を見て少し勉強した」とフェルナンドが話しかけてくる。
距離が近いまま、途切れることなく言葉が続く。
無視しても気にしない。
僕の反応なんて関係ないみたいに、ずっと続く。
採集に集中しようとするが、うまくいかない。
魔力の流れが乱れる。
見られている気がする。
「移動します」と僕は言って歩き出す。
逃げるように、少し早足で、無駄だけど、すぐに追いつかれる。
「このあたりには魔獣はいないようだ」
「そうですね」
それくらいわかる。いちいち口に出さないで欲しい。
「終わりました。帰りましょう」
「飲み物でもどうだ」
反射的に受け取ってしまう。
「ありがとう、いただきます」と言って、一口飲む。
おいしい。
「おいしいですね」と自然に言葉が出てしまった。
その瞬間、空気が変わった気がした。
視線の重さが、少しだけ増した気がする。
ぞくりと背筋が冷える。うまく説明できない、怖い。
翌日も同じだった。
用事が終わったから帰ろうとする。
それなのに。
「約束通り、肉をご馳走する」
「約束なんてしてませんよ」
「水臭いこと言うなよ。俺とルークの仲だろ」とフェルナンドが笑う。
違う。
そんな関係じゃない。
「護衛と薬草採りの仲ですよ」と僕ははっきり言う。
線を引く。
これ以上は踏み込ませないために。
その瞬間、肩をつかまれる。
逃げられない強さで、そのまま馬車に押し込まれる。
強い。
抵抗しても無駄だと、体が先に理解する。
「ご馳走してくれるのは嬉しい。世話になる」と僕は言う。
完全には拒絶できない。
ここで逆らう方が、もっと怖い。
だから受け入れる。
ほんの少しだけ、そう思ってしまった自分が、一番怖かった。
食事の最中も、ずっと視線を感じていた。
観察されている。試されている。知られていく。
隠しているものが、少しずつ剥がされていくような感覚。
僕の一言を分析している。逃げ場がない。
帰るとき、背中に視線を感じる。
どうして、あの人はあんなふうに関わってくるんだろう。
囲まれているとき、助けてくれる。
強引にでも、状況を変えてくれる。
とても親切で優しい。いい人だ。
それなのに、安心できない。
むしろ、近づかれるほど、逃げ場がなくなる気がして怖くなる。
距離を取りたい。
関わりたくない。
そう思っているのに。
気づけば、また隣にいる。
少しずつ、確実に。
逃げ道が塞がれていく感覚だけが、はっきりと残っていた。
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