波の予感
翌朝、ゼンイチがマンションから出ると、門の前にガルドが立っていた。
「まさか、ずっと起きてたんですか?」とゼンイチが驚いて声をかける。
ガルドは肩をすくめて笑った。
「仮眠くらい取ったさ。心配すんな。それに、お前を図書館まで送ったら、あとは夕方までぐっすり寝るだけだ」
そう言って、軽く伸びをする。
二人は世間話を交わしながら並んで歩き出す。
「しかしなあ、こんな人通りのある場所で襲われるなんて、よっぽど恨まれてんのか?」
ガルドが冗談めかして聞く。
ゼンイチは「ああ、あの日は…」と思い返す。
「酒場で教えてもらった隠れ家っぽい店で食事してたんで…裏路地をけっこう歩いてたんですよ」
ガルドが半ば呆れたようにため息をついた。
「夜に一人で裏路地を歩くとか……やっぱりお前、異世界人だな」
苦笑交じりに言われて、ゼンイチも思わず苦笑い。
「なんですかそれ?」
「冒険者ギルドにはな、昔の転移者たちの“伝説”がけっこう残ってんだよ。いい意味ばかりじゃないがな。……まあ、いつか教えてやるさ」
そんな話をしているうちに、王立図書館に到着。
入り口でティアが待っていた。
「おはようございます」
三人で挨拶を交わすと、ガルドは「じゃあな」と軽く手を振ってマンションへ戻っていった。
「どうでしたか?」とティアが尋ねる。
ゼンイチは笑って答える。
「案外、いい人だったよ」
その日は朝から魔法の訓練が始まった。
最初の課題は《水砲》の練習。
熱湯を攻撃魔法として使うにしても、まずは水を飛ばす技術が必要だということで、水を勢いよく飛ばす訓練から始めることになった。
しかし、何度やっても水は空中に集まった段階で球状になり、そのまま地面にだばっっと落ちてしまう。
「風船のように水全体に圧力をかけたら、手から一番遠い場所から水が押し出されるイメージです」
ティアのアドバイスに従おうとするが、うまくいかない。
右手でつかむように魔力を集中させ、圧力を加えるイメージを持つと、水の生成自体が止まり、水がピュッと前に垂れるだけだ。
「同時に二つのことをやるのは難しいんです。魔法学校でも、攻撃に使える《水砲》を習得できる生徒は多くありません。」
ティアがフォローの言葉をかけると、ゼンイチはふと、子供の頃読んだ漫画の記憶を思い出した。
(たしか、あいつも最初は分身して分担しながら……だったな)
ゼンイチは軽く息を整えると、目をつぶった。
右手で水の生成を続けながら、左手でその水を包み込むように魔力を操る。
水の生成は、すでに日常動作のように身体に染み込んでいる。
だから右手の操作は意識しなくても継続できた。
足元に水が広がっていく中、左手に集中する。
水を包み込み、内側から圧力を加えるように念じると――
「シュッ!シュバッバババ!――」
水が、前方に向かって勢いよく飛び続けた。
まだ威力は弱く、2mほどしか飛んでいないが、確かな手応えを感じた。
「やった……!」
(まさか、半日でここまで……)
ティアは、水が弾け飛ぶのを見届けて、ほんの一瞬、息を飲んだ。
魔力の流れを読み取り、適切なタイミングで圧を加える。
それを無意識でこなすには、膨大な訓練と繊細な魔力操作が求められる。
(本当に、すごい……)
彼女はゼンイチの背中を見つめながら、胸の奥にわきあがる感情に戸惑っていた。
自分は、魔法学校で四年間、必死に学んできた。
同期の中では優秀な方だった。けれど、攻撃魔法に関してはずっと苦手意識があった。
《水砲》だって、まともに飛ばせるようになったのは卒業間近だったはずだ。
(どうして……こんなにすぐ……)
驚きと、喜びと、そしてほんのわずかな、焦りにも似た感情。
でも、それをすぐに打ち消すように、ティアは小さく笑った。
(そうだよね。ゼンイチさんは異世界から来た人なんだ。きっと、私たちとは違う感覚や知識がある)
それは嫉妬ではなかった。むしろ、誇らしさに近かった。
(この人なら……きっと、もっとすごい魔法だって扱えるようになる)
そう思えることが、少し嬉しかった。
彼の成長を、そばで見届けられることが——。
「……やっぱり、ゼンイチさんって、すごい人なんですね」
その言葉は、気づけば口からこぼれていた。
まるで誰かに聞かせたいわけでもなく、自分自身に言い聞かせるように。




