マンション管理士としてのお仕事
王との謁見から数日が経った。城での栄誉ある勲章授与や国王との対話は、ゼンイチの中でも大きな出来事だったが、日々の生活はそれでも静かに流れ続けていた。
その日もゼンイチは、発行された標準管理規約に注釈を入れる作業を終えて帰路についていた。より多くの住民に理解してもらうために、分かりやすい言葉で補足を加える作業だ。夕焼けが石畳を茜に染める中、穏やかな声が背後から響く。
「ゼンイチさん……少し、よろしいかね」
振り返ると、杖をついた一人の老婦人が立っていた。銀髪を後ろで結い、控えめな装飾のローブを身に纏ったその姿は、清潔で品があり、長く住人たちに慕われてきたことがうかがえた。
「ミリアさん、お疲れ様です。もちろん、大丈夫ですよ。どこか座れるところへ行きましょうか」
「ええ、すまないね。少し、この脚では長く立っておれぬのでね」
二人は近くの噴水広場のベンチへと腰を下ろした。ミリアは深く息をつきながら、ゆっくりと口を開いた。
「このたびの法律改正……噂で聞いたが、どうやらお主の提案が元になっていると……。あれは、わしにはなかなかに理解しがたくてな。だが、長くこの建物を守ってきた身としては、決して無関係ではおられぬ」
「はい。新しい制度は、これからの集合住宅の運営をもう少し楽に、そして住民全体で負担を分け合えるようにするためのものです」
「ふむ……そうか。正直なところ、これまでは何でも、わしが決めて、住民に賛否を問うて、それで通れば進めていた。それが当たり前じゃと思っておった」
ミリアの顔には、ほんの少し寂しさと迷いが浮かんでいた。自らのやり方が時代遅れであると気づきながら、それでも誇りを捨てきれない複雑な表情だった。
「それでも、ミリアさんがずっとこのマンションを支えてきたんですよね。だから今がある。制度が新しくなるってことは、ミリアさんの負担も軽くなるってことです。無理に全部背負わなくてもよくなる」
「……そう、言ってもらえると救われるよ」
ミリアは微笑み、ゼンイチの顔をじっと見つめた。
「その、新しいやり方というのは……?」
「はい、まず“管理規約”という、マンションの基本的なルールを文書で定めます。例えば、各責任者の業務内容だったり、決議内容や方法、修繕の範囲、共用部と専有部の区分なんかですね」
「ほほう、それは……分かりやすくて良いのう」
「さらに“理事会”という運営組織を作って、日々の判断はその理事会に任せます。そして年に一度は“総会”を開き、重要な方針を住民全体で決めるんです」
「……なるほどな。皆が参加するというのは、確かに、わしのような年寄りには安心でもある。次の代へ、少しずつ引き継いでいくことができるのじゃな」
「そういうことです。世代を超えてマンションを維持するためにも、制度が必要なんです」
ミリアは深く頷き、しばらく空を見上げていた。やがて、ふと表情を曇らせて口を開いた。
「……ゼンイチさん。実は一つ、気がかりなことがあるのじゃ。わしらの建物……来年には外壁の修繕を予定しておるが、どうにも予算が心もとない」
その言葉に、ゼンイチは苦笑しながら答えた。
「……やっぱり、そこですよね。私のいた世界でも一番の悩みは“修繕積立金”でした。全く同じですよ」
「やはり、異世界でも同じような悩みがあるのじゃな……」
「はい。でも、問題を明確にすれば、解決策はあります。今ある資金、今後の見積もり、追加で必要な積立額。それを住民に共有して、協力を得られれば、少しずつ改善できるはずです」
「……それを、住民たちと……」
「そうです。一緒にやるんです。ミリアさんが築いてきた信頼があれば、きっとみんな応えてくれますよ」
ミリアは長く目を閉じ、そして静かに笑った。
「……ありがたい。わしも、まだこの建物の未来を見届けたい。どうか、これからも力を貸しておくれ」
「もちろんです。一緒にやっていきましょう」
日が傾き、広場に柔らかな灯りが灯り始めていた。世代を超えた住民たちが、この場所で共に暮らしていくために――ゼンイチはまた一歩、異世界の“日常”に根を下ろしていくのだった。
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