どの世界でも…
数日後の午後、マンションの広場に陽が差し込むなか、サルの獣人がひょっこりと現れた。小柄な体にくるくる動く尾、手足をバネのように使った軽やかな歩き方、そして胡散臭いほどの愛想笑い――塗装業者のゴウザである。肩からはいつもの工具鞄、手にはなぜか菓子の詰め合わせまで持っていた。
「いやぁ〜、ミリアさん、お久しぶりっすねぇ! 相変わらずお美しい! その耳のカーブ、芸術ですわ!」
「お、おう……また口が上手いのう、ゴウザ」
ミリアが苦笑しながらも、どこかうれしそうに応じる。何度か仕事を頼んでいるらしく、明らかに顔なじみの様子だった。
「いやいや、でもほんとに助かりますよ。今回も声かけていただいて! さてさて、今回は塗装っちゅうことで……で、ミリアさん、今回はどのくらいのご予算で?」
「う、うむ……そうじゃな、前回と同じくらいか、少し余裕を見てもよ――」
「すみません」
ゼンイチがその言葉を静かに遮った。立ち上がるでもなく、あくまで落ち着いた調子で。
「ゴウザさん。建物の状態も見ずに、いきなり予算の話から入るのは、どういうおつもりでしょう?」
その一言に、ミリアは「お?」と目を丸くし、ゴウザは一瞬、笑顔の裏の表情を固めた。
「いやぁ、それはもちろん、お客さんの財布事情に合わせて最善を尽くすのが職人の務めってやつでして……」
「……まず建物の状態を確認し、必要な作業と範囲を明確にしてから、それに見合う見積もりを提示する。それがプロの仕事でしょう?予算に合わせて内容を削る前提だと、住民の資産に対して不誠実になりますよね」
ゼンイチの口調は柔らかいが、目は笑っていない。ゴウザの笑顔が、ほんの少しだけ引きつった。
「……いやはや、鋭いご指摘で。ま、たしかにその通りですな。ちょっと気が急いてしまって、ははっ」
「そういえば…おぬし、いつも最初に予算を聞いて、そこから“この範囲ならできますよ〜”って、口八丁で押し切っておったのう……」
ミリアがぽつりと呟くと、ゴウザは肩をすくめて笑った。
「いや〜、そりゃまあ、お互い慣れた仲ですし? ミリアさんの好みも知ってますし、ねぇ?」
「……確かに、お前なら大丈夫と信じて、出された見積もりをそのまま通しておったの。いま思えば、少し怪しい部分もあったかのう」
「今回は、そのへんもしっかり精査していきましょう。建物の資産価値を保つためにも、住民の合意を得るためにも、誠実な提案をお願いしたいです」
ゼンイチが帳簿から目を上げ、まっすぐにゴウザを見る。ゴウザは一拍置いてから、しれっとした笑顔に戻った。
「かしこまりました。では今日は現場の状況だけ確認させていただいて、後日、必要な工事内容と見積もりを正式に持参します。ええ、もちろん“必要なものだけ”を、しっかりと!」
「それで頼むぞ。今は理事会での合意がいる。ええ加減な仕事では済まさんからな」
ミリアが言い添えると、ゴウザは尾をくるりと回してから敬礼めいた仕草をして見せた。
「では、後日また伺いますんで〜! いやはや、楽しみですな、これは!」
そのまま軽やかに歩き去っていく背中を、ゼンイチは静かに見送った。
ゴウザが去ったあと、ゼンイチはミリアの隣に立ち、ぼそりとつぶやいた。
「大きな金額が動く工事ですし、相見積もりを取る必要がありますね」
「……あいみつもり? なんじゃそれは」
ミリアが小首をかしげる。ゼンイチは少し驚きながらも、丁寧に説明を始めた。
「複数の業者に見積もりを依頼して、工事内容と金額を比べるんです。ぼったくりや手抜きを避けるための基本ですね」
「ほう……そんな知恵があるのか。これまで全部ゴウザ任せじゃったわ」
「その結果が、あの“金額ありきの工事提案”だったわけですね……」
ミリアは苦笑いしつつ、ゼンイチの言葉に頷いた。
翌日、ゴウザが見積書を手に再訪した。広場で顔を合わせるなり、にやりと笑って厚め紙で挟まれた見積書を差し出す。
「いや〜、しっかり調べさせてもらいましたよ。前回よりちょいと質を上げた内容になってますんで、ぜひ!」
ミリアは受け取った見積書を眺めながら、少し真剣な顔になる。
「実はのう、今回からは理事会で正式に決議が必要でな。相見積もりも取ることにしたんじゃ」
一瞬、ゴウザの目がピクリと動いた。だがすぐに笑顔に戻る。
「そうですか、そうですか……。まあ、仕方ないですな。ただ、お願いがありましてね」
「うん?」
「もし相見積もりを取るんなら、“王都塗装組合”に所属してる業者から選んでいただけるとありがたいんですよ。腕に覚えのある業者しか入れない組織でしてね、品質も折り紙付きですから」
「それは……まあ、考えておこう」
そう言って、ミリアはゴウザを見送り、その後ゼンイチと共に集会室へ戻った。
テーブルに広げられた見積書を眺めながら、ゼンイチは腕を組む。
「うーん……困ったな。こっちの世界の相場がわからないし、比較もできない。しかも……これ、足場代が載ってないですね」
「足場? なんじゃそれは」
「高い場所で安全に作業するために組む仮設の構造物です。俺のいた世界では鉄パイプで枠を組んで、その上を職人が歩いたりするんですけど……ないってことは……」
「……そういえば前回の工事、屋上からヒモでぶら下がってやっておったな」
ゼンイチは目を見開いて絶句した。
「……命綱だけで高所作業? うちの世界なら即、労基が来ますよ……」
翌日、王立図書館の読書室で、ティアに見積書を見せながらゼンイチが口を開く。
「なあティア。王都塗装組合って、どんな組織か知ってるか?」
ティアは少し眉をひそめ、申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません、聞いたことがありません……すぐ調べてきます!」
言うが早いか、ティアは風のように走り出していった。ゼンイチはその背を目で追い、ぽつりとつぶやく。
「……切り替え早っ」
見積書に目を戻して数分後、再び風が吹くようにティアが戻ってきた。息も切らさず、勢いそのままに説明を始める。
「わかりました! “王都塗装組合”は、この首都にいくつかある職人共同体の一つです。この首都ヴェール全体で五つほどある組合の中の一つみたいです。」
「なるほど……王都ってつくから、冒険者ギルドみたいに、もっと広域な組織かと思ってたけど、意外と規模の小さな組織なんだな」
ゼンイチは見積書の数字に目を落としながら、ふと眉をひそめた。
「……これだけ小さな組織なら、談合とかもありそうだな」
「“談合”とは……また異世界の言葉でしょうか?」
「うん。簡単に言えば、仲間内でこっそり価格を相談して出来レースをする行為。……談合ってのはな、見えないところで住民の金を吸い上げる“仕組み”だ。」
ティアは真剣な顔で頷いた。
「記録しておきます、“談合”。用心するべきですね」
ゼンイチは目の前の見積もりを指でトントンと叩きながら、小さく笑った。
「さて……どう転がすかな、この案件」




