第75話 小十郎さんは、本当に政宗様へ刀を向けました
「殿」
小十郎さんが刀を構えた。
「お覚悟を」
政宗は動かなかった。
逃げない。
刀にも手をかけない。
ただ、片目を細めて笑った。
「面白い」
「だから!」
俺がその場にいたなら、たぶん叫んでいた。
何でも面白がるな、と。
だが俺は今、遠く離れた峠で、知らない男に首筋へ刃を当てられている。
だから叫べなかった。
代わりに。
城では。
小十郎さんが踏み込んだ。
一歩。
床を蹴る。
刃が。
政宗へ向かう。
政宗は。
その瞬間。
身を沈めた。
刀が。
頭上を抜ける。
そして。
背後。
柱の陰から飛び出した男の喉元へ。
小十郎さんの刃が。
走った。
「ぐっ……!」
血。
男が倒れる。
政宗は振り向き。
倒れた刺客を見る。
それから。
小十郎さんを見た。
「紛らわしい言い方をするな」
「殿なら避けると信じておりました」
「信頼の使い方を間違えておるぞ」
「申し訳ございません」
「顔がまったく申し訳なさそうではない」
「殿も、まったく恐れておられませんでしたので」
二人。
しばらく。
黙って見合う。
そして。
政宗が笑った。
「やはり、お前は俺を殺せぬな」
小十郎さんは。
刀の血を振り払いながら。
静かに答えた。
「今は、まだ」
政宗の笑顔が。
少し止まった。
「……それを今申すか」
「正直であれと、拓真殿から学びました」
「ろくなことを教えぬな、あやつは」
たぶん。
俺。
悪くない。
◇
その頃。
俺は。
本当に。
死にそうだった。
「動くな」
男の刃が。
首に当たる。
冷たい。
動かない。
俺。
こういう時だけは。
かなり素直。
「小十郎は今、本物の政宗を殺しに行った」
男が言った。
俺は。
歯を食いしばる。
「嘘だ」
「未来ではそうなる」
「だから何です」
「何?」
「未来にそうなるからって、今そうなるとは限らないでしょう!」
男の手が。
少し。
強くなる。
首。
痛い。
怖い。
本当は。
ものすごく。
怖い。
でも。
もう。
それを理由に黙るのも。
嫌だった。
「お前は」
男が。
俺の耳元で聞く。
「未来を変えられると思っているのか」
俺は。
一瞬。
黙った。
一人目の俺。
二人目。
本当の一人目。
死んだ俺。
紬。
死んだ紬。
生きている紬。
政宗。
死んだ政宗。
天下人になった政宗。
何度も。
失敗した。
何度も。
誰かが死んだ。
それでも。
俺は。
言った。
「思ってます」
男が。
黙る。
「でなきゃ」
俺は。
少し笑った。
「ここまで来てませんよ」
「何度失敗しても?」
「何度失敗したか、俺には正確に分かりません」
「逃げるのか」
「違います」
俺は。
喉元の刃を感じながら。
答える。
「俺が失敗したことまで、全部俺の責任にするなってことです」
男が。
息を止める。
「俺じゃない俺が、政宗様を殺した」
「……」
「紬を斬った」
「……」
「日本を消した」
「……」
「でも」
声。
震える。
「今ここにいる俺は、まだ何もしてない」
怖い。
本当に。
刃。
近い。
死ぬかもしれない。
格好いいことを言っても。
足は。
震えてる。
「だから」
俺は続けた。
「これから失敗するかもしれない」
「……」
「政宗様を守れないかもしれない」
「……」
「紬を助けられないかもしれない」
胸。
痛い。
「でも、それを未来の誰かに先に決められるのは嫌です」
男が。
低く笑った。
「馬鹿だな」
「よく言われます」
「死ぬぞ」
「それも最近よく言われます」
本当に。
嫌になる。
◇
「拓真!」
紬の声。
男が。
そちらを見る。
一瞬。
本当に。
一瞬。
でも。
紬は。
わざとだった。
「ねえ」
紬が。
俺を捕まえている男へ言う。
「その人、本当に政宗様に見えた?」
男の眉が動く。
俺も。
動く。
何を。
言い出す。
「弱そうだし」
おい。
「馬にもまともに乗れないし」
おい。
「剣も使えないし」
ちょっと。
「すぐ転ぶし」
待て。
「うるさいし」
最後。
関係ない。
男が。
ほんの少し。
俺を見る。
その一瞬。
新八さんが。
動いた。
速い。
本当に。
速い。
俺には。
ほとんど見えなかった。
刃。
弾かれる。
男の腕。
跳ねる。
俺。
前へ。
倒れる。
「うわっ!」
地面。
顔。
痛い。
「また転んだ!」
紬が叫ぶ。
「今のは転んだんじゃなくて助かったんです!」
新八さん。
男へ。
斬り込む。
男。
後ろへ退く。
逃げる。
「待て!」
新八さんが追う。
男は。
暗闇へ。
消える直前。
俺へ言った。
「本物の政宗は」
足。
止まる。
「今夜死ぬ」
「黙れ!」
俺が叫ぶ。
でも。
男は。
もういない。
俺は。
起き上がる。
遅い。
焦る。
「城へ!」
新八さんが。
頷く。
紬が。
俺を見る。
「馬、乗れる?」
俺は。
馬を見る。
馬も。
俺を見る。
「今、それ聞きます?」
「大事」
「乗りますよ!」
死ぬほど。
嫌だけど。
乗る。
今度こそ。
落ちない。
たぶん。
◇
城では。
火が上がっていた。
一つ。
二つ。
三つ。
政宗が。
廊下を走る。
小十郎さん。
隣。
「城門ではありません」
小十郎さんが言う。
「武器庫でもない」
政宗が。
火の方向を見る。
「兵糧庫か」
「はい」
政宗の顔が。
変わった。
兵糧。
俺に。
三倍にしろ。
そう命じた。
天下取りの。
最初。
その兵糧庫。
「奴ら」
政宗が。
低く言う。
「俺の天下を焼くつもりか」
「その可能性は」
小十郎さんが。
途中で止まる。
兵が。
走ってくる。
「殿!」
「申せ」
「兵糧庫に火が!」
「分かっておる」
「しかし!」
兵。
息を切らし。
言う。
「火の勢いが、おかしいのです」
「何?」
「燃えている場所が」
息。
吸う。
「一つだけです」
政宗。
目を細める。
城内。
火。
何か所。
でも。
本当に燃えているのは。
一つ?
「囮か」
小十郎さんが。
すぐに気づく。
兵糧庫へ。
走る。
着く。
煙。
炎。
でも。
奇妙。
火は。
広がらない。
一角だけ。
燃えている。
その近く。
袋。
小十郎さんが。
しゃがむ。
開ける。
白い粉。
指。
触れる。
匂い。
見る。
「石灰」
政宗が。
そちらを見る。
「何だ」
「火を抑えるために用意されたのでしょう」
「火をつけた者が?」
「はい」
政宗が。
黙る。
俺でも。
分かる。
変。
城を焼きたいなら。
何で。
消す準備。
「つまり」
政宗が言う。
「燃やしたい場所は、ここではない」
「はい」
小十郎さんが。
すぐ。
顔を上げる。
「記録庫!」
二人。
走る。
◇
古い記録庫。
家臣名簿。
年貢帳簿。
旧臣の記録。
戦。
婚姻。
土地。
そして。
俺。
神谷拓真。
未来人。
極秘。
全部。
あそこ。
燃える。
政宗と小十郎さんが着いた時。
もう。
火。
大きい。
「水を!」
兵。
走る。
煙。
濃い。
「殿、下がってください!」
「嫌だ」
「殿!」
「中に何がある」
「記録です!」
「何の」
「伊達家の」
政宗。
一瞬。
考える。
「拓真の記録もか」
小十郎さん。
頷く。
「ございます」
政宗の顔。
変わる。
誰か。
何かを。
消したい。
俺が来た後の記録?
前の記録?
未来人?
その時。
炎の中。
人影。
小さい。
よろよろ。
出てくる。
「誰だ!」
兵が叫ぶ。
少女。
煤。
涙。
胸に。
帳面。
抱えている。
政宗が。
目を細める。
「千代?」
少女。
泣いている。
今の。
千代。
俺たちの千代。
◇
俺たちが城へ戻った時。
まだ。
火。
残っていた。
俺は。
馬から。
半分。
落ちるように降りた。
「痛っ!」
新八さんが。
「最後まで締まらんな」
と言う。
「今はいいでしょう!」
俺は走る。
今度。
転ばない。
たぶん。
煙。
兵。
水。
そして。
見えた。
千代。
座っている。
紬が。
先に走った。
「千代!」
千代が。
顔を上げる。
泣く。
「紬……」
「何で!」
紬が。
肩を掴む。
「何でここにいるの!」
千代。
泣きながら。
帳面を抱く。
「だって」
「何」
「もう一人の私が」
俺の背中。
冷える。
「ここを」
声。
震える。
「燃やせって言ったから」
俺は。
何も言えなかった。
また。
最初の千代。
夢。
記憶。
声。
今の千代にも。
届いていた。
「でも」
千代が。
帳面を差し出す。
「全部は、燃やせなかった」
「何で」
俺が聞く。
千代。
泣く。
「怖くなった」
それ。
一番。
人間らしい。
命令された。
信じた。
でも。
怖くなった。
迷った。
やめた。
全部。
中途半端。
でも。
その中途半端で。
一冊。
残った。
小十郎さんが。
帳面を開く。
焼けている。
端。
黒い。
でも。
文字。
残る。
俺は。
読めない。
崩し字。
無理。
小十郎さんの顔が。
変わる。
「どうしました」
俺が聞く。
返事。
ない。
「小十郎さん?」
政宗も。
帳面を見る。
そして。
静かになる。
「何が書いてあるんです」
俺。
焦る。
「誰か説明してください」
小十郎さんが。
俺を見る。
「拓真殿」
「はい」
「この記録は」
少し。
間。
「あなたが殿に召し抱えられる以前のものです」
俺は。
止まる。
「はい?」
「あなたが」
「……」
「この伊達領へ現れる前」
小十郎さんが。
帳面を見せる。
一行。
俺には。
読めない。
でも。
小十郎さんは。
ゆっくり。
読み上げた。
「神谷拓真」
俺の名前。
「伊達家臣として召し抱える以前より」
胸。
冷たい。
「領内にて、存在確認」
俺は。
何も。
言えなかった。
だって。
俺は。
政宗に会う前。
この時代に。
いなかった。
はず。
なのに。
俺が。
この時代へ来る前から。
神谷拓真は。
伊達領内にいた。
帳面の余白。
さらに。
一行。
小十郎さんが。
顔を上げる。
「まだあります」
「何です」
声。
出にくい。
小十郎さんは。
読み上げた。
「神谷拓真と名乗る男」
少し。
間。
「伊達政宗、幼少の頃より接触あり」
俺は。
政宗を見た。
政宗も。
俺を見る。
そして。
初めて。
笑わなかった。
「俺は」
政宗が。
低く言う。
「お前を知っていた?」
誰も。
答えられなかった。




