ある朝のトラブル
やっとマンション管理会社に寄せていけそう…
ある朝、目を覚ますと、妙な音がしていた。
ポタ、ポタ、ポタ……と、どこかで水が垂れる音。
寝ぼけた頭のまま天井を見上げると、小さな染みができており、そこから水が一滴ずつ、床に落ちていた。
「うわ、マジか……」
慌てて起き上がり、椅子の上に置いてあった木製のタライを引き寄せて、水の下に設置する。ぽちゃん、と水が落ちるたびにタライの底が小さく響いた。
何かの魔法実験か? あるいは天井裏に水道管が……と考えて、すぐに思い直す。この世界にそんなものはない。あるのは、“魔法”と“人力”だけだ。
朝食も放り出して水音とにらめっこしていると、いつものようにティアが迎えに来た。ドアを開けると、彼女は珍しく驚いた顔をした。
「……ゼンイチ? 床、濡れてますよ?」
「ああ、たぶん上の部屋から水が。ってことで、悪いけど、一緒に行ってみない?」
そう言って、ティアとともに階段を上がる。上の階の住人にはまだ会ったことがなかったが、こういうときは挨拶も兼ねて、ということで。
ノックをして、少ししてからドアが開いた。現れたのは、ややふくよかな体型のハーフエルフの男。人間寄りの目元に、エルフらしく尖った耳がついていた。
「……あー……やっぱり、下、濡れてたか」
男は気まずそうに頭を掻きながら、奥へと案内してくれた。部屋に入ると、床一面が水浸しで、隅に置かれた木製の風呂桶から水が溢れていた。
どうやら排水が詰まり、逆流した水があふれてしまったらしい。排水口の水は引く気配もない。
「昨日、久しぶりにゆっくり湯船に浸かってたんだよ……排水してたんだけど、いきなり逆流してきてさ。慌ててタオルで抑えたけど、風呂の栓を閉めるのを忘れてて……気づいたらこの有様さ」
ティアが少し呆れた様子で言った。
「この建物、排水管が詰まっていたんでしょうね。そこに一気に水を流したせいで、逆流したんだと思います」
(異世界でも、水漏れの原因は同じようなもんなんだな……)
「まあ仕方ない、まずは部屋の水をどうにかしようか」
「ああ、手伝ってくれるのか? 助かるよ。もうタオルも尽きてて、どうにもならなくてさ」
「私が管理室にタオルをもらいに行きます」
ティアが言いかけたとき、ゼンイチがそれを制した。
「ちょっと待って、いい方法を思いついた」
床を見回したゼンイチはふと尋ねた。
「この建物って、風呂とキッチン、それからトイレの排水って、全部同じ配管に繋がってるのかな?」
ハーフエルフの男は濡れた布を絞りながら首を傾げた。
「うーん、さあな。引っ越してきたときにそんな説明はされなかったけど……」
「じゃあ、私が調べますね」
ティアがそう言って、床に指先を向けて魔力を流す。静かに目を閉じ、数秒後、ゆっくりと目を開けた。
「……キッチンと風呂は、やっぱり同じ管みたいですね。トイレは別系統です」
(なるほど、用途別に配管が分かれてるのか)
「すごいな、そんなことまでわかるのか。それなら話は早い。扉と窓を閉めて、空気が入らないように隙間を全部ふさいでほしい」
ゼンイチの意図を計りかねた様子のハーフエルフだったが、素直に従った。窓にはタオルを詰め、ドアの下にも布を差し込んで、部屋の密閉を手伝う。
ゼンイチはひとつ息を吐いてトイレへ向かい、便器に手をかざした。すると、水が静かに湧き出し始める。あふれる一歩手前の絶妙な水量で――
「すげぇな、それ、ずっと出し続けてるのか……?」
と、ハーフエルフが感心してつぶやく。
やがて、部屋の空気が乾燥し始めた。床にたまっていた水が、みるみるうちに蒸発していく。外気が遮断されているため、湿気が逃げることなく、水だけが空気中へと溶けていく。
「なるほど……それで隙間をふさがせたんですね」
ティアが感心したように言った。
「まあ、水魔法は空気中から水を集めるだろ? 空気中の水分が減れば、自然と床の水が蒸発していくんじゃないかと思ってさ」
(それに、この男の残り湯を直接熱して蒸気にするのは……なんか、嫌だしな)
そこへ、タイミングよく管理人がやってきた。
「他の住民が、また排水管が詰まったのかもしれないと声をかけてきたが、もう溢れた水は拭き上げたのかい?」
「はい、先ほどゼンイチさんが解決してくれました。」
ティアが嬉しそうに答えた。
「最近、排水の詰まりが増えていてな。来月、排水管を交換する予定だから、それまでは申し訳ないが様子を見てくれ」
「ってことは、俺、この先1か月お風呂もキッチンも使えないのか……?」
ハーフエルフは、困ったように言った。
「ちょっと排水管がどうなっているか、見せてもらっていいですか?」
ゼンイチが尋ねると、管理人は頷いた。
「廊下の扉を開ければ見えるかもしれん。そこの階段脇にな」
案内されたのはゼンイチの玄関扉の横にある簡易な扉だった。それを開けると、中は太い排水管が2本縦に並んでいるのが見えた。排水管の周りは人が入れるほどに空いていて、はしごを使えば、上階の床下の空間まで入れそうだ。
(なるほど……日本ならこのスペースには給湯器が入ってるけど、こっちにはそんなもんない。交換を前提に設計してるとは、これはこれでメンテナンスしやすそうな作りだな)
管理人が補足する。
「油や石鹼カスなんかで、定期的に詰まっちまうんだ、だから定期的に新しい配管と交換するのさ。」
「面白いメンテナンスの方法ですね。でも、定期的な交換って、かなり大変じゃないですか?」
ゼンイチの疑問に、管理人はため息をついた。
「大変だとも。工事のたびに使用制限はしなきゃならないし、費用も馬鹿みたいにかかっちまう」
「この排水管、定期的に洗浄すれば、まだまだ使えそうですけどね。」
そう言うと、ティアが首を横に振った。
「配管の洗浄となると……配管の奥までは距離があって魔法で干渉できないんです。金属は魔力を通しにくいので、配管の外部からというのも難しいと思います。強く水を流しても破損して漏水しそうですし……」
「……うーん」
ゼンイチは腕を組んで、配管を見上げた。
「なにか方法がないか、ちょっと考えてみるよ」
(魔法と人力、どっちかじゃなくて、両方活かせる仕組みを作れたら……案外、こっちの世界でも便利に暮らせるかもしれない)




