ガルド・バレイン
その日の夕方、王都警備隊から新たに配属された護衛が、ゼンイチのもとを訪れた。
訪ねてきたのは、エルフと人間の混血――ハーフエルフの男だった。年の頃は四十代前半か、赤くカールした長髪を一つに束ね、分厚い胸板と隆々とした腕に、皮鎧の上からでも筋肉が浮かび上がっている。背中には、ゼンイチと身長が変わらないほどの大剣を担いでいた。街で見かけた王都の警備隊員とはまったく違う、無骨で威圧感のある雰囲気だ。
「高田ゼンイチ殿だな。俺はガルド・バレイン。今日から、日没から明け方までの護衛を任された」
低く響く声と、鋭い眼差し。それでいて言葉は礼節をわきまえている。
「よろしくお願いします。ええと……夜通し付きっ切りで護衛、ということですか?」
ゼンイチがやや戸惑いながら尋ねると、ガルドは頷いた。
「そうなる。だが、寝泊まりは別だ。同じマンションの別室に入っている。部屋に張り付くような真似はしない。プライベートは尊重する主義でな」
「それは……助かります」
思わずホッとした表情を浮かべるゼンイチを見て、ガルドはわずかに口元を緩めた。
「とりあえず、今日はマンションの近くの酒場〝ライオン達の峡谷”で夕食をとらないか。そこでもう少し話をしよう。お前の動きや考えを知っておいた方が、護衛もやりやすいからな」
「わかりました。じゃあ、あとでそっちに向かいます」
ゼンイチが軽く頭を下げて一度戻ると、少し離れて見送っていたティアが近づいてきた。
「今の方が、夜の護衛担当ですか……」
「うん、そうみたい。ガルドさんっていうらしい。なんかオーラあるよね」
ゼンイチがそう言うと、ティアは頷きつつも、ほんのわずかに眉を寄せた。
「実は、私も名前だけは聞いたことがあります。でも、あまり関わりがなかったので……それに、少し悪い噂を聞いたことが……」
「ふーん……まあ、警備隊が派遣した人なんだし、自分で判断してみるよ。悪いけど、また攻撃魔法の訓練をよろしくね」
「はい、もちろんです。でも……ゼンイチさんも、気をつけてくださいね」
ティアは静かに頭を下げて見送る。その表情にうっすらと浮かぶ不安の影――それは、噂話のせいなのか、自分でもわからなかった。
ゼンイチが酒場に着くと、酒場の隅、木製の丸テーブルに並んだ皿の上には、香ばしく焼かれた魚と豆の煮込みが湯気を立てていた。
(もう先に食ってるのかよ…)
ゼンイチは静かに対面の椅子に腰を下ろした。
「お待たせしました。改めて、俺はゼンイチと言います。一年ちょっと前にこっちの世界にきました。」
そういうと、ゼンイチはウエイターの女性に自分の食事とビールを注文した。
「俺のことは、どれくらい知ってます?」
「事前に資料は読んできた。色々と短期間で成果を上げているようだな」
「まぁ、自分だけの力じゃないんですけどね……」
「誇っていい。誰かに助けられたとしても、この短期間で同じことが出来る人間は少ないだろう」
「そうですか…まぁ俺のことは程々に…俺はガルドさんについて何も知らないので、ガルドさんについて色々と教えてくれませんか。警備隊に入った経緯とか」
ガルドはジョッキの酒をひと口あおると、しばらく黙っていた。ゼンイチもまた、焦らず待っていた。やがて、低く響く声が静かにこぼれ落ちる。
「……俺が警備隊に入ったのは、六年前のことだ」
ジョッキをテーブルに置き、ガルドは窓の外をぼんやりと見やる。
「もともとは冒険者をやってた。二十年くらい、ずっとな。剣一本で食って、飲んで、寝て、また剣振って……まあ、悪くない生き方だったさ。あの頃は、金も女も命も、全部自分の腕次第だって思ってた」
ゼンイチが何も言わずに頷くと、ガルドは苦笑を浮かべて続けた。
「けど、ある時、ちょっとした事件があってな。魔獣に襲われた村の護衛依頼だった。普通の獣じゃない、呪いを受けた狂獣の群れだった。予想よりずっと数が多くて、村の避難が間に合わなかった」
一瞬、グッとジョッキを握るガルドの拳に力がこもる。
「そのとき、逃げ遅れた子供を助けるために、仲間の命令を無視して単独で突っ込んだ。結果的に子供は助かったが、俺のせいで一人、仲間が死んだ。……それが広まってな。『独断で動いて仲間を死なせた』と、そう言われたよ。」
「……」
「仲間内では色々あったが、結局、依頼は来なくなった。街の冒険者ギルドにも居づらくなって……そんときに声をかけてくれたのが、王都警備隊の隊長だった。あの場に偶然いてな。『隊の指示に従う訓練を積めば、お前の力は活かせる』ってな。……まあ、恩人ってやつだ」
グッと酒を飲み干すと、ガルドは今度はゼンイチの方を見た。目に浮かぶのは、僅かな自嘲と、かすかな誇り。
「正直、警備隊の仕事は退屈だ。巡回と書類、門の警備に、誰かの失せ物探し。剣を抜くような場面なんて滅多にない。だがな、そんなときだったんだよ。『異世界から来た人間の護衛』なんて、妙な任務が回ってきたのは」
「夜勤だし、みんな嫌がったが……俺は面白そうだと思った。どんな奴なのか、何を考えてるのか。知らねぇ世界の話なんて、退屈な日常にはちょうどいいスパイスだと思ってな」
そしてガルドは、初めて少し笑った。
ゼンイチは、ゆっくりとジョッキを手に取った。
「……命令を無視したのが正しかったのか、間違いだったのかなんて、その場にいなかった俺には分からない。でも――」
そこで一度、ガルドを正面から見た。その視線に、偽りも恐れもなかった。
「俺は自分の目を信じています。他人の噂とか、評価とかじゃなくて、自分が見たもの、感じたものをね」
ガルドは、わずかに目を細めてゼンイチを見返す。
「それに……俺も前の世界では、毎日単調な仕事に追われていた。何かを守るでも、救うでもなく、ただ気力と体力を消耗する毎日だった。何のために働いてるのか、時々分からなくなるくらいに」
ゼンイチの口元に、苦笑が浮かぶ。
「でも、こっちに来てからは違います。何もかもが新しくて、刺激があって……面倒なことも多いけど、どこか楽しい。だから…」
ジョッキを軽く掲げた。
「これからしばらく、同じ時間を共有するんだ。どうせなら楽しくやりましょう。……乾杯、ガルドさん」
ガルドはしばらく黙ったまま、ゼンイチを見つめていたが、やがてふっと笑みを浮かべた。
「……いい目をしてる。あんた、妙に肝が据わってるな。気に入った」
そして、無骨な手でジョッキを掲げた。
「乾杯だ、ゼンイチ。妙な縁だが……悪くない」
ジョッキ同士が、乾いた音を立てて静かに触れ合った。奇妙な縁の始まりを祝うように。




