第7話 未来人だからって、米の作り方まで知ってると思うな
「それで、拓真殿」
「はい」
「米を増やす方法は、もうお決まりですか」
「決まってません」
「……」
「そんな顔しないでくださいよ」
朝から。
片倉小十郎さんは、ものすごく困った顔をしていた。
場所は米沢近郊の農村へ向かう道中。
俺は馬には乗れない。
いや、正確には一度乗せてもらった。
そして五分で降りた。
怖い。
高い。
揺れる。
尻が痛い。
何より馬が俺の言うことを聞かない。
俺が右へ行こうとすると左へ行き、止まってほしい時には歩き、歩いてほしい時には草を食う。
完全に舐められている。
だから今は歩いている。
小十郎さんも俺に合わせて歩いてくれていた。
申し訳ない。
「昨日は殿の御前で、ずいぶん堂々と仰っていましたが」
「何をです?」
「兵を増やす前に、飯を増やしましょう、と」
「言いましたね」
「大変、自信に満ちたお顔でした」
「やめてください」
「私はてっきり、既に策がおありなのかと」
「ないですよ」
「ない」
「ないです」
小十郎さんが立ち止まった。
俺も止まる。
振り返る。
小十郎さんは、笑っていた。
穏やかに。
怖い。
「拓真殿」
「はい」
「では、なぜあのようなことを」
「だって兵を増やしたら、その分、飯が必要でしょう」
「それは分かります」
「俺が分かるのはそこまでです」
「……なるほど」
「納得してませんよね?」
「しております」
「その顔で?」
「生まれつきです」
絶対嘘だ。
俺はため息をついた。
「先に言っておきますけど、俺、農家じゃないですからね」
「承知しております」
「農学者でもない」
「はい」
「実家が農家でもない」
「はい」
「田植え体験はあります」
小十郎さんが少し期待した顔をした。
「小学校の授業で一回だけ」
期待が消えた。
分かりやすい人だ。
「では」
小十郎さんは聞いた。
「何ができるのです?」
「それを今から探しに行くんです」
「……」
「だから、そんな顔しないでくださいって!」
◇
村に着いた時。
最初に思ったのは。
臭い、だった。
土。
煙。
家畜。
肥。
色々な臭いが混ざっている。
だが、嫌なだけではなかった。
生きている場所の臭い。
そんな感じがした。
子供がいた。
裸足で走っている。
俺を見ると止まった。
じっと見る。
俺も見る。
さらに子供が増えた。
三人。
五人。
七人。
「……何ですかね」
俺が言うと、小十郎さんが答えた。
「珍しいのでしょう」
「何が?」
「拓真殿が」
「俺?」
「その衣も。その顔つきも」
「顔は普通ですよ」
小十郎さんは何も言わなかった。
「今、何で黙ったんです?」
「先へ行きましょう」
「そこ流さないでくださいよ」
村の中央には、十人ほどの農民が集められていた。
若い男。
老人。
女もいる。
全員。
俺を見ていた。
そして。
全員。
歓迎していなかった。
分かる。
営業を六年やった。
人の顔色を見ることに関してだけは、少し自信がある。
これはあれだ。
新しい取引先に行って、
『で、あんた誰?』
という顔をされた時と同じ。
その中から。
一人の老人が前へ出た。
小柄だ。
腰が少し曲がっている。
だが腕は太い。
手は節くれ立っていた。
「片倉様」
老人が頭を下げる。
「お呼びとのことで参りました」
「ご苦労です、弥作」
小十郎さんが俺を見る。
「この村の長を務める弥作です」
俺は頭を下げた。
「神谷拓真です」
弥作さんは頭を下げない。
じっと俺を見る。
上から下まで。
「……侍でございますか」
「違います」
「商人」
「前は、まあ、それに近い仕事を」
「百姓ではない」
「はい」
嫌な流れだ。
もう分かる。
そして予想どおり。
弥作さんが言った。
「そのお方が、我らに百姓を教えるので?」
後ろで。
誰かが笑った。
小さく。
だが聞こえた。
俺は思った。
そりゃそうだ。
俺だって逆の立場なら笑う。
田んぼすら持ったことのないサラリーマンが、突然やってきて、
『今日から農業を改善します』
なんて言い始めたら。
怪しい。
ものすごく怪しい。
俺は小十郎さんを見た。
「どういう説明したんです?」
「殿より、米を増やすため未来の知恵を使う者が来る、と」
「ハードル上げすぎでしょう!」
「私は何も申しておりません」
「政宗か!」
呼び捨てにした瞬間。
農民たちの顔色が変わった。
小十郎さんが咳払いする。
「拓真殿」
「すみません。政宗様」
遅い。
完全に変な奴だと思われた。
弥作さんの顔は、ますます険しくなっている。
「未来の知恵とやらで」
弥作さんが言った。
「米を増やしてくださるので」
「いや」
俺は答えた。
「分かりません」
沈黙。
弥作さんが目を細める。
「分からぬ?」
「はい」
「では、なぜ来た」
「分からないからです」
また沈黙。
後ろの若者が言った。
「馬鹿にしておるのか」
「してません」
俺は即答した。
「本当に何も分からないんです」
ざわめきが起きる。
小十郎さんまで、少し驚いた顔をした。
だが。
ここで知ったかぶりをしても仕方がない。
相手は何十年も土を触ってきた人たちだ。
俺が勝てるわけがない。
「俺は米を作ったことがありません」
言った。
「田植えは一回だけ。子供の頃に遊び半分でやった程度です。稲が病気になった時にどうするかも知らない。いつ水を入れて、いつ抜くのかも知らない」
弥作さんが俺を見る。
「ならば」
「だから教えてください」
俺は頭を下げた。
ざわめきが止まった。
「今、何に困っているのか。何があれば米が増えるのか。どうして増えないのか。俺には分からない。だから聞きに来ました」
「……我らに?」
「はい」
「未来の知恵を持つ者が?」
「未来人だって知らないことくらいありますよ」
俺は頭を上げる。
「未来人を何だと思ってるんですか」
誰も答えなかった。
そりゃそうだ。
俺自身もよく分からない。
すると。
弥作さんの後ろにいた若者が鼻で笑った。
「なら、帰れ」
二十代後半くらいだろうか。
日に焼けている。
体も大きい。
俺より明らかに強そうだ。
「何も知らぬ者に、田も米も分かるものか」
「そうですね」
「認めるのか」
「事実なので」
「……」
逆に困った顔をされた。
「でも」
俺は言った。
「何も知らないから、気づくこともあるかもしれない」
「偉そうに」
「すみません。それは自覚あります」
「なら黙れ」
「それは無理です」
若者がむっとした。
俺も少しむっとした。
人間だから。
頭では相手の言うことが正しいと分かっていても、腹が立つ時はある。
俺は聞いた。
「じゃあ一つだけ」
「何だ」
「この村で、一番米が取れる田んぼはどこです?」
若者が指差した。
「あれだ」
「一番取れないのは?」
別の場所を指す。
「向こう」
「どうして違うんです?」
「土地が違う」
「どう違う」
「……土だ」
「水は?」
「違う」
「種は?」
若者が黙る。
俺は続けた。
「同じですか」
「種籾は、それぞれが取ったものを使う」
「一番米がよく取れた田んぼの稲から、種を取ってるんですか?」
弥作さんが少し目を細めた。
「必ずしも、そうではない」
「どうやって選ぶんです?」
「よい穂を残す者もおる」
「全員?」
誰も答えない。
俺は田んぼを見る。
専門知識なんてない。
だが。
知っていることがゼロではない。
品種改良なんて大それたことはできない。
でも。
出来のいい作物の種を選ぶ。
それくらいなら、俺でも知っている。
「あと」
俺は田んぼへ近づいた。
水を見る。
濁っている。
端の方は浅い。
別の場所は深そうだ。
「あの田んぼと、この田んぼ。水の入り方、違いますよね」
弥作さんが言う。
「上の田から順に流す」
「だから下は足りない時がある?」
「ある」
「雨が少ない年は?」
弥作さんは答えなかった。
答えなくても分かった。
俺はしゃがんだ。
土を触る。
湿っている。
当然だ。
何も分からない。
本当に。
土を触っても、土だな、としか思わない。
俺は手を見た。
泥だらけだった。
「……これ、難しいな」
正直に呟いた。
後ろで誰かが笑った。
今度の笑いは。
さっきとは少し違った。
俺は振り向く。
さっきの若者だ。
「何がおかしいんです」
「いや」
若者は笑った。
「未来人でも、土を見て分からぬのだな」
「分かりませんよ」
「何でも知っているのではないのか」
「知ってたら苦労してません」
「政宗様は、お主に米を増やせと?」
「言われました」
「どれほど」
「たぶん本人は倍くらい期待してます」
今度は。
何人かが本当に笑った。
弥作さんまで口元を緩める。
「そいつは無茶だ」
「でしょう?」
思わず俺も笑った。
「やっぱりそうですよね!」
「当たり前だ」
「よかった。俺がおかしいんじゃなかった」
小十郎さんが静かに言った。
「拓真殿」
「はい」
「殿へ、そのままお伝えになりますか」
俺は黙った。
農民たちも黙った。
そして。
俺は首を振った。
「言いません」
「なぜ」
「怖いから」
笑いが起きた。
今度は結構大きかった。
俺も笑った。
少しだけ。
空気が変わった。
ほんの少しだけ。
◇
それから半日。
俺は歩いた。
田を見た。
用水路を見た。
米蔵を見た。
種籾の保管場所も見せてもらった。
分からないことだらけだった。
でも。
一つだけ。
気になった。
村外れ。
細い水路。
泥が溜まり、草が生え、水の流れが悪くなっている。
「これ」
俺はしゃがみ込んだ。
「掃除しないんですか?」
弥作さんが答える。
「人手が足りぬ」
「なぜ」
「戦だ」
短い答えだった。
若い男が取られる。
死ぬ。
戻らない。
残った者で田を耕す。
水路も直す。
家も直す。
全部。
俺は黙った。
兵を増やしたい。
昨日の政宗の言葉を思い出す。
兵を増やせば。
さらに人が減る。
そして。
米も減る。
「小十郎さん」
俺は呼んだ。
「はい」
「あの人に言ってください」
「殿に?」
「兵を増やす前に飯を増やせって言いましたけど」
「はい」
俺は水の流れない水路を見る。
「その前に」
少し考えた。
「人を、減らしすぎちゃ駄目だ」
小十郎さんは何も言わなかった。
俺を見る。
その目から。
いつもの穏やかさが少しだけ消えていた。
「拓真殿」
「はい」
「それを殿に申すのですか」
「……駄目ですか」
「いいえ」
小十郎さんは静かに答えた。
「ただ」
少し間を置く。
「それは、米を増やすより難しいかもしれません」
分かっている。
戦国時代だ。
戦わなければ滅ぼされる。
人を戦に出さなければ、敵が攻めてくる。
そんなことくらい。
歴史好きの俺にも分かる。
だが。
俺は目の前の水路を見た。
流れなくなった水。
泥。
草。
人手がない。
それだけで。
田んぼは弱る。
国も弱る。
俺は立ち上がった。
「とりあえず」
言った。
「これ、掃除しましょう」
若者が俺を見る。
「お主が?」
「はい」
「できるのか」
「知りません」
「またそれか」
「やってみないと分からないでしょう」
俺は靴を見る。
昨日まで現代を歩いていた革靴。
もう泥だらけだ。
どうせ今さらだ。
水路へ足を入れる。
ズブッ。
靴が沈んだ。
「あ」
嫌な感触。
次の瞬間。
足を取られた。
「うわっ!」
派手に転んだ。
泥。
全身。
顔まで。
一瞬。
静まり返り。
そして。
大爆笑が起きた。
「笑うな!」
俺は叫んだ。
一番大きな声で笑っていたのは。
さっき俺に帰れと言った若者だった。
「未来人! 未来では泥の歩き方も教わらぬのか!」
「うるさい! そっちの時代には舗装道路がないんですか!」
「ほそうどうとは何だ!」
「もういい!」
笑い声が村に響いた。
俺は泥だらけになりながら。
なぜか。
少しだけ。
ここへ来てから初めて。
この時代の人たちと同じ場所に立てた気がした。
そしてその日の夕方。
俺はまだ知らなかった。
俺が見つけた。
たった一本の詰まった水路が。
やがて伊達領全体を巻き込む。
最初の大騒動の始まりになることを。




